Fly Up! 259

モドル | ススム | モクジ
 急激に前から押し寄せてくる力に負けないように武は体をこわばらせた。今まで経験したことがない力。体が心の底から震えるような感覚に陥り、それでも負けないように歯を食いしばる。やがてひときわ大きな衝撃が襲ったあとで、徐々に和らいでいった。自分は負けなかった。むしろ勝った、と拳を固めて小さくガッツポーズをする。

「さっきまで怖がってたけど。落ち着いたか?」

 隣に座っていた吉田にそう言われて武は慌てて反応する。できるだけ焦りを出さないように、最初から冷静だったということを示す。

「な、何言ってるんだよ。だ、大丈夫に」
「全然隠せてないよ。ま、俺も小学校二年くらいに一回乗ったっきりだから、緊張はしたけどな」
「……そうだよな」

 吉田なりに気を使ってくれたのかと武は感謝しつつ、ほっと胸をなでおろす。
 武達が乗った飛行機は問題なく空港へと着いていた。北海道の空港から飛び立って一時間半程度。離陸時と着陸時以外は揺れることもほとんどなく快適な空の旅を持って、武達は関東へとやってきた。最も、武は通路側であり外の景色を見ることはできなかった。見れる余裕があったとも言い難いが。

「とにかく。明日から全国大会ってことだな」
「うん。頑張るか」

 飛行機のアナウンスが無事に空港についたこと。もう少し移動した後でシートベルトを外すこと。まだ携帯電話等の電子機器の電源を入れないようにと矢継ぎ早に告げてくる。既にシートベルトを外そうとしていた武は慌てて手を離す。
 飛行機はやがて空港の建物の傍までやってくると動きを止めた。更にシートベルト着用ランプが消える。同時に機内が騒がしくなり、シートベルトを外した他の客達が上部の荷物入れに入れてある自分の手に持つを取り出し始めた。
 武や吉田はラケットバッグのみ持ち込んで他の着替えなどは貨物として預けていた。

「やっぱり地上が一番だよ。空は恐い」

 素直に飛行機での旅の怖さを表現する武に吉田は苦笑しながら返した。

「帰りも飛行機だからな」

 うんざりしつつ、武は上部から吉田の荷物も取り出して渡しておく。人が動き始めたことで、通路側にいた武は後ろからの客に押されて吉田と離れていった。

「出たところでまってろよー」
「分かった」

 人波に逆らわずにラケットバッグを上手く持って機内を進んだ武は、入口から出て空港内へと向かう。宙空に浮かぶ回廊を抜けて、空港内に入ったところで少し広めのスペースがあったため、そこに陣取って吉田が出てくるを待った。
 人の波を眺めながら、外の景色にも視線を向ける。
 飛行機がいくつもあり、遠くを見ればちょうど飛び去っていくところも見える。外から見れば大きな鉄の箱が、一見遅めの速度で空へと飛び立っていくのは不思議な気分にさせた。
 空港内を見ていると、これからどこかへと旅立つのか居並ぶ椅子に座る人の群れ。一つの個所にいる人口密度の高さに武は眩暈に襲われた。

「お待たせって大丈夫か?」
「ん……ああ。すまん」

 やってきた吉田に心配されても武は何でもない、と手を振って話題を終わらせる。心配無用というところを見せるために率先して歩きだした。
 すぐに吉田に追い抜かれてしまって背中を見る羽目になったが、武には再度抜き返す力はなかった。虚勢を張っているが、再度尋ねられたら今日は疲れたとしか言いようがない。荷物を回収後はホテルに向かい、軽く次の日以降のミーティングを済ませた後は休息にあてるように時間が取られている。武は無理せずに休む気満々だった。

(吉田もよくあんな怖いのに緊張した、とか平然と言ってるよな……本当は怖がってるんだろうか。気になる)

 吉田も本当は怖がっているのではないかと邪推するが、確かめる手段もない。吉田に先導されるように荷物を受け取る場所へと向かうが、その途中で気になることを質問する。

「なあ、他の皆を待ってもいいんじゃないのか」
「出口で待ってれば合流するだろ。飛行機乗る前に父さんが皆に言ってたろ」
「ごめん。たぶん、怖くて聞けてなかった」

 呆れてため息をつく吉田に何も反論できず、無言のままついていく武。やがて荷物受取所まで進み、ベルトコンベアの上を流れていく荷物の中から自分の荷物が入ったキャリアケースを持って引きずり落とす。床に落として一息ついたあとに縦に置いて、車輪を下側にした。

「じゃあ、邪魔になるから出てようか」

 吉田の言葉に頷いて、係員がいるところを通る。特にひっかかることもなくゲートの外に出たところに座る場所があり、武は遠慮なく腰を落とした。吉田も向かいの空いている椅子に腰をおろして、他の仲間達がやってくるのを待つ。
 ぼーっと人の流れを見ていると、見覚えのある顔がちらほらと見え始めた。
 早坂や姫川、瀬名。安西と岩代。少し遅れて藤田と清水。小島と、吉田コーチと庄司。全部で十人。
 庄司は大人の手をもう一人借りたいという吉田コーチの依頼で引率に加わっていた。学校の部活の関連で全国大会であるため、各学校の顧問が誰もいないという状況を避けたかったことと、吉田コーチが監督業に集中できるように武達のほぼ一週間の滞在時の生活面の面倒を見るためという理由がある。Bチームの監督も務めたということで実績も十分と、今回も問題なく送り出されたのだった。

「武。そろそろだらけるのも終わりにしろよ」
「うーん。今日はもうだらけたままにしたいんだけど」
「それはホテル戻ってからにしろよ。先に試合会場下見に行くんだから」
「え?」

 武にとっては青天の霹靂だった。全く考えていなかった単語が吉田の口から出たことで、武はだらけた状態から回復して吉田の方を向く。何故そんな慌てて振り向かれたのかと吉田は理解できていない。武はどういうことか説明してもらおうと口を開きかけるが、吉田の方が早かった。

「今日のスケジュール。今から練習会場に行って明日以降のスケジュールとか組み合わせ書かれたプログラムをもらうんだよ。その間に俺達はフロアに降りてどんな場所かとか、確認するんだって。言われたろ?」

 先ほど答えた時と同じように、飛行機への怖さに聞く余裕がなかったと答えて、吉田に呆れられる。最初から空回りしてるなと観念して項垂れていると、残りの十人が吉田と武の周りに集まった。

「お待たせ。ん、相沢。どうした? 酔ったのか?」
「酔ってはいませんが、疲れました」

 心配そうに話しかけてくる庄司に武は素直に告げる。飛行機から解放された後で座っていたことで多少回復していたが、動き回るには体力に不安が残る。庄司はしょうがない、と呟いて武のキャリアケースを持った。

「ラケットバッグだけなら何とか持てるな? すまんが、移動する経路が決まっているから行先は試合会場になる。バスの中で休んでてもいいぞ」
「移動までの間にもう少し何とかなると思います」

 武は弱々しく言って立ち上がる。いつまでも自分のせいで止まるわけにもいかない。明日からの試合に向けて、体調管理から勝負は始まっているのだから。

(普通に歩くのは問題ないし。徐々に回復するだろ。さっき言われたけど、ようは乗り物酔いみたいなもんだろうし)

 武は庄司にキャリアケースを預けて、ラケットバッグを背負い直した。小島達が無理するなよと声をかけてくる中で、武は早坂の方に視線を向けた。早坂は平然としていたが、歩く姿に武の中で違和感が湧く。

(なんだ? いつもの早坂と……違う……?)

 いつもと何が違うのか分からないが、確かに相違があるように感じる。前日の軽めの練習の後は調子が悪いような様子はなかった。いつものようにシングルスで姫川や瀬名を倒し、ミックスダブルスでも自分と共に小島と姫川を倒した。結局、ある程度決まった組み合わせで行った合同練習では、武も早坂も無敗のまま終わった。あとは体調に気を付けていけば全国でもいい勝負ができると確信できていた。
 しかし、今は心に不安が過る。

(考えすぎだといいんだけどな)

 武はゆっくりと進んでいく列の後ろについて前方を眺めながら歩いて行った。


 * * *


 バスに乗って移動している間には幾分、体力は回復していた。北海道と異なり高いビル群と、迫った建物の間。狭い土地に対しての人口密度が桁違いのため、狭いスペースをうまく使おうとして高くなったのだと庄司が説明する。納得しつつ外を眺めて車や人の流れを見ていた武は、少し先に見える大きな体育館を見つけた。

「あんな大きなところでやるんだ」

 武達がよく使っているスポーツセンターや総合体育館よりも面積が大きい。脳内でどれくらいの大きさかを想像していると、近くにいた庄司が答えた。

「バスケットコートが三つは入るな。あとは格技場など他のスポーツに使うスペースが多数。チーム数が県の数だけあるのには、あそこでコートを作れる数でも足りないだろうな」
「……改めて凄い大会に挑むんですね、俺ら」
「第一回大会だからな。お前達が最初の経験者になる」

 庄司の言葉に、武は口の中に滲み出てくる唾を飲み込んだ。
 前人未到の領域。そもそも、今年初めてできたのだから進もうとする人さえ存在しなかった、第一回大会だ。無論、他の全国大会と違うものがあるかというとそうでもないだろうが、形式や時期が異なるだけでもまた一つの要素になる。
 自分達がそうしたイベントを体験することになると思うと武は改めて緊張する。明日からの大会にはどれだけの注目が集まっているのかと。

「そこまで緊張することもないだろうさ」

 吉田はそう言って武の肩を叩き、落ち着かせようとする。武は吉田の気持ちは分かっても止められない不安に目を向ける。瞳に弱さが映っていたのか、武に向けて諭すように口を開く。

「確かに、バドミントン協会的には注目度は高いだろうな。元々この時期にこういう大会が開かれたのは、全国規模の大会を開くことで学校の垣根を越えた全体的なレベルアップを図るためだったから、意図通りになったかどうかというのは気にするだろうさ」
「そう、かぁ」
「で、俺の父さんがついてきているのもそういう意図の調査もあるだろうさ。だけどな。俺達にとっちゃ一つの試合でしかない」

 吉田は自分の後ろの座席に立てて置いているラケットバッグを指さしながら、武の眼を真正面から見据えて言う。
 自分の中にある強い意志を直接心に注ぎ込むかのように。

「俺達は、ただ全力で勝ちを目指せばいい。ただの、全国大会だ」
「ただの、全国大会、か」

 吉田の言葉を一度舌の上で転がし、飲み込む。何度も心の中で呟いていくと気分が落ち着いてくるのが武には分かった。規模が全国大会だというのにあくまで試合の一つと言い切る吉田は凄いが、この領域にやってきているのは自分達の力によるものだ。そもそも地区も全道も全国も、試合をするステージの話でしかない。
 実力に見合った領域に立って、試合をする。シンプルに考えればそうなる。そこまで考えて武は吉田の言葉を思い返し、ため息をついてから言った。

「全国大会をただのって言えるお前は本当凄いと思うよ」
「誉めてもらって嬉しいよ」

 笑みと共に言葉を交わしあう。先ほどまであった体の重さはだいぶ回復していた。単純な体の疲れだけが残り、精神的なものはなくなっていくのだろう。もう少しすれば普通に歩けるようになる程度には回復するはずだった。

(うっし。楽しみになってきた)

 委縮した心が解き放たれるとそのとたんに楽しくなる。武は調子のいい自分に呆れつつも、バスが会場に着くのを待った。
 体育館を見かけた位置から十五分ほど移動すると、他の車や信号を抜けて体育館に到着した。エンジンが止まると吉田コーチを先頭に前に座っていた仲間達が下りて行く。最後に座っていた庄司と吉田、武が下りたところでバスの扉が閉まった。
 飛行機とバスと乗り継いだことで固まった体をほぐすように背筋を伸ばす。筋肉が伸ばされたことでうめき声が自然と漏れた。

「だいぶ良くなったみたいだね」
「ああ。たぶん、もう大丈夫」

 近づいてきた姫川に伝えてから、武は気になっていたことを質問してみる。

「なあ、早坂も体調悪いのか?」

 武の質問に姫川は少しだけ顔を曇らせる。何か知っているという表情に言葉を続ける。どういう理由かは聞いていないが、早坂の大会に賭ける思いは強かった。練習を一緒にしていてよく伝わってきたその気迫が、体調如何によっては崩れてしまう。何もできないとしても気になった。

「何か知ってるのか? なら――」
「ん、大丈夫だよ。相沢君と同じ」

 姫川は一瞬で表情を戻してにこりと笑う。何の心配もいらないと手を振って、早坂を軽く指さしながら言う。

「ゆっきーも飛行機が苦手で怖かったみたいだよ。だから降りた直後から酔ったみたいで気持ち悪くなってたけど、薬飲んだから大丈夫」
「酔い止めなんて持ってたんだ」
「私がね。女の子はすぐに薬が出るもんよ」

 そういうものだろうかと思っても武には分からない。分からないことを続けて聞くのも意味はなく、姫川が大丈夫と言っているなら問題はないはずだ。心に広がっていたもやが薄れていくのを感じる。

「うん。分かった。早坂のこと頼むよ」
「まっかせといて!」

 姫川は元気な返事をして早坂の方へと走り去っていく。後ろ姿を見ながら安堵して、武も歩き出す。だるかった体も回復して、今なら中で試し打ちができるならできそうなほどだ。十二人がぞろぞろと入口から入り、中の広さを改めて実感するように感嘆の声を流す。全員が似たような反応をしていると後ろから把握して武は苦笑した。そもそも関東からすれば北海道は田舎なのだが、田舎者のような反応をしている。
 体育館の基本的な構造は変わらないようで、二階に観客席があり、フロアを見下ろす形になる。基本的な構造は抑えているため、吉田コーチが大会役員がいる部屋へと向かう間に武達はフロアへと入ることになった。
 小奇麗な共用スペースを抜けてフロアへの入口に先導する庄司が手をかける。
 列の後ろにいた武にも扉が引かれたところから中で打ち合っている音が届いた。

「うわぁ」

 中の様子が見えると、武は思わず嘆息する。フロアでは基礎打ち練習をしている面々がいた。試合前日は選手達に開放されており、場所が空いているなら打ってもいいことになっていた。フロア全域で14コートは作れそうな広さを選手達が埋めている。フロアを見上げると、更に見学している選手達が多数。全国から十人ずつ集まったのだから相当な数が集まっていた。

「やっぱり、凄いな」
「そうだな。これぞ全国って感じだ」
「あ、こーちゃんじゃん」

 武の言葉に吉田が返答する。更に第三者の声が割り込んできたことに驚いて、武は即座に振り向いた。仲間達も同様に動いたと分かるほどの気配の変化。
 視線を一身に集めたのは一人の女子。注目を集めていると分かっているのだとしても、吉田だけに手を振った。

「やっほ。お久しぶり」

 有宮小夜子。
 現時点で女子シングルス最強のプレイヤーがそこにいた。
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