Fly Up! 277

モドル | ススム | モクジ
 小島は自動販売機の前にある椅子に腰を書けてペットボトルを飲み干していた。しかし、喉の渇きは潤されず、更に買おうとして財布がないことに気づく。ラケットバッグの中だと思い出したが、飲み物を買いに行く時に持って行くのが面倒できっちり硬貨二枚だけしか持ってきていなかった。

(今から、あそこに戻ってまたこっちにくるのは、辛いな)

 右手を何度か握ってみて、ほとんど力が入らないことに笑ってしまう。膝も未だに震えており、一度座ってしまった今となってはしばらく立つのは難しかった。他のチームメイトの前では虚勢を張って何でもない振りをしてペットボトルを買いに来たが、すぐに戻って行かないことで悟られているに違いない。

(別に、俺の虚勢を笑うような奴らじゃないことは分かってるけどな……)

 チームのエースとしての真価が問われた試合だと考えた後だっただけに、どれだけ勝つことが辛くても堂々としていたい。自分のチームメイトだけではなく、相手チームにも自分の姿がけん制になる。
 田場は沖縄チームの中でも別格の強さであり、おそらくは一勝を約束されていたはずだ。それを小島が打ち崩したということは、勝利が南北海道へと一気に引き寄せられたことになる。

(あるいは、初めてチームのエースが負けたことで団結するか、か)

 どちらに転ぶかは小島には分からない。分からないというよりも、体力の低下に頭が回らなくなっていた。

「辛そうだねー。なんか飲むかい?」

 視界の外から急に掛けられた声に驚くが、体が反応しなかった。最初から気づいてたという面持ちで顔をあげて、声の主に言い返す。

「じゃあ、これ」

 自分が飲んでいたペットボトルを指すと、声の主――田場は笑みを浮かべて自分の財布から硬貨を取り出して自動販売機に入れた。最初に小島が欲しがったもの。次に自分でウーロン茶のペットボトルを選ぶ。

「はい。お金は返さなくていいよー」
「いや。流石に後で返すよ。サンキュ」

 ペットボトルを受け取るのも一苦労だが、小島はできるだけ平然とキャップを開けて口元に運ぶ。その演技もペットボトルに口をつけた時から崩れた。体中の細胞が欲しがっているかのように、口をつけた時から最後まで小島からペットボトルは離れない。一気に飲み切ってから息苦しさに息を荒くする。

「まー、見事に体力尽きてるね。ファイナルまで行ってれば勝ってたかい?」
「そうかもな」

 今の様子を見られていては言い訳もできない。言葉を考える体力も放棄して、小島は素直に言った。元々この場に田場が来た時点――椅子に座っている姿を見られた時点で小島の考えは半分は瓦解している。田場も同じように外に出てくる可能性を全く考えられなかった。いつもの自分ならば思い浮かべるくらいはしていただろうと思うと、疲労度は相当大きい。

(こいつは、まだ試合できそうだな……くそ。今後の課題は体力か)

 全道でも戦い続けるには体力が重要だった。だが、全国ではそれ以上に必要な時もある。また一つ有益な情報を得ただけでもいいと、小島は誤魔化すのを止めた。

「ちょっとさー。聞いておきたいことがあったのさ」

 田場はペットボトルを半分ほど飲んだところで口を離す。小島は口に出すのも面倒で、目線で何かと問い返した。田場も視線の意味を理解したのか頷いてから質問を口にする。

「俺さー。中学で負けたのって初めてなのさ」
「そんなわけないだろ。負けてないなら全国にも出てるだろうし」

 面倒なことは変わらないが、田場の言葉に納得できなくて問いかける。田場は「うん」と頷いて先に続ける。

「負けたことはないのさ。なんでかっていうと、団体戦しか出てないから。俺以外が負けて県内で終わってたのさ」

 試合中に予測していたことをそのまま田場が語り、分析通りだったのかと納得する。
 全国に出てこない実力者。団体戦にだけ出ていたプレイヤー。どうして団体戦にこだわるのか聞こうとしたが、先に田場から言っていた。

「俺さー。昔からねーちゃんと二人でバドミントン練習してたんだけどさ。中学でようやく部活仲間出来て。団体戦が楽しかったんだ。だから、個人戦に全く興味なくて。あくまで皆で勝ち進もうって思ってた」
「……でも、お前は今日負けたな」
「うん。それが、ちょっと自分では納得言ってなくて」

 話の流れ、気配から自分が田場が求める答えを用意できる自信はなかった。それに、わざわざ答える義理もない。

(でもまあ、ペットボトル買ってもらったしな)

 無論、あとで金額は払うが、動けない時に代わりに買ってもらった分くらいは答えてもいいかもしれない。そう考えているうちに田場が口を開く。

「俺はさー。今のチームが大好きでさ。もっと続けたいなーって思ってた。だから、俺が勝ってればずっと続けられる可能性は出てくる。でも、負けた。正直、負ける気はしなかった。小島が強いのは知ってたけど、俺のほうが強い自信があった」
「そうだな。負けてるとは思えないが、二ゲーム連続で取れたのは、運が強い。癪だけどな」
「運も実力の内と言えばそれまでだけど……なんで負けたのか。何が足りなかったのかって思ってさー」

 対戦相手にそれを聞きに来るという神経に小島は呆れると共に、田場の人間性というものも分かってきた気がしていた。試合の間や今、この時くらいしか話していないが、悪意などなく、純粋にバドミントンが好きで、バドミントンに関係した仲間達に好意的なのだろう。
 バドミントンが好きで、共に闘う仲間が好き。
 田場の言動や体から、バドミントンが好きというオーラが漂っていた。

「多分な。バドミントンが好きなだけだからだと思うぞ」

 小島は心に浮かんだ率直な気持ちを告げた。

「好きなだけじゃダメなのかい?」
「ああ、ダメだな」

 田場は思ってもみなかった言葉を言われて目をぱちぱちと何度も動かす。小島は頭を書きながらこの後を言おうか考える。このアドバイスによってただ強いだけだった田場が更に強くなることに対して、そこまでする義理があるかと考える。
 しかし、すぐに義理などという言葉が霧散した。

「お前は確かに強い。淺川と戦った俺だから分かる。お前は多分、俺よりも淺川といい勝負をするよ。でも、勝てない」
「それは……」
「それはな。お前は強いが、強いだけなんだ。勝とうという意思がないんだ。何としても勝ってやるって強い思いがない。仲間と共に団体戦で試合に出られて、試合の中でしのぎを削ずりあって楽しいって思えれば、それでいいと思ってるんだ」

 小島の言葉に田場は黙りこんだ。腕を組んで首をひねり、目を閉じながら過去を思い出しているのかもしれない。

(そうだ。こいつに足りないのは勝利することへの欲だ。楽しいって気持ちは大前提なだけだ)

 バドミントンに限らず、スポーツ競技は勝ち負けを決める。
 良い試合をしたから負けても満足だ、なんてありえない。少なくとも、小島はそう思う。勝たなければ全て終わる。自分がこれまで練習してきたことも、無駄になる。
 その後に生かすということなんて、無駄になった後に再利用するための理由に過ぎないと小島は考えている。自分が練習するのは自分が理想とする結果を、必要な時に手に入れるためだ。それが出来なかったのだから、無駄になったのだ。足りなかったのだ。
 だから、無駄になったものを集めて、未来の結果を手に入れるために繋いでいく。それでも本当なら、無駄にしないことこそが大事なのだ。

「俺もな。南北海道のチームの皆が、好きだよ」

 けしてチームメイトの前では口にしない言葉を出す。考え込んでいた田場が視線を向けてくるのを見返しながら、先を続ける。

「俺も小学校や、今の中学は俺以外さほど強くなくて、こうした団体戦の楽しさなんて分からなかった。俺だけが強くて、俺が進む横には仲間はついてこれなかった。後ろから応援してくれていたけどな」

 自分もまた思い出す。小学校から中学校に上がる時に南北海道の地区にきて、入った中学ではすでに一位の実力だった。学年別でもいい勝負をする選手はいても勝利は動かなかった。
 自分の中学に追いつける人間がいなかったのはいつも通りだから特に響かない。だが、他校には、同じように全国を目指せる仲間がいた。

「初めて、隣で応援してくれる仲間達に出会えた。俺は嬉しかったよ。強くなりたいが、その結果一人になるのは、俺は嫌だ。でも、この仲間達はまた四月から敵になる。俺にとって、心地よい時間はこの大会が終われば、終わる。だからこそ、終わらせたくない。勝ち続けたい。たとえ、どんなに苦しくても。それを、楽しむ」

 最後の言葉をより強調する。田場もそれで分かったのか頷く。自分の望みを叶えるために、苦しくても立ち向かう。苦しさに耐えながら立ち向かうことを楽しむ、まで。

「俺らは多分、満足しちゃいけないんだ。もっともっと足りないところがあると知って、そこに向けて進んでいくんだ。その場、今の状況で満足してるようじゃ、先はないぞ、田場」

 話しているうちに体が動くようになってきたことで、小島はゆっくりと立ち上がる。それまでずっと立って聞いていた田場は視線の変化に、自然と目が小島の動きを追った。

「そっか……小島、かっこいいな。勝利への執念がなかったってこと。身に染みた」

 田場は肩を落として、それでも嬉しそうに呟く。何が嬉しいのかは小島にはすぐに分かる。

「強い強い思ってたけど、全然弱いじゃん俺。もっと強くなれるんだ。強くなりたい」

 自分に足りなかったこと。未知の部分を見つけたことで補い、解き明かしていくことは考えるだけでワクワクする。田場が感情を抑えずに騒ぐさまを小島は止める気にはならなかった。気持ちが十二分に分かるからだ。

「田場。お前の強さはほんと凄いよ。だから、俺はそこに勝ちたい気持ちを乗せたお前と戦いたいんだ」

 ゆっくりと手を差し出す。先ほど試合を終えた後に手を握ったばかりだというのに、また交わすのかと田場が顔を見てくる。

「俺はあの時、意識朦朧としててあんまり覚えてないんだよ。だから、改めて握手したい」
「……そっか。そういうことか」

 田場もまた右手を伸ばして二人の掌が重なる。十秒以上握りあった後で手を離し、自然と足はフロアへと歩きだす。フロア側にいた田場が自然と先頭になり、その後ろを小島がついて行く形になる。
 足運びももうほとんど心配がない。特に痛めた場所もないし、次の試合にも問題ないとセルフチェックを終える。フロアの入口に来たところで、田場が後ろを振り向いて言った。

「俺も最後の大会はシングルスで出てみるさー。また全国の舞台で小島と試合がしたいんだ」
「……俺は正直、疲れるからごめんだよ」
「えー? さっきと言ってること違うじゃん」

 寂しそうに呟く田場に、小島は冗談だと身振りで言ってさっさと扉を開けるように告げた。田場は不服そうに頬を膨らませながらも扉を開ける。各コートで試合をしている中、ひときわ大きな歓声と共に高い声が響き渡る。

「しゃー! 一本!」

 姫川の咆哮が耳に飛び込んでくる。入口から少し横にずれて小島が入ってこられるスペースを作ると、田場は目を細めてスコアを確認した。

「ちっ。負ーけてるな〜、あいつ。あの女子も強いよね。うちの愛華じゃ勝てないかも」
「そんなにすんなり言うところも、必死さが足りないんじゃないか?」
「そーかもねー。決めたけど、まったりいくさ」
「沖縄特有の『うちなーたいむ』かよ」

 よく理由と使い方が分かっていない単語を使ってみる。
 ひとまず小島は自分のスペースに戻ろうと足を向けた。その背中に田場が声をかける。

「そーだ。淺川とやったことあるんだろ? さっきはいい勝負するって言ってたけど。ぶっちゃけ俺とどっちが強かった?」

 小島は振り返って口を少しだけ開く。しかし、言いかけた言葉は紡がれずに飲み込んで、言いなおす。

「さあな。それこそ、自分で確かめてみろよ」
「ちぇー。けちー」

 手を挙げて身振りで別れを告げて、小島は仲間達の元へと戻る。後ろからは田場の恨めしい視線が背中に向けられているように感じていたが、気にしないことにする。
 浮かんだのは淺川と試合している自分。そして、田場と試合をしていた自分。
 二人のプレイが自分の中で重なって、一つの言葉になる。それでも、田場には言わなかった。自分の中でまとまった一つの事実を口に出したくなかったからだ。無論、自分で確かめてみろという言葉も同じように思ったこと。心の底から思っている別の言葉を出したから、おそらく田場は納得して引き下がったのあろうと小島は思う。

(……まだ、あいつに勝てるビジョンがないんだ。田場みたいな強い奴とやっても)

 体力がほとんど持っていかれたような試合をして何とか撃破した田場。それでも、田場が淺川とやって勝っているビジョンが浮かばなかった。自分はどうかと思いなおしてみても同じこと。それは全道大会で試合をした時くらいしかまだ情報がないからかもしれない。
 今、成長した自分がやれば十分勝てるかもしれないという可能性は残る。だが、その全道の準決勝で淺川から受けたプレッシャーの中では、まだまだ底は感じられなった。そして、その底は今も広がり続けているに違いない。自分が成長したということは、ライバルもまた成長しているのだ。

(そんな状況なんだから。やっぱり確かめるのは自分で当たらないと分からんさ)

 外からいくら分析しても意味はない。直接対決して、確かめるしかない。今、勝てるビジョンがないならば、試合をする中で創り出せばいい。

「そのためには、まず勝ち抜かないとな」

 試合が行われているコートへとちょうど戻ってきたところで、口元に両手を置く。軽く息を吸ってから、大きな声で思い切り試合をしている姫川へと声援を送った。

「いけー! 姫川!」
「はい!」

 急に声をかけたのにもかかわらず、姫川は小島に応えて動きを加速させる。
 コート上では目まぐるしく攻守が入れ替わる試合が展開されていた。上がるシャトルはほとんどドリブンクリアで鋭く相手を追いやり、ほとんどがスマッシュで叩きこまれる。
 沖縄の女子シングルスプレイヤー、外間愛華は田場と同様に小柄な体ながらも高く飛び上がり、鋭いスマッシュを叩きこんでくる。そのスマッシュを持ち前の移動速度で追いついて、姫川は力強く打ち上げて、たまにヘアピンで前に落とすことで攻守を逆転させる。
 得点は4−3と姫川が一点リード。小島が出て行ったのはほんの十分程度だったが、サービスポイント制にしては早い試合展開になっていた。

(姫川も……化けるかな)

 小島は内からくる期待に胸を膨らませながら、コート横にあるパイプ椅子へと腰掛けた。
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