Fly Up! 283

モドル | ススム | モクジ
「ぉおおおお!」

 外間のスマッシュが武の脇をえぐるように飛び込んでくる。武は咄嗟に体を横にずらして、自分でも強引にバックハンドでシャトルを打ち返していた。ストレートドライブの軌道に割り込んでくるのは宇江城のラケット。武は反動で後ろに押された体を前に押し出して、相手のヘアピンに備えた。武の動きを察知したのか、宇江城はクロスドライブで武の制空権からシャトルを外す。そのシャトルに反応したのは吉田。ラケットを突き出しながら前に出る。武は横目で姿をとらえるとすぐに後ろへと下がった。

「はっ!」

 吉田のヘアピンに、宇江城が横にスライドして追いつく。滑らかというよりは鋭く、刃物で空間を一刀両断するような動きからラケットを伸ばしてシャトルを打とうとしたところに、吉田のラケットが立ちはだかる。シャトルを打つ軌道上でインターセプトできるように。
 だが宇江城は吉田の動きをしっかりと捉えて、空間の隙間を縫うようにシャトルを打った。
 そこは武の制空圏内。

「おらあっ!」

 武はシャトルを真正面に打ち込む。宇江城と外間の間を抜けるように打ち込んだシャトルは外間も反応してシャトルを返したが、ドライブの軌道に飛んできたシャトルを吉田は見逃さない。
 ラケットを伸ばしてインターセプトして、シャトルを宇江城の防御を抜けさせた。何度も落ちる機会を逸していたシャトルが遂にコートにぶつかって、シャトルコックが跳ねる音を立てた。

「ポイント。サーティーンテン(13対10)」
「しゃあ!」
「ナイッショウ!」

 ラリーが終わり、武は溜め込んでいた思いを吐き出しながら吉田へと言葉を投げつける。吉田は言葉をちゃんと受け取った後で左手を掲げた。武は思いきり左手を打ちつけて、気合を乗せる。
 スマッシュ攻勢を敢えて受けて立ち、相手の土俵に乗った上でのこの得点。嵐のようなスマッシュを着実にレシーブして返していき、一ゲーム目とは異なるシーソーゲームの中で得点をゆっくりと重ねていった。
 これまでの相手と目の前のダブルスが違うのは、どれだけスマッシュを打とうとも息切れをしないこと。ジャンプ力が落ちずに、常に鋭く速いジャンピングスマッシュが降りそそいでくること。初めての体験だったが、武と吉田はレシーブによって相手のバランスを崩し、最後にプッシュで沈めるといった基本的な戦法を駆使してここまで来た。ジャンピングスマッシュから変化させた攻撃をするようになって点を取られて、流れを持っていかれそうになったものの、すぐに食い止めてサーブ権を取り返してからは連続得点で十三点目。追いつかれてもセティングに持ち込める。

(でも、セティングにはしない)

 武は吉田の後ろで気合を入れ直し、腰を落とす。吉田も同じようにセティングはせず、かつファイナルゲームは望んではいないはずだ。この試合で勝てばトーナメントを勝ち抜き、次の試合がやってくる。時間は空くとしても体力を温存する必要がある。

(残り二点。連続で決める。相手のスマッシュを、受けきって)

 吉田の背中からほとばしる闘志は言葉にせずとも意思を語っていた。
 サーブ体勢に入っての吉田の集中力の高まりが背後から武には見えていた。意思を全てシャトルとラケットに込めて相手のコートへと打ち出そうとしている。絶妙なコースと高さの軌道にシャトルを通すのは、針の穴を通すようなコントロールがいる。
 理想のルートと言うのはほぼ決まっている。ショートサーブが来ると分かっていても、強く返せないルート。ネットの高さギリギリで、更にコートの前を横切るサービスライン上に落ちるというルートだ。意図して打とうと思っても簡単に打てるところではない。機械ではない人間のその時々のコンディションで強さもタイミングも変わる。
 吉田の今の体調。今の得点。そして、今の試合。すべての要素から導き出されるただ一つのタイミングを見極める必要がある。

「一本」

 静かに呟いてから吉田はラケットを振った。シャトルが手から離れた瞬間に前に押し出す。ゆったりとした動きから打ちだされたシャトルは決められたルートをたどり、ネットを越える。シャトルの行き着く先には既に宇江城のラケットがあった。吉田のショートサーブが放たれる瞬間。完全に前に来ることを読んでいた上でのプッシュ。それでも、宇江城はシャトルに当てるのが精一杯だった。ラケットをネットに触れさせるわけにもいかず、せっかく前に出たアドバンテージを生かすことが出来なかった。

「はっ!」

 中途半端なプッシュをインターセプトしたのは吉田。集中力を高めた上での反射神経を駆使してラケットを伸ばし、シャトルを強引に沈めようとする。宇江城の頭の傍を通って落ちて行くシャトルを、外間が背後からロブで打ち上げた。
 宇江城の体にぶつからないように飛ばされたシャトルの落下点に回り込み、ラケットを振り被った。

「おらっ!」

 武が打ったのはハイクリア。ストレートに、遠くに飛ばしてから前に出る。吉田はすでに逆サイドに回って腰を落として防御を固める。吉田の意図を汲んで、武も絶好球でもスマッシュを打たずに防御に回った。
 外間も武達の思惑を理解しているのか、武がシャトルを打った瞬間に迷わずに後ろへ移動していた。そのために一足早く辿り着き、高く飛び上がった。

「うぅうううらっ!」

 裂ぱくの気合いを胸の奥から吐き出して、外間のジャンピングスマッシュが武の胸部を攻める。急角度を犠牲にして長い弾道でボディを狙うのはバリエーションとしては十分。前のめりに構えていた武も危うく取れないところだった。逃げずに前に出てラケットを思いきり振るとスマッシュがドライブで弾き返され、より速度を増してカウンターとする。
 そのカウンターを宇江城が全力で打ち抜くのもまた、より前の打点によるカウンターだ。

(ここで、止める!)

 武は半分は勘でラケットを突き出した。するとシャトルが吸い込まれるようにラケットに当たり、宇江城の頭上を飛び越えた。打ち終わりで全く動けないところに。シャトルが落ちる位置も宇江城の背中を抜けてすぐの場所であり、外間は走り出してはいたがパートナーの体が邪魔をしてシャトルを打てはしなかった。

「ポイント。フォーティーンマッチポイント、テン(14対10)」

 遂に最後の時がきた。第一ゲームのようにラブゲームといった衝撃的な展開ではなく点の取り合いになったが、周囲へのインパクトは十分だったろう。全国でも上位十六チーム。その中の一組のダブルス。全国的には実績のなかった二人が注目を集めている。ひとつは完封。もう一つは、苛烈な攻めをしのぎきる様子に、選手の視線が集まっていた。

「さあ、ラスト行こうか」

 吉田のセリフに頷く。一度吉田は後ろを振り向いて武の顔を見たが、笑顔を返すと微笑んで視線を前に戻す。
 今まで何度も十五点目のサーブをする吉田の後ろに立ってきた。だが、今回は初めての感覚に体が支配されている。予選リーグで戦った相手が下手ということではない。しかし、沖縄チームの、間違いなく実力があるダブルスに対して思い通りの展開を薦められているということは、武自身が自分の成長を実感できていた。

(小島も姫川も、今の試合で一気にレベルが上がった気がする。なら、俺らも……)

 武の中に生まれた感覚は、全道大会で橘兄弟と戦った時に近いもの。自分の頭上にあった蓋を認識し、手をかけて、上に押し出す。ゆっくりと重かった蓋が開いて、空から力が降り注ぐ。まるで体に巻きついていた鎖がほどけるように。武の体は意思を越えて動いて行く。

「ラスト一本!」
「一本!」

 吉田に呼応して声を出す。先ほどと異なりショートサーブと見せかけてのロングサーブに、外間は反応してスマッシュを打ち込む。武は真正面に来たシャトルを冷静に相手コート奥へと弾き返した。無理にヘアピンを狙わず遠くへ飛ばし、相手のスマッシュを待つ。

「おぉおやさ!」

 外間が後ろに下がってスマッシュを打ち込んでくる。また武は逆サイドへとロブを上げた。しっかりと上がるシャトル。スマッシュに押されて中途半端な位置に飛ぶことがないように注意を払いながら飛ばす。普通なら、スマッシュを打たれ続ければそのうちレシーブが追い付かなくなり、打ち込まれる。しかし、今回の武と吉田はそうはならなかった。放たれるスマッシュも劣化しなければ、打ち返す側のレシーブも打ち込まれるたびに切れ味が良くなってくる。いったいどちらが攻めているのか。スマッシュの強さも角度も、そこからのバリエーションも。武と吉田には通用しない。完璧にシャトルを捉え、対処法を心得ている。

「まけっかぁあ!」

 全面に気合いを押し出してスマッシュを続けている外間と宇江城。体力は落ちることなく、威力も増しているものの、武にはレシーブを失敗するというビジョンは持てなかった。武自身が思い描いた通りにシャトルが飛ぶ。

「はあっ!」

 ストレートのスマッシュをストレート。たまにクロスへと打ち込み、またそれらをドライブで攻めて行く。攻守の入れ替えが激しく、打っている間にシャトルからぼろぼろと羽が落ちて行く。
 終盤にして最も長いドライブのラリーを終わらせたのは、武の一撃だった。

「だらぁあ!」

 外間はサイドストロークでシャトルを打ち抜くと、前にいた吉田の防御を抜いた。武は後ろに待機していたためにシャトルへと追いつく。そこで相手二人の立ち位置を見て、狙い通りの場所へと打った。

「はっ!」

 その瞬間、コート上で武が打ったシャトルを認識していた者は、当人しかいなかった。外間も宇江城も、吉田でさえもシャトルの行方を見失っていた。吉田は前に構えたまま。そして相手二人は二人並列に並んだままでシャトルが撃ち込まれるのを待っていた。だが、シャトルは吉田の背中から頭を越えてネット前に落ちて行く。
 二人の死角。それだけではなく、意識の死角。
 力を込めたラリーを続けた後に訪れたほんの少しの隙。吉田の防御を貫いたところで、おそらくは無意識に生み出してしまった隙を、武は的確に突いていた。シャトルの勢いを完全に殺し、吉田が動かないことを前提にして、頭上ギリギリを通す。完全なブラインドにネットを挟んで正面にいた宇江城も、斜め前で少しはシャトルの軌道が見えたはずの外間も、足を全く動かすことが出来なかった。
 シャトルはゆっくりと、スローモーションのようにコートへと落ちて行き、ことり、と音を立てた。

「ポイント。フィフティーンテン(15対10)。マッチウォンバイ、吉田。相沢。南北海道」

 審判が試合の終わりを告げても、四人とも凍りついたように動かない。自分の声が聞こえなかったのかと不安になったのか、審判が再び口を開きかけると、宇江城が足を踏み出してシャトルへと向かう。シャトルを拾い上げて、ボロボロになった羽を一つ一つ丁寧に整えてから、審判の傍へと行って手渡す。外間も硬直から回復してネット前に歩きだした。
 吉田はすでに回復していて、天井に向けて息を吐いた。心底ほっとしたというため息は疲れの色に染まっているように武には見えた。

「二組とも、前に出てください」

 審判に促されてネット前に出る。武と吉田は外間と宇江城に向かいあい、手をネットの上から差し出す。しっかりと互いに手を握り合い、しばらくしてから手を離した。
 試合の名残をもう少し掴んでいたいという表情を見せる外間と宇江城に、吉田は口を開いた。

「また、いつか対戦しよう」
「ああ。いつか、やろう」

 宇江城と話す吉田を横目で見ながら、武にも外間が話しかけてくる。宇江城ほど落ち込んではいなかったが、悔しそうに顔を歪めていた。まだまだ試合をやりたりないとい思いがひしひしと伝わってくる。

「ほんと、お前のスマッシュ速かったなぁ。俺らも何度もスマッシュしたけどとられるし。全国はやっぱり広い」
「そっちも、ジャンピングスマッシュをあれだけ打てるとか、おかしいだろ」

 武は心の中でもうやりたくないと思いつつ、手を話した。特に吉田とのダブルスでは心臓に悪い。もし同じ組み合わせがあった場合にはどういう縛りを付けてくるか分からないからだった。

「では、チーム全員集まってください」

 審判に従って、残りの面々もコート中央に集まる。十人が並んで向かい合い、互いに頭を下げる。同時に審判が南北海道の勝利を伝えた。
 3対0と負けなし。更に、各試合でも一ゲームたりとも落としていない。沖縄をストレートで破ったところを見ていた客席のライバル達の視線が厳しくなったように武には感じられた。無論、あくまでそんな気がしているだけだが、実際にインパクトある勝利だったと思っている。けして攻撃力は低くなかった。無尽蔵の体力からくるスマッシュ攻勢は他のチームからしても驚異のはず。その脅威を、武達はしのぎ切り、上回った。ダブルスならば可能性は十分あるだろうが、守備範囲が二倍になるシングルスにとって、急角度で威力のあるスマッシュと言うのは大敵だ。だが、小島も姫川もそんなことを関係なく、勝った。

『ありがとうございました!』

 互いに元気よく、高らかに答えてからネット前から離れる。お互いに逆サイドに離れるように動いて、沖縄も南北海道もコーチの周りに集まる。沖縄にはもう先はなく、南北海道はベスト8の挑戦が待っている。

「皆、よく頑張ったな」

 吉田コーチの周りに集まった武達は静かに頷く。試合がなかった安西達と試合があった小島、姫川、吉田。そして武とはまた雰囲気が異なっていた。特に小島は顔が青白く、気だるそうに立っている。その様子を見た吉田コーチは小島をパイプ椅子へと座らせた。

「この次、だいたい二時間後にベスト8の試合がある。ひとまずは、そこまで休んでくれ。対戦相手の試合によってまた時間が異なるが……おそらくは、そんなに違うことはないだろう」

 周囲を見回すと、まだ試合をしているコートや既に終わっているコートと別れている。3戦全勝で勝った武達は早い方で、まだ試合を続けているところがほとんどだ。ただ、いくつかコートは空いている。同じように3戦全勝で勝ったチームがいたコート。そこに、武達の次の対戦相手を決める試合をしていたコートもあった。

「対戦相手の試合を確認したが、次の相手は、やはりと言っていいのか、大阪だ」

 やはり、という単語を吉田コーチは使ったが、武にはいまいちピンとこない。記憶の中を何とか確認してみると、バドミントンマガジンでちらほら大阪の名前は確認している。インターミドルやジュニア大会でも上位のほうに誰かは食い込んでいたはずだった。

「どんなやつらがきても。俺は勝ちますよ」

 体力が回復したのか、パイプ椅子から立ち上がりながら言う小島。吉田コーチは言葉に頷いたが、次に放った言葉は小島の意思とは別のことだった。

「小島のその気合は大事だが……次の試合は小島は出さない」
「え?」

 その場にいた誰もが、吉田コーチの言葉に動きを止めていた。
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