Fly Up! 260

モドル | ススム | モクジ
 有宮小夜子は結んだ髪を解き、汗をタオルで拭きながら武達の傍に近づいてくる。正確には吉田へ、だろう。ここにいる仲間のうち、有宮を直接知っているのは吉田と早坂。そして武。他は知らないか、バドミントンマガジンに載っているのを見たくらいだろう。
 雑誌で読んでいる側の筆頭である小島がようやく気づいたのか小さく呟いた。

「有宮、小夜子だ」
「ん? 私を知ってるの?」

 有宮は足を止めて小島のほうを振り向く。小島は初対面にも拘らず警戒心がない彼女に面を食らいつつ、一度咳をして立て直してから改めて言う。

「そりゃ、有名だろ。ジュニア全国大会女子シングルス二位で、バドミントンマガジンでもインタビュー載ってたしな。おまけに美人だ」
「凛の二番手だったけどね。美人度は私のほうが上だと思うけどね」

 苦笑しつつも自信を持って言葉を返してから吉田のほうへと振り向き、その場にいる全員に聞こえるように言った。

「そんなわけで、どうも。有宮小夜子です。こーちゃん。無事に付けてよかったね」

 言葉の先にいる吉田にみんなの視線が集中する。武にはそれが有宮の言った『こーちゃん』という単語によるものだと気づいていた。吉田ならば言わずもがな。恥ずかしさに顔を真っ赤にして有宮へと諭すように告げる。

「昔の呼び方は止めろって。小学校四年生までだろ」
「そうだよ〜。だから私にとってはこーちゃんなんだから」
「……」

 吉田は言うのは無駄だと思ったのか、歩きだす。早足でみんなから離れるように進む吉田の背中から視線を外して、武は自分から有宮に近づいて尋ねる。

「で、なんでわざわざ話しかけてきたんだ」
「久々に幼馴染に会えたんだもの。会いたくなるのが女の子じゃない? あとはまあ、早坂さんに挨拶をって思ったんだよね」

 武の体の避けて視線の先にいる早坂を見る。しかし、一瞥したところで有宮は顔をしかめた。しかめた瞬間を武は視界に収めている。早坂の具合が悪いというのは姫川も言っていたが、有宮も何か気付いたのか。尋ねようとしたがタイミングよく体を引かれて逃す。

「でも、今は止めとくね。試合で会えたら会いましょ、相沢君に小島君」

 いきなり自分達の名前を呼ばれてはっとする武と小島。武だけならまだしも、小島の名前までどうして知っているのかと呆気にとられる。更に有宮は安西と岩代。瀬名、姫川、清水、藤田と全員の名前を口にしてにこりと笑顔を作った。その顔は何も知らなければ可愛さに男子を引き寄せるように思える。
 だが、その笑顔の裏にあるのは、武達を高い場所から見下ろす絶対なる自信。

「そりゃ分かるよ。あなた達はもう全国区なんだよ? 君長凛率いる函館を破ったダークホース。よくよくメンバーを見れば、全道で橘兄弟を破ったダブルスとか、全国チャンピオンの淺川亮となかなかいい試合をしたシングルスとかいるんだから。研究して当然。しまいには、君長凛を倒して、現時点女子シングルス最強の早坂由紀子がいるし。私達、東東京と当たる時は楽しみにしててね」

 有宮は笑顔で手を振りながら歩き出す。同時に、吉田が向かった方向から逆に集団が歩いてくる。全員が同じ白地に青いラインが入ったジャージを着て、武達を押し分けるようにして有宮へと追いつき、そのままフロアから出て行った。

「なんか、凄く勢いよくきて、去ってったな」

 武に話しかけてきたのは安西。有宮が去った後の扉をじっと見つめている。武にはその視線に何か特殊な思いが込められているように見えた。あまり楽しくはなさそうな感情が。初対面であるはずなのにそこまで有宮に強い感情を抱くのはなぜなのか。

「なあ、なんでそんな怒ってるんだ?」
「……怒ってるように見えるか?」

 武が言うことは予想がついていたという顔で安西が視線を戻す。ちょうど先に行った吉田に追いつくために進みだした集団の後ろのほうを歩きながら安西は小さな声で呟く。

「俺らさ、全道で橘兄弟に当たっただろ」

 武の脳裏にも思い浮かぶ。今年に入ってすぐのジュニア全道大会。けして遠い過去ではなく、まだ二か月くらいしか経っていないのだ。同規模の大会があったからとはいえ、不思議なくらいに過去に感じる。

「有宮も、あいつらも。早坂とかお前とか、小島には反応するんだけど俺達には無反応なんだよな。それが、ちょっと腹立つ。もちろん、相手にじゃなくて、自分だけどな」

 武は過去と今を脳裏に浮かべてみる。橘兄弟も有宮も、確かに自分が気に入った相手しか眼中にないようだった。最初に武がそれを感じたのは二年の中体連の全地区大会の時に金田と笠井のペアに対して最初は堂々と下手とけなしていた橘兄弟を見た時だ。次に対戦した時には対応を改めて謝罪もし、吉田と武に自分達を楽しませるように言うほどになった。
 有宮も今回は吉田や武。小島には話していたが、他のメンバーには名前を呼んだだけ。分析しているというが、そこにはほとんど感情が見えない。まるで書類に書かれた文字を見ながら話しているかのように。

「自然と、そんな感じになる法則でもあるのかな」
「さあな。ただ、俺らがそれだけ弱いからってことだ。絶対この大会の間に少しでも強くなってやる」

 安西は新たに気合いを燃やしている。武も隣で同じ気持ちだった。
 初めての大会。初めての、他校のライバルと挑む団体戦。
 今は一緒だが、一週間ほど一緒に過ごしたらまた他校のライバルとしてお互いの目の前に立ちふさがるのだ。そこまでに更に強くなっておかなければと思う。

(もうすぐ三年だもんな)

 三月の最終週。すでに少し前に終業式も終わり、一般生徒は春休みに入っている。その中で武達は全国大会へと出場するために東京に来ている。この場所に立っていること自体、奇跡的なこと。

(いや、奇跡じゃないか)

 奇跡という言葉を思いなおす。自分達がこの場にいるのは自分達の努力の結果。むしろ軌跡だ。ならば、この場所も通過点。武が歩いて行く軌跡の途中。

「安西。頑張ろう」
「ん? わざわざ言わないでも当たり前だ」

 隣で大声を上げて気合を入れる安西にどうしたと振り向いてくるのは藤田と清水。安西の様子を見てくすくすと笑いながら前に視線を戻したのを見て、安西はため息をついた。

「とにかく頑張ろう」

 そこで会話を終えて、武達はフロアを下見して回った。


 * * *


 暗い部屋の中に振動が響き、武はまどろみの中から目覚めた。目を開けると暗い中にうっすらと机やテレビの形が見えるが、振動がどこから聞こえているのか探すのに寝ぼけた頭を振りながら探す。自分がうつぶせで倒れていたベッドの横に落ちていた携帯を拾いあげると、吉田から電話がかかっていた。全道の時とは違って一人ひとつの個室を取ってもらったため、吉田は武の隣の部屋にいるはずだったが、わざわざ電話をかけてきたのは一体どういうことなのか。
 気にしつつもひとまず武は電話を取る。

「もしもし」
『お、ようやく起きたか』

 電話口から聞こえてきた吉田の声は少し疲れている。更に後ろには聞き覚えのある女子の声が吉田を越えてきていた。あからさまにため息をついたあとに困った声音で吉田は言う。

「すまんが、助けてくれ。俺一人じゃこの二人は抑えられない」
「分かった」

 本当はあまり分かっていないが、武は電話を切って鍵を持つと部屋から出ようとした。オートロックのため中に鍵を忘れてしまえばフロントまで助けを求めに行かねばならない。だが、出る前に一度電気をつけて明るくしてから携帯電話と鍵、そして自分の服装が中学指定の青いジャージ上下だと確認する。外に出る準備ができたところで再度電気を消して武は部屋から出て隣の扉を叩く。

「おーい、きたぞー」
「おー! こいこい! 相沢君!」

 予想通りの声に武はどう反応したものかと思いながら扉が開けられるのを待つ。足音が聞こえてきて傍で止まってから扉が開き、見えたのは予想から少し外れた顔。

「清水も来てたんだ」
「私もっていうか、女子四人来てるよ」

 扉を更に開いて中を見えるようにすると、ベッドの上に乗った吉田と瀬名、姫川、藤田が四人でトランプに興じていた。パッと見て何をしているか分からなかったが、手札の枚数がバラバラで場に何枚も無造作に積み上げられている札もあることから、大富豪か何かと武は推測した。
 それよりも、武はこの場面の展開がいまいち読めていない。男一人の部屋に女子が四人押し寄せるというシチュエーションはちょっと考えると羨ましいが、実際に経験してみると緊張することこの上なかった。

(いったいなんの罰ゲームされてるんだろ)

 罰ゲーム以外考えられないと扉を閉めてから硬直していた武に、清水は苦笑してから言った。

「女子としては、有宮って子のことが気になってるのよ」
「だからって吉田の部屋に押し寄せるとか。いつの間にそんなに親しくなったんだ?」
「これからなろうって、ひめか……えいみがね」
「無理して名前呼ばなくても」

 清水が慌てて言い直しているのを見て言う武に、手に持ったトランプを場に出したところで姫川が割って入った。

「駄目だよ、相沢君。こういう時にこそ、仲間の結束が必要なんだから! 私の勝ち!」

 姫川は他三人に勝ち誇り、一抜けする。結束が大事と言っておきながら他三人を打倒して自分の傍にやってくる姫川に武は何か言おうとしたが、言葉は出なかった。特に意味がないと思いなおしたからだが、もう一つ気になることがあり、そちらを聞く方が優先順位が高かった。

「なあ、早坂は一緒じゃないのか?」

 武の言葉に姫川は「やっぱり」と小さく呟く。自分の言うことが読まれていたということなのか分からないが、釈然としないものを感じて武はもう一度口を開こうとする。だが、姫川の方が早く武の耳に声が届いた。

「ゆっきーは疲れて寝てるよ。飛行機から降りてから調子悪いのがまだ治らなくてね」

 脳裏に残る早坂の顔は姫川の言葉の裏付けになっている。体育館の下見に歩いていた時、武は時間が経つとともに体力も気分も回復してきたが、反比例するかのように早坂は体調を崩していっているように見えた。フロアを歩いていた時もいつの間にか武達が歩いていた後方まで下がり、最後には壁に寄り掛かって皆を先に行かせたほどだ。結局、武達が戻ってくるまでその場から動かず、一緒に戻ったのだが。
 武は話す余裕はなかったが、女子が周りに集まって話しかけていた会話の断片を聞く限り、前日からほとんど寝られておらず、寝不足がたたっているとのことだった。重度な病気という訳ではないことに武はほっと胸をなでおろすが、明日の試合開始までに体力が戻るのか自分のことのように不安になった。

「でも、大丈夫だよ。ゆっきーなら。強いもの」
「ん、そうだな」

 姫川の言葉に違和感を覚えながら返答する自分に驚く。いったい何に違和感を持ったのか。考える前に姫川に腕を引かれて部屋の奥へと入り、吉田の隣に座らせられる。もともと一人部屋に、五人いた時点で息苦しかったために、六人目が入ると空気が薄くなったように武には思えた。今まで部屋にいて、更に奥に押し込まれていた男には顕著だったらしく、露骨に不快そうな顔をする。

「やっぱり六人は辛い」
「って、吉田が呼んだんじゃないか」
「私が頼んで呼んでもらったんだよ」

 一番遠い場所――もう椅子もないため床に直に座った姫川が武に向けて笑いかける。その笑みが何故かとても邪悪なように思えて鳥肌が立った。実際に次に放たれた言葉は邪悪ではなかったが危険な言葉。

「ぶっちゃけ、相沢君はゆっきーのことどう思ってるんですか?」
「……は?」

 姫川の言葉が引き金のように、武に集まる女子四人の視線。武は助けを求めるように吉田の方を見たがあっさりと首を振られて突っぱねられた。
 自分がまるで拷問にでもかけられているような気分になって、体を委縮させる。武の様子に気づいているのかいないのか、まずは清水と藤田が言った。

「前々から思ってたんだけど。早さんと相沢って怪しいよね」
「試合の時もやけに応援に気合入ってるし」

 仲間なんだから応援にも熱が入るだろう、という正攻法の主張をしようものなら、一気に火を吹いて武を丸こげにしそうだと思い、口を紡ぐ。更に続けたのは瀬名と姫川だ。

「あと、ゆっきーが相沢君を見る時の眼が、なんか乙女なんだよね」
「乙女かは分からないけど、イメージ違うっていうか柔らかい感じだよね」

 四人が各々の感想を言い合う。普段どんなイメージで早坂を見ているか。その早坂がどう変わるのかというのを述べていく。自分の存在はいらないのではないかと思うほどに武をおいてけぼりだ。実際に、武はあくまでも起点であり、自分達がしたい話をするための装置なのだろう。

(若葉もそういえば、こんなところあるよな。愚痴言いたいだけとか、俺に話しかけて結論出して終わりとか)

 双子の妹を思い出すと目の前の四人の行動もそこまで奇抜なものではない。この時期にどうして話しているのかはまだ分からないが、武は嵐が過ぎ去るのをじっくりと待つ。そこで吉田がジト目で見てきていることに気づく。

「どした?」
「いや。お前って改めて凄いなって思った」
「何が――」
「そこ! 何、話してるの!」

 女性四人の姦しい場の空気が一斉に武へと吹きつける。ボディアタックを狙って来るシャトルを交わすように体をひねりつつ、姫川に向けて言い返す。

「いや、別に大したことは」
「大したことないよりも、ゆっきーをどう思ってるのか白状してもらいましょうか」

 四人がそれまでの騒々しさを一気にひそめて武を見つめる。一人一人の瞳を見ていくと、武の回答に対する期待があった。まるてテストを受けているようだ。授業で習う国語数学理科社会英語よりも難しい。美術のように、教師の感性に会う絵を描くことが目的になるかのように。

(なんて言ったら満足してもらえるんだろ)

 頭を一度回転させるも大した案は思いつかず、武はため息交じりに言った。

「尊敬してるよ。早坂は、俺の憧れだった」

 力強い武の言葉。静まり返った部屋に響いた声に、全員が黙り込む。隣にいた吉田さえも。

「……今は?」

 尋ねた瀬名の顔から順番に四人の顔を見る。ゆっくりと視線が巡っていき、四人が四人とも一瞬後ろに身を引く。武の強い瞳の光に反応したのかもしれない。息を吸って、吐く。
 自分の中にある素直な気持ちをそのまま発する。それが、武が考えた作戦だった。

「部活の大切な仲間さ」

 向こうがどう思ってるかは分からないが、と心の中でつけ足す。自分がどう思ってるかを聞かれたのだから間違ってはいないはずだ。答えたのだから何かそれに対する言葉が返ってくるかと思って身構えたが、武が言いきった後で女子四人は頬を赤らめて立ち上がる。呆気にとられる武を置いてけぼりにして、姫川が「今日はもう寝るねー」と言ってそそくさと部屋から出て行った。
 残るのは部屋の主の吉田と、武のみ。

「いったい何だったんだ?」

 問いかけると、吉田は肩をすくめて言う。

「さあな。でも、お前がミックスダブルスで勝てる理由が分かった気がするよ」
「は?」
「いいからいいから。俺らも、もう休もうぜ。明日から一週間、気を抜かずに行くぞ」

 吉田に促されて武も立ち上がり、部屋から出るために扉まで近づく。開ける前に一度止まって、吉田の方を見てから静かに言った。

「明日からは、絶対に全部勝とう」
「そうだな。目指すは優勝だ」
「おう!」

 気合いを十分に武は扉を開いて吉田の部屋から出る。体の奥から湧き上がる思いをなだめながら自分の部屋に戻るため、歩きだした。

 全国大会の幕が、遂に開く。
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