Fly Up! 272

モドル | ススム | モクジ
 鋭く目の前に落ちてくるシャトルをロブで大きく弾き返して、小島は田場の動きを確認する。小島自身よりも高くジャンプしてスマッシュをした後に着地し、またロブで飛ばされたシャトルを追っていく。その動きに停滞はない。直前までハイジャンプをしているはずなのに、全く意に介していない様子で足は動いている。

(なんつー脚力してるんだこいつ)

 強靭な脚力を存分に生かすために、ここぞというときにジャンピングスマッシュをすればいいものを、田場はいつでも全力で打ってくる。緩急がないといえばそれまでだが、気を一瞬でも抜けない状況に精神力が徐々に削られていっているのが自分も分かる。

(とにかく高い。速さがまだ相沢よりはないことが救いだが……とっ!)

 シャトルに追いついたところで飛び上がり、またしてもスマッシュ。今度はクロスでサイドのシングルスラインを狙っていくかのように打ち込んできた。小島は一歩踏み出して追いつくとストレートにロブを上げ、田場を前に出させようとはしない。
 田場のスタイルはとにかく前に打ち込んでくる。後ろに打てばスマッシュが9割。残り一割でハイクリアを打ってきたが、それも最初の方のみ。今はスマッシュで押してきている。

「はあっ!」

 何度目かのスマッシュに対して小島が半歩早く前に出る。タイミングを見計らってラケットを前に押し出しながらシャトルを捉えると、結果として一歩分速くネット前に落ちた。着地して追いつこうとした田場だったが、さすがに追いつくこともできずシャトルがコートに落ちるのを見送った。

「ポイント。フォーワン(4対1)」

 カウントを聞いて小島はため息をつく。削られている精神力の量とカウントが割に合わない。いつもならばもう試合も中盤に差し掛かろうとしているような疲労感が、すでに序盤に表れている。リードしているとはいえ、衰えることなく更に苛烈になっていく田場の攻めに集中力は研ぎ澄まされていくが、体力は嘘をつかない。

(今が三月でよかったよ……これで夏とかだと辛いかもしれない)

 小島の知識と経験の範囲ではあるが、北海道民は夏に弱い。暑いと言っても本州以南のそれとは性質が違う暑さのためだ。暑さ耐性のある田場に長期戦は不利だと考えるが、今のこの状況はどうにもできない。速く終わらせようとすれば田場の攻めに飲み込まれる。隙を見せれば大きな津波を巻き起こして襲ってくる。そんなプレッシャーに小島は曝されていた。

(お前の攻めを封じてやる)

 最初はスマッシュのタイミングを上手く外そうと考えたが、結局は自分のスタイルである「受けきる」という選択肢に戻ってきた。変に小細工を弄そうとすれば飲まれる。取られている一点は正にその結果だ。すぐに路線を戻して打ち込まれてくるスマッシュを受けきり、隙を見てネット前に落とすということを繰り返して五回。サービスオーバーから徐々に点差を広げていった。

(でも、このまま行くとは思えない、か)

 サーブ位置でシャトルを構えて田場の全身を視界に収める。田場は両腕をだらりと下げながら軽く体をゆすり、視線は斜め上を向いていた。何かを思考しているかのように口を小さく動かして何かを呟いている。

「よし」

 何かを決めて、ラケットを掲げる。これまでの体勢とは明らかに異なる、レシーブ体勢。右手を肩よりも上に持ってきてラケットヘッドを小島へと向けてくる。左手もバランスを取るように肩よりも少し上げていた。典型的なバドミントンの基本フォーム。それまで型破りな体勢を取っていたとは思えないほど堂に入っている。

(これから本気ってことか?)

 田場の変化に気を持っていかれそうになるのを頭を軽く振って防ぐ。小島は「一本!」と叫んでシャトルを高く遠くへと飛ばした。田場はすぐに真下に入ると飛び上がり、今まで通りラケットを振り切る。
 だが、今までと異なっていたのはその軌道だった。

「――何!?」

 思わず叫んで小島は前に出る。ラケットを振る速度は全く同じであるのに、ドロップとなってネット前に落ちて行く。ラケット速度に幻惑されて見事にカットドロップで落とされたシャトルはコートへと遮るものはなく辿り着いていた。それまでの激しい攻撃から一転して、優しくコートを転がるシャトルをラケットを伸ばした状態で小島は見るしかなかった。

「サービスオーバー。ワンフォー(1対4)」

 小島は体勢を戻してゆっくりとシャトルに近づき、拾い上げる。それまでスマッシュで叩きつけられていたシャトルは、今のカットドロップで羽部分がへし折れていた。ラケットの速度を全く落とさずにラケット面を斜めにして擦りつけることで強制的にドロップへと変化させる、カットドロップ。これまでも使い手とは試合をしてきたが、ここまでキレのある相手はいなかった。

(そう、か。スマッシュのせいか)

 羽の交換を申し出ると、審判が真新しいシャトルを田場へと渡す。放られたシャトルをそのまま跳ね上げて何度か打ってから手元に戻す。にこやかな笑顔で「一本!」と言い、身構える田場に小島は頬を上げて笑い返す。

(やってくれるじゃないか。こりゃ、苦戦確定だな)

 五点分まるまる見せつけられたジャンピングスマッシュの影響でカットドロップの威力が増している。ジャンプしてくることで角度は変わらないまでも速度は一気に減り、緩やかに落ちて行くドロップにすぐには対抗できる術はない。ジャンピングスマッシュに慣れてきたように、カットドロップにも慣れなければいけなくなる。それも、そう簡単にさせてもらえるとは思っていない。

(これからあいつはスマッシュとドロップを組み合わせてくる。それは当たり前の動きだろう。なら、俺は……)

 小島はラケットを構えて相手のサーブを待つ。
 ロングサーブでシャトルを飛ばしてきた田場はすぐさまコート中央で腰を落とした。小島は田場の体勢を見ながらシャトルを追い、真下に入ったところでドリブンクリアを打った。ハイクリアよりも弾道が低く、鋭く落ちて行く。田場は腰を低くしたまま、まるですり足のように移動してシャトルの落下位置の少し後ろまで移動すると、前方に飛んでスマッシュを放つ。ドライブに近い軌道でくるシャトルを同じく体勢を低くしてバックハンドで打ち返す小島。お互いに前に詰めたことで田場はシャトルをカウンター気味に返すも、すぐに小島のラケットに捕まる。

「うおおお!」

 ネット前でシャトルを捉えた小島だったが、打ち返したシャトルは田場の制空権内。更にドライブを使って跳ね返してきたが、同じくドライブで打ち返す。
 シングルス同士にも関わらず、ネット前の局地戦へと突入していた。コート外から見れば、ロブを上げてしまえば相手を後ろに仰け反らせることができると考えるが、高速のドライブ合戦の中で弾道を変えるのは至難の業だ。一瞬でも反応が遅れてしまえばチャンス球が上がり、プッシュ気味のスマッシュを打ち込まれると小島も田場も直感的に理解している。だからこそ、ここはドライブで相手を抜くしかないと考えていた。
 足全体の三分の一、四分の一ずつ前に出て行く小島。田場もまた前に出ながらドライブを続けて隙を探している。互いの距離が少しずつ縮まると共にシャトルを打ち合う音もより激しく、短くなっていく。後は反射神経とラケットワークの速度の勝負。
 ピンボールのようにシャトルが行きかって、二十秒以上が経過した時、遂にシャトルがラケットから突き抜けていた。

(――何!?)

 小島のラケットは空を切り、シャトルはコートを突き進む。そのまま床へと着弾して、ラインズマンが両手を大きく広げていた。

「アウト!」
「アウト。サービスオーバー。フォーワン(4対1)」

 激しいドライブの打ち合いを終えて、小島は息が切れる。ネット越しに立つ田場も汗を浮かべて息を切らせていたが、数度大きく吸い込むとすぐに呼吸が落ち着く。それからまたいつも浮かべている笑みを小島へと向ける。

「いやー、楽しかったさ。ドライブ合戦、またやろ」

 そう言ってレシーブ位置に戻る後ろ姿を一瞥すると、小島はシャトルを取りに向かう。ラインズマンを務めていた役員が気を利かせてシャトルを拾い、自分の方を向いた小島へと手で放る。小島はシャトルをラケットを使って中空で受け取り、羽をゆっくりと整える。
 整える間に考えることは今のラリーのことだ。

(アウトだったが、完全に俺が振り遅れた。最初から徐々に積もった遅れが最後に顕在化したってことか)

 サービスオーバーは取れたが、ドライブのラリーの中で一つの事実がのしかかる。思い浮かべることも癪だが、認めざるを得ない。

(俺の動きは、田場よりも遅い)

 ワンプレイごとではほとんど差がない。しかし、プレイが続いて積み重なっていくことで開いていく差が確かにある。
 ドライブの打ち合いを終えてだるくなった右腕を左手で揉みほぐしつつ、思考を続ける。田場は軽くラケットを振りながら小島がサーブ体勢を整えるのを待っているようだった。全身を視界に収めて何度か呼吸を続ける。体の中に溜まった黒い空気を外に吐き出して、新鮮な空気を取り入れる。

(単純に、身体能力が俺より上なんだ。技術よりも、パワーよりも。一番厄介だな)

 秘めている才能が自分よりも、淺川よりも上かもしれない相手。全道大会の決勝で戦った稲田隼人を小島は思い出す。君長凛に張り合うようにして試合を続けていた稲田。試合の中で一気に成長していく様子を目の当たりにして戦慄を覚えたのも、もはや過去のもの。今は、目の前の田場に対してそれ以上の脅威を感じている。

(稲田が可愛く見えるくらいか。本当に、全国は広い)

 一年経てば稲田は強敵になっているだろうことは想像に難くない。それでも、勝算はあった。成長する速度は凄くとも、成長する方向や度合いは予想がついている。ならば、方向に沿わない部分にある弱点を突けばいい。更に、自分も成長するのだから弱点を突くのは容易になっているはず。そう考えて、稲田に驚きはしたが負ける気はなかった。
 しかし、田場の力は底が知れない。試合中に劇的に成長しているということはないが、まだまだ底を見せない様子に小島は精神が削られる。追い詰めていると思ってもまだ残してある余力によって逃げられる。その積み重ねは間違いなく自分から忍耐力、精神力を奪っていくだろう。やがて、尽きた時がこの試合が終わる時。
 田場の勝利がぐっと向こう側に近づく時だ。

(試合中に成長、か)

 自分を振り返って少し笑う。自分は相手が成長するのを見るばかりで、自分が成長しているかどうかは分からない。相手にとって自分は越えるべき山。そして、自分はそれを叩き落とす。山を超えるために敵は成長するのに、自分は留まって番人のようだ。

「一本」

 静かに呟いて、サーブ体勢を取る。合わせてレシーブ体勢を作った田場に向かって視線を鋭く向ける。極力、圧力を叩きつけるかのように。だが、田場は笑みを浮かべながら小島の闘志を完璧に受け流していた。

(自然体、か)

 相手がどうだろうと、状況がどうだろうと。自分のバドミントンに集中する。自分の動き、パフォーマンスを最大限に発揮するためだけに意識を運用する。田場の運動神経や身体能力は素晴らしいが、核となるのはそれらを支えている精神力だ。

(成長なんて、望んで出来るもんじゃない)

 ラケットを振りかぶり、シャトルを思いきり遠くへ飛ばす。しなやかな右腕の振りから放たれたシャトルが鳥のように宙空を舞い、田場は打ち抜くために後ろに下がり、飛びあがった。
 小島の眼に映る田場のショットモーション。腰を落としてスマッシュに備えてみると、一瞬だけ視界がブレた。

(……え?)

 違和感を分析する余裕もなくスマッシュがストレートに突き進んでくる。小島は追いつくとラケットを振りぬいてクロスにドライブを放った。着地した田場はすぐに追っていき、フォアハンドでストレートに打ち抜く。同様にドライブを放たれて、今度は小島が体を投げ出すようにラケットをバックハンドで突き出し、ネット前に落とした。

「はっ!」

 シャトルに追いついた田場はラケット面をスライスさせてヘアピンを放つ。絶妙な高さに上がってから小島のコートに入ってきて、綺麗に弧を描く軌道に打つことはできないと咄嗟に判断する。小島はラケット面を手首の力だけで変化させると、クロスヘアピンで田場からシャトルを離した。そこからのクロスヘアピンは予想できていなかったのか、田場はシャトルを追ってバックハンドでシャトルを跳ね上げる。ネットとの距離がほとんどなかったために中途半端な距離に上がると、落ちてくるシャトルめがけて小島は飛んだ。

「はっ!」

 ジャンピングスマッシュでシャトルを叩きこもうと一瞬だけ田場の姿を見る。そこでまた視界がブレ、小島は違和感をこらえつつストレートにスマッシュを打っていた。
 シャトルは田場のラケットには取られずに床へと落ちる。

「ポイント。ファイブワン(5対1)」

 審判の声に被せてナイスショット、と声援を送ってくる仲間達。手を振って答えてからサーブ位置に向かうと、田場がシャトルを放ってから笑みを浮かべる。

「いやー、凄いさー」

 田場の発した言葉からは緊張感が伝わらず、小島は思わず悪態を思い浮かべてしまう。

(焦らないのかよ、こいつ。負けてるんだぞ……いや、まだまだ挽回可能だから焦っていないのか)

 心の中で悪態をつきつつも、すぐに頭を振って霧散させる。まだ点差は四点。もっと言えば、こちらが最後の点数を取るまでは油断はできない。サーブ権を奪われれば、連続して得点されるのは予想できた。小島にとっての今の最上の作戦は、牛歩の歩みでもこのままサーブ権を確保して得点を重ねていくことだ。

(さっきから、何だろうな)

 不安材料があるとすればさっきから始まった違和感。視界がブレて、相手が一瞬早く動くような錯覚。一連のプレイの中で一瞬だけ起こるために関連は分からない。

(いや、関係ない。集中だ)

 シャトルを構えて静かに呼吸をする。微笑んでいる、ネットの向こうのライバルに向けて、小島は渾身の力を込めてシャトルを打ち上げていた。
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