Fly Up! 284

モドル | ススム | モクジ
 自分の発した言葉に騒然とする武達を一瞥した吉田コーチは、一度咳払いをしてから告げる。表情には動きはなく、淡々と事実だけを伝えようとする姿勢が、決断を変える手段は武達にはないということを悟らせる。淡々と語る口調には冷たさを越えて凍るような気配を放っていた。

「そうだな。次の試合のオーダーは、一度観客席に戻ってからミーティングをしよう。ここでは休めないだろうしな」

 吉田コーチはそう言ってからすぐに歩きだした。武達もその後を続いて歩きだす。先頭は偶然にも武だったが、横に並ぶように小島が進み出る。きびきびとした動きで一気に先頭に出て、吉田コーチのすぐ後ろをついて行く姿は武から見て、目の前の敵に挑んでいるようにも見えた。

(そうか。小島は、体力に不安があるから次のシングルスを外されるって思ってるんだ。だから、元気な姿を見せようと)

 一見、小島の動きは問題がないように武にも見える。しかし、しっかりと見れば僅かにではあるが歩行が左右にふらついているし、肩も上下している。田場とのシングルスの激闘が尾を引いているのは明らかだった。吉田コーチではなくとも、例えば武が同じ立場でも、次の試合には出さないだろう。体力低下していることで、実力を発揮できないという面もあるが、何よりも怪我の可能性のほうが高まる。

(小島の気持ちも分かるけど……吉田コーチに賛成だな)

 吉田コーチに続いてフロアを出て、二階へと昇って行く。観客席につき、自分達の確保しているスペースには庄司が待機していた。全員が来たところで庄司も「よくやった」と声をかけてくる。武を含め、浅葉中の面々は反応したが、他は反応が鈍かった。小島に対する吉田コーチの発言が影響を与えているのは明白だった。

「さて、次の試合のオーダーだが、このように考えている」

 吉田コーチは武達を自分の前に集めると、名前が書かれたオーダー表を見せた。言葉で伝えればどこで相手チームに伝わるか分からないためだ。前にいて本来なら一番前で名前を見ることになるのは武だったが、小島が横から割り込んで表を見たため、半歩後ろから覗きこむ形になる。
 武はそこで、息を呑んだ。

(男子シングルス、岩代。女子シングルス。藤田)

 本来ならば書かれるであろう小島と早坂は、二人とも名前は書かれておらず、代わりに本来ならダブルスの要員として参加した二人の名前がある。更に武が驚いたのはダブルスの名前だ。

(男子ダブルス、吉田と、安西。女子ダブルス、早坂と瀬名。ミックスダブルスに、姫川と、俺)

 武にとっては、全く想定していない組み合わせだった。練習中も何度か組み合わせを変えて感触を確かめてみたが、この中で確実な成果を出していたのは姫川と武のミックスダブルスしかない。吉田と安西はあと一歩及ばず、早坂と瀬名については武には練習で組んでいるところを見た記憶はない。

「本来なら、この組み合わせも試してはいる。だが、正直は話、使うことはほとんどないだろうと何度か通したくらいだろうな」

 武の内心に生まれた思いは、おそらく全員に生まれたものだと判断したのか、吉田コーチは全員を見渡して言う。

「あの――」
「小島は出さない。これはある種の賭けだが、もし明日があるならば、お前をここで燃え尽きさせるわけにはいかない」

 オーダー表を見て声を出そうとする小島を制して、吉田コーチは言う。周りに他のチームがいないことを確認してから、吉田コーチは次の対戦相手である大阪について説明を開始した。

「まず、大阪はダブルスが強いチームだ。といっても、シングルスも弱いわけではない。今回参加しているチームの中では、総合力で言えば我々より上だろう。大きな穴がない、ということだ」
「その中でも、大阪はダブルスが強い。インターミドルでも三位に入っているダブルスが、今回参加している」

 吉田コーチの言葉を庄司が引き継ぎ、また別の紙を見せる。オーダー表に手書きで、武達とは別の名前が書かれていた。

「これはさっきの試合のオーダーだ。予選では多少変えているが、今回はおそらく変えてこないだろう。男子ダブルスの峯(みね)兄弟と女子ダブルスの坂口、永澤。どちらもジュニア大会でベスト4に入っている」
「……俺が出ないのは仕方がないとして、男子ダブルスは相沢と吉田じゃなくて良いんですか?」

 小島の言葉に庄司と吉田コーチはすぐには返せなかった。武もまた、小島と同じような疑問を抱いていたが、それは指導者二人も否定しきれないらしい。言いよどむ二人に、小島は更に言葉を連ねる。

「確かに明日を考えれば、次に試合がない方がいいです。でも、次を気にして今、負けたら――」
「そこまで」

 差し挟まれた声は、小島の言葉を途切れさせる。言葉だけではなく、小島の肩に手が置かれており、実際に動きを止めていた。武も気づかなかったが、いつしか安西が小島の隣に踏み出してきていた。表情は笑顔を作っていたが、武にはその裏にみなぎる気合を感じる。

「お前は十分やったから休んでろ。俺らが大阪を倒す。男子ダブルスは、俺と吉田で倒すから」

 安西の言葉には力があった。有無を言わさず相手を従わせる力が。安西から放たれる圧力に藤田と清水は硬直していたが、小島は言葉に囚われることはなく、しっかりと視線を向けて言う。

「勝算はあるのか?」
「なくはない。ただ、試合をやってみないと分からないさ」

 小島の顔が一瞬歪む。肩の上に置いておいた掌に力が入ったのか、手の甲が微かに動くのが武には見えた。張りつめていく空気に周りの気温が下がったように感じたが、急に霧散した。

「分かったよ。任せた」

 小島は両手を上げて降参のポーズを取った。
 安西もため息をついて手を小島の肩から離し、一歩後ろに下がる。場の空気が元に戻ると共に、吉田コーチが口を開いた。少しだけ重い口調で。

「確かに。小島の言うとおり、辛い戦いになるだろう。だが、ここでこの組み合わせで勝てないと明日はおそらく負けるというのが、庄司先生と私が出した結論だ。駒が一つでは、勝てない。だから、私は香す――吉田と安西君に峯兄弟を相手にしてもらおうと考えたんだ」
「今の時点なら、おそらく負けるだろう。だから、安西。吉田。二人とも、試合中に成長するんだ。小島や姫川のようにな」

 当人達の他、吉田と武。安西達も、小島と姫川は今回の試合で飛躍的にレベルアップしたと思っていた。コーチ達がそれを悟らないわけはないと武は納得する。吉田コーチは安西にも成長しろと促しているのだ。安西は力強く頷き、拳を握る。既に抑えられない闘志が体からほとばしっていた。

「もちろん、シングルスも捨てたわけじゃない。岩代。藤田。お前達に負けろとは言っていない。勝つのは難しいという事実は変わらないが」
「分かっています」
「は、はい!」

 岩代は冷静に。藤田は緊張した面持ちで答える。二人とも自分の役割は分かった上で参加している。今回の起用は想定の範囲内だとしてもほとんど取られることはない作戦。それだけに、自分達の存在を示すチャンスでもある。自信がない藤田とは違い、岩代はここで脇役に終わる気はないというように視線を上げた。

「早坂や相沢達の出番がないようにしてみせます」

 岩代の力強い言葉に吉田コーチは頷く。シングルスと男子ダブルスまでの話が済んだと判断し、早坂と瀬名へと視線を移した。鋭い視線を向けられて、二人は同時につばを飲み込む。

「早坂。瀬名。お前達二人のダブルスの力を私は評価している。だが、早坂は昨日まではシングルスのエースらしからぬ働きしかできていない。今回は、どうだ?」
「……言葉でいくら言っても意味はないと考えています」

 早坂は顔を引きつらせながらも、しっかりと口にする。これまでの自分を受け止めて、これからの自分を示すために。

「調子が戻るかどうかははっきりと言えません。ただ、戻してみせます」
「早坂が駄目なら、私が何とかしますよ」

 早坂の背中を叩いて瀬名が言う。体中に満ちている自信。どこから出ているのか根拠は見えないが、武には瀬名が今までよりも大きく見えた。

「よし。頼んだぞ、二人とも」

 最後にやってきたのは武と姫川の前。吉田コーチはすまなそうに姫川を見てから言う。

「小島と違って、姫川には連続でエントリーすることになって申し訳なく思っている」
「いいんです。私、試合できるの楽しいですから」

 姫川は屈託のない笑顔で吉田コーチへと返す。心の奥に含むものもなく、本当に言葉の通りに思っているのだと武は思う。その気持ちは分かる気がしていた。武も学年別で優勝した後。もう少し些細なことでいえば、中一の最初の頃に初めて刈田と試合をして、自分の力が上がったことを認識できた時は嬉しかった。
 試合を早くしたい。もっともっと試合を重ねたいという思いがあった。姫川も外間愛華との試合で自分の力が上がったことを理解しているのだろう。

「相沢君と私のダブルスなら、きっと相手に勝てますよ。私達の相性いいもんね」
「あ、ああ……」

 武の左側から腕を取ってくる姫川に慌てつつ、武は同意する。続けて吉田コーチに向けて言った。

「もしシングルスが負けても、ダブルス二つが勝ってくれると信じてます。だから俺と、姫川は。全力で相手を倒すだけです」
「ああ。任せた」

 ひと通り試合に向けてのオーダーの説明を終えると、吉田コーチは全員から一歩離れて一時解散を告げた。
 試合が始まる時間は最終的にははっきりしないため、指定時刻の二十分前には集まるようにと伝える。それまでは自由時間で各自試合に備えてリフレッシュをするように、と告げるとその場から去った。
 そこから他の面々もトイレや飲み物を買いに行くなど思い思いの行動に入って離れていき、残ったのは武と姫川だけ。
 皆の背中が離れて行くのを見ながら武は一息ついて客席の一つに座ると、それまで左腕を取っていた姫川も一緒に座った。

「おい。そろそろ離せって」
「もしかして照れてるの?」
「そんな……いや、まあそうだよ」

 姫川の浮かべる笑みに、騙し合いで勝てる気がしないと悟った武は素直に頷いて話してくれるように頼んだ。姫川はあっさりと承諾して手を離す。緊張に固まっていた体が柔らかくなり、ため息をつきながら肩を落とす。

「相沢君。そんなので彼女と手を繋いだりとかしないの?」
「……そりゃ、するけど。やっぱり緊張するさ」
「へぇ。ウブだね」
「ほっとけ」

 姫川は笑いながら立ち上がって、少し離れてから柔軟体操を始める。両手を組んで頭上に伸ばし、腕の筋肉を伸ばす。次に後ろへと反り、前に倒し、右、左と倒すことで脇腹の筋肉も伸ばしていく。息を吐きながら、吸いながらと呼吸を止めずに体を動かしていく姿は滑らかで、武は思わず見とれた。

「どうしたの?」

 視線に気づいた姫川が武へと尋ねる。武はどう言おうか迷ったものの結局言わずに何でもないとだけ告げた。姫川は「ふーん」と含みがある言葉を呟いたものの、何も言わないまま時が過ぎる。

「相沢君さ。沖縄との試合、どうだった?」

 無言の間が嫌なのか、姫川は武へと問いかけてくる。周りを見回してみても、庄司が数段上にある椅子に腰かけている以外、この場にはいない。改めて確認しなくても全員が分散してどこかでリフレッシュし、また結集する時が次の試合の始まり。それぞれで思うところはあるに違いなかった。そこまで考えて武は姫川の質問に答えていないことを思い出す。姫川は回答がなくても落ち着いて柔軟体操を続けていた。武は一度咳払いをして言うタイミングを計ると、自分なりに思ったことを言った。

「沖縄との試合。俺と吉田は楽だったよ。もちろん、楽っていうのは……簡単ってことじゃなくて気分的に、な」
「気分的に?」
「そう。小島と姫川が主力に勝ってくれたからさ。二人が勝ってくれたから、俺と吉田は気負いなく試合に挑むことができたんだ」
「そうなんだ」

 武は試合が始まった時の感覚を思い出す。二人の激闘を見たことによる気分の高揚。そして、目に見えてレベルアップしたことによる興奮。少しだけの嫉妬。エース二人を攻略されて追い詰められている相手に対して、2勝のアドバンテージさえある。自分を奮い立たせるのに十分な理由がいくつもあった。そのことが、第一ゲームのラブゲームや第二ゲームでの攻撃を受けきったことに繋がっていると武は思うのだ。

「お前らの二勝は、ただの二勝よりも重かった。姫川も十分このチームのエースだよ」
「ありがとう。でも、残念ながらエースは、ゆっきーだよ」

 姫川は体操を終えてまた武の隣に座る。汗がにじむ程度にしていたのか、頬や着ているユニフォームの下に汗をかいているようだった。顔に浮かんだ汗をタオルを使って拭ってほっと一息ついてから言葉を続けた。

「このチームのエースはやっぱりゆっきー。早坂由紀子が復活することで、このチームは完全になるんだ。もう少しってとことだね」
「今のお前なら、早坂にも勝てるかもしれないぞ?」

 武は本心を告げていた。外間相手に見せたレシーブ力。コート上を駆け巡る移動速度。武から見れば君長凛に負けていない。なら、君長と接戦となった早坂ともいい勝負になるかもしれない。
 それでも姫川は首を横に振る。

「勝てるかもしれない、じゃ駄目。それは、インターミドルに取っておくの。憧れるだけじゃなくて、私は本気でゆっきーを倒したいって思ってる。でも、そのためにはエースとして復活したゆっきーと競わないと」
「……調子悪い早坂より今、よく見えても意味ないってことか」
「そういうことー。だから私はここで力をつけて、インターミドルでリベンジするの」

 見た目や言動と異なって、姫川は明確に自分の役割と、目的とを理解して行動している。武は疲れからか急に降りてきた瞼に逆らわずに目を閉じた。次の試合に向けての休息。脳裏では姫川と共に挑むミックスダブルスの光景が浮かんだ。

(来ない方がいいに決まっているけど……出番が回ってきてしまったら。必ず勝つ)

 武は心の中で一人、強く誓っていた。
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