Fly Up! 262

モドル | ススム | モクジ
 小島のスマッシュが相手のコートへと突き刺さる。真正面から強引に打ち抜いたシャトル。田中も眼前に来ていただけに反応できたはずだったが、その手がついに動くことはなかった。

「ポイント。フィフティーンラブ(15対0)。マッチウォンバイ、南北海道、小島」

 審判が得点を告げることで、男子シングルスの終わりが来る。小島は軽く息を切らせていたが、すぐに整えてネット前に歩み寄る。小島とは異なり、田中は両膝に手を置いて俯いたまましばらくは動くことが出来なかった。圧倒的な力の差を前に最後まで心は折れなかったが、折れないだけでは小島には対抗できなかった事実。次々と打開策を潰されていく光景に対して悲鳴に近いものさえ上がり、勝っているはずの武達でさえも鬼気迫るものを感じてあまり大きく応援ができなかったほどだ。

「ありがとうございました」

 よろけながら前に出てきた田中と小島は淡々と挨拶をして握手をしてから武達の元へと戻ってくる。体中に張り巡らされていたピリピリとした空気が、コートを出たところで霧散していくのが武には感じられた。同時に表情も柔らかくなり、手が届く位置に来た時には笑顔が浮かんでいた。

「まずは一勝!」

 小島がそう言って右手を上げたところに、まずは吉田が自分の右手を叩きつける。乾いた音が響いたと同時に小島が進みだし、順番に手を叩いて行く。

「っし。順調な滑り出しだったろ?」

 小島の笑みに全員が顔をほころばせて頷く。武もまた同じように笑っていたが、小島が強引に空気を変えようとしているのは分かった。武だけではなく誰もが分かっていたからこそ、小島の試みに乗ったのだろう。小島が気合を体中にみなぎらせてプレイをするのはけして悪いことではない。鬼気迫る様子に全員が飲まれただけで、よいスタートなのも変わらない。
 それでも、声をかけづらかったのは確かで、小島も自分が前に気合を出し過ぎたことを理解したのだろう。自分から声をかけやすいような空気に染め上げていた。そうやって場の空気を読むというのは、今までの小島とどこか違うように武には思える。

(チームになってるんだろうな、俺達も)

 今、過ごしている一週間が終われば、南北海道代表のこのチームは解散してそれぞれの中学へと戻る。この大会のためだけに構成されたドリームチームの中で小島はエースとして空気を作ろうとしているのかもしれない。

「それでは第二試合を始めます」
「よし、早坂ー。次に続けよ!」

 武が考えている間に小島が言い、ちょうど審判が次の試合の開始を告げる。ラケットを持って前に出た早坂は武達の方を向いて軽く微笑んで手を振る。見る者を安心させるような笑み。
 しかし、武は心に不安が広がっていった。
 コートに向かう早坂。その背中がいつもよりも小さく見える。女子にしては高い身長の早坂はたいていの女子よりは背が高い。市内で彼女より背が高いのは瀬名くらいだ。だが、それ以上に早坂は大きく見えていた。
 彼女の体から発せられる自信。気迫。名前はいくつか言えるだろうが、試合に臨む時に生まれるオーラのようなものだ。
 しかし、今の早坂からは何も感じない。ただ、コートに立ち、握手をしてサーブ権を取る。一連の動作も機械的に行っただけで意思が感じられない。ここまで早坂が試合を始めるという時に不安に思ったことは武にはなかった。
 ふと視線を移すと、吉田や小島。更には瀬名や姫川も表情が暗い。その顔色を見て藤田や清水、安西と岩代が何かおかしなことが起こっていると悟る。

「イレブンポイントスリーゲームマッチ、ラブオールプレイ(0対0)」
『お願いします』

 相手と同時に口にする早坂だったが、その声は相手にかき消される寸前だった。シャトルを構えてロングサーブを放つ。それからコート中央に腰を落とした早坂だったが、相手が放ったスマッシュがストレートにシングルスライン上に落ちたことで一瞬でサービスオーバーとなってしまった。

「ナイッショー! あい!」

 静岡側から明るい声援がコートに届き、かけられた本人は笑みを浮かべる。早坂は浮かない顔でシャトルを返し、レシーブ位置についた。
 武はプログラムから相手の選手が誰なのかを確かめる。静岡代表の団体のメンバーを眺めて、先ほど呼ばれた名前を見つける。
 藤原青依。その名前は武も見覚えがあった。吉田から読ませてもらったバドミントンマガジンの全国大会のトーナメント表に名前が載っていたと思いだす。少し変わった名前だけに目についたのだ。最終的な成績は忘れたが、全国に出てくるシングルスプレイヤーである以上、単純に考えれば全国に行けなかった早坂よりも格上ということになる。

(でも、早坂は君長に勝てたんだ。普段のプレイをすれば問題ないはず)

 武の考えは正しい。ジュニア大会の時は組み合わせの妙があったことは事実。更に、今回の全道予選で苦戦しつつも君長凛を倒したということは、現時点で全国最強に最も近い存在に早坂は成長しているはずだった。
 だが、あくまで「普段のプレイができれば」ということになる。

「はっ!」

 藤原が放ったスマッシュをラケットで受け止めてふわりとした軌道を描かせる。力をコントロールしてネット前に落とそうとした早坂だったが、シャトルは飛距離が足りずにネットにぶつかって落ちていた。

「ポイント。ワンラブ(1対0)」

 普段の早坂ならばまずミスしないようなプレイ。だが、まだ第一試合の序盤。調子が上がらないということはある。
 中学になって全道大会というより大きな場所での試合も増えてきた早坂でも、全国は初めてであり緊張から調子が出ないことはあるだろう。今回はあくまでそれが原因で、試合をしていればいつかは普段通りの早坂が見られるはずだという望みを抱く。
 だが、武達の期待を余所に、早坂は徐々に点を取られていく。一本一本のラリーは長くなってきたが、最後にスマッシュを決められて得点をされるというパターンは変わらない。普段の動きを見ていれば、早坂がコートを動く速度は明らかに遅い。遅いというよりも柔らかな体を利用した長いストライドが見えない。素早いというよりも滑らかな動きをが再現されずに固い体で移動しようとするためにシャトルが取れず、また上手くラケットに上げられずにチャンス球を相手に与えてしまう。

「ポイント。エイトラブ(8対0)」

 あっという間に8点を取られ、相手のほうが呆気に取られている。伝わっているかは分からないが、南北海道ということでチャンピオンである君長凛が出てくることを予想していた県は多かったはずだ。その代わりに出てきた武達で、その女子シングルスは自分から目に見えるミスはしないが相手に追い込まれていく。きっと、君長には負けて他の選手が勝ったのだと思われているかもしれないと思い、武はむず痒くなる。高らかに吼えて、早坂が本当に強いのだと主張したい衝動に駆られていた。

(くっそ……早坂は本当は強いのに。どうしちゃったんだよ、早坂)

 武は内から来る衝動に従って立ちあがると口に手を当てて思いきり叫ぶ。自分の力を声に乗せて早坂へと運ぶように。

「ストップー! 早坂!」
「そうだ! まずはサーブ権奪い返せ!」
「一つずつ行こう!」

 武の声をきっかけにして小島や吉田達が全員一丸となって声援を送る。自分に乗せて声をかける皆を見て、こうした光景は君長との試合の時にしかなかったと武は思い返す。それ以外は本当に危なげない試合をこなしてきたのだ。それだけ、早坂は全員に不動のエースとして信頼されてきたのだろうと思う。

(早坂は本当に凄いんだ……でも、その期待に応えなければいけないのは、どれだけ辛いんだろう)

 皆の声に押されるように放ったスマッシュを藤原がミスをして高く上げてしまう。落下点に飛び込むように移動した早坂は前方にジャンプしつつスマッシュを放った。助走をつけたジャンピングスマッシュを打つことで早坂は前のめりに倒れそうになり、シャトルは藤原の体にぶつかっていた。

「サービスオーバー。ラブエイト(0対8)」
「ナイスショット!」

 瀬名がガッツポーズと共に高い声で叫んだ。自分が込める力に拳が震えているのを見ると、瀬名が自分のことのように早坂のプレイを見て、喜んでいるのだと分かった。
 藤原がシャトルを返し、早坂はそれを左手で受け取る。普段ならラケットを使って受け取っているのを見ているのに、手を使っているのはやはりラケットワークに不安があるからか。早坂は苦しみながらなお懸命に勝利を掴むために試合に臨んでいる。

「一本!」

 高らかに叫んでサーブを放つ。だが、シャトルは飛距離が伸びずにコート中央付近ですでに落ちて行った。藤原は構えて遠慮することなくスマッシュを打ち込む。ストレートに、早坂の胸部を貫かんとするような威力で。

「はっ!」

 しかし、早坂は軌道を読んでいたのか構えていたラケットを前に出してカウンターとなるようにシャトルを打ち返す。シャトルは打ち込まれたスマッシュの威力そのままにロブとして上がり、鋭く藤原の頭上を抜けていく。中途半端にサーブを上げたのはわざとで、藤原にスマッシュを打たせるため。彼女が気づいた時にはもうラケットを振る空間もない。窮屈な体勢で強引にシャトルを打った藤原はバランスを立て直すのに精一杯で早坂のヘアピンに対応できなかった。

「ポイント。ワンエイト(1対8)」

 早坂は左手で拳を作り、うつむき加減に引き寄せる。武はついに反撃開始かと考えるが、隣の吉田が深くため息をつきながら呟く。

「早坂……駄目かもしれないな」
「え? なんでだ?」

 早坂に声援を送っている他の面々に聞かれないように武は尋ねる。吉田はどう言おうか迷うように視線を彷徨わせたが、自分が思った事実をそのまま伝えた方がいいという結論になったのか前置きを挟みつつ呟く。

「あくまで俺の意見だからな。早坂のあのロングサーブ、どう思った?」
「どうって……失敗したかなって思った」

 サーブ権を取り返した後のサーブ。それにしてはやけに飛距離も短く、相手のチャンス球となった。だが、その後の展開から武はそれが早坂の作戦であり、藤原は誘い込まれたのだと思った。

「お前も早坂が失敗したのは実は作戦だったって思いこんでただろ。でも、多分、あれは狙ってやったわけじゃないんだ」
「……失敗したサーブがたまたまうまくいったってことか?」
「そうだよ」

 吉田の視線に目を向けると、早坂がロングサーブを放ってコート中央に腰をおろしている場面だ。早坂のサーブはまたしても飛距離が足りない。右サイドへとストレートにスマッシュを落とすのが得意に見える藤原には絶好のシャトル。

「はあああっ!」

 息を吸って打つ瞬間に絶叫に近い声を出しながら藤原はシャトルを打った。気合を乗せて力が増すのか、シャトルは一段と速く早坂の傍へと飛んでくる。焦って打ち返したが、今度はネット前に藤原が詰めてプッシュを決められてしまった。

「サービスオーバー。エイトワン(8対1)」

 撃ち込まれたシャトルを拾い、ボロボロになった羽を整えてからシャトルを返す早坂。先ほどの追い上げムードから一転。またしても追い詰められた早坂に姫川と瀬名が中心になって声援を送るも、藤原が勝負をかけて更に9点目を取られてしまう。

「ラストツー!」

 十一点を取れば第一ゲームは取れる。静岡側にとってはこのまま勢いでこのゲームを奪うことは是が非でも必要だろう。小島によって男子シングルスは惜敗したことで、早坂と藤原の試合開始当初は応援をする意気もどこか消沈していた。しかし、早坂の調子が上がらず藤原のスマッシュやドロップに良いようにされているのを見ると、笑顔と共に自信も戻っていく。小島が折りかけた心を、藤原が立て直していく。本来ならば早坂によって更に力の差を見せられると思っていたのに。

(くそ……どうしようもないのか?)

 そこまで考えて武は気づく。今まで早坂は強く、負けることなどほとんどなかった。負けるとしても全国レベルの最高峰と試合をしたからであり、仕方がないといえば通じるところはある。それだけ彼女を信頼していたのだ。
 だからこそ、こうして完膚なきまでに負けそうになっている早坂に対してかける言葉が思いつかないのだ。

(頑張れとかしか言えないなんて……)

 武が動揺している間に更にスマッシュが叩き込まれ、遂に第一ゲーム最後の時がやってくる。早坂は「ストップ」とか細い声で言う。そこに上乗せするかのように姫川と瀬名が声を出し、小島達が続く。だが、武は声を出すことができない。

「ラスト一本!」

 藤原が溢れ出る自信と共にシャトルを打ち上げる。早坂は真下に移動すると、左手を掲げてからラケットを振り切り、スマッシュを打ち込んだ。しかし角度が足りずにドライブ気味になったまため、藤原が軌道上にラケットを置き、ゆっくりとシャトルを前に落とした。今度はそのプレイを読んでいた早坂が打った瞬間に前に出てロブを上げたが、次の瞬間、自分の胸元へと弾き返されていた。

「ら、ラッキー!」

 藤原が咄嗟に掲げたラケットに早坂の上げたシャトルが当たって跳ね返っていた。呆然と落ちたシャトルを見ていた早坂だったが、すぐに拾い上げて羽を整えてからサーブ位置に置き、自分は反対側のエンドに向かう。ラケットバッグを持って移動する早坂に、武達は声をかけられない。唯一、小島だけが逃げるように離れていこうとする早坂に言う。

「次に挽回しろよ」
「……うん」

 小島の方を向かないまま早坂は答えて、コートへと入って行った。その先には勝利の光は何も見えなかった。


 その日、早坂は惨敗した。おそらくは、初めて体験すること。
 南北海道に刻まれた一敗は、あまりにも予想外であり、仲間達に動揺が広がっていったのだった。
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