Fly Up! 269

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 小島正志は早足で歩いていた。
 目指すのは体育館。見ようとしている対象はただ一人、淺川亮の試合のみ。
 全国大会三日目にできた休みを利用して各々の時間を過ごすことになった時に、小島の脳裏に浮かんだのは浅川の試合を見ることだった。自分達は一日目と二日目が試合だったが、北北海道は一日目と三日目が試合だ。つまり、今日の勝利によって決勝トーナメントに進むかどうかが決まる。小島の中では淺川が負ける姿は想像できなかったが、チーム戦となればもしかしたら負けるかもしれないという不安が過る。君長凛の例もあったからだ。

(君長凛は強かった。でも、他のチームメイトが俺達に負けたことで全国出場を逃した。だから、北北海道も同じようなことがあるかもしれない)

 小島が知る限り、西村と山本のダブルスも負けることはまずないと考えている。男子が二勝なら、残り一勝はどこが取るのか。女子に関しては記憶が薄いため、自分の目で確かめたかった。
 小島は朝食を取ると誰よりもすぐに着替えて体育館へとやってきた。それこそ、試合をする選手と同じくらいの時間に。
 いろんな場所で素振りや準備運動をこなす選手達。その合間を縫って客席にたどり着くと、バッグに入れておいたプログラムを取り出して三日目の流れを見る。北北海道の試合が行われる場所の一番すぐ近くに陣取って、まだ三十分はかかるであろう開始に向けて準備を整えた。

(早坂のやつ……今日はこないつもりか)

 朝食をみんなで取っていたレストランから出る前に早坂の方を見ると、元気がないまま食事を口に運んでいる様子が見えた。更に、小島がホテルから出る前には部屋へと戻ろうとする早坂とすれ違った。小島の想像でしかないが、おそらく早坂は部屋に閉じこもってしまうだろうと思っていた。

(君長凛に勝ったことで空いた穴……体調不良から立ち直ってもスタートダッシュが失敗したとしても。それさえ埋まればきっと、復活すると思うんだけどな)

 今の早坂に足りないもの。それは試合に対する執念のようなものだと小島は思っていた。それが、体調不良が原因で引きこされたものだとしても、回復した今となっては何かを引きずっているとしか考えられない。
 コートへと注ぎ込む気持ちが、今の早坂にはないのかもしれない

(新しい目標が、必要なんだろうな。俺が力になれるか……)

 早坂のことを支えたい。その気持ちはチームの中では誰にも負けないと自負している。だからこそ、この場で役に立たなければそう思う資格がないのではないか。そこまで思った小島だったが、いつしか時間が経って眼下で試合が開始されるのを見て、現実に意識を戻す。
 考え込んでいる間に三十分という時間があっという間に過ぎたことにも驚いたが、少し離れたところに男が一人立っていることにも驚いた。いくら考え込んでいたとはいえ気配さえ感じなかった。

「いやー、まにあったさー」

 その男子は柔らかな笑みを浮かべながら語尾を伸ばしつつ呟く。独り言にしては大きな声で自分に聞こえるようにわざと話しているのかと小島は思ったが、その後で何も言葉を続けてこないことからも単なる独り言だと判断して、小島はその男子を見る。
 水色のハーフパンツとジャージの上着を着ていて、目に見える足や顔の肌は全て日焼けしていた。幼く見える顔もまた日焼けしており、元々の色が肌色だとはぱっと見て分からないくらいだ。小島はその外見だけでその男子が沖縄の田場友広だと気づいた。

(あれだけ肌が黒いってのは、沖縄だろうし。童顔だし、背が小さいし。吉田コーチが言ってた特徴と一致する。そして)

 体勢を少し変えた時に一瞬だけ見えた、ジャージの上着の背中へ付けられた「沖縄」という文字。おそらくは沖縄のどこかの学校名が入っているのだろう。ならば、確定。

(俺と同じように、淺川を見に来たってわけか……こいつが、田場、か)

 庄司や吉田コーチが警戒する相手。淺川にも匹敵する才能。
 しかし、全国では全く無名。ネットで調べられるだけ調べたが、田場の名前はどこにも出てきていない。少なくとも、全国と名前がつく大会には全く出てきていなかった。
 沖縄・九州の県大会にも名前はなかった。今までが謎に包まれた実力がある選手。新しい好敵手が目の前にいる。それだけで小島は心の底から闘志が湧き上がってきた。
 その闘志に反応したのか、視線をコートに向けていた男は小島の方へと顔を向けて言った。

「僕に何か用? 小島、正志君」

 まだ声変わりもしていないような高い声。名前しか聞いたことがなかったが、ボーイソプラノという言葉が浮かんだ。呆気にとられているうちに、相手の男は眼下を指さして言う。

「あ、ほら。淺川君が出てきたよ。まずは見ようよ。お互い、偵察にきたんでしょ?」
「あ、ああ」

 はしゃぐ姿に年下の雰囲気を感じたが、プログラムを確認すると歳は十四歳と書かれていたはずだ。同い年には思えないが、虚偽の申告をするとも思えない。ひとまず同級生と考えて、他の違和感には目を瞑る。すると今、すべきことは淺川の試合観戦だと結論付けた。

(後で話できるなら、聞いてみるか)

 何を聞くかということは考えていない。だが、道内ならばある程度の相手は分かっているし、同じ北海道内ということでどこか余裕があった。しかし、小島くらいの実力があっても全国は初舞台。全く分からない状況で緊張しているところはある。だからこそ、些細なことでも対戦相手の情報が欲しい。

(まずは、淺川のプレイの研究、か)

 チーム同士の挨拶が終わり、さっそく男子シングルスとして淺川が出てくる。対戦相手の青森は男子全員坊主頭で見分けがつかない。だが、握手をしたりじゃんけんをしたりする姿は気合が入っており、じゃんけんでシャトルを取っただけで気合の咆哮を上げた。

「フィフティーンポイント、スリーゲームマッチ。ラブオールプレイ!」
『お願いします!』

 審判の声とほぼ同時に淺川と対戦相手が吼える。相手のゼッケンは三浦という名前が入っている。ゼッケンに付く名前だけが判別をつける手段。それほどまでに意思統一させている青森はどういうチームなのか。

「一本!」

 三浦が吼えてロングサーブを打ち上げる。小島から見ても綺麗な弧を描いて落ちていく。コースもシングルスの後ろのサーブライン上に落ちていく、感嘆のため息が漏れる軌道だ。
 しかし、小島が落下点に入り、ラケットを振り切った瞬間にその理想は消えうせた。
 ラケットが振り切られ、シャトルが打ち抜かれる。次の瞬間にはスマッシュでシャトルは三浦の足元へと叩き込まれていた。別にネット前から打たれたわけではない。シャトルをコントロールして、高く遠く。最も自分から遠ざけるような形でシャトルを打ち上げたのだ。最初の十分に気を付けている段階では簡単にエースは取られない。第一打というものはそれだけ意識を集中している。
 その意識の網をかいくぐって、淺川のスマッシュはコートへと突き刺さった。サーブを打ち、腰を落として構えた三浦の股の間を抜いて。

「サービスオーバー。ラブオール(0対0)」

 審判の声に唖然としながら、三浦はシャトルを拾って淺川へと返した。受け取った淺川はすぐにサーブ体勢を取って三浦にレシーブ位置につくように促す。慌ててレシーブ位置を取り構えると、即座に小島はシャトルを打ち上げた。三浦は落下点に入ってお返しとばかりにスマッシュを打つ。ストレートのスマッシュはしかし、ネットを越える瞬間に出現した淺川によってクロスヘアピンでネットギリギリに落とされていた。あっという間にポイントを取られ、更にシャトルは淺川に回収される。
 そこから、淺川の怒涛の得点劇が幕を上げた。
 ロングサーブとそれに対する切り返し。そして、淺川の第二打によりシャトルは三浦のコートへと沈む。
 どんなに続けようとしても三回タッチすることでコートへと落ちるシャトル。決まって淺川のターンにシャトルが落ちていた。
 淺川が打ち上げたシャトルをハイクリアで返せばスマッシュで沈み、スマッシュやドロップを打てば前に詰め寄られてカウンターで厳しいショットを打たれて終わる。
 前衛の攻防に持ち込まなければヘアピンは打てるわけがない。
 淺川はまるでエスパーの如く相手の次のショットを読み切って、最小の手で十五点を取っていく。
 結果として、淺川の試合時間は二十分もなかった。サーブをする時に相手に速くするように促すことも手伝ってか、試合は危なげないままに15対0という数字が二回並んだ。

(淺川……また、強くなってやがる)

 全道大会の時よりも明らかに体のキレがいい。小島は淺川の姿を見ながら自然と拳を握り締めていた。

(俺も強くなったつもりだった。でも、あいつはもっと強くなってる。どうしたら、勝てる?)
「いやー、やっぱ全国一位は強いさー。どうやって勝とうかなー」

 どうしたら勝てるのか考え込んでいたところに田場の言葉が耳に入る。
 即座に顔を向けて、田場の傍へと近づいた。近付かれた側は小島の行動に慌てて一歩下がる。

「な、どうしたんだい?」
「お前、淺川とやるつもりなのか?」

 小島は思い浮かんだことを素直に告げる。目の前の男は呆気にとられた顔をしていたが、やがて立ち直ったのか笑って頷く。

「あー。決勝まで行ったら、もしかしたらやれるかもしれないし。なら、どうやって勝とうかなって考えるのは楽しいよね」
「明日、俺と当たるってわかってて言ってるんだな」
「え、明日試合するの? 小島君とできるんだ。嬉しいなー」

 屈託ない笑顔で答える男に毒気を抜かれる小島。だが、気を取り直して聴きたかったことを一から尋ねることにする。

「お前ってさ。確認するけど、沖縄の田場ってやつか?」
「うん。田場友広。よろしくう」

 ゆったりとした話し方にいらつきよりも諦めが漂う。自分の周囲にはいないタイプの人間であり、ペースに一喜一憂していては疲れるだけ。どこかで聞いたことのある沖縄時間というものなのかもしれない。心を落ち着かせた上で、小島は徐々に情報を引き出していく。

「なあ。お前、強いんだろ? その割には中体連にも出てきていないし。どうなってんだ?」
「どうなってんだと言われても。出られないから出てないんだけど」
「だから、強いなら出られるだろ?」

 田場は少し考えて、小島が聞きたいことを頭の中で整理しているようだった。一分ほど考えた後で、言いたいことがまとまったのか、聞かれたことを理解したのか目を輝かせて言った。

「だって俺。団体戦しか出てないからさー」
「……なんで?」

 田場の言っていることは理解できたが、どうして団体戦だけなのか理解できない。普通、団体戦に出るならば個人戦にも出ると小島は考えていた。もしかして、個人戦に出るメンバーは田場以上に強いということなのか。しかし、それならば今回の全国大会でも田場がシングルスとして出るのはおかしいのではないか。
 頭の中で混乱しかけた小島に助け船を出すように、田場は告げる。

「俺さ。別にバドミントンが強いとか弱いとか、どうでもよくて。たまたまやったら上手くなったーって感じなんだ」
「なんだって?」
「中一で友達に誘われてやってみたら、なんかその友達にも勝てちゃって。そのうち部活でも一番強くなって。勝てるようになっちゃったんだよね。でも俺、昔から団体競技のほうが好きでさ。皆で『勝ったー!』ってなるのがさ。だから、団体戦だけに出て皆で中体連勝てるように目指してたんだわ」
「……で、団体だと県内で負けてたからってことか」
「そう。今年は皆で行きたいけどね」

 典型的な天才タイプ。小島が連想したのはそれだった。
 田場友広は持ち前の運動神経だけで勝ち進んできたに違いない。無論、練習もするだろうが、それはあくまで運動自体が好きだからだろう。バドミントン自体にすべてをかけているわけではない。それでも勝ててしまうから。だからこそ、他のことに付加価値を求める。
 たとえば、団体戦で全員で勝ち進むということ。

「初めてのこの大会で、今まで敵だった人達と一緒のチームになってなんて面白い祭さー。おかげでここまでこれたし。どうせなら最後まで楽しみたいんだ」
「なるほどな」

 誰かを倒すことに目標を置かず、自分の実力向上にも重きを置かない。
 仲間と共に大会を『祭り』と称して勝ち負け以外の何かを求めていく。
 努力の賜物だろうが、恵まれた体力に、揺れない心。それが、田場友広の強さということ。

「俺も、最後まで楽しみたいんだ」

 小島は心の中に火が灯るのを実感した。目の前にいるのは間違いなく強敵。自分でも、他人でもなく、それ以外の何かを目指している。自分で楽しむために、全力を出そうとする相手。今まではチームメイトに恵まれずに埋もれていた才能が、ドリームチームという産物によって、遂に全国の舞台に現れた。

(姫川みたいなもんだよな、こっちで言えば。でも、こいつは確かに桁違いかもしれない)

 自然と拳を握る。目の前にいる田場に闘志をぶつけてみるが、暖簾に腕押しのごとくかわされていく。対戦相手をほとんど意識しないのだから当然の結果かもしれない。ただ、何かをぶつけられたのは感じたのだろう。田場は眼をぱちぱちとさせて何が起こったのかと尋ねる。

「今、何かあった?」
「いや。別にないさ。俺はただ、俺も最後まで楽しみたいって言っただけだよ」
「そっかー。確かに楽しいもんね。でも、俺も楽しみたい」

 田場の言葉に頷いて、小島は手を差し出す。その手と小島の顔を交互に見て田場は首をかしげる。小島は自分の考えている思いを素直に吐き出した。

「俺はもっともっと強くなる。あの淺川に、勝つために。お前との戦いで、俺はもう一歩、強くなる」

 あからさまな挑戦の言葉。田場と戦う時は必ず倒すという宣戦布告。楽しもうとする田場ならば、もしかしたら十分楽しめたと感じれば試合を諦めるかもしれない。しかし、小島は緩い雰囲気を持つ田場の中に、確固たる意志が埋まっているようにも感じていた。仲間と共に楽しむために団体戦しか出ていなかった男が、強い仲間達と共に全国の部隊までやってきた。先ほど口にしたように最後まで長くチームを組んでいたいならば、決勝まで勝ち進むことが必須となる。すると、団体として勝つためには自分の勝利が必須だと考えているのではないか。
 緩やかな雰囲気も、仲間への思いと自分の勝利という確固たる信念の下にあるのではないかと。

(今まで出会ったことがないタイプだからな……)

 小島の握手に、田場は少し逡巡した上で手を出した。しっかりと握りあって上下に振る。

「明日の試合、よろしくさー」
「ああ」

 にこりと笑う田場。しかし、手に加わる力がほんの少しだけ強まったことを小島は逃さない。確実に自分が田場に何かを与えたことを確信する。

「いい試合をしよう」

 滾る思いを言葉に乗せて、小島はもう少しだけ右手の力を強めていた。
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