Fly Up! 273

モドル | ススム | モクジ
「はっ!」

 田場からのジャンピングスマッシュで飛んできたシャトルが、ラケットをすり抜けてコートへと突き刺さる。小島は横っ跳びに近い形で前のめりになった体を右足を踏み込んでどうにか支える。それから転がったシャトルを見て即座にシャトル交換を申し出た。審判は慌てて次のシャトルを用意しようとして、手元にないことに気づいた。
 試合を中断して大会本部へとシャトルを取りに行く間、つかの間の休息を取ることになったが、小島の心はあまり休めてはいなかった。鋭さを増す田場のジャンピングスマッシュを取ることができなくなってきている自分を理解してしまう。

(十三対、十二か)

 時間が空いたことで冷静にスコアを見る。サーブ権は今、もぎ取られたばかり。田場が次にまたスマッシュを決めれば同点となるなら、セティングに入るのが定石。小島は息を整えながら田場の様子をじっくりと眺めた。
 田場は多少は息を切らしているものの、顔に浮かぶ微笑は変わらない。小島のように休むのではなく、早く試合が再開しないかとアピールするかのように体を動かしていた。体力的なものに全く不安は持っていない。対して自分の状態はどうかと小島は眼を閉じる。
 体力にはまだまだ余裕がある。しかし、苛烈な攻撃を防いできた直後のため息は多少切れていた。そこまで考えて、苛烈な攻撃を仕掛けてきたのは田場であることを改めて考える。激しくスマッシュ攻勢できたにも関わらず、そこまで息が切れていない。それは体力が残っているということとはまた別の話。酸素を必要とする運動を連続で続ければ自然と息を吸う回数を増やして酸素を求めるはず。にもかかわらず、田場はほとんど息を乱していない。

(なんだ? 沖縄だから良く海に潜ってて無酸素運動に慣れてるとか漫画みたいなこと言うんじゃないだろうな)

 心の中で呟いたところで審判が早足でやってくる。ポールの横についたところでシャトルを田場へと投げて、試合再開のコールをする。

「ポイント。トゥエルブサーティーン(12対13)」
「さー! 一本!」
『いっぽーん!』

 田場に合わせて彼の仲間達が一斉に背中を押すように応援する。点数はリードされているが、内容的に田場が推していることは明らかだ。逆に小島のサイドからは「ストップ!」と武の声を筆頭に小島へと声援が向けられる。

(なんだよ。ずいぶん、弱気な声じゃないか。仕方無いよな)

 自分を心配しての、激励の声。自分でも認める。田場に押されていることを。
 第一ゲームの終盤に差し掛かってくると田場の運動量は落ちるどころか徐々に増していた。体が温まってきてからが本番だとでも言わんばかりに。

(最初から全力で、自然と調子上がるとか本当、最悪だよな)

 小島はラケットを構えて田場のサーブを待つ。ピンチには違いないが、けして絶望はしていない。強い相手なら強い相手なりに、付け入る隙を探すまで。

(でも、探せないなら)

 シャトルが飛ばされて、後を追うように真下に入る。一瞬浮かんだ言葉をふっきるようにスマッシュを打ち込むと、田場は即座にバックハンドでクロスヘアピンを打ってきた。対して前に出ることを全く意識していなかったため、小島はただシャトルが落ちるのを見送っていた。

「ポイント。サーティーンオール(13対13)。セティングしますか?」

 審判がセティングをするか尋ねてくる。13点と14点の時に先行している方が追い付かれた時、延長戦の意味合いで得点を上乗せできる。13点ならば18点まで。14点ならば17点まで終わりを伸ばし、相手の勢いを飲み込む猶予が与えられる。ほとんどの場合は追いついた方が勢いに乗っていて、追いつかれた方が追い詰められているために立て直す時間を取る意味でセティングは行われる。
 だが、小島は頭を横に振った。

「セティングはしません」

 小島の発言に審判は一瞬口ごもったが、分かりました、と試合続行を田場に促す。武達も、更には相手チームさえも小島の選択の意味が分からずに困惑していた。唯一田場は「今から五点取る手間はぶけたさー」と呟きながら笑顔でいる。小島はレシーブ位置についてラケットを構え、腹の底から咆哮する。

「ストップ!」

 小島を中心にした小爆発。自分の中で荒れ狂っている気合い――全力で田場を止めようという思いを前面に押し出して、小島は身構えた。仲間達でさえも怯むほどの気迫だったが、田場は笑顔を崩さないままでロングサーブを打った。綺麗な弧を描き、深く小島を追いこんでいく。
 ストレートのハイクリアを打って中央に戻ると、すでに田場が飛びあがってシャトルを捉えていた。

(ジャンプ力まで上がってるのか!?)

 かろうじてシャトルの軌道上にラケットを添えることができたためにネット前に打ち返して落とせる。しかし、すぐに田場は前に滑り込んできてストレートのヘアピンを打った。ネットの傍ギリギリを沿って落ちるシャトルをラケットの先で器用にクロスヘアピンにする小島だったが、浮かんだシャトルをネットに触れないまま田場はプッシュで押し込んでいた。

「ポイント。フォーティーンゲームポイント、サーティーン(14対13)」

 小島は上を向いて目を細める。自分でも次にいつ成功させられるか分からないほどのショットをしたすぐ後で、絶妙なプッシュを放たれて得点された。相手の力は分かっていても、ショックなものはショックだ。照明の眩しさに目を細めてため息をつくと、シャトルを取りに向かう。
 勢いづく沖縄側に対して、南北海道は沈黙していた。今、田場が打ったプッシュがどれだけ難しいもので、自分達では打てないと気づいたからだろう。

(面白いじゃねぇか。ようやく、出会えた)

 シャトルを拾って羽を整えてから打って渡す。宙を舞うシャトルをラケットで受け止めて、田場はサーブ位置につくと「ラスト一本!」と謡うように吠える。

(一ゲームを取れるからって気合入ったか?)

 それまでと180度違う田場の気合いの入り様に、小島は違和感を無視できなかった。ロングサーブのためにラケットが後ろから前へと力強く振られていく。しかし、小島は刹那の違いを感じて前に出た。
 田場のサーブはロングではなくショートサーブ。ネットの白帯の上を飛び越えたところに、小島はバックハンドでラケットを叩きつける。勢いを殺しきれずに放たれたシャトルはプッシュに十分な高さを持っていた。近距離からの強打に田場もラケットを振ることさえできず、右足先にシャトルがぶつかった。

「あいてて」
「……すまん」
「あ、ごめんごめん。反射的にさー」

 バドミントンシューズで守られているために、シャトルがぶつかっても問題はない。それでも反射的に言ってしまうのは小島も分かった。バツが悪そうにしつつシャトルを拾い、小島にすぐ手渡す田場。礼を言ってから背を向けてサーブ位置へと歩く。

(十三対十四。こっちがこれで一点を取ればまだ分からない。いや、相手が十五点目を取らない限り、終わらない)

 サーブ位置で振り向いて構える小島。田場は肩の力を抜きながらレシーブ姿勢を取って小島の顔を見てくる。小島はそこで自分が全身をくまなく見られているような錯覚に陥った。遠目ながら、田場の瞳が見える。苦痛など知らず、勝利への渇望もなく、試合に対しての楽しさを内包している瞳。

「一本!」

 小島は顔の中央をシャトルで打ち抜くようにショートサーブを打っていた。
 自分が行ったフェイントを、直後に真似されるのは田場にも想定外だったのか、慌てふためいた顔でシャトルを拾う。しかし、最初に生み出した遅れは取り戻すことができず、中途半端なシャトルを上げることしか田場には出来なかった。

「はっ!」

 シャトルをスマッシュで押し込む。軌道はサイドはなく田場の体中央。短い時間に持ち替えて体を守ることもできず、シャトルをトラップして床に落としてしまった。

「ポイント。フォーティーン、ゲームポイントオール(14対14)」

 遂に最後のポイントまでたどり着く。セティングがなかった分、一ゲームを取るのにあと一点となっていた。だが、ここにきてセティングをしなかったことが小島へとチャンスを与えている。
 シャトルを受け取って羽を極力元に戻してから、サーブ体勢を取った小島は全神経を瞳と両腕に集める。今度は逆に小島のチャンス。だが、最も難しいサーブだ。

(もうフェイントのショートサーブはしばらくはやめた方がいい。じゃあロングを打つかショートを打つか……)

 自分の中での葛藤の末、打つサーブを決めて息を吐く。
 田場が身構えたのを見て、少し角度が浅くしたロングサーブを放った。ドリブンクリアのような少し低めの弾道。田場は後ろに飛ぶようにして移動し、落ちようとしていたシャトル目掛けてラケットを振り切った。カウンター気味に鋭く落ちて行くシャトルだったが、小島は前に踏み出して打ち返していた。

(いくらタイミング早くて急角度でも!)

 ジャンピングスマッシュの利点は高い打点から放たれること。跳躍することで速度も角度も鋭くすることができる。最初からずっとジャンプしつつ打ってきた田場のスマッシュは体が温まると共に速度を増していたが、角度自体は変わっていない。それだけに、コースさえ分かれば前に出るだけで取ることは可能になる。
 綺麗に跳ね返したシャトルはネット前に飛んで行く。田場はまだ着地しておらず、タイミングとしては申し分ない。今までのラリー上、田場の移動速度ならばシャトルが落ちる前に追いつくだろう。ならば、返ってきたシャトルを打ち抜けばいい。状況はほぼ思い通り。小島の頭の中には次の手が無数に浮かんでいた。
 田場が着地して前に出るのと、シャトルがネットを越えて落ちて行くのはほぼ同時。白帯を越えて落ちて行くシャトルに、ラケットを突き出す田場。小島は次の一手を抑えるためにラケットを掲げる。

「はぁああああ!」

 田場が吼えて前に滑り込む。右足を強く踏み込んでバックハンドでシャトルを捉える。力強い踏み込みはコートを揺らすかのような威力で、シャトルは勢いを完全に殺された状態で返ってきていた。小島がラケットを掲げたことでロブを上げることに危険を感じたのか、ロブを飛ばすと読んでいると考えたのか、浮かないヘアピンでシャトルを落とす。
 しかし、それもまた小島の選択肢の一つ。

(ここで、打つ!)

 小島は掲げたラケットを最短距離で引き寄せて前に出る。落ちて行くシャトルに向かって勢いよくラケットを振り切り、ロブを上げようと。視界の中にはシャトルと田場。小島の勢いに押されるようにして、田場が後ろに移動しようと足を踏み出す。

「おらっ!」

 ギリギリまで引き寄せた上で、小島はショットをロブからヘアピンに切り替える。打てば追いつかれてまたスマッシュを打たれると直感的に理解していたが、最初からヘアピンを打つ気で前に出ていたらおそらく察知されてしまっていた。だからこそ、直前まではロブを打つ気を保って、切り替えた。
 田場を抑えるには更に一つ上を乗り越えるしかないと、強引に右腕に急制動をかけた。
 ロブを打つための縦軌道から変化させて、斜め上にカットを切る。シャトルは不規則な回転がかかったままネットを乗り越えて、今度こそ田場のコートへと落ちていた。

「ポイント。フィフティーンフォーティーン(15対14)! チェンジエンド!」
「しゃあ!」

 両腕をかかげてガッツポーズを取る。そんな自分に一番驚きながらも、小島は田場を見据えて言う。

「まずは、俺の勝ちだ」

 シャトルをラケットで拾い上げて、そのままコートから出ようとする小島。その背に、田場から声がかかる。

「流石に強いさー。でも、俺もこれからだよ」

 田場の言葉がはったりではないと言うことを小島は分かっていた。最後の方はほぼ奇襲を連続して勝っただけ。単純な実力だと互角から少し相手の方が上だと肌で感じさせられた。体が温まってギアが上がるのならば、二ゲーム目やファイナルゲームはもっと強敵になるだろう。それでも、小島は一歩踏み出すごとに高揚感が湧き上がるのを感じていた。

「お疲れ! まずは一ゲーム!」

 コートを出たところで仲間達が声をかける。中でも武と吉田に向けて、小島は左拳を握って突き出す。
 力強く握られた左拳。わざわざ歩みを止めてまでとる行動に、全員が動きを止めた。

「正直、田場は強い。だから、応援よろしく」

 そう言ってから、初めて仲間に頼んだと小島は気づく。純粋な力ならばおそらく田場の方が上。だからこそ、弱点を探す。気持ちを乗せる。実力以上のものを上乗せする。
 だが、本当ならば『実力以上のもの』など試合では出ないのだ。あくまで練習の中で培ったものの応用が試合の中で出来るだけ。一見神がかり的なプレイで普段の自分だと出来ないように見えても、出来るものなのだ。ただ、そこまで追い詰められもしないし、やろうとしないだけ。応援をされても力が上がるわけではない。
 それでも、小島は背中を押してくれる仲間達を感じた。

(弱気になってるのか? それとも……)

 自分の中で起こっている変化に戸惑う。感じ方もそうだが、プレイの中でもたまに今までの自分とは異なるショットが使えた。
 練習時とは違うプレイができる、もう一つの可能性。

(俺も成長してるのか。試合中に)

 これまでも試合の中で成長していると思える時がなかったわけではない。しかし、それはあくまで『それまで体験していなかったことに触れて、克服した』というレベルのもの。元々、攻略できる力があり、試合の中で実践した程度のものだった。
 だが、今、得ている感覚は違う。自分の感覚と体の動きが、イメージ以上に動き始めている。
 逆側のエンドに入り、サーブ位置に向かう。既に田場はレシーブ位置について軽く素振りをしていた。試合を再開したくて仕方がないといった風。その光景はシャトルが切れて審判が取りに行った間の中断時間と全く同じ。田場の代わり様のなさに感嘆のため息を漏らす。

「さあ、一本行くか」

 第一ゲームよりも辛い展開が待っていると分かっていても、揺れない心。
 全道大会では味わえなかった、高く挫折するかもしれない壁。
 乗り越えるために、小島は一歩を踏み出す。

「セカンドゲーム、ラブオールプレイ!」
『お願いします!』

 小島は闘志を全開に。田場は笑顔を消さないまま、ふわりと浮かぶように緩やかに。
 第二ゲーム、開始。
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