Fly Up! 278

モドル | ススム | モクジ
 姫川は徐々に速くなるスマッシュにも、それまでと同じように反応していた。正確には、そう思っていただけで周りには完璧に速度に合わせていると見えている。
 体が軽やかに動き、シャトルが放たれてから動いても追いつける自信があった。実際には人間がシャトルよりも早く動けるわけはないため、頭で考えるよりも感じて、シャトルのコースを読んでいるのだろう。
 それでも、姫川は感覚的にシャトルへの反応が早くなっているというのは大事にしたかった。

(これが私の武器……速さ……拾って拾って、拾いまくる)

 姫川はシャトルを打ち上げて、すぐにコート中央に身構える。ついさっき小島から背中に声援をもらってから、更に力がみなぎってくるように思えて、自然と体を飛ばしていく。体力を過剰に消費しているとは思っていても、今は体の躍動に任せていたかった。

「はっ!」

 とっくに三十回は超えているジャンピングスマッシュを、一歩前に出てドライブ気味の弾道で返す。いくら高く飛べても着地する直前に自分の傍に来るようなシャトルは打ち返すことができなかったのか、外間はシャトルをコートの外へと弾いてしまった。

「ポイント。エイトシックス(8対6)!」

 それまで一点を取るたびに入れ替わっていたサーブ権。しかし、今回初めて姫川が連続で得点した。相手も姫川の予想外の動きに動揺したのか、シャトル交換をすることで間を取ろうとする。
 すでにシャトルは三つ潰れていた。シャトルがまるでダブルスのように素早く両者の間を行き来することで、消耗が激しくなっている。男子ならば打つ力が強いためにあり得るが、女子では珍しい光景だ。それでも、常に高い位置から力一杯叩きつけてくる外間に、ただのロブではなく攻撃的に低く速い弾道を描かせる姫川のレシーブとなれば、自然とシャトルは傷ついていった。

「一本!」

 変わりのシャトルを受け取り、高らかに言う。
 そしてサーブ姿勢を取って一度静かにした時、肩が重く感じられた。

(やっぱり体力は使ってるかな……)

 自分でも一ゲームから飛ばしていることは気づいている。外間の狙って来るコースは端から端。たとえ読まれていると分かっていても遠慮なく姫川が最も長く走らなければいけないコースを進ませるように狙って来る。相手もまた姫川を研究していて、フットワークの速度、防御力が武器だということは分かっているのだろう。体力勝負に持ち込んで消耗させようとしていると序盤で理解できた。
 だからこそ、その勝負にあえて乗ってきている姫川に外間が動揺しているのも見てとれた。

(体力勝負で分が悪いなら、体力勝負する前に終わらせればいいじゃない)

 シャトルを打ち上げてコート中央に腰を沈めながら、姫川は不敵に笑う。
 外間はストレートにスマッシュを打ってくる。ジャンプしてから弾道を緩やかにして、シングルスコートの奥に着弾するように。姫川はバックステップで体を正面に向けたまま移動するとバックハンドで打ち返す。流石に高く遠くに打つ技術がないため、ストレートでネット前に落ちるように打った。体勢から読んでいたのか、外間はまっすぐに前に出てきていて、プッシュの体勢を取る。姫川は外間を視界に収めながらコート中央に戻った。

(前に出たらクロスで打たれるだろうし……どこに、打つ?)

 コート中央に戻るまでの短い時間。外間が打つまでの短い時間に、姫川は次の移動先を考える。自分ならばどこに打つのか。今までの外間を考えればどこに打つのか。コート中央に戻ったところで、どこに打つのが一番効果的なのか。
 外間のラケットがシャトルに当たった瞬間に、姫川は決めて横に飛んでいた。

(分からないから、そんなの!)

 寸前で考えるのを止めて、姫川は自分の感じるままに任せた。外間のラケットの軌道やラケット面など見るようなこともしない。ただ、この展開ならどこに打つだろうかというイメージに合わせて飛ぶ。
 結果として、外間のストレートプッシュによって沈もうとしていたシャトルは姫川のバックハンドによって打ち返されていた。

「はっ!」

 自分がストレートに打ち込んだシャトルがほぼ同じ弾道で返ってきたことで、外間は反応ができなかった。ラケットをプッシュした状態のままでシャトルが自分の頭上を越えるのを見送るしかなく、振り返った時にはシャトルがコート奥へと落ちていた。

「ポイント。ナインシックス(9対6)」
「しゃー!」

 姫川が全身で喜びを表し、逆に外間や沖縄チームは驚愕に言葉を失っていた。外間もシャトルを取りに行くことをしばしの間忘れるほどに放心し、頭を振って正気に戻った後で落ちたシャトルを拾いに行く。

(なんか今、凄い早かった気がした)

 姫川は自分の足を見ながら振り返ってみる。次のシャトルが来る位置を予測するのを止めた時、思いきりのよいプレイができた気がしていた。相手を倒すためにどうすれば勝てるかを考えるのがバドミントン。そう言われ続けて、自分もそう思って試合に挑んできたが、今はただ無心にシャトルを打ちに行った。そして、外間を上回った。

(もしかして。私って考えない方がいけるのかな?)

 返ってきたシャトルの羽を整えてから位置につく。あと二点で第一ゲームを取れる。これまでの試合よりも体力は使っていても、試合展開は徐々に押しこんでいる。改めて自分はスマッシャー相手には分が良いのかもしれないと思う。

「さあ、ラストツー!」

 だからと言って油断する気など全くなかった。
 前日に早坂や有宮と会話した時を思い返す。自分がシングルスで、早坂を越えたいという欲。強くなって、憧れの存在だった早坂がライバルとなり、全道の強いライバルたちと試合をしてきた。更に全国でも、勝つために大変な思いをしながら一試合一試合戦っている。
 その中で自分の力が身についてきていることに、素直に喜びを感じる。そして、更に上に行きたいと願う。

(じゃ、ここから一点も取らせないで第一ゲームを、取る)

 目標を設定して姫川は高らかにシャトルを打ち上げた。深い軌道で外間をコート奥へと押し進めると共にコート中央でどこにでも行けるようにする。姫川は先ほど思いついた、考えないことを実践するために頭の中を空っぽにしてレシーブに臨む。

「はあっ!」

 外間は最も遠いところからでもジャンピングスマッシュを打ってくる。シャトルはシングルスラインぎりぎりを通るようにしてストレートに落ちてきた。姫川は反応してストレートに打ち返し、また中央へと戻る。今度はクロスにスマッシュされたが同様に返す。
 スマッシュとレシーブ。写真の焼き増しのような展開が四回、五回と続いて行くうちに姫川は我に返った。

(駄目だ。何も考えないと攻めが単調になるんだ)

 考えてみれば当たり前のことに気づいて姿勢を改める。だが、思考しすぎるのも自分には合わないというのも前までの展開から分かっていた。

(ようは、中間ってことでしょ。ある程度考えて。それ以降は勘……)

 そこまで考えてみて、一度リセットする。ちょうどスマッシュが叩き込まれてレシーブし損ねたシャトルが運よく浮かずにネット前に行く。
 次の瞬間、姫川の中に次のビジョンが浮かんでいた。外間がクロスヘアピンで姫川がより遠くへと移動するように打つ光景が。

「ふっ!」

 一瞬で空気を取りに入れてから一気に吐いて、初速を上げる手助けをする。姫川が移動を開始した瞬間であったため、外間はコースを変えることができずにシャトルを姫川が移動した方向へと打ってしまう。それでも鋭くネットぎりぎりに放たれたヘアピンは打つことが難しい。

(取れる――!)

 ラケットを伸ばしてシャトルに追いついた姫川は少しだけラケットヘッドを跳ねさせた。
 シャトルは静かに跳ね返りネットを越え、白帯ぶつかったシャトルコックを支点にしてくるりと回転し、ネットに触れたまま落ちて行った。

「ポイント。テンシックス(10対6)」
『ナイスヘアピン!』

 姫川のヘアピンに武達の声が爆発的に上がった。更に客席から試合を見ていた人達からも拍手が上がる。鮮やかなクロスヘアピンを打った外間に、ほぼ打ち返すのは不可能だったシャトルを絶妙なコントロールで打ち返した姫川への賞賛だった。

(たまーにあるんだよね、さっきの感覚……考えるのと感じるのと、両方っていうか)

 相手が次にどう打つか。そのためにどう打つかなど、その考えが当たるというものとも異なる、相手がそう打つと「感じた」という感覚。学年別大会で早坂と試合をした時には感じなかった。全道大会から少しずつ感じ始めて、全国大会になると頻度が増えて行く。
 更にこの試合中では、それまで感じた回数分くらいは自分の中を走り抜けたように思える。

(まー、考えすぎないってことにしよう。今はこの試合)

 ラスト一点。前半とはうってかわって姫川の独壇場になったが、油断はならない。ここでサービスオーバーとなり、相手にサーブが渡れば四連続得点でセティングにされる可能性が出てくる。自分が最善を尽くせば潰せる可能性は、潰しておくに限る。
 サーブ姿勢を取ってネット越しに外間を見る。それから焦点をずらして、コート奥を中心にしてコート全体を見るようにしてみた。

(どこに打とうか……)

 そう考えると同時に、姫川の頭の中にイメージが浮き上がった。湖が広がっていて、その中心に自分がいる。一滴、雫を落とすと波紋が広がって、外間がいる場所で大きく波打った。次の瞬間、姫川は体が自然と動いていた。
 ロングサーブを打つための大振りのラケット軌道。それをシャトルを打つ直前で静止して、衝撃だけでショートサーブを打った。コートの中で後ろ気味に構えていた外間は浮いたシャトルをプッシュすることはできずに止む無くロブを上げる。だが、シャトルの軌道にラケットが挟まれた。

「やっ!」

 姫川が声と共にシャトルを外間のコートへと打ち込む。外間にとって幸いだったのは、シャトルが自分の傍に打たれたこと。その場から動けなかったがラケットだけは動かして、今度は高くロブを上げる。
 外間のレシーブがドライブ気味に低い弾道だったために、姫川がジャンプしてラケットを伸ばしたことで届いたのだ。
 レシーブされたシャトルを追う姫川はすぐに落下点に移動する。外間は滞空時間の間にコート中央で腰を落としていた。ここからなら、どこに打っても一発では決まらないだろうと姫川も分かる。

「はっ!」

 姫川はストレートにドロップを打った。何を打とうかと考えたところで、考えることを止めてラケットを振ってみた結果、何の変哲もないストレートドロップとなり前に落ちて行く。外間の次のショットに対抗するためにコート中央に戻りながら見てみると、外間の駆け出しが遅れたのかシャトルを取りに行く体勢が崩れていた。そして、外間の次のショットの軌道も『見えて』いた。

(――ストレート、ヘアピン)

 浮かんだビジョンに合わせて外間に向けて走っていく。
 外間も姫川が自分に向けて走りこんでくることには気づいていた。姫川の眼には次のショットをどうするか悩んだように見えたが、放たれたのはストレートのヘアピン。ビジョン通りの軌道に速度を上げて追いついた姫川は、後ろに戻ろうとする外間の姿がスローモーションに見えた。静かに、ミスをしないようにゆっくりとラケットをシャトルに合わせてストレートにヘアピンを打つ。後ろに戻ろうとした外間は急制動がかかって体が動きを止める。
 シャトルがネットをこえて落ちて行く間も、姫川は外間の方へと視線を移していた。自分の打ったシャトルの方向は分かっている。ならば、次は外間の動きだった。
 外間は硬直から回復して前に出る。既にシャトルはネットを越えて落ちて行く途中だったために高い位置で打つことは不可能だった。体を沈めて低い位置でシャトルを打とうとネット前に滑り込んでいた。姫川はラケットを掲げて外間をじっと見下ろした。

(これで、詰み)

 姫川の思い通りに、外間はシャトルをネットにぶつけて自分のコートに落としてしまっていた。
 時が止まったかのように静まり返ってから少しして、審判が告げる。

「ポイント。イレブンシックス(11対6)。チェンジエンド」

 遅れてくる仲間からの声に姫川は笑顔を浮かべて返した。小島の激闘の後を引き継いだシングルス。二勝目に向けての大事な先勝。コートを出てからラケットバックを持って移動する間も、早坂や瀬名を筆頭にこの調子でいけと声がかかる。最後に、小島が告げる。

「姫川。お前が思ってる通りに試合してみろよ」
「私が思うように?」

 他の仲間とは少し声の質が違うと気づいて足を止めて向き合う。小島は頷いてから、自分の中の考えをまとめながら告げてくる。

「俺もさ、田場との試合で一つ上のステージに上がれたよ。お前も、多分だけど上がろうとしているのがプレイを見ていて分かる。お前はさ、考えすぎないでコート全体や相手の雰囲気を感じて、次のシャトルを予測するんだよ」
「……相手やコートの雰囲気」

 小島に言われて自分の中の感覚が一つ形になる。
 試合をしていく中で、相手がどこに打つかというシミュレートよりも、一瞬一瞬に浮かんで、形になるイメージ。自分では上手く表せなかったことを小島が形にしてくれる。

「ありがとう。小島君! 私、やってみる!」
「お、おう……」

 小島にとっては単純にアドバイスをしただけであり、姫川の喜びように虚を突かれたような顔をしていた。その顔を見て更に楽しくなりながら、姫川はコートを逆サイドに移る。一転して、沖縄チームの視線が自分に向けられるのが分かった。外間の勝利を望み、自分の敗退を望む空気が重くなる。

(それでも、負けない。私の試合は、みんな勝つ)

 姫川は新たに誓いを立てて、第二ゲームのコートに立った。
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