Fly Up! 275
(見える……相手の動きが、分かる)
小島は沸き起こる感覚に心が躍ることを抑えきれない。
試合の中で冷静さを失うことほど恐ろしいことはないと分かっているため、努めて冷静でいようとしていた。ショットが決まり、気合を前面に押し出してはいても、心の奥底では静かな水面が広がっているようなイメージがいつもあった。
しかし、今はその水面が沸き立って水蒸気を吐き出していた。徐々に水分が飛び散っていくかのように、小島の中で熱い衝動が生まれてくる。
(また一つ、段階が上に行ったか)
全道大会決勝で闘った稲田では引き出すことが出来なかった成長の鼓動が今、何度も小島を内側から突き上げてくる。
同じ地区の刈田との一戦や全道での淺川との戦いで得た糧。それは、試合中に糧を得なければ対抗できなかったからだ。
刈田には勝ち、淺川には負けた。
ならば、田場には。
(俺は、お前に勝つ。淺川まで……全国最強と当たるまでは、絶対に負けない!)
シャトルを左手の中で持ち、息をゆっくりと吸ってから、小島は吼えてシャトルを飛ばす。
「一本!」
スコアは10対8と小島がリードしている。小島からのサーブで、シャトルは天上まで届きそうだと錯覚するほどの高さを保ち、コート奥へと急降下して行く。田場はシャトルの落下点へと追い付いて、両足を揃えて飛び上がる。次にくるショットはハイクリアか、ドリブンクリア、ドロップ、スマッシュといくつかの選択肢が小島の頭の中へと思い浮かぶ。
小島はその中から一つ選びとって、動いた。
「はあっ!」
田場から放たれたのはドロップだった。切れ味のあるカットドロップは田場の身長よりもはるかに高い打点からクロスにえぐりこむように打ちこまれる。通常の視点から一メートル以上もある高低差から落ちてくるシャトルは反応することも難しい。しかし、小島はまるで分かっていたかのように足を踏み出してラケットを差し出していた。
「ふっ!」
一瞬でラケットをスライスさせてシャトルヘッドをかすらせる。キレのあるスピンをかけて逆にヘアピンを返すと、田場も着地後に追い付くのが精いっぱいでロブを上げるしかない。終盤に近づくほどに今のようなラリーが増えている。田場がウイニングショットになろうかというショットを打っても小島がそれを受けて反撃し、体勢を立て直すために田場がロブを上げる。その繰り返しでただでさえ長い試合時間が更に超過していた。
シャトルの真下に入った小島はストレートスマッシュで田場の左サイドに打ち込む。バックハンド側を突かれても田場は本来ならば問題はなかったが、今回はシャトルを上手く打ち返せずにコート外へと弾いてしまった。
「ポイント。イレブンエイト(11対8)」
審判の声に沸き立つ南北海道側。小島がこれだけ時間をかけて試合をすること自体まれなことであり、更に田場は彼らが見たことがある淺川亮に近い実力を持っている。それだけでも見てる側には緊張があった。だからこそ、点数が二桁で差を広げた段階でようやく先が見えてきたのだ。気を緩ませることも仕方がないかもしれない。
仲間が緩むのは自分が信頼されているから。だからこそ、自分は緩んではいけない。そう考えて、小島は気合いを入れ直す。
「さあ、一本だ!」
小島の覚醒していく意識が伝えてくる。
今まで小さな試合から大きな試合。自分よりも弱い相手や、同じくらいの相手。更に、強い相手。
小学生の時から全道大会へと出て行くまでの力を身につけて、中学時代も順調に経験を積んだ結果、小島の中に重ねられたものが一つの形となった。
正確には初めての経験ではなく、全道大会の刈田との対戦時に似たような感覚を得たことがある。
だが今、自分の中に生まれているものは、その時よりも精度が上がっていた。
同じように見えるフォームでも、視線移動や体の動き。ラケットの振りかぶり方などでショットは打ち分けられる。本当ならば些細な差ですら理解できないのだが、小島は刻一刻と変わる試合状況も加味した上で次に放たれるであろうショットを予測できるようになっていた。
閉じられていた蓋が開くように、できるようになれば以前の自分はどうして出来なかったのかと思うほどに体にも感覚にもなじむ。
それは武が集中力を増した時にできる前衛の動きのようで、相手のシャトルの動きを神がかり的なタイミングで抑えられるものと似ていた。
(それでも、俺とあいつは違うけどな)
田場の次の動きが読める。ジャンプした上でのスマッシュの打ち分け。今までに経験したことがなかったためにデータを吸収することが遅れた。だからこそ一ゲーム目はギリギリであり、二ゲーム目も少し時間がかかった。だが、今はもう小島は高い確率で次のショットを予測できる。
「はっ!」
サーブでシャトルを打ち上げる。天井に届きそうなほどに高く遠くへ。真下についた田場はこれまでと同じように飛び上がり、今度はスマッシュで小島の真正面を狙ってきた。目の前にラケットを持ってきたまま前に出て、打ち返す。あまりに自然な動きで田場も決まったのかどうかさえ把握するのが遅れたが、慌てて前に出てきた。
田場がこれまで見せなかった焦りが、第二ゲームの中盤から起こっている。遅れて反応して追いつけるために顕在化していないだけで、第一ゲームではなかったことだ。それも小島には正確ではないが理由が見えている。
(田場は予測して動くタイプじゃない。来たシャトルに対して、追っていって、追いついて、打っているだけだ……君長のように予測も取り入れての速さじゃない)
高い身体能力に任せて来たシャトルに反応して打つだけ。
裏を返せばシャトルに反応できなければラケットを出せないということになる。今までは実力差から問題なかったのかもしれないが、小島の動きは田場の反射神経の枠を超え出している。正しい解釈で言えば、返されたことに気づくのが遅れるのだ。
「ふんっ!」
田場は自分の元へと飛んできたシャトルをシングルスライン上へと叩き落とす。そこには既に小島が滑らかに動いていて、シャトルが通る軌道上にラケットをただ置くだけ。その動作が停滞なく、静かな変化であるため田場が「返された」と認識するのが遅れている。
小島が羽を掴むようにゆっくりと力を抜いてラケットを動かすと、シャトルはそれに答えてゆっくりと返る。そしてネットに沿って第一ゲームと変わらない精度で落ちて行く。
変わっているのは田場の出だしの速度だった。一瞬遅れて取りに来る田場は防戦一方で、自分の状態を立ち直すためのロブを上げるだけになっていた。
(あれだけ攻めていたのが、しのぐのに精一杯、か)
ロブで飛ばされたシャトルを追いかけ、またスマッシュの体勢を取る。
小島の動作予測の能力は相手の攻撃だけではなく、防御時にどう動くかということまでも働いていた。小島が発する打ち気に対して相手は動きだす前に一瞬だけ早くどう動くかと決めている。田場の場合は飛んできたシャトルに対しての動きであるため、今いる位置でどのような重心を保っているかという予測となる。無論、超能力ではないため外れることはあるが、高い精度で田場の隙が『見え』た。
「はっ!」
小島がスマッシュで狙ったのは股の下。左右どちらにも反応できるようにと腰を下げて、身構えたところの中心を狙い打つ。最も防御力が高い体勢の唯一の穴。田場は広げていたラケットを咄嗟にバックハンドに持ち替えて体の前でシャトルをインターセプトした。その動きも無論、小島は読んでいる。
小島は前に出て、シャトルが返されたところに飛び込むとプッシュでまたシャトルを叩きつけていた。
「ポイント。トゥエルブエイト(12対8)」
またしても得点が入る。小島は小さく拳を作り、田場を睨みつけた。田場は大きく息を吐いて天井を見上げていた。何を考えているのかは分からないが、自分が追い詰めているのは確か。
残り三点で、このシングルスは小島の勝利となる。
だが、小島は胸の中に気持ち悪いものが浮かんでくるのを感じていた。
(才能も強さも凄かった。でも、何かが足りないんだ。その足りない何かを、試合中に得たとしたら)
田場は自分が試合を中断していると気づいたのか、慌ててシャトルを持ち、小島へと返す。シャトルを受け取った小島は乱れた羽を静かに直してサーブ位置についた。振り向いて田場を視界に入れるとまた天井を見ている。いったい何が天井にあるのかと小島もつられて上を見た。
そこには何もない。ただ、ライトが点在している天井があるだけ。
「さ、ストップしようか」
田場の言葉に反応して小島は視線を前に向ける。汗はかいていても平然と笑顔を浮かべて自分を見てくる田場。追い詰められているはずなのに、その自覚はないのだろうかと考えて慌てて頭を振る。
(違う。相手に期待するな。俺が田場を抑えて十五点を取れば勝つんだ。相手がこうなるはずと思っていると、そうじゃない時に対応できない)
バドミントンは強い者が勝つ。スポーツをしているならば全般的に言えるだろう。たとえ実力的に相手が上だとしても戦術である程度は覆せる。
ようは相手の実力を抑え込める力が、自分にそれが備わっているかということになる。
田場を相手にあと三点取る実力があるかどうか。
(俺が、ねじ伏せる)
小島はラケットを勢いよく掲げて下から上に振り上げ――ようとして急激に動きを止めた。シャトルにラケット面を当てたところで動きを止め、反動だけで飛ばす。虚を突いたショートサーブ。しかし、小島の目の前には田場のラケットが見えていた。
(なんだと!?)
次の瞬間にはシャトルが叩き込まれていた。サーブを打った体勢から動く体勢に移行しようとした瞬間にコートへと落ちたシャトル。小島は全く反応できずに結果だけを見ることになる。
(なんだ。あの反応速度……そんな試合の中で上がるはずが……)
多少ならば経験もあり、目撃もしている。しかし、それまで見せていた反応速度よりも明らかに速い今回の一歩は、小島にとって不可解極まりなかった。審判のサービスオーバーと言う声に我に返り。シャトルを取り上げると田場へと放る。ラケットを使ってシャトルを手元に戻した田場は「上手くいったー」と満足そうにサーブ位置へと戻っていく。
(上手くいったってことは。何かしたんだろうけど。まさか)
小島の脳裏に浮かぶのは一つのことだ。それは自分が少し前に思い浮かべた可能性。
田場の現在の実力をはかったうえで、成長する方向。
(ただ反応するだけじゃなくて、予測まで取りいれたのか)
そこまで驚くべき変化というわけではない。ただ目に見えたシャトルを追っていくということではなく、ここに来るだろう、という予想を持って動くというのは小島も考えた。だが、この試合の間に取り入れてくるとは考えてもみなかった。自分の慣れ親しんだスタイルを負けそうになっている終盤に変えてくる。変えるというよりも不完全な代物を取り入れてくることは小島は少なくともしない。だが、田場は躊躇なく使ってきた。
(こいつの本当の恐ろしさ、か。やっぱり精神的にタフすぎるだろ)
どこまで窮地に追い込まれようと。あと一点で負けようと。田場はシングルスライン上など際どい部分を狙って来ると小島は悟る。普通の感覚ならば負けそうになればなるほど安全策を取り、コースが甘くなる。実力がなければ相手の思うつぼであり、実は敗北を手繰り寄せる結果となる。実力者同士の戦いであっても、多少はいつもよりコートの内側へとシャトルは寄っていくものだ。
しかし、田場はそんなことはない。最初から最後まで、最も相手が取りづらいであろう厳しいコースを突いてくる。失敗したとしても、止めることはないだろう。
「ストップ!」
小島は今までで最大の咆哮を放ち、田場へと叩きつける。無駄だと分かっていても、自分の中に生じた田場への不安を吐き出す効果はあった。その後に静かに呼吸をして、田場攻略のために視覚と思考をフル回転させる。
「いっぽーん!」
サーブを打つ田場の様子を見て、ラケットがシャトルを打った瞬間に小島は後ろに飛ぶように移動する。だが、シャトルは前に放たれていてシングルスのサーブライン上にしっかりと落ちていた。
「ポイント。トゥエルブナイン(12対9)」
自分のいる場所よりもはるかに前にあるシャトルを呆然と見る小島。審判に促されてゆっくりと前に動き、拾い上げてから軽くラケットで打って田場へと渡す。
起こったことを再現し、どういうことだったのかを分析する。
(俺の動きを、田場が読んだってことか)
まず小島自身は田場の動きを予測してサーブの瞬間に後ろに移動した。だが、田場は持ち前の反射神経を使ってなのか今までの経験則か、後ろに移動する小島の気配を読んで、急に前へとサーブを変更したということになる。あるいは自分の予測も完ぺきではないため、元々ショートサーブを打つつもりだったのに勝手にロングサーブと決めつけて移動したのか。
(あいつが予想を取り入れてきただけで、俺の思考に乱れが生じてるのか)
小島が相手の動きを未来を見るかのごとく知ることができるのは特殊な能力でも何でもない。単に、実力者だけが蓄えることのできるもの――経験から生み出されたものだ。それは経験の範囲が広ければ広いほど種類として刻まれる。たとえ対戦だけではなく見ただけでも。
だからこそ、田場のような相手は全道予選で戦った稲田くらいしかケースはなく、更に圧倒的に実力が上であるために把握に時間がかかっただけのこと。
つまりは、今、身体能力。反射神経。そして、次の動きの予測と三つ目の要素を得た田場は小島の中で全く未知の存在となっていた。元々不確かな「予想」という要素が加わったことで逆に田場が次からどう来るのか見えなくなった。元々そういったことを戦法に深く食い込ませてくる相手ならば、自分の今までの行動を振り返って逆手に取ることは可能だが、田場は初めて使いだした。
(くそ……普通なら比率的に慣れた方法を取って、来たシャトルを打ち返すほうをメインで使いそうだが……こいつの場合は関係ないな)
田場には今まで、ということは期待できない。あとはこの「成長」を成長と捉えずに自分で捨てるかを。
(期待……? 期待……なんてするわけないだろ)
頭を振って自分の中に浮かんだものを否定する。田場は武器を手に入れた。それは自分にとって最悪な展開を持ってきただけ。それだけだ。つまりは「田場がこれから逆転する」という可能性が高くなっただけだ。
(逆に、俺があと三点取る力が減ったってことか? 違うな。俺の力は変わらない。俺の力を田場の力が圧倒してるだけ)
「いっぽん!」
元気に笑って声を出す田場。小島はラケットを掲げて田場の目を見る。どのように思考しているのか。次はどういう風に打ってくるのか。先ほどまで明確に見えていた未来の姿に霞がかかる。同時に、視界が揺らぐ。
(体力もだいぶ減らされたか)
小島は流れ落ちる汗に混じる、冷たい汗を感じずにはいられなかった。
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