Fly Up! 286

モドル | ススム | モクジ
 武は目の前にある扉の前でラケットバッグを背負いなおしてから、ゆっくりとフロアに続く扉を開けた。少し抵抗があった後に内側へと押し出された扉。外へと抜けてくる熱気に一瞬、顔に風がかかったような気がする。
 記憶と気圧の変化から起こる風の流れ。風でシャトルの動きを遮るわけにいかないため、フロアの中と外では温度が異なる。待機場所で既にジャージを脱いでユニフォーム姿となっていた今でも十分熱かった。
 フロアに入ってからより肌に突き刺さる気配が増していく。武は更にゆっくりと、気配がするほうへと歩いて行く。視線の先には談笑している対戦相手チームがいる。離れていても大きな声で関西弁を捲し立てていた。

「あれが、たぶん峯兄弟だな」

 武の後ろにすっと近寄ってきた吉田が声をひそめて言う。声も大きいが体も大きい。更に頭はほとんど坊主のそれ。もう少し剃ってしまえば肌色が見えるくらいだった。大柄な体にユニフォームの上からでも分かる筋肉。ハーフパンツから伸びた足、ふくらはぎは強く引き締まっている。身長は遠目から見ても武達より高い。もしかしたら170後半までいくかもしれない。

「中学生の体つきじゃないな」
「あいつらはあの体格の通り、パワーで押してくタイプのはずだ。実際にプレイは見ていないけど、あとローテーションが特殊みたいだ」
「特殊?」
「ああ……それは、安西と俺で攻略するさ」

 吉田のすぐ後ろについていた安西に向けて、吉田は話題を振る。安西は特に何も答えずに頷いただけだった。顔は緊張にこわばっていて、自分が闘う相手に視線を向けたまま歩いている。試合前から疲れてしまうと武は思ったが、変に口を出せば安西の調子が崩れるかもしれない。

(ここは吉田に任せるか)

 武は視線を前に向けて、そのまま歩を進める。ペースを落として歩いている間に仲間達も周りに集まってきた。
 藤田と清水も安西と似たような表情をしている。岩代は無表情のままだが、視線はシングルスで戦う相手を探していた。早坂と瀬名はいつも通りに粛々と歩いている。多少、早坂の顔がこわばっているのは復帰戦だからか。
 小島と姫川は最後尾を歩いて何かを話していた。聞こえなかったが、二人の顔に笑みが浮かんでいるのを見ると落ち着いているらしい。

(小島はどれだけ俺達を信じてくれるかな)

 体力温存も兼ねて、今回の試合にでない小島。一度負ければ終わるトーナメントを、自分以外の仲間に託す。いつもエースとしてチームを引っ張っていた小島にとっては歯がゆいだろう。だからこそ、今回は厳しいが精神的な面については充実している。岩代も藤田も安西も、今まで以上に自分達の役目を果たそうとしている。あとは早坂がどこまで調子を戻せるか。
 コートに南北海道チームが着いたのとほぼ同時に、審判もやってくる。元から基礎打ちの時間はほとんど取れないことはアナウンスで分かっていた。審判もすぐに試合を始める旨を伝えて、両チームにネットの前に集まるように指示する。
 武達と相手チーム。合計二十人がネット前に集まる。双方の監督はコートの外で待機して、総勢二十二名。
 お互いに、今日最後の試合。ベスト4をかけての一戦に自然とテンションが上がっていく。審判が握手をするようにとネットを少しだけ下げて両チームに言うと、一斉に手を差し出して手を重ねた。
 武の目の前は峯兄弟のどちらか。兄なのか弟なのか全く武には区別がつかない。

「お前と吉田ってやつ。橘兄弟倒したんだってな」

 握手を続けたまま峯が言う。武が無言のままでいると、峯は「ああ」と呟いてから笑顔を見せた。

「俺は峯大樹(だいき)。双子の弟の方さ」
「おい、大樹。いい加減離せって。すぐ試合始まるぞ」

 隣にいたもう一人――峯健吾(けんご)が言うと、大樹は素直に従って武から手を離した。去っていく背中を追うように武もコートの外に出る。試合はコートを二つ使って、まずは男女のシングルスから実施される。
 既にオーダーは各監督の間で交換されており、武達は吉田コーチの周りに集まって相手のオーダーを見た。

「予想通り。岩代の相手は松本健太。藤田の相手は木戸悠希。どちらも全国大会に出ている。目立った成績は残せなかったみたいだが」
「それだけでも、俺や藤田より実力は上ってことですね」

 岩代の言葉に吉田コーチは頷く。藤田は少し青ざめていたが、気丈にふるまおうとしていた。相手が格上なのは分かっているのだ。あとは、どれだけあらがえるか。どう戦うかを考えるだけ。

「お前達が勝てば後が楽になる。が、正直に言おう。やはり負ける確率の方が高いと考えている。しかし、勝つ可能性を見出すんだ。ひたすら、考えろ」

 吉田コーチの言葉に頷く二人。二人ともインターバルの間には出来る限りアドバイスはすると言って、藤田と岩代の背中を軽く叩いた。続けて武や瀬名など、男女それぞれが二人の背中を叩いて行く。

「勝ってヒーローになってこいよ」
「これで勝ったら、好きなだけお菓子おごってあげる」

 口々に励まされながら、岩代と藤田はそれぞれの戦場へと歩きだす。吉田コーチはどちらも見られるように少し変則的な椅子の置き方をした。コートの間のスペースに並べられたパイプ椅子。通常はどちらかの方向へと向いているが、吉田コーチは審判のほうへと向けて座る。これで両方の試合を視界に収めることができる。それでも片方の試合を見ればもう片方は見えなくなってしまうだろうが、背を向けているよりは見やすい。

(岩代。藤田。頑張れ)

 武はどちらの試合を見るか迷ったが、最後には岩代の側についた。
 男子は岩代に。女子は藤田に。それぞれ付くように場所を移動する。
 審判はコートにいる二人のうち、岩代の方へとシャトルが渡されて軽く打つように指示を受けた。岩代はシャトルを左手でシャトルコックをつまんでクルクルと何度か回してから、思いきり高くシャトルを打ち上げた。シャトルがコート奥へと飛んでいき、そのまま線を超える。だが、相手の松本は気にせずにハイクリアを打ち返した。打ち返されたシャトルは綺麗に岩代のコートの奥ライン上へと向かって軌道を描き、落ちて行く。

「はっ!」

 岩代は気合を込めてハイクリアを打ち返す。シャトルはしっかりと奥へと飛び、今度はちょうど相手の後ろライン上へと落ちて行った。松本はまたハイクリアを打ち、同じ軌道で岩代も打つ。何度か繰り返した後で、松本が動きを止めてシャトルを直接左手で受け止めた。

「試合を始めます」

 審判の言葉に松本はネット前に出る。岩代も遅れて前に立ち、手を差し出した。しっかりと握手を交わして離してから、二人はそれぞれの位置へと向かう。互いにコートの右半分。その中央に立ってから手を出してじゃんけんをする。勝った岩代はサーブ権を取り、松本は天井と周囲を見回してからコートをそのまま取った。

「ファーストゲーム、ラブオールプレイ」
『お願いします!』

 二人同時に叫び、各々の構えを取る。岩代はシャトルを手にとって前方のサービスラインぎりぎりに立ち、サーブ姿勢を取る。明らかに肩に力が入っていて、傍から見ても何かの失敗を犯しそうだ。
 一方で松本はコート右半分のちょうど中央に半身になって立ち、岩代のサーブをラケットを掲げて待った。その姿には緊張感の欠片もなく、適度な力が肩に乗っている。峯兄弟ほどではないが筋肉がついた大柄な選手で、頭はスポーツ刈り。目が小さくてパーツが離れ気味なため、どこかおっとりとしたような印象を与えてくる。その表情が緊張感がないことに拍車をかけて、逆に相手へのプレッシャーとなっていた。

(さっきのサーブも、アウトだったしな)

 試し打ちだからこそ問題ではなかったが、ゲームが始まれば間違いなくアウトの軌道。あの一発で岩代が落ち着きを取り戻していればと武は思うが、外から見ていては安心できない。
 岩代はシャトルを豪快に打ち上げた。高く飛んだシャトルはシングルスの後ろのラインより手前で落下し、結果として打ちごろのシャトルとなってしまう。自分が力を入れ過ぎていると気づいて高さに気を使ったのは武にも分かったが、逆に相手のチャンスになった。

「らあっ!」

 軽くジャンプしてのスマッシュ。ジャンピングスマッシュというほどではないが、鋭いシャトルが岩代の左サイドをえぐっていく。岩代は咄嗟にバックハンドで前方に打ち返したが、すでに打ち終えた松本はネット前に飛び込んでいた。

「うらっ!」

 シャトルをプッシュで岩代の足元へと叩き落とす。わざわざ岩代のラケットが届く範囲ではなく、離れた場所に打ち込んだのを見て、武は込み上げるものを抑えずに声を出した。

「岩代! ストップだ!」

 岩代は武のほうを向いて一つ頷くと、シャトルを拾い上げて松本へと打った。シャトルを受け取った松本は羽を整えながらサーブ位置につく。岩代のシャトルを待ち構えた場所から少し手前。前方のライン間際につま先を合わせて、サーブ体勢を取った。岩代は逆にラケットを高く掲げて待ち構える。

「一本!」

 松本の気迫と共に放たれたシャトルは、綺麗な弧を描いて岩代のコートを侵略する。後ろいっぱいまで追いつめられた岩代は、ストレートのハイクリアでシャトルを打ち返す。真っ直ぐに打ち返したが、飛距離は伸びずにまたコートの中央付近まで進んだところで下降していく。

「らあっ!」

 松本はまた吼えてスマッシュを放つ。今度は岩代は取ることができず、防御のために広げた両足の間にシャトルが突き刺さっていた。

「ポイント。ワンラブ(1対0)」

 スマッシュを打つ時などとは違い、松本はシャトルが決まっても何も吼えず、リアクションを取らなかった。武なら自分を鼓舞しようと自然と声が出るのだが、松本は違うのかもしれない。

(気合いを自分でコントロールしてるのかな……やっぱり、余裕がある)

 最初にプッシュを岩代が決められた時に武の中によぎったのは、その「余裕」だった。わざわざ打たれるかもしれない所に打ち込むのは、もし返されても十分対応できるということ。プッシュだけではなく、今回のスマッシュも。体の傍は打ち返しずらいということは分かるが、それでも岩代の真正面を狙いすぎている。そうやって挑発して岩代のペースを乱す作戦なのかもしれない。

「岩代! まずはストップだ!」

 武の声に岩代は手を上げて頷く。視線で『大丈夫』『分かってる』と言っているように見えて、武は一度声を抑えた。隣で吉田が肩を震わせて笑いをこらえていた。

「なんだよ」
「いや。分かりやすいよな相沢は。試合の時は気合が入ってること以外は読みづらいのに」
「そうなのか?」
「お前のスマッシュからのフェイントドロップはなかなか取れないさ」

 意識していないことを言われて「うーん」と腕を組みながら考える。自分の試合中を振り返ろうとしたが、松本の咆哮とサーブに意識を持っていかれた。シャトルを追っていく岩代は流れを変えようとしているのか、スマッシュでシャトルを沈める。後方からのスマッシュはこのレベルになるとなかなか決まらない。松本は冷静にシャトルを捉えて、クロスヘアピンで岩代の最も遠い場所へとシャトルを返していた。
 岩代は足を踏み出し、目一杯腕を伸ばしてラケットを届かせようとするが、シャトルが落ちるのに数歩遅い。あっという間に二点目を取られてしまった岩代は、天井を向いて深く息を吐いた。武はその様子にまた声を出そうとしたが吉田に止められる。

「まずは岩代のペースに任せよう。序盤だ。焦る必要はない」

 吉田の言葉に武は言葉を飲み込んで、しっかりと岩代の姿を見た。シャトルを拾い上げて羽を整える際の顔は無表情のまま。だが、おそらく頭の中では高速で思考を回しているに違いない。松本の特徴を分析して、自分の戦力からどうすれば勝てるのかと。
 羽を整えて終えてからシャトルを松本へと放り、レシーブ位置に戻る。二点目の位置。一番初めの場所へと戻ってきた岩代は前回よりも少しだけ後ろに下がってラケットを掲げた。先ほど見せられたロングサーブにより早く追いつくための方法か。松本はしばし岩代を眺めた後でサーブ体勢を取り、吼えつつシャトルを打つ。

「一本!」

 声と共に振られた右腕が一瞬で静止する。勢いに押されるように打ちだされたシャトルが、ネットを静かに超えて行く。岩代は前に突進するように飛び出して、ラケットを振り上げた。高く遠くへ飛ぼうとするシャトル。進む軌道に、松本のラケットが割り込んだ。

「らあ!」

 シャトルが途中でインターセプトされて、しゃがんでいた岩代の背中すれすれを抜けてコートへと叩きつけられる。勢いよく転がったシャトルを後で目で追う岩代。武の目から見て、少なからず動揺が浮かんでいるのが分かった。スマッシュでガンガンと押していくタイプというのは最初から分かっていたが、ネット前の反応も速い。そして、今の速さならばたとえロブを空振りしても着地してすぐ後ろに走っていけば間に合うという考えの下、躊躇なくインターセプトを狙う思いきりの良さ。
 沖縄戦での小島や田場ほどの力は感じないものの、松本も間違いなく全国区だと武は肌で感じていた。

「これは、まずいかもな」
「……おいおい」

 岩代のペースに任せると言った直後の吉田のセリフに武は呆れかえる。だが、武も岩代の不利を理解する。序盤は得点を互いに取りながら相手の癖などを分析していく段階だ。しかし、岩代は癖を出す暇もなく打ち崩されていく。現時点では明らかに差がある。試合を進めて行く間に攻勢に慣れて、対抗できるようになるかもしれない。それが手遅れになる可能性も十分ある。

「さあ、ストップだ」

 武と吉田が暗い思考に陥りかけたのを止めたのは、吉田の隣に座っていた安西だった。その声には力がみなぎっていて、直接岩代へとパワーを与えるかのよう。

「焦るな。まずはサービスオーバーだ」
「応」

 試合が始まって、初めての言葉は安西に向けての返答。その瞬間に岩代の体にみなぎる闘志。強い気迫が武と吉田の肌をひりひりと焼いた。

(まるで……俺達と試合している時みたいだ)

 このままでは終わらない。岩代の声が聞こえたように武には思えた。
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