Fly Up! 276

モドル | ススム | モクジ
「うぅうううああっさ!」

 田場の動きが小島からぶれたように見えたかと思うと、ジャンプしないままサイドストロークでドライブを放っていた。強烈な力によってシャトルは水平に小島へと向かう。ちょうど、小島の視線をなぞる様に迫ってくる軌道。本当に真正面からくるシャトルは遠近法を狂わせて、小島はラケットを咄嗟に出したがフレームに弾いてしまい、宙を舞う。
 シャトルがコートに落ちたことで、審判がカウントを告げた。

「ポイント。トゥエルブサーティーン(12対13)」
「さー!」

 田場がラケットを掲げて吼える。その咆哮もどこか穏やかだったが、これまでの様子から見れば少しだけでも勝ち気が出てきているように小島には見えた。
 シャトルを落としてしまった直後から両膝につけて支えていた体を起こして、息を吐く。

(遂に馬鹿みたいにジャンプまでしなくなったか)

 今、放たれた一撃は両足をしっかりとコートを踏みしめた状態でのドライブだった。高低差と前後を使ってきた田場が遂に空間を平行に使った攻めを織り交ぜてきた。試合の中で空間の使い方を広げていく。それは普通のプレイヤーならば当たり前のことであり、通常の状態ならば小島も混乱したりはしない。しかし、田場は極端にジャンピングスマッシュを多用して攻撃を仕掛けてきたためにそのセオリーというものに当てはめるのは危険だと、小島は常識を頭から消した。
 その結果、田場は試合が進むと共に小島の中にある常識に戻ろうとしている。

(最初に運良くサービスオーバー奪えて得点したけど、そこからまた攻められっぱなしか)

 一度サーブ権を取り戻して十三点目を取ることができた時は、そのまま行けると思っていた。だが、すぐにサーブ権を奪い返され、連続得点によって遂に一点差まで詰め寄られている。追いつかれればセティングの権利は得られるが、それでも勝てるかどうか。

(理想としては、ここでサーブ権を取り戻して二点取ることだが――)

 小島は足元を見て紐がほどけているのを見ると、審判に慌てて手を挙げてアピールした。サーブ直前だった田場はシャトルを左手から落とした時点で動きを止める。シャトルは上から下へと落ちて軽く音を立てるところころと転がった。

「すみません」

 静かに謝ってラケットをコートに置いてしゃがむと、紐をしっかりと結び直す。これから先は小島も田場くらいコートを駆け巡るくらいの覚悟が必要だと、自分に喝を入れるかのように。どれだけ動いても外れないようにきつく紐を結んだところで何度か床に擦りつけてぶれないか確認する。

(大丈夫だろうけど……あとは俺の体力が持つかだな)

 ラリーを続けていく中で、小島は体力も自然と消費されていった。自分の能力が覚醒していく一方で、いつも以上に加速度的に減っていく体力には気づかなかった。自分の中の蓋が開き、次の段階に行けるということはどうしてもマイナス面から目をそらす形になってしまう。ランナーズハイにも似た状態は、状況が上手くいっている間は負荷は気にならないが、一度躓いてしまえば脆い。
 ラケットを構えて身構えるだけでふらつきそうな自分に喝を再度入れた。

(やるしか、ない)

 小島はしっかりと田場へと視線を戻す。自分の中の疲れは百も承知。でも、このゲームを取れば勝つのだ。もしも負けて三ゲーム目に突入したなら、その最後まで動けばいいだけなのだ。
 勝利までにやることはこれまでと何も変わらない。

(相手の動きを予測して、自分のショットを計算して、相手の隙を作りだして、攻めるだけだ)

 そう思い浮かべて、小島はラケットを高く掲げて身構えた。田場はまた「一本!」と大きな声で遠くへと届くように叫ぶ。それから思いきり下から上へとシャトルを打ち上げた。滞空時間が長いシャトルの下へと移動して、小島は次をどう打とうかと思案する前に田場の方を見て動揺する。
 田場は中央ではなく、左端へと寄って腰を落としていた。サイドのシングルスラインを跨いで、完全にコート中央から右が空いている。

(どういうつもりだ! 馬鹿にしてるのかよ!)

 小島は田場の挑発にも取れるポジショニングに、渾身の力を込めてシャトルを右サイドに打ち込んだ。シャトルはシングルスライン上目掛けて進み、軌道上に滑り込むようにして田場がラケットをバックハンドで差し出していく。
 田場の動きには余裕があり、結果として小島のスマッシュからのシャトルを簡単にネット前へと返した。

「はっ!」

 前に移動してシャトルをヘアピンで打とうとする。しかし田場が前に出てくることに違和感を覚えて、小島はシャトルをロブで返していた。
 田場は思いきり前に右足を踏み込んでから後ろへと飛ぶ。そしてシャトルを追って後方にジャンプをしながら振りかぶった。

(スマッシュ……?)

 さっきまでならば田場は迷いなくスマッシュを打ってくると分かった。しかし、今の小島の眼には田場の動きにどこか不自然さが垣間見えて、前に重心をかけるのを強引に抑える。同時に田場のシャトルはハイクリアで小島の頭上を越えて飛んでいた。
 小島はシャトルを追いながら今のプレイを振り返る。

(今、いつものようにスマッシュだと思ったら、反応が遅れたかもしれない)

 反応が遅れても打てることは打てるが、やはり「する」ことと「させられる」ことの差は大きい。
 追い上げてきた田場の中で、再び変化が起こっているようにしか小島には思えなかった。

「はっ!」

 小島がスマッシュをクロスに打ち込むと、田場は即座に追いついてサイドストロークで思い切りラケットを振り抜く。弾丸のような速さでストレートに飛んでくるシャトルを小島はバックハンドで優しく包み込むように威力を殺して、今度こそネット前に落とした。田場は前に飛び込むとヘアピンをストレートに打ち、小島はクロスヘアピンで返そうと構える。
 そこでまた小島の中に違和感が生まれた。今度は先ほどと異なり、強烈なもの。
 答えは目の前にあった。

「はっ!」

 小島はロブを高く上げようとしたが、シャトルはネットにぶつかってしまう。
 シャトルがコートに落ち、審判がカウントを告げる。

「ポイント。サーティンオール(13対13)。セティングしますか?」
「はい」

 審判の言葉に小島は迷いなく答えていた。
 すぐに田場の顔を見ると、心なしか曇っている。いつも笑みを絶やさなかった田場の顔が笑み以外に変わっているのは、試合でしか接していない小島にもおかしいと判断できるほどの違い。心に滲みだす感覚が、ファーストゲームでは選ばなかったセティングを即座に選ばせていた。
 試合時間はもう少しで一時間半に差し掛かろうとしている。本来ならばけして体力が尽きるということはないが、尋常ではない田場の攻めと自分の能力の解放が重なって、小島はセティングを戦えるかという不安が残る。
 しかし、逆に勝算も見えた。

(田場の、弱点とも言えない弱点、か)

 小島はラケットをゆっくりと掲げて吼える。しかし、いつものように叫ぶのではなく、鋭く、一直線に打ち出すように。

「一本!」

 田場は相変わらず小島の闘志は受け流す。それでも小島は意に介さない。田場はゆっくりと十三点目のコートに立ってラケットを構えると、またしても天井サーブを打ち上げた。高く、しかし今度は浅い飛距離。

(田場……また、分かってきたぞ。お前の考えていること)

 これまで靄がかかったようになっていた田場の思考が、急にクリアになる。自分がどうすれば田場がどう反応するか。今まで掴めばぬるりとすり抜けるような。そもそも思考を読めない状態だったにもかかわらず、今になって動きを予測できるようになった。

「はっ!」

 飛距離がないため強力なスマッシュを打ち込めるチャンス。しかし、小島は打つ瞬間に体を斜め後ろに引きよせて、ドライブを本来打つ方向へと打ち放っていた。田場はシャトルに追いつき打ち返す。十分威力があるショットだったが、マックスではない。
 小島のショットに対して打ち返す田場のショットの力が、ほんの少しずつ弱まっていく。それは田場の体力が尽きたという訳ではないと小島は考える。ならば、どうして田場のラケットは威力を伝えないのか。

「うぉおら!」

 自分がヘアピンで打ったシャトルを、ヘアピンで打ち返すと予測した小島は前に飛び出していた。予想通りにヘアピンによって返ってきたシャトルに対して、小島はラケットを下から上に思いきり跳ね上げる。
 シャトルは全く跳ねずに田場のコートへと落ちていた。

「さ、サービスオーバー。サーティーンオール(13対13)」

 小島は無言でシャトルをネット下からラケットを使って拾い、シャトルの羽を戻す。田場がどういうことだと自分の背中を見てくる視線がよく分かった。

「さあ、一本行くか」

 小島はサーブ位置で田場の準備が終わるのを待つ。納得しない表情を見ながら小島はコートの四隅に視線を移す。次に狙うところを決めて、小島はラケットを振りかぶると直前でストップさせて反動だけでコートを狙った。田場は反応するが、一瞬前に出たところで足を止めて、横に流れる。小島はショートサーブをほぼ真正面の飛距離が短くなる軌道ではなく逆――クロスで左端を攻めていた。

「っはぁあああ!」

 田場が吼えてラケットを出す。しかし、半歩遅く、シャトルは田場のラケットの横をすり抜けて落ちていた。

「ポイント。フォーティーンサーティーン(14対3)」
「しゃあ!」

 小島はこの試合初めて、拳を振り上げて咆哮していた。
 今まで決まらなかったヘアピンに対してたまっていたフラストレーションを爆発させたかのように。半分は演技だったが半分は本当に嬉しくて感情が爆発した。常に拾い続けてきた田場から一点を取るために何手先まで読んでいかなければいけなかったか。その積み重ねの過去が、今に繋がる。

「ふぅー」

 田場は腰に手を当てて天井を見てからゆっくりとシャトルを拾い、小島に渡す。そして、足でコートを蹴りながらレシーブ位置に戻っていった。
 小島には田場を覆っていた穏やかな気配が消えていくのがはっきりと見て取れた。試合を通してようやく見えた隙に便乗して、しっかりとシャトルを打ち上げる。今度はロングサーブだが、ネットに引っ掛からないように調整した鋭い弾道。自然と田場の眼前をシャトルが通ることになり、ラケットヘッドを移動させて打ち返してきた。急なショットだったためにヘアピンになったシャトルに小島は追いつき、ロブを上げる。田場はワンテンポ遅れてシャトルへと追いつき、真下に入った。

「やーっ はぁ!」

 バックジャンプからのスマッシュを小島のコートへと叩きつけようとする田場。だが、コースがコートの中央であるため、そこにすでに身構えていた小島は数段速いテンポでシャトルを返していた。田場は着地から動くこともできずにシャトルが落ちるのを見送るだけ。

「ポイント。フィフティーンサーティーン(15対13)」

 本来ならばゲームが終わっている点数だが、セティングのために十八点取らなければならない。あと三点というプレッシャーはあるが、小島にはある確信があった。

(田場のやつ。試合に集中できなくなってきてる)

 田場は何度か頬を両手で挟みこむように叩く。痛みに涙が出たところを拭き取って、すぐにラケットを構えるがついさっきまでの力はない。小島は天井に届くかのような高いサーブを打ち、田場を奥へと追いやる。それまで軽快に動いていた足がまるで重りをつけたかのようにのろのろと動く。田場の変化に沖縄側もようやく気づいたのかざわついて声援を強くした。しかし、田場はハイクリアを打ってから中央に戻らず、小島が田場の真正面にストレートスマッシュを打つと取れずに弾いてしまう。

「ポイント。シックスティーンサーティーン(16対13)」

 16点目。残り二点となったところで、田場は手を挙げて靴紐がほどけたことをアピールすると靴紐を縛りだした。小島はその間に田場について思考をまとめる。

(田場はおそらく、これだけ長い試合をしたことがない。だからぶっちゃけた話……飽きたんだ)

 本来ならば考えられるはずもない。負けていて、もう少しで勝利を掴めるという時に諦めてしまうことはあり得ない。小島の中にある常識では。

(集中力の欠如は間違いない。どうしてかは、おそらくあいつは団体戦しか出てないからだな)

 団体戦のみで個人戦にでは出ずにここまできた。
 内にある実力は凄くても周りがそれについていけず、田場の公式戦はいつも沖縄市内で終わり、多くの強豪が集まる場所へはいかなかったのだろう。どうして個人戦に出ないのかということは理由があるのだろうが、今は関係ない。

(おそらく、今まででこれだけ長く試合したことはなかったはずだ。いくら体力があると言っても、一時間半もとっくに過ぎて、もう少しで二時間経つかもしれない長さなんて、全道や全国の上位でもほとんどない)

 シャトルを受け取って田場が靴紐を結び終わるのを待つ。その間も思考を展開していく。ほとんど知らない相手を状況だけで心理や思考まで読もうとする。あくまで「する」だけで、できるはずもない。
 それでも、田場の体から抜けて行くやる気の流れが見える。靴紐を縛り直して立ち上がり、足元を何度か踏みつけてぶれないことを確認した田場はラケットを掲げて「ストップ!」と短く吼える。
 いつも緩い田場が厳しく気合いを入れるのは、どうにかして集中力を取り戻そうとする試行錯誤の末の行為なんだろう。小島は遠慮なく集中しきれない田場の隙を狙う。

「一本!」

 気合いをこめてまた弾道の低い弾丸サーブを放つ。田場の掲げていたラケットにあたり、シャトルは小島の方へと返るもののすぐさまヘアピンに変換した小島の速度に田場はついていけず、ラケットを伸ばしただけで終わってしまった。

「ポイント。セブンティーンサーティーン(17対13)、マッチポイント」

 遂に最後の一点。ナイスヘアピン、ラストだ! と声援が武達から巻き起こり、逆に沖縄側は悲壮感にも似た声が上がる。今の状態を全く予想していなかったのだろう。田場の力が解放されていくと共に小島が押されていったことは目に見えていたし、それでも互角の戦いをするのを見て驚いてはいたとしても、田場の敗北を疑ってはいなかったはずだ。

(それが、エースだもんな。でも、田場は、違ったってことだ)

 小島はシャトルを掴み、最後の一点をもぎ取るために高らかに吼える。

「一本!」

 田場がラケットを掲げたと同時に打ち上げる。シャトルを追う姿を視界に収めながら、心の中でも叩きつける。

(最後にもう一つ抗ってみろよ!)

 田場が飛びあがり、スマッシュを打つ。それは最初と比べると低く、威力も少なかった。完全に精彩を欠いたショットはネットにぶつかって跳ね上がる。小島は虚を突かれたが、すぐに前に踏み出してラケットを掲げる。田場は前に来る小島を見て、その場で腰を落とした。

(ロブを上げる……プッシュは間に合わないって言いたげな顔だな、田場!)

 小島はもう一足分、踏み込む。体を強引に前に出して、掲げたラケットを前へと伸ばす。

「うぉおおおらあああ!」

 跳ね上がったシャトルが白帯より下に落ちる前に。
 小島のラケットがプッシュで田場のコートへと打ち込んでいた。
 勢いを殺せずに小島はコートへと体を叩きつけられると大きな音が響き、周りは事故になるかと静まり返る。だが、小島は手を挙げて大丈夫だとアピールをするとゆっくりと立ち上がった。

「審判」

 小島の声に我に返ったように審判は一度咳をしてから言った。

「ポイント。エイティーンサーティーン(18対13)。マッチウォンバイ、小島。南北海道!」

 湧きあがる歓声の中で、小島はゆっくりと息を吐いた。

「疲れた」

 誰にも聞かせたくないと小さく呟いて、握手をするために前へと歩きだす。その顔は疲労はあっても晴れやかだった。

 決勝トーナメント 第一試合。
 小島正志勝利。
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