Fly Up! 268

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 全国大会二日目の夕食の味を、武は覚えていなかった。
 せっかく不慣れなシングルスで勝利したにもかかわらず、不安材料が浮き彫りになって全員揃った食卓でも会話が盛り上がらなかった。一人、姫川が明後日からの決勝トーナメントに対してどこと当たるのかを期待していたが、どこか空回りしているように武には思えた。おそらくは、他の誰もが思っていたのだろう。空気の重さに気づいた姫川もやがて口を閉ざし、最終的には無言のままで食事は終わった。
 食器を各自で片付けた後で、吉田コーチがミーティングの開始を告げる。夕食から間髪入れずにミーティング用に取った部屋へと向かい、各自で席に着いた。この間、武は早坂がどこにいたのか全く分からなかった。一緒に食事を食べていたはずなのに、存在感が希薄になっている。前方に座っていた武が後ろを見ると、部屋の入口付近に一人ぽつりと座っていた。他九人は部屋の中央部に近い場所へと座っていたにも関わらず。
 最後に庄司と吉田コーチが部屋へと入り、武達の前に立つ。

「これで、全員だな」

 吉田コーチは一度早坂の方を見てからすぐに他の九人へと視線を移す。武には、その行為がもう早坂は不要だと言っているように見えた。

「今日はよく頑張った。二戦全勝ということで、我々は決勝トーナメントに進める。明日は高知と静岡で消化試合になるだろう。そこで、お前達は休息を取ってもらいたい」
「コーチ。試合を見に行くのはいいですか?」

 真っ先に手を挙げたのは小島だった。武から見て、小島の眼にはただ観戦しに行くにしては強い光が宿っていた。それだけで武は小島の思惑が見て取れる。吉田コーチも同じだったようで、少し笑いながら言う。

「別にかまわないぞ。北北海道の試合だろう? 十分、淺川を見てこい」
「っし!」

 小島はガッツポーズをわざわざ取って喜びを表現する。自分の越えるべき壁である淺川亮。既に各リーグに割り振られた時点で決勝トーナメントのどこに入るかは分かっている。北北海道は、武達が入る場所の反対側。即ち、決勝までは当たらない位置にいる。

(西村達と当たるまで、勝つしかないんだな)

 引き分けや棄権での勝ちということはない。そこまで思い浮かんだところで、早坂の途中棄権を思い出す。
 結局、全国大会が始まって早坂だけが二敗。彼女を除く全員が勝利しているということになる。本来ならば逆であってもおかしくないはずなのに。

「で、だ。次の決勝トーナメント、ベスト16の試合のオーダーは、こうすることにした」

 部屋に備え付けられたホワイトボードに、黒マジックで順番に名前が書かれていく。
 男子シングルスは小島。
 女子シングルスは、姫川。
 この時点で他の面々はざわつき始める。武も例外ではなく、驚いてまた早坂のほうを向いた。しかし、早坂はホワイトボードを見ておらず、ただ俯いているだけ。
 すぐに視線を戻すと、男子ダブルスは武と吉田。女子ダブルスは瀬名と藤田。
 最後に、ミックスダブルスが安西と清水。
 岩代と早坂が休みというオーダーとなった。

「明後日の相手だが、今日の試合結果から、沖縄と決まった」

 少なくない動揺が広がる中で吉田コーチは言葉を続ける。全員に広がる動揺が分からないはずはないが、気にせずに言葉を連ねていく。

「沖縄チームは、全員が身体能力が高い。特にジャンプ力は高く、全員がジャンピングスマッシュを多用してくる」

 吉田コーチは武達の名前を書いた横に、対戦相手の名前を連ねていく。映像がないことから名前を書くことでイメージを合わせようということらしい。

「まずは男子シングルスの田場友広(たばともひろ)。体格は小柄だが、ジャンプ力や移動速度は同じ体格の選手とは比較にならないくらい高い。速度は特に、あの君長凛にも負けていないだろう」

 君長の言葉に小島と早坂が同時に体を震わせる。武は君長くらいの動きを見せる男という想像をしようとして、上手く脳内に再現出来なかった。武の想像に重ねるように庄司が口を挟む。

「田場のシングルスを何とか少し見てきたが、ジャンプ力や運動量を見る限り、今大会でもかなり上に入るだろう。それこそ、淺川亮を倒してもおかしくはない。二年生だが、今までの戦績がまるでないのが信じられないくらいだ」
「淺川を? 倒す?」

 庄司の言葉に小島が立ち上がりながら呟く。自分の目指す相手に匹敵する力を持つと言われれば黙っているわけにはいかないと、まるで庄司が敵のように睨みつける。視線の強さを気にせずに庄司は吉田コーチの代わりに続ける。

「田場は低い身長。短い手足をジャンプ力とスピードで補っている。フルセットを通してコートを走り続けられる体力と飛び続けられる足腰の強さ。沖縄という暑い土地で練習していることもあるからなのか、全員が体力には自信があるだろうが……田場は別格の強さだ。間違いなく、沖縄チームのエースだろう」
「そのエースを倒すのが、俺の役割ってことですね」

 小島の言葉に頷く庄司。そして吉田コーチも力を込めて頷いた。
 エース。チームの核となるプレイヤー。
 南北海道のエースは小島だという証を、見せる時。

「正直なところ、真正面から挑むのをかわしてシングルスは捨てようと思ったが……小島なら倒せると思って、シングルスに決めた。どうだ、小島」
「……もちろん、勝ちますよ」

 小島の瞳に炎が灯る。実力があるにもかかわらず、今まで全く名前が聞かれていない、文字通りのダークホース。庄司の言葉が正しければ、小島には厳しいに相手になるはずだ。それでも、小島の表情は自信に満ちたまま崩れない。

「次に女子シングルス。外間愛華(ほかまあいか)だ。この女子もジャンプスマッシュ主体の攻めをするプレイヤーだ。タイプ的には瀬名が一番近い。だから、そのスタイルに相性がいい姫川を抜擢した」
「確かに、まゆっちには相性いいもんね、私」
「ちょっと……怒るよ?」

 吉田コーチの言葉に同意する姫川に、頭に怒りマークが見えるように顔を歪ませて言う瀬名。少しだけ場に笑いの空気が満ちたがすぐに引き締まる。

「この女子は君長ほど移動速度はない。本当にパワー型で、シャトルが上がればすぐにスマッシュを打ってくる。スマッシュかドロップか、の二つしか選択肢がないと考えてもいいくらいだ。姫川の防御力なら、スマッシュをかいくぐり、フェイントのドロップも拾えるだろう。頼んだぞ」
「はい!」

 元気の良い姫川の返事に吉田コーチは力強くうなずいた。武はその光景を見て、改めて姫川の存在感を意識する。
 今現在、南北海道チームの中で一番存在感を放っているのは姫川ではないかと武は思っていた。
 全国大会という場所でも臆せず、ダブルスで試合に出て二戦二勝。早坂以外は勝利しているが、仲間の試合を応援している時に感じる視線が一番強くなるのは女子ダブルス――すなわち、姫川の試合が行われている時だった。
 もともと女子シングルス一位の君長凛が南北海道ということで、所属するチームを破った武達は自然と注目されていた。特に女子シングルスは。その期待も早坂の敗北で一気に弱まったが、逆に女子ダブルスの姫川の動きに集まっていたのだろう。
 君長と良く似た、フットワークの速度を利用したプレイ。ダブルスということで攻めを瀬名に任せているが、瀬名がスマッシュを打ちやすいように姫川の助力があることに全国まで来るようなプレイヤー達は既に気づいていた。

(姫川……今回で本当に全国区になるかもな)

 試合の中で成長していく。身近な存在であるチームメイトの成長に武も気合いが入った。
 次に男子ダブルスのところに名前が書かれる。
 外間卓郎(ほかまたくろう)と宇江城浩二(うえしろこうじ)。
 どちらもやはり、ジャンピングスマッシュでどんどん攻めてくるタイプ。とにかく動き、飛んで高いシャトルはすべてスマッシュと、外間愛華とほとんど変わらないスタイルだと吉田コーチは告げる。
 基本的に沖縄は全員が強靭な脚力を利用してのジャンプ。そこからの攻撃がプレイスタイルだという結論だった。ただ一人、男子シングルスの田場だけはフットワークまでも武器であるということらしい。
 残りの相手のの名前をひと通り告げて、プレイスタイルの説明を終えたところで、吉田コーチは告げる。

「今回、早坂を女子シングルスから外したのは、相性の関係もあるが、調子の悪さが主な原因だ」

 ストレートな言葉にそれまでどこか穏やかになっていた空気が固まる。浮かれていた姫川も即座に体を委縮させて早坂の方をちらりと見る程度だ。早坂を差し置いてシングルスに入ったことに急に罪悪感が芽生えたかのように。

「調子の善し悪しは誰にでもある。早坂は小島と共にこのチームでは、エースとして頑張ってきてくれた。だが、ここ二試合は皆が見ての通りの結果だ。これ以上使い続けるのは早坂にも悪いと思い、今回は外させてもらった」

 吉田コーチは武達よりも早坂を諭すように話しかける。言葉は厳しいが、声には優しさが含まれているようだった。

「お前が苦しい時はチームの皆が支える。だから安心して今回は休んでいろ」

 その言葉を最後に、吉田コーチは全員を解散させる。次の日の行動は自由行動。部屋で休むか試合を見に行くかにしておくようにとは釘を刺す。ミーティングルームから出た武達は、自然と自分達の部屋へと戻っていった。


 * * *


「早坂。大丈夫かな?」
「こればっかりはな。俺達じゃどうにもならないさ」

 解散して各自の部屋に戻った後で、武は改めて吉田の部屋を訪れていた。自分の中に広がるモヤモヤを発散するには話すしかないと、部屋に戻って息をつく間もなく吉田の部屋の扉を叩いたのだ。来るのが分かっていたかのように冷静に扉を開け迎え入れた吉田に叶わないと感じつつ、椅子に座る。吉田はベッドに腰かけて武に向かっていた。

「早坂。体調が悪かったのはどうやら回復したみたいだからな。でも、初めての試合の規模に、スタード奪取の失敗。重なれば、立ち直るのはそう簡単じゃない」
「……そんなに違うもんかな」
「相沢。お前もだいぶ慣れてきたよなこういうの」

 武の言葉に吉田が破顔しつつ呟く。おかしそうに自分を見てくる吉田の視線に武は逆に、不服そうに頬を歪めて言い返す。

「どういうことだよ」
「気づかないのかよ。少し前のお前なら、絶対にテンぱってたさ。この状況に」

 吉田に言われて武は過去を振り返ってみる。自分が中学一年になってから、出た試合を振り返る。
 学年別大会にインターミドルの予選。ジュニア大会の全道大会。そして、この大会の全道予選。
 じっくりと時間をかけて思い返していくと、吉田が言いたいことが分かった。ため息交じりに武は言う。

「確かに。昔よりだいぶ慣れたかも」
「いつも挑戦者だったからな。でも、徐々に自信がついて」
「その自信に何となく浮かれ気味になって」
「そのたびに反省して。お前はほんと、真面目だよ」

 褒め言葉だと思った武だが、最もまじめだと思っている相手から真面目と言われると複雑な気持ちになる。そして、ふと武は考える。いつまで吉田とパートナーでいられるのかを。
 今大会が終われば各学校に戻って、中学三年として最後のバドミントンが始まる。そこではおそらくはダブルスパートナーを変えることなく、吉田と共に挑むことだろう。
 ならば、そのあとはどうなるか。小学生から中学になる頃は、市内の高校に通うだろうとぼんやりと考えていた。しかし、バドミントンでこれだけ上に進めたならば、高校はバドミントンで選ぶということも出てくる。武にはよく分からなかったが、スカウトがきてバドミントンなどスポーツに力を入れた高校に進学ということもあり得る話だ。

「なあ、香介……」
「ん?」

 急に呼び捨てになったことで何か重要な話かと吉田は身構える。だが、武は吉田の顔を見て言葉を失った。結論を聞くのが急に怖くなり、聞こうと思っていた言葉を飲み込む。代わりに出たのは、全く関係のない言葉。

「あ、有宮さんとは連絡取ってるのか?」
「なんでそんな話が出てくる? 今の話の流れで」

 吉田は心底理解できないという顔で武を見てくる。それはこっちの台詞だという自分自身への言葉を飲み込んで、武は理由を探した。だが、考えようとしても頭が混乱して何も出てこない。
 結局、武は素直に話した。

「すまん。言おうと思ってたことがあったんだけど言いたくなくなったから、別の話題振った。で、失敗した」

 そう言って頭を下げた武の耳に聞こえたのは、吉田の笑い声だった。ゆっくりと顔をあげると腹を抱えて目に涙を浮かべて笑っている。何がそこまでおかしかったのかと武は何も考えられずにただ吉田を見るだけだった。笑いの波が引いて落ち着いたところで吉田は言う。

「いやー。相沢はやっぱり真面目だよ。そういう、別に言う必要もない本当の理由言うところとか」
「そうか……?」
「そうだって。そんな真面目で、まっすぐだから。ここまでこれたんだよきっと」

 吉田の顔は笑っていたが、瞳は強く確固たる光が宿っていた。その強さが武をい抜き、落ち着かない気分にさせる。光に含まれていたのは武への尊敬のまなざしだった。自分がいつも吉田へと向けていた光を、自分へと向けられる。そのことに慣れておらず体がむず痒い。

「バドミントンに必要なのはなんだと思う?」

 急に振られた質問に武は腕を組んで考えてみる。
 いつも意識しているのは考えること。相手が何が得意で何が不得意か。劣勢をどう跳ね返すか。相手の隙はどこにあるか。無数にある道の中から一つを選び、更に枝分かれする道を進んでいく。政界への道は一つしかないわけではなく無数。手探りで細い糸を手繰り寄せるイメージだ。

「諦めずに考えること」

 自分が意識していることを言うと吉田は頷く。更に、ということなのか「それもある、が」と呟いて言葉を続けてきた。

「信じてラケットを振ることさ。パートナーとか、自分の練習量とかを」

 吉田が何を言いたいのか武は何となく理解した。武が歩んできた道。小学生の時に未勝利に終わったとしても、練習は続けてきた。そこに中学で走り込みを行うことで体力が付いて、一気に才能が開花した。初勝利から初優勝へ一気に駆け上った。
 大会が進むたびに弱気になることもあったが、吉田に支えられたと思っている。共に歩んできたパートナーを信じたからこそここまでこれた。

(なら、俺も吉田に信じられた、のかな。なら、嬉しいけど)

 流石に恥ずかしくて聞けなかったが、武は吉田の言葉に頷く。続けて吉田は「でも」と否定の言葉を続ける。次にくる言葉もまた、武の予想通り。

「早坂はたぶん、信じられなくなってるんだろうな。だから、あいつの背中を少しでも押せるやつが必要だ。それは俺達じゃない」

 吉田の言葉に寂しい気持ちを得ながらも武は同意する。今の早坂に必要なのは、近しい立場の人間だろう。
 武は天井を見上げてため息をついた。思い浮かんだ言葉は霧散して、頭の中にも残らずに消えていく。

 全国大会二日目の夜は、静かに過ぎていった。
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