Fly Up! 254

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 あと一点となり、その瞬間を待つかのように仲間達が立ち上がるのが視界の端に見えた。それでも武は前だけを見る。吉田の背中とネットの向こうの二人を。
 十四点に武達が到達したことで、相手二人の中からは十三点の時に感じた迷いや怯みの感情はすっかり鳴りを潜めた。ここは二連続で武達を抑えるしかないと覚悟が決まったのだろう。シャトルを吉田に渡した後で、それぞれがすぐにレシーブ位置へと移動して構える。掛け声は何もない。声を上げることさえも止めて、ただただラケットを振ること。シャトルの軌道を読むことに集中する。自分達も、橘兄弟に対してそれくらい全ての力を集中していたことを思い出す。

(でも俺達は、更に上に行く)

 そう考えたところで吉田が振り向く。その瞳に宿る光は、最後まで真正面から鈴木と梶を叩き潰すという意志が込められているように見えた。梶の体勢が前傾なのは、吉田のショートサーブ一択に絞っているからだろう。後ろに仮に飛ばされたとしても、その時は後方に追いかけてハイクリアを打つだけ。そう割り切っていると武は判断する。そうなれば吉田は、あえて前に打つのかもしれない。
 バドミントンにとって相手の予測しているであろう位置に打たないことは逃げでもなんでもない。今回、もしも思った通りに梶がショートサーブを狙ってきているのなら、タイミングを外してロングサーブを放つことが勝つため当然の選択。武は、橋本ならばロングサーブを打つだろうと考える。

(あいつは勝つために必要なことをする。吉田も、普段ならロングサーブを打つだろうけど。今は――)

 吉田の視線が外れてサーブ姿勢を取る。シャトルを持った手を腰の方に持って行き、小指を立てた。ショートサーブを打つという印。
 吉田はこの大会、いつもよりも勝利への過程を重視してきた。全道大会の時よりも。それは、この大会に出てくる相手ならば、勝つのは当たり前でなければいけない。そして、当たり前ならば、勝ち方を工夫することで強くならねばならないと思っているからだ。
 トーナメントの妙もあったあろうが、全道で同列三位。
 油断をせずに、勝つのは当たり前でなければ全国でも西村・山本組にも勝てないだろう。そう考えて、自分達を高めるほうへと動いた。その結果、試合の中でも成長はできたと武は思う。ただ、まだ何かが足りない。

(その何かを、ここで掴む)

 より勝利を目指して研ぎ澄まされていく刃を向けられている状態で、それを躱して逆に叩き伏せる。
 真剣を構えた相手と向かい合う徒手空拳の空手家のように。

「一本!」

 吉田が鋭く言って、ラケットを掲げる。ラスト一本ではなく、一本。
 これもまた、今までと同じ一本に過ぎない。武は自分の持つ気迫を、吉田の中にあるシャトルへと叩き込むように視線を送った。
 吉田はそれに促されるようにラケットを振り、シャトルは滑らかな放物線を描いてネット前へと到達する。

「はっ!」

 梶が飛び込んで右足を踏み込む。その音の直後に吉田はクロスに移動していた。梶はその動きが見えていたはずだが、シャトルを打つ方向を変えるには遅すぎたのか、クロスヘアピンを打つ。吉田がいる方向にシャトルが来たことで、ワンテンポ早くシャトルに触れた吉田は、小さくラケットヘッドをスライスさせてスピンをかけてネット前に落とした。梶は追いつくことが出来ず、シャトルはコートへと落ちていく。だが、寸前で前に出てきた鈴木のラケットがシャトルをすくいあげた。
 角度はなかったがシャトルは武達のコートの中央へと飛び、吉田は前に構えたまま動かない。武は前に出てきてシャトルの落下点に位置取り、ラケットを振りかぶる。

(これを、叩き込む!)

 流れが一度止まったところからのスマッシュは難しい。最初の頃はよくネットにぶつけていた。打ち易そうでいろいろな要因が重なって難しい軌道。それでも今の武にはチャンス球だ。

「はっ!」

 飛び上がって全力でコート中央に叩き込む。速いスマッシュをコート中央に打つことで、どちらが取るかを迷わせる。打つ場所が定まらなかった時には基本に忠実に。だが、その結果は鈴木からの力強いロブだった。今度はしっかりと奥まで飛び、武はそれを慌てて追って行く。次にまた追いついてから一瞬相手のフォーメーションを見ると、すでに陣形を整えていた。それでもまだ攻撃のターン。武はスマッシュを打つために右腕に思い切り力を込めて飛び上がる。全体重を右腕に移動させるようなイメージ。そこからラケットが振り下ろされて、シャトルは弾丸のような速度でコートに一直線に伸びる。
 そのイメージが、ほんの一瞬ぶれた。

(ここ、だ!)

 ラケットがシャトルに当たる瞬間に、武はラケットの振りを完全に止める。シャトルは高い位置でラケット面から放たれて、より鋭く、早く落ちていく。スマッシュを直前まで打とうとしていた。自分の意思を本当にインパクトの直前に切り替える。思考の振れ幅に武も視界がぶれるほどだったが、その甲斐あって鈴木と梶は下半身が完全にコートに付いている。落ちていくシャトルに追いつこうとしても、コートから足が動かない。

「うぉおおらぁああ!」

 だが、梶はひときわ大きな声を上げて前に右足を踏み出した。そのまま数歩前に出てラケットを伸ばす。シャトルがネットを過ぎたあたりでそのラケットに触れ、梶は手首だけで浮かび上がらせた。
 ――その光景が武の頭の中に自然と見える。それは、まるで未来の光景のようであり、過去にあったことのようにも思える。既視感と似てるようで違う。武はその光景に従って、前に踏み出していた。武が前に出るのに気付いた吉田は後衛に周り、武は梶がヘアピンで浮かばせたシャトルにラケットを伸ばした。
 普段よりも数段早いタイミングで踏み出した武のラケットは、シャトルが白帯を越えた瞬間に間に合う。打った時のラケットヘッドの位置が少しでも相手のコート内ならばフォルトとなるが、問題ないギリギリの位置。しかし、綺麗に打ち込むには下から上に滑らせるように打たなければネットにぶつかってしまうだろう。その難しい位置を見極めて、武は自分の取るべきラケットワークを選びだし、実行した。

「はっ!」

 シャトルコックをこすり上げるようにしてラケットが垂直に伸びあがる。シャトルは逆に垂直に落ちて行った。そのまま着弾すれば、武達の優勝が決まる。しかし、武の目には更に差し出されてくる梶のラケットが見えていた。

(越えてくる――!)

 次のシャトルの軌道が『見え』る。体勢が低いままの梶は、シャトルの落ちる場所を感覚的に察知して、ほとんど見ないで跳ね上げた。それは綺麗なロブとなって武達のコートへと飛んでいくのだ。先ほど、武がスマッシュを打った時のように。それはチャンス球だが、鈴木と梶に体勢を立て直す余裕を与える。余裕が生まれれば、逆転の一手が生まれる。
 ならば、ここで潰すしかない。
 武は落ちていくシャトルが再びたどる軌道へとラケットを掲げる。本来、後で打たれるシャトルの軌道を察知するのは不可能のはずだが、それでも梶が打ったシャトルは武のイメージ通りの軌道を描いて高く伸びあがる。

「らあっ!」

 シャトルがガットに弾かれる音が二連続で響く。すぐに聞こえたのはコートへとシャトルコックがぶつかった音。
 武はラケットを掲げたままで固まり、鈴木と梶もまた、凍りついたように動かなかった。だが、武の目には梶達のコートの奥、ダブルスのラインの傍に転がるシャトルと、片手を前に出してコートインの意思表示をしているラインズマンの姿が映っている。
 武には永遠とも思える時間が過ぎた後で、審判が最後のポイントを告げた。

「ポイント。フィフティーンナイン(15対9)。マッチウォンバイ、吉田・相沢」

 その声によってようやく武はラケットを下ろす。そして、観客席からは拍手が沸き起こった。後ろから吉田が武へと抱き着き「ナイスショット!」と破顔しながら言ってくる。そこまで武はぼんやりとしていたが、ようやく頭の中の感覚が現実に追いついた。
 視線を前に戻すと汗をぬぐおうともせずに、鈴木と梶がネット前に出てきている。武と吉田も並び、ネットの上から握手を交わした。

『ありがとうございました!』

 四人同時の挨拶。同時に手が離れ、梶と鈴木は自分のチームの下へと肩を落として戻っていく。武はその背中を見送ってから自分の仲間達の方を見る。
 Aチームの面々だけではなく、Bチームの面々も一緒になって武達に向けて拍手を向けているのを見て、武はラケットを掲げて叫んだ。

「よっしゃあぁああ!」

 武の声が合図になって、コートにAチームだけではなくBチームの面々さえも押し寄せてきた。吉田と武を取り囲み、口々に勝利を決めたことを労ってくる。仲間達の言葉に一言一言返していた武だったが、急に膝裏からバランスを崩されて、支えられる形になった。訳が分からずに視線を上げると、刈田のにやけた顔が映った。

「胴上げだ!」
「えぇえ!?」

 刈田と小島。安西や岩代など男が中心となって武を横にして持ち上げる。一緒になって姫川や瀬名、清水と藤田も取り囲み、その周りに他のメンバーがいるような位置になる。そのまま武は宙を待っていた。

『わーっしょい! わーっしょい!』

 バランスを多少崩しながらも二回、三回と宙を舞う中で、武は心の奥まで充実感が広がっていくのを感じた。
 振り返ってみれば、ここ最近は中途半端な試合が多かった。全道では準決勝を勝ち上がったものの決勝戦は戦わないまま不戦敗。学年別は実力の向上のためあえて林とペアを組み、結果ベスト4で負けた。
 公式戦の最後に勝って優勝を決めるというのは、前年のジュニア大会地区予選以来、四か月以上の前のこと。その流れがあったからか、いつもより試合が終わった後の感情の溢れ具合が大きかった。
 六回上げられたところでようやく下され、次は吉田がターゲットになる。嫌がる吉田が無理やり掲げられて、武と同じように宙を舞う。その様子を見ていて、武は周囲に早坂がいないことに気づいた。

(あれ、どこに……)

 早坂を探して視線をさまよわせると、すぐに見つかる。早坂はコートから出たところにある客席の所に座って胴上げの光景を見ていた。武の視線に気づいたのか軽く手を振って口を動かし「おめでとう」と伝えてくる。武は親指を立ててそれに応えてから吉田にまた視線を戻した。

(多分、疲れてるんだな。あいつも、君長とやったんだし)

 そう考えをまとめて吉田の胴上げが終わるのを待つ。協会役員も空気を読んだのか胴上げが終わる頃に吉田コーチへと近づいてきて、何かを話してから離れた。吉田が下されて少し落ち着いたところで、すぐにこの場から離れて帰る準備をするように告げる。ビニールテープが剥がされて、掃除された後に閉会式が行われるのだ。
 片づけの手伝いを既に帰る準備をほぼ終えているBチームの面々に告げる吉田コーチの横を通り、武達は着替えるために歩き出した。早坂も武達の集団が近付くと一緒に着替えに行くのか立ち上がる。そこで、ふらついたために先頭だった武にぶつかった。

「おっと。大丈夫か早坂?」
「あ……ごめん」

 早坂の顔は少し青く、体力が低下していると誰が見ても分かる。武から離れて謝罪してから、早坂は着替えが入っているラケットバッグを持ち、歩き出した。

「ゆっきーには私が付いてるから安心してね、相沢君」

 急にかけられた声に驚きつつも、武はすぐに気を取り直して声の主に言葉を返す。

「ああ、頼んだよ。姫川」
「オッケイ!」

 自分から離れて早坂へと近づいていく姫川を一瞬だけ見てから、また足を進める。武も急に疲れが出てきて歩みは遅かったが、それでも倒れることはない。
 体力がなくていつも一回戦負けだった小学校六年までの自分が急に思い出されて、その進化に自然と拳が握られていた。

 * * *

 武達のチームと函館Aチームの礼のあと、すぐにコートか片づけられて、そのまま閉会式へと入った。
 二日目の残った四チームにそれぞれ金から銅までのメダルが授与され、一位のチームは「南北海道代表」として全国大会出場の予告がなされる。
 試合は三月の最終週。ちょうど今から三週間後。月曜から土曜まで六日間を使って行われる。それまでに出来る限りレベルアップして、最高の成績を収めてくれることを期待するという言葉で協会役員の一人が告げて閉会式は終わった。
 試合時間が思ったよりも長く、JRは一本遅らせることにして少し時間が空いた。帰るのは遅くなるが、それも仕方がないことだと吉田コーチと庄司が責任を持って帰すとしたようだった。
 そして武達は最初に荷物をまとめていた場所に集まっていた。吉田コーチと庄司が並び、その周りに仲間達が集まる陣形。

「皆、今日は良く頑張った。AチームもBチームも、おそらくは今までで最もいいパフォーマンスが出来たと思う。特に、優勝を決めた試合の相沢」
「え……?」

 吉田コーチにいきなり名前を呼ばれて困惑する武。その困惑を無視して吉田コーチは語る。

「終盤、相手の追い上げや技量の向上は外から見ても脅威だった。それを二人が抑え込んで、撃退した。相沢は特に最後の二点を取る時は今までで最も良い動きをしていたんだ」

 思わず周りを見ると、小島や安西。吉田が頷いている。女子も早坂や姫川が納得、という表情で武を見ていた。照れてかしこまりながらも武は試合終盤を振り返る。

(確かに……なんかいつも以上に予測できた気はする。相手のショットがどういう風に動くのかって、打つよりも先に見えた、みたいな。だから早く動けたし、早くラケットを出せて、打ちこめたんだ)

 橘兄弟達との戦いで覚醒した前衛の反応とはまた違う。その延長戦上にあるかもしれない感覚。その一端に触れたのかもしれない。自分もまた成長できたのだと思えて武は頬が緩んだ。

「Bチームのメンバーはここで体験したことを生かして、次に繋げるんだ。現時点ではAチームに及ばなくても、あと二か月後にはどうなっているか分からん。それが君達、若い世代の特徴だ。そしてAチームは、全国に向けて残り二週間、最後まで鍛える。目指すのは全国優勝一つだけだ! 以上!」
『はい!』

 全員が同時に応えて、ミーティングは終了した。これからあまり時間はないがJRの駅まで行くまで少しフリーになる。その前にトイレで用を足そうと歩き出そうとして、不意に思い出した。
 有宮小夜子。吉田の幼馴染が会場に来ていることを。

(そういや、試合終わった後に会いに来るって言ってたけど……まだ来てないのかな)

 試合が終わるまで吉田に存在を伝えないように言われていた武だったが、終わったならばいいだろう。まだ会えていないなら、もう少しで体育館から離れるので伝えておきたい。そう思い、吉田の傍へと向かうと、ちょうど携帯電話を取り出して出たところだった。ディスプレイを見て顔を強張らせている様子が見えた。
 顔はそのままに電話に出て、呟く。

「どうした? 久しぶりだな、西村」

 武は聞こえてきた苗字に動きを止めていた。
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