Fly Up! 281

モドル | ススム | モクジ
 相手と握手をした手を離してコートを出た姫川は、直後にがくりと体を下げた。慌てて周りが駆け寄ろうとしたが、すぐに体勢を支えて大丈夫と手を挙げる。
 一度上体を反らして天井を見上げて息を吐いてから、ゆっくりと自分の椅子へと向かっていき、座ってまた上を向いた。

「はぁ……疲れたぁ」

 疲労の色は隠せないながらも勝利の余韻に浸り、笑顔を浮かべている姫川を見て、武は問題なさそうだと一安心してラケットを握った。
 軽く振りながらコートへと入っていくと、後ろから吉田がついてくる。同じくラケットを振りながら、体を少しずつ体を温めて試合に向けてテンションを上げていった。

「小島と姫川の試合見て、うずいてるだろ」

 答えないことが吉田の言葉を正当化する。武は自分の顔が今、緩んでいることに気付いていた。振りかえって吉田に顔を見られればそのことを冷やかされるに違いないと思い、わざと吉田のほうを顔を見ないように移動する。

(そうだ……二人とも、凄かった)

 田場友広と外間愛華。無尽蔵の体力を土台に鍛え上げられた脚力を存分に生かしたジャンピングスマッシュ主体の攻めに小島と姫川を苦しめられた。
 しかし、苦戦しながらも自分の信頼する仲間達は苛烈な攻めを弾き返して勝利をものにした。
 目の前で血がたぎる様な勝負を見せられて、武の中にある炎が導かれるように猛り、激しく燃えるのを抑えられない。

(落ち着け……試合でぶつけろ……)

 所定の位置についてからはラケットを振るのをやめ、深呼吸しながらラケットのガットの形を整える。試合開始の時に心を少しでも落ち着かせるために。
 やがて相手側のコートにも選手が入り、自分達の方を見て睨みつけてきた。おそらくは確実に取れる枠と見込んでいたシングルス二つを取られて後がない沖縄チームにとっての最初にして最後の砦なのだろう。プレッシャーを背負い、それでも潰れない強さをほとばしらせていた。
 外間卓郎と宇江城浩二。
 身長は武よりも低いが、太ももの太さは見た目は二倍、相手の方が太い。かなり鍛えてきた結果が表面に現れると自分達にかかるプレッシャーも強くなる。上半身はユニフォームで隠れて見えないが、鍛えられた筋肉があることは想像に難くない。髪型はそろって坊主になっている。少しでも動きに邪魔になるものはそぎ落としているように見えた。ジャンプを多用するには短いほうがよく、もっと削れるなら削るというところかもしれない。
 武はミーティングで告げられた相手の特長を思い出していた。

『どちらもジャンピングスマッシュでどんどん攻めてくる。とにかく動き、飛んで高いシャトルはすべてスマッシュと、外間愛華とほとんど変わらないスタイルだ』

 ダブルスだろうとシングルスだろうと、体力と脚力を中心にした配球に攻撃。攻撃タイプといえば橘兄弟を思い出し、またジュニア全道大会での第一シードのダブルスも共に脳裏に浮かんだ。今回の相手は、彼らよりも凄まじい攻撃となるのかどうか。

「フィフティーンポイント、スリーゲームマッチ。ラブオールプレイ!」
『お願いします!』

 武と吉田。そして外間と宇江城が高らかに宣言する。視線の鋭さとは別に、声は柔らかく試合を楽しもうという気持ちが伝わってくるようだった。試合前に放ってきた圧力との差異に違和感を覚えたものの吉田がじゃんけんを終える頃には消えている。
 じゃんけんをしてサーブ権を取ったのは相手側。吉田も武も、今のコートに不利な点はないとして、腰を落として構えた。

(もし本当に不利な点があるなら、このゲームは取った方が有利だな……)

 武は油断せずに吉田の斜め後ろで腰を落としていた。
 外間はシャトルを取り、バックハンドサーブの姿勢をラインぎりぎりの位置で取る。少しでもシャトルが進む距離を最小限にしたいのかもしれない。スマッシュが得意という相手のスタイルから見て、シャトルを武達にロブで飛ばさせるに違いない。つまりは、ギリギリ白帯を超えるかどうかのショートサーブを鍛えてきているはずだった。

(なら、こっちはとにかく飛ばせない)

 武が頭の中で戦略を決めた瞬間に相手からサーブが放たれる。予想通り、ショートサーブとしては理想的な軌道で進んでくる。吉田は前に踏み出てシャトルをヘアピンで返した。吉田もまた不用意に上げたりはしない。ロブを上げさせようという相手の流れに乗ってやる必要はない。

「ふっ!」

 シャトルに反応したのはサーブを打った外間ではなく宇江城だった。前に飛び出してシャトルをクロスヘアピンで切り返す。外間は後ろに回って吉田が次に上げてくるだろうことを予想して身構えていた。
 だが、吉田はシャトルがネットを越えた瞬間にバックハンドで打ち落としていた。

「サービスオーバー。ラブオール(0対0)」
「しっ!」

 後ろから見ていた武の眼にも鮮やかなプッシュだった。ネットとの距離がほとんどなくても、ラケットの軌道で十分打ち落とせる。まさか落とされると思っていなかったのか、宇江城は呆然と吉田を見て、シャトルを拾ったのは後ろに回った外間だった。軽く羽を直してから打ち返す。吉田がラケットでからめ取り、手に収めてから再度羽を整えた。

「しゃ。一本」
「一本」

 吉田の声に呼応して言う。試合前は小島や姫川の試合に心臓が痛くなるくらいに熱が込み上げていたが、コートに入ったところでその熱は分散していた。正確には、胸の奥底で熱くなっていたものが体中に広がったといったところ。吉田のナイスショットにも淡々と応じて、今、吉田のファーストサーブを背中で待つ。

(驚かないのは……吉田ならできるって思ってるからだろうな)

 吉田のショートサーブは白帯をかすって進んでいく。外間は反応してラケットを触れさせるがロブを上げていた。武はロブで飛んでくるシャトルの斜め下に移動して、身構える。

(吉田のプレッシャーでヘアピンが打てなかった……んだろ!)

 同じようにヘアピンで粘って吉田にロブを上げさせるのだろうと考えていたが、吉田の力を見せられて勝てないと判断し、切り替えたのかもしれない。
 ならば、次は自分の力を見せなくては。武の右手に力がこもる。

「はっ!」

 この試合一発目のスマッシュが、ダブルスコートのサイドラインぎりぎりに放たれた。
 突き進んだシャトルは外間の防御圏内に入るが、ラケットに邪魔されないままにコートへと着弾する。激しい音を立てて一瞬跳ねてから転がっていた。
 外間は一歩も動けずに落ちたシャトルに視線を向けていた。

「ポイント。ワンラブ(1対0)」

 審判の声に我に返り、シャトルを拾って吉田へと渡す。今度は羽を直す余裕もなかったのかただ渡しただけ。吉田は丁寧にシャトルを綺麗にすると、武に向けて小さく告げた。

「ナイスショット。どんどん行こう」
「ああ」

 吉田の後ろに構えて相手の思考を探る。吉田のヘアピン。そして武自身のスマッシュ。どちらにも反応できていない。今の状況だけ見れば戦力は自分達のほうが上だろう。相手の得意分野であるスマッシュを打てるところまで持っていかせない。常に、低く低くを心がける。

(この試合は、ロブを上げない、が目標だな)

 自分の中で一つの目標を決める。今まで、相手に攻められてもなんとか耐え忍ぶ戦いをしてきたが、今後は相手に自分のバドミントンをさせないで勝利するシャトルラリーも必要になってくるはずだ。今までは吉田がその役回りをして、自分に良いスマッシュを打てるような配球をしてくれていた。それこそ、先ほどのように。
 だから、今度は自分もその領域に立つ。そうでなければ、追いつけないに違いない。

(西村に山本)

 小島に対する淺川。早坂に対する君長のように、武と吉田にも目指すべき頂きがあり、そこに最も近いところにライバルがいる。その高みに上がるためには、一試合一試合で自分に足りないものを手に入れるしかない。

「一本!」

 吉田がサーブ体勢を取ったところで武が自ら声を出す。吉田の背中に叩きつけるようにして、背中を押すイメージ。シャトルに自分の気合いまでも込めるように吠える。
 吉田は応えて同じように「一本!」と叫び、シャトルを打ち出した。綺麗に飛ぶショートサーブ。ネットをスレスレに進んだところで宇江城がラケットヘッドを立ててプッシュする。ネットの傍であり強打はできないが、低く落ちて行く。普通に考えればロブを打ち上げるしかない軌道。

「はあっ!」

 シャトルに反応したのは武ではなく吉田。そして、打ったのはロブだった。
 それはただのロブではない。プッシュして前のめった体勢を立てなおそうと背中を反らせた宇江城を追うように放たれた、ドライブ気味のロブ。スマッシュを放つ時間の余裕を与えず、かつ防御ではなく攻撃のためのロブだ。

「うあっ!?」

 自分の顔の傍まで迫ったシャトルを慌てて打とうとする宇江城だったが、距離があまりに短すぎた。よけたシャトルはそのまま宇江城の背中へと落ち、小さな音を立てて転がった。シャトルを潰さないようにとその横に宇江城は尻もちをつく。

「ポイント……ツーラブ(2対0)」

 審判が不安な表情でカウントを告げる。
 宇江城は手を挙げて問題ないことをアピールしてからシャトルを取り、立ちあがった。シャトルを手で放って吉田に渡し、自分は後ろの方へと下がってレシーブ位置につく。停滞した部分はなく特にどこかを痛めたわけではないという様子を見せてから腰をしっかりと落とす。
 宇江城の様子を一瞥してから外間はその場で気合を発して、ネット前に出た。そして吉田に向けて視線を固定したまま、体を小刻みに動かし始めた。

(なんだ……?)

 つま先立ちになって動いている。その場で上下運動しているだけであるため、ルール違反ではない。不気味な気配を感じた武は吉田の背に向けてまた「一本!」と気合を送る。吉田は頷いてサーブ体勢を取り。間髪入れず外間へとシャトルを打った。

「はあっ!」

 シャトルが放たれたと同時に前に出た外間のプッシュ。今度はタイミングも速さも一つ前のラリーより明らかに上がっていた。プッシュに吉田が反応できず、後ろに控えていた武がシャトルを取る。

(動きが速く!?)

 急速に迫るシャトルをどこに打つか迷い、ロブを上げてしまう。先ほどロブを打たないと決めたことをあっさりと破るしかないほど素早い相手の動き。武は謝罪しながら吉田と共にサイドバイサイドの姿勢を取った。武の飛ばしたシャトルの下に向かったのは宇江城。見ると、宇江城も外間と同じように小刻みに体を震わせていた。そしてシャトルが落ちてきたところで、深くしゃがみこみ、飛びあがる。

「らあっ!」

 裂ぱくの気合いと共に解き放たれたシャトルは武へと一直線に迫る。バックハンドで受け止め、宇江城の打ち終わりを狙らうも斜線上には外間がいる。直感的に取られると判断して、急きょクロスの軌道へと変化させる。シャトルは外間の防御圏を越えて一直線に進んだ後からコートへ落ちて行くが、そこには着地した宇江城が既に向かっていた。

(着地からの立ち直りが早い……やっぱり、生半可な鍛え方じゃない)

 シャトルに追いついた宇江城は武のほうを一瞬見てからストレートにドライブを飛ばす。武は自分のいる位置から飛ぶように横に移動して、シャトルのインターセプトを狙った。強引に腕を伸ばして、スマッシュで傾きかけた流れを押し戻すために。
 武のラケットはシャトルを捉え、相手側のコートへと落ちる。ネットに当たりながらシャトルは床に跳ねた。

「ポイント。スリーラブ(3対0)」
「……ふぅ」

 上手くいったことにほっとして息を吐く。シャトルをネット下から直接拾い、吉田へと歩みよって手渡しすると、笑顔を向けられた。

「ナイスヘアピン」
「ギリギリな」
「でも相手にほとんど何もさせていない」

 吉田はラケットで軽く武の背中を叩くと静かに言った。

「このまま、淡々とラリーを続けて15対0で勝つのを、狙ってみるか」
「そんなこと、出来るのか? あいつら相手に」

 武は吉田の口から出た言葉に思わず疑問を投げかける。よほどの実力差がなければラブゲームなど無理だ。更に今は全国でのベスト16を決める試合であり、相手の強さは各県の一位に近い。正気を疑うような発言をした吉田に武が不安を見せるのも当然のこと。しかし、吉田は不敵に笑って告げる。

「この三点目まで。サービスオーバー含めれば、四点分。俺らは相手に仕事をさせなかった。なら、それを十五点まで続けれれば可能だ」

 いつまでも試合を中断するわけにもいかず、吉田は武に告げた後でサーブ位置についた。武も吉田の背後で腰を落とし、レシーブに備える。頭の中には吉田の言葉が渦巻いていた。

(そりゃ、言ったとおりだろうけど……十五点まで続くかなんて)
「一本!」

 頭にもやもやと浮かんでいた考えは吉田の一言で霧散する。宇江城も外間と同じように細かいステップを踏みながら吉田のショートサーブからくるシャトルをプッシュしようと考えているのだろう。全力で、目の前のラリーを制そうとしている。

(目の前のラリーを一つ一つ制していけば、ラブゲーム、か)

 武は息を鋭く吐いて意識をシャトルに、試合に集中させる。吉田の言葉も今は脇に置いておく。非現実的と思える提案はしかし、言われたとおり一本一本を決めて行けば達成できるのだ。どういう目標を取ろうとやることは変わらない。

(さっきのようにきっと鋭いプッシュが来る。ロブをしっかりと上げるか、宇江城をドライブで攻めるか)

 吉田のサーブでシャトルが放たれ、ネットを越える瞬間に宇江城がプッシュする。外間よりも速さはなかったが、吉田が反応できる頃にはコートに落ちそうになる。武は前に出て、鋭い軌道でロブを打った。シャトルは宇江城の顔を通るようにする。自分のいる位置に来たシャトルを絶好球と見て、宇江城は掲げていたラケットを小刻みに動かし、再びプッシュした。
 だが、次の瞬間にはシャトルは再び宇江城の背後まで飛んでいた。
 武の視界に、動揺する宇江城の顔が見える。すぐにフォローに回った外間の姿を捉えて、ラケットを掲げてネット前に立つ。宇江城を躱すようにして外間はドライブを打ったが、その軌道は武の真正面。

「はっ!」

 ラケットを一瞬で振り切り、シャトルをコートへと叩きつけていた。

「ポイント。フォーラブ(4対0))!」
「っしゃあ!」

 武はラケットを掲げて吼える。自分の魂を乗せて打ち込んだシャトルは羽が折れて転がっていた。
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