Fly Up! 280

モドル | ススム | モクジ
 外間のスマッシュがライン際を突き進む。姫川は横に移動するというよりは飛ぶようにして追いつき、ネット前にストレートヘアピンでシャトルを落とす。外間はそのパターンを把握していて、前に飛び込んでラケットヘッドを掲げていた。
 姫川は牽制するように自らも前に出る。このままいけばプッシュを顔面で受けてしまうタイミングで。

(ギリギリまで……!!)

 姫川は恐さに蓋をして更に加速する。姫川の視界は広がっていき、外間の顔に動揺が走ったような気がした。

「はっ!」

 プッシュは真正面ではなく、斜め左に放たれていた。しかし、姫川は自分から逃げるように放たれたシャトルをバックハンドで取っていた。綺麗にラケットで捉えたシャトルは、ロブで外間のコート奥へと向かう。完全に虚を突かれた形になった外間はシャトルを追おうとして、その場に悲鳴と共に崩れ落ちた。姫川も急に方向を変えて突き進んだために止まるまでに時間を要し、コートの反対側から出てしまうところだった。

「さ、サービスオーバー。ナインオール(9対9)」

 審判も動揺するほどに外間の倒れた音は大きかった。俯せで倒れていた外間は顔をしかめながら立ち上がると、軽く飛んだり左右にフットワークを展開して、自分の体の状態を確かめる。問題がなかったらしく審判に謝って、更にコートを拭いてもらうよう頼む。
 審判がモップを取りに行く間に、試合は一時中断となった。

(ふぅ……疲れるなぁ)

 徐々に点差を広げてこのまま逃げ切れると考えていた姫川だったが、終盤で追いつかれてセティングに突入した。最初のラリーを通してサーブ権を奪い返せたのは良かったが、体力を入れた瓶の底が見え始めたことは否めない。

(なんだかんだで、あっちはまだまだ動けそうだし)

 モップが来るまでの間に外間は体を動かしていた。その動きはどんどん激しくなっていき、最後に両足でコートに立ったかと思うとバク宙をしてまた両足を揃えて立った。そのパフォーマンスに試合を見ていた観客席から拍手が湧きあがり、外間は笑顔で手を振る。姫川は呆れて口が開きそうになったのを手で押さえた。

(ほんと呆れた。凄いなぁ)

 ジャンプ力。そして体力。自分を上回っているだけではなく、まだ余りあるようで、姫川の心を抉るには十分だ。試合は二ゲーム目の終盤。一ゲームは自分が取っているため、もしもここで負けてもファイナルゲームがある。だが、姫川には外間からファイナルゲームで勝つビジョンが見えなかった。

(ここで決めないとって思ったら、体が固くなるんだよね。嫌だなぁ)

 自分がどうなればプレッシャーがかかるのかは理解している。理解はしていても、自分の状況を鑑みると心穏やかにはならない。

「姫川!」

 考えている間に自然と顔が俯いていたのか、かけられた声に顔が上がる。すぐに視線を向けると、コートの外から小島が姫川を見ていた。

「お前なら大丈夫だ! ここで、決めろ!」
「……それってプレッシャーになるよ」

 呟いた声が思ったよりも恨めしさが出ていて、姫川は自分が思っているよりも疲れていると感じていた。だが、小島はさも当然というように「当たり前だろ」と前置きをして言う。

「この時間帯は一番辛い。でもお前なら勝てる。ってか、勝たないと駄目だ! 今、そこにいるのは、今はお前が女子のエースだからだ!」

 小島の言葉にはっとする。周りにいた女子達も驚いてはいるが、早坂だけは動揺もせずに姫川に視線を送り、頷く。小島の言っていることは早坂も分かっている。それだけで、姫川もニュアンスは伝わった。
 調子が悪い早坂の代わりに、この場に立っている。いつもならば早坂のポジションである女子シングルスに自分が立つ意味。瀬名でも清水でも藤田でもない、姫川詠美の存在価値。

(ゆっきーに負けない。勝つ。そうだ。私は、ゆっきーと友達になれた。だから、次は本当の意味でライバルになる)

 瀬名とのダブルスは姫川の中に新しい感覚を呼び覚ました。武とのミックスダブルスもまた刺激があった。
 この南北海道チームとなって、姫川はダブルスの楽しさを知った。もし母校に戻って三年のインターミドルでパートナーがいるのなら、ダブルスに出たいとまで思えた。
 しかし、自分の主戦場はシングルスなのだ。シングルスとして鍛えて、学年別でダークホースとして早坂の前に立てた。次は正統なライバルとして目の前に立ちたい。そのためには、ここで勝利をもぎ取らなければ成長できない。

(私の成長する時は、今なんだ)

 自分は早坂の二番手ではなく、早坂を倒して一番手になりたい。
 全道から全国へ、姫川の中に生まれてくる新しい感覚。湧き上がる力に、体力が尽きかけているという感覚は逆に薄まった。

(だからって体力が回復したわけじゃない。でも、集中力で補える)

 審判ともう一人がモップを持ってきてコートを拭いて行く。その間、姫川はコートから出て何度も深呼吸をしていた。周りから体力の粒子を吸い取ろうとするかの如く。
 三分ほどかけてモップがけが終わってから試合が再開されると、姫川はシャトルをもらいサーブ位置につき、外間もレシーブ位置で笑みを浮かべながら身構えた。

「一本。ラストスリー!」

 九点からのセティングは、十二点。男子よりも伸び率は少ない。これは女子は基本的に男子よりも体力がないということ前提での得点設定のためだ。だから首の皮一枚繋がったといっても、苦しいことは変わらない。それだけに、サーブ権を得て攻撃側にすぐ回れたのは姫川の大きなアドバンテージだ。
 シャトルを思いきり跳ね上げる。ラケットをしならせて、ゆったりとした軌道を描いても遠くへと飛ばす。それだけで外間の武器をある程度は封じられる。ジャンピングスマッシュで高い打点からのスマッシュを打てるようになっても、最も遠い位置からのショットならばそこまで脅威ではないことに試合を通して姫川は気づいた。無論、小島と試合をした田場のようにスマッシュが速ければ十分怖いが、外間は女子の平均的な速さだ。ならば外間がジャンピングスマッシュをして有利になるのは角度と威圧感。それも、姫川との距離が遠ざかれば逆にマイナスとなる。

「はっ!」

 ハイジャンプをしてスマッシュを打ってくる外間だったが、その軌道は急ではなくむしろ緩やかだ。コースは姫川の胸元という取りづらい位置を狙ってきていても、姫川は余裕を持って前に出てインターセプトする。着地しようとする外間の足元へとシャトルが放たれて、着地した瞬間にラケットを振ってロブを上げる。体勢はほとんど崩れておらず、コート中央に戻って防御を固めるが、姫川にはそれも見えていた。シャトルの真下にきてから次の打つ場所を探すと、いかにも防御が硬そうなフォアハンド側のライン上がピンときた。
 スマッシュを狙い通りのところへと打ち込み、前に出る。コート中央ではなく前へ。そのまま後ろに打ち返されてもすぐに追えばいいと姫川の中の感覚がはっきり告げていた。

(このまま前に落としてくる? それとも――)

 外間のラケットの動きに足を叩きつけるようにして体を止めると、斜め後ろへと飛んだ。外間の鋭くドライブ気味で飛ぶシャトルを、バックジャンプと共にラケットを伸ばしてインターセプト。そのまま強引にスマッシュで外間のコートへと叩きこんだ。

「ポイント! テンナイン(10対9)!」
『おぉおおおおお!』

 観客席から歓声が湧き起こる。姫川の動きの神がかり的な部分に見ている他県の選手も興奮を隠せない。姫川は視線を移すと、小島や武、吉田などチームメイトでさえも拳を握り締めて震わせているほどだ。姫川は笑って、早坂を見る。早坂は半笑いの複雑な表情で姫川を見ていた。強いチームメイトに喜ぶ思いと、シングルスで自分ではなく姫川が喝さいを浴びていることに深い葛藤があるのかもしれない。

(ゆっきーの言葉は信じる。次の試合には復活してくる。だから、それまで私が守ってあげるよ。この場所を。でも……もし戻ってきたときに場所がなかったら許してね!)

 シャトルを受け取って羽を直し、サーブを構える。ラストツー、と今度は口に出さずに心の中で呟いて、簡単に見破られると分かっているショートサーブを打った。しかし、外間はフェイクと思い後ろに行く準備をしていたため、ロブを上げるのが精一杯だった。姫川は素早く動いて真下に入り、ラケットを振って打つ瞬間に力を弱めてドロップを真正面に打った。速度がある程度あり、弾道は浮かない。外間はバックハンドで取ろうとするも、また姫川が前に出てくるプレッシャーによって打つ場所を迷っているようだった。

「はっ!」

 特に打つわけでもなく前に出ただけで吼える姫川。
 外間は姫川の位置を確認して、クロスのロブを上げる。逆サイドに目一杯走らされるが、追いついて右足を踏ん張ると今度はスマッシュを打つ。今、自分が打てる最速のスマッシュを放つと外間は追いつきながらも打ち損じてしまい、シャトルは外間の真上に上がってからコートへと落ちた。

「ポイント。イレブンナイン(11対9)。マッチポイント」
『ナイスショーット!』

 声を合わせて姫川へと声援を送る女子三人。その隣で小島メインで男子全員が姫川へと激を飛ばす。ラスト一本。次を押しきれば、南北海道の勝利を手繰り寄せる重要な一勝が転がり込む。

(重要な一勝、かぁ)

 シャトルを受け取った後で足元を見ると、右の靴紐がほどけていた。何度も力強く、コートを踏み抜こうとするかのように叩きつけていたからなのかもしれない。
 姫川はタイムを取ってしゃがみこむと靴紐を結ぶ。ゆっくりと丁寧に蝶々結びにしてから息を吐いた。肺を空にしてから息を吸うと、空気以外にいろいろな物が体内に取り込まれるように姫川には思えた。

「よし、ラストワン!」

 気を取り直してサーブ体勢を取る。外間はラケットを高く掲げて「ストップ!」と闘志を思いきり姫川へとぶつけてきた。感覚的に男子のそれに近い気迫はおそらく、並の女子ならすくみあがってしまうのかもしれない。それでも、姫川には通用しない。

(だって、身近にもっと怒鳴りつけるような感じの人、いるしね)

 一瞬だけ武を横目で見る。いつもは物静かで、からかうと動揺してしまうような可愛い男子が、試合で自分の気迫をシャトルに乗せることで練習よりも明らかに強くなる。その闘志の嵐のようなものを身近で感じていれば、外間の気迫は紙細工のようなものだ。

「一本!」

 改めて宣言してから、姫川はロングサーブでシャトルを打ち上げた。シャトルがゆっくりとコート奥へと落ちて行き、外間は飛びあがって高い位置でハイクリアを打った。高い位置で放物線を描くように飛ばしたことで滞空時間がいつもよりも長く感じられる。姫川は移動して追いついたが、その長い時間にタイミングが外れた。

「とっとっと!」

 口と足でタイミングを何とか合わせてからスマッシュを打つ。だが、スムーズに行かなかったことでスピードが乗りきらないシャトルがネット前めがけて飛んで行く。そこに飛び込んだ外間のクロスドライブが姫川の左側を抉った。

「はっ!」

 ジャンプ力を用いて更に遅くしてきたシャトルの後に、ほぼ最大速のショット。終盤にきて外間はまた緩急をつけてきた。

(これ……作戦だったの!?)

 序盤で緩急をつけ、中盤は今までと同様力押しに近い形。そして終盤はまた姫川の中のタイミングをずらす。感覚で試合の流れや外間の意思を汲み取ろうとする姫川にとって変化にもだいたいは反応できるが、自分でほとんど考えていないだけ、最初の一回は相手にやられてしまう。
 外間は、その一回を狙ってサービスオーバーに持ち込む気だろう。
 姫川は咄嗟に伸ばしたラケットがシャトルを何とか捉え、ネット前に打ち返していた。だが、運よく触ったレベルではシャトルはネット前に落ちて行くだけ。外間はまたシャトルに向かって飛び付くように前に出る。上に飛ぶジャンプ力を横に飛ばして、移動速度も姫川にそん色ない。コーの平面は姫川と同等。制空権は外間の方が上。
 だが、姫川も同じように前に出た。

(諦めない。ここで、決める!)

 ここでサービスオーバーとなったとしても、十分勝機はある。二点リードしていることでもプレッシャーをかけられるし、無理をしてここで十二点目を決める必要もない。だが、姫川はサーブ権の錠とがないままの十二点目にこだわる。小島の期待に応えるために。自分自身のために。

「詠美!」

 ネット前へと飛び込む高速の世界の中、早坂が発した自分の名前がはっきりと耳に入った。
 その瞬間、姫川が息を吸うと共にコート上にある全ての情報が入ってきたような錯覚を覚えた。そのまま姫川は前に突き進む。それこそ、ネットにぶつかる寸前まで。

「はっ!」

 ネット前に突進してくる姫川に向けて、外間はプッシュを放っていた。先ほどは驚いたのか別の方向へと打って返されてしまった。その反省なのか、今度は容赦なく姫川の顔に向けてシャトルをプッシュする。姫川の移動速度とプッシュで押し出されたシャトルの速度。逆方向のベクトルにより姫川の顔に到達するのは本当にすぐだった。プッシュでシャトルが放たれてから一秒も経っていないだろう。
 だからこそ、すでに顔の前にラケットを構えていた姫川には格好のカウンターとなった。

「!」

 顔の傍に掲げたラケット面にぶつかったシャトル。衝撃に姫川は顔をしかめるも眼は閉じなかった。シャトルはふわりと外間の頭上を抜けて行こうとするが、外間は体を倒して強引にスマッシュを打とうとした。姫川も右足で体を支えて体勢を低くして、ラケットを突き出す。
 外間が再度打ったシャトルが一つ前の攻防と同様に姫川のラケット面にぶつかり、跳ね返されてコートに落ちるまで、先ほどと同じように一秒経つか経たないかという間の出来事だった。

「ポ、ポイント……トゥエルブナイン(12対9)。マッチウォンバイ、姫川。南北海道」

 審判の試合終了を告げる言葉。外間は唖然としてシャトルの落ちたところに視線を向けたまま。姫川もまた、ネット前にしゃがみこみ、荒い息を吐きながらネット越しに落ちたシャトルを見る。

「か、勝った……」

 そのまま両足を横に開いて座りこむ女の子座りになり、天井を見上げる。
 込み上げてくる衝動に任せて、姫川は笑顔を浮かべた。

 ベスト16 第二試合。
 姫川詠美VS外間愛加。
 ゲームカウント2対0で、姫川の勝利。
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