Fly Up! 271

モドル | ススム | モクジ
 体育館のフロアに足を踏み入れた時、武は肩に強い圧力がかかったように思えて歩きながら肩を回した。ホテルでも軽く準備運動をしたことによって固さはとれており、あくまでも気のせい。しかし、そうさせる何かが試合が行われる場所にあるのかもしれないと感じ取る。
 観客席には前日までと同じくらいの人が集まっているようだった。これまでと違うのは、これから試合が残っている選手達はすべてフロアに降りてきているということ。
 全国大会四日目。ベスト16が集う決勝トーナメントが遂に始まる。
 リーグ戦を勝ち抜いた16チームが8つのコートに別れて、試合を行う。ルールはリーグ戦の時とは異なり、先に三勝したほうが勝利する。

「北と南。真逆の対決だな」
「北っつっても、本当に北は北北海道だろうけどな」

 仲間達と共に降らないを進み、試合をするコートに向かう間に呟く武。反応したのは吉田、ではなく小島だ。武は一瞬驚いたが会話を続ける。

「北海道は北海道だろー? それにしても、沖縄って暑さに強そうな雰囲気あるけどやっぱりそうなのかな」
「そういうテンプレ的なものは案外正しいだろうな」

 小島の視線は既に鋭く前を向いている。視線の先には試合をするコート。そこに集まって体を動かしている選手達がいたが、その内の一人へと注がれていた。武に面識はなかったが、おそらく視線の先の人物が小島の対戦相手である田場だと悟る。
 田場と思われる男子はドロップを打ってからネット前に走り、ヘアピンで返されたシャトルを相手のコート奥へと上げるというドロップ&ネットという練習を実施していた。武から見ても動きは滑らかで更に速く、相当の実力者であることを伺わせる。

「あれが、田場?」
「ああ。昨日会ったよ。かなり天然系だったな」

 小島の口から出てきた言葉に呆気にとられた武は、茶化そうと口を開きかける。だが、小島の表情が固いことを見て言葉を引っ込めた。小島は相手を侮るようなことはない。格下だと分かっている相手にも油断せずに勝つまで闘い抜く。
 そんな小島が最大限の警戒を示している。武から見ればそれは淺川に対しての警戒と同レベルだった。

「そんなに凄い相手なのか?」
「対戦したこともプレイ見たこともないからどうとも言えないが……多分、な。だが、ちょうどいい相手だ」

 一度言葉を切り、小島は深呼吸をする。何を言おうとしているのか武には何となくだが分かっていた。次に想像通りの言葉が漏れて、武は顔を緩ませる。

「淺川を倒す前の踏み台にしてやる」

 瞳に燃える炎が見えた気がして、武は安心して頷いた。強敵でも通過点の一つ。自分を成長させるための糧にする。逆に相手に糧にされる可能性もあるが、強い意志で可能性をねじ伏せる。その強さこそが小島の強さ。武は改めて小島を尊敬する。

「ほんと、大したやつだよな。小島って」
「あ? そりゃお前だろ、相沢」
「え?」

 小島の言葉の意味を問いかけようとしたが、ちょうどコートに着いたことで雑談は終わりを告げる。
 初めに試合をする小島が体を暖めるためにジャージの上下を一気に脱いだ。下に着ていたユニフォーム姿となって、武から離れて行く。体育館に来る前に練習相手にと声をかけていたのだろう。女子シングルスとして出場する姫川が既にラケットを持ってやってきていた。

「相沢君。基礎打ちやるから……」
「あ、うん。姫川もがんばれよ」
「頑張ったら、なんかご褒美くれる?」
「は?」

 姫川の言葉の意味が分からず聞き返すが、いたずらを思いついたかのような表情をした姫川にしてやられたと察して、ため息をつきつつコートから出る。軽く手を振りつつ、同じように「頑張れよ」と声をかけると元気よく「うん!」と返事がきた。
 用意されたパイプ椅子の空いている所に腰をかける。他のメンバーが気を使ったのか、定位置としているのか、自然と吉田の隣に座ることになる。

「ったく。姫川のやつってこんな時でも緊張してないのかな」
「なんだ? 何か言われた?」
「なんかご褒美くれってさ。俺の反応見て楽しんでるんだよ」

 からかわれたと顔を不快に歪める武に対して吉田は逆に笑いながら軽く背中を叩く。試合中にも気にするなと言わんばかりにラケットヘッドで背中を叩くが、それと同じような力具合。視線を向けると予想通りの、気にするなという言葉が返ってきた。

「それに、案外本心かもしれないぞ」
「本心?」

 小島の練習相手を務める姫川を見る。ドロップとヘアピンを繰り返すドロップ&ネットで体を無理せず暖めようとしている二人。そこにいつもはない違和感を覚えて武はシャトルの軌道を追っていた。小島のドロップをヘアピンで返し、姫川のヘアピンをロブで返す。遠くまで上がったシャトルの真下に移動してドロップを放ってから前に出る姫川。素早く停滞ない動きはむしろ練習の時よりもキレを増している。しかし、どこかでおかしいと武の感覚が告げている。
 やがて、武は一つの答えに辿り着く。

「姫川のやつ。ロブが浅いんだ」
「少し体が固いみたいだな」

 ヘアピンで返されたシャトルを遠くへと飛ばす時に飛距離が足りない。中途半端な位置に落ちて行くシャトルに小島も後ろに行きすぎた後で前に出てドロップを打っている。姫川も思い通りに打てていないことが分かっているのか慎重にシャトルを打ち返そうとしているのが傍から見ても分かった。結果として、基礎打ちが終わる頃にようやく奥深くにロブを打ち上げられるようになっていたが、すぐに審判が来て練習の終わりを告げた。

「二チーム、コート中央に集まってください」

 審判に従ってコート中央に集まる武達。ネットをはさんで向かい合うと、誰もが武達と同じくらいか少し低いくらいの身長だった。情報が正しいならば、それでもジャンピングスマッシュをどんどん狙って来るのだろう。

「それではこれより、決勝トーナメント。南北海道対沖縄の試合を始めます」
『よろしくお願いします!』

 二十人が同時に叫ぶように挨拶をし、握手を交わす。
 力強く握手を交わしてからコートの外に出る。試合をするのは男子シングルスから。小島は一歩一歩、床を踏みしめるようにサーブ位置へと向かう。対して相手コートに残った男は軽やかにその場でジャンプしていた。小刻みに飛びながら上半身をほぐしているのか、波打つように肩まで揺らしている。表情には微笑が浮かんでいて、これからの試合に対する楽しさを表現しているようだった。
 武はパイプ椅子に座り直して相手の様子を眺める。

「あれが、田場かぁ」

 思った以上に優男に見えて武は拍子抜けする。淺川に匹敵する強さだと聞いていたが、実物は人畜無害そうなオーラを放っている。試合をするのも楽しみで仕方がないという様子は玩具を前にした子供のように見える。

「どう思ってるか分からないけど、うちらと同学年だからな」
「……凄く幼く見える。本当に強いのかな」

 吉田の言葉に単純に浮かんだ疑問を返す。吉田は首を振って「わからん」と呟いたが、すぐに言いなおした。

「分からないけど。試合が始まればすぐ分かるんじゃないか。君長並の速度を男子で出せたら……確かに淺川を倒せるかもしれない」

 侮っているわけではなかった。全国もベスト16ともなれば、自分達のほうが本来は格下と言ってもいいのだ。どんな相手でも常に負ける可能性のほうが高い。だからこそ油断せずに行こうと考えている。それでも、武の経験から判断して田場がまとう雰囲気は強者のそれではなかった。武が今まで接してきた吉田や刈田、小島。橘兄弟や西村達など、強いプレイヤーはそれなりの雰囲気を持っていた。強さを身にまとってその場にいるだけで武は緊張したものだ。
 だが、コートに立っても田場からはその雰囲気を感じない。吉田コーチ達の取り越し苦労ではないかとさえ思えてしまう。

「フィフティーンポイント。スリーゲームマッチ、ラブオールプレイ!」
『お願いします!』

 武が眺めている間にじゃんけんで小島がサーブ権を取っていた。試合が始まり、互いに挨拶を交わした後で、小島はサーブ体勢を取る。一方で田場はラケットを掲げずにだらりと手を提げたまま、両足だけ前後にして移動できる体勢を取った。

「……田場君。構えて!」
「すみません。これでも構えてるので始めて大丈夫です」

 にこやかに答えられて審判も何も言わずに引き下がる。脱力しきったような上半身。下半身は小島のサーブに合わせて動こうと膝をクッションにして軽く上下に動いている。特徴的な体勢は、これまでに見せたのなら前日のミーティングの時に話題に出てもおかしくなかった。全く聞いていないということは、脱力した構えを取ったのは今回が初めてということになる。

「一本!」

 周囲に多少なりとも動揺の波が広がる中でも小島は躊躇なくロングサーブでシャトルを打ち上げた。シャトルはコート奥までしっかりと飛び、田場は移動していくうちに両手を上げて左手で照準を合わせ、ラケットを振り上げる。
 そして、シャトルの落下点よりも後ろに移動してから前へと飛んだ。

「はっ!」

 その瞬間、武の眼には田場の背中に羽が生えたように見えた。
 力強く打ちこまれるシャトル。今までに試合を横から見て、経験したことのない角度の軌跡が武の視界に生まれる。しかし、小島は落下点を読んでいたのかラケットを差し出してヘアピンを打った。着地した田場はすぐに前に飛び込んできてヘアピンをプッシュで打ち込む。ほとんどシャトルが浮かなかったために威力が削がれた分、滞空時間は長い。その時間を使って小島は体を反転させて打ちやすい体勢を作り出し、シャトルをロブで打ち上げた。
 プッシュを打って前にいた田場は即座にシャトルを追っていく。速度は小島がスローに見えるようで、コートを滑るようにシャトルの落下点へと到達する。今度は勢いを殺さないままバックジャンプして、スマッシュをストレートに打ち込んできた。
 小島はバックハンドでシャトルを捉えると今度はクロスにヘアピンを放つ。先ほどとは違って後ろにジャンプした状態で、更に対角線上に走っていかなければ届かない位置。通常ならば届くはずもない距離だ。

「はーっ! だっ!」

 だが、武の想像を簡単に打ち破り、田場は着地した後すぐに斜めに突進する。シャトルがネットを越えて半ばまで落ちたところで追いつくと、ロブを高く打ち上げた。小島はシャトルに追いついて、今度はスマッシュをストレートに打ち込む。
 鋭く落ちて行くシャトルに田場はしっかりとロブをクロスへと上げた。

「……凄い」

 攻守交代して小島のスマッシュ攻勢をロブで返していく田場を見ながら、武は呟く。
 特に凄いと感じたのは少し前のネットに近いシャトルを高く遠くへとロブを上げること。高速移動の先で行う繊細な作業には技量がいる。ジャンプからの着地。着地からのすぐ移動開始。強靭な脚力が、前に高速で移動しても一発で力の流れをキャンセル可能としていた。
 まさに君長凛を思わせるフットワーク。更に相手は、君長にはない力がある。

「チャンスがあればすぐさまジャンピングスマッシュ。何度打っても衰えない動き。間違いなく最強クラスかもな」

 吉田の言葉が武にも実感を伴って突き刺さる。唾を飲み込んだと同時に、田場の咆哮がコートを突き抜けた。

「いぃやぁああ!」

 高く飛び上がり、振り切られたラケット。小島はフォアハンド側と予測して動き出したのか、完全に逆方向に打ち込まれたシャトルに反応できず、コートにシャトルコックが叩きつけられて力強く跳ね上がっていた。

「さ、サービスオーバー。ラブオール(0対0)」
「しゃあー!」

 田場は両腕を振り上げて、そのまま一回転していた。バク宙で体を回転させた後に床に両足で着地する。身軽さを鼓舞するわけではなく、単純に気合いのこもった一撃が決まったことに勢いがついたのだろう。

「さー、どんどんいくさー!」

 シャトルが早く欲しいと言わんばかりに左手を前に差し出した。
 小島は気にせずに、コートに落ちたシャトルを拾い上げるとボロボロになった羽を整える。ほぼ元通りにした後で軽く打って田場へとシャトルを渡すと田場は笑顔で「どーも!」と言って、すぐにサーブ位置へと移動した。小島は逆にゆっくりとレシーブ位置へと移動してから構えるまでに時間を取る。早くしてほしいと言わんばかりに田場は体をゆすりながら小島が構えるのを待っていた。

「小島。タイミング外そうとしてるのかな」
「ああ。真正面からぶつかるのはまずいって思ったのかもしれないな」

 吉田の言葉に武は冷や汗が流れる。小島は昔、相手と同じ戦法を取って最後に力でねじ伏せる戦法を取っていた。最近はあからさまには見られないが、まずは相手にある程度合わせた上でどう攻めるかを決めていた。それでも相手の攻撃をねじ伏せるという傾向が強く、対戦相手を倒してきた。
 だが、今の小島は田場の攻めをかわそうとしている。受けて上回るのではなく。

(それだけ、田場が強いってことなのか)

 小島が正面からの対決を避けるほどの相手。全力で真正面からぶつかることをせずに、何としてでも勝とうとする相手が目の前に立っている。武は漠然と、そういう相手は淺川以外いないのではないかと思っていた。全道大会で淺川に敗れた小島を見て、しかし、小島以上に強いのは淺川しかおらず、他の相手は苦戦はしても勝ちは揺るがないと心の中で思っていたのかもしれない。
 日本の都道府県の中で南北海道を勝ちあがっただけで、全国に猛者はまだまだいる。頭で理解していても、無意識に油断していたのだ。

「ちょうどよかったじゃないか」
「え?」
「武も、緩んでた気が引き締まったろ?」

 吉田の言葉に武は素直に頷いた。全国の舞台でもダブルスで勝つことができて油断せずに行こうと思っても油断していたのかもしれない。こうして、自分達の目の前に明らかな脅威が現れなければ、張り詰めていると思っていた糸も緩んでしまうのだから。

「武はいいとして。小島が田場に勝てるのか、だな」
「……勝つさ。あいつは」

 田場の力は徐々に分かってきている。おそらくは、自分では勝てないだろう。しかし、小島ならば勝てると思えた。それはけして楽観ではなく、確信に近いもの。

「淺川を越えるために小島は頑張ってるんだ。途中にいる田場に負けてたまるかって、思ってるさ。あいつが勝つことに全力を出すなら、負けないはずだ」
「……そうだな」

 吉田の呟きの暗さに武は不安を隠しきれなかった。
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