Fly Up! 253

モドル | ススム | モクジ
 梶が前に移動していく。いつもならば鈴木がそこに行くタイミングで。実際に、鈴木は一瞬前に出ようとして止まっていた。梶の動きを見て咄嗟に後方へと移動していくのが武の目にも見えていた。

(梶が前に出てくる……なんだこの、悪寒)

 ラケットを振りきったところで着地し、動きを止める武。しかし、吉田がすぐに前に移動し、梶の打つコースを少しでも狭めようとしているのを見て、咄嗟に左側に寄る。今の吉田の反応速度ならば、梶の前衛のコースならばどこでも取れる。武はロブが上がるのを待つだけで良いはずだった。
 しかし、梶の次に打ったヘアピンが、今までよりも更にギリギリの弾道に打たれる。吉田から離れるように伸びていくクロスヘアピン。吉田はネットに触れないようにラケットを伸ばしてようやくシャトルに触れさせると、ストレートに返した。そのシャトルもまた浮かないシャトル。だが、梶は躊躇なくラケットを差し出して軽く前に打ちだした。
 ネットが軽く動き、シャトルはゆっくりとコートへと落ちていった。

「タッチネット。ポイント。イレブンナイン(11対9)」
「ラ、ラッキー」

 武は緊張で詰まっていた肺から息を吐き出す。ラッキーと言う言葉が自然と出ていた。今のシャトルが決まらなかったのは、梶がネットにラケットをぶつけてしまったから。もし成功していたなら今の弾道にラケットを差し出すのは無理だったろう。
 吉田はシャトルをゆっくり拾って羽を直す。背中を梶と鈴木に向けて、俯き加減で直していく姿に武はピンと来るものがあって近づいた。何か秘密の話でもあるかもしれないと「ラッキー」ともう一度言って傍に寄る。吉田は羽を一通り綺麗にしてから武へと言う。

「梶のヘアピンや前の反応速度が、上がってる」
「やっぱりか。後ろからでもなんとなく分かった」
「ほんと、お前みたいだよな、梶」
「そうか?」

 武は皮肉ではなく、自分に似ていると言われても分からずに首を傾げる。吉田も武が分からないことを分かっていたのだろう。特に説明しようとせず肩に手を置いた。そして静かに伝える。

「ここから、一点一点を大事に行こう。ここからのあいつらは、別人になる」

 その言葉の静かさとは裏腹に、込められた力強さは今までで一番だった。それだけ吉田は警戒し、武に伝えている。今まで集中してきた。その集中力を、さらに一段階上げろと言っている。

(そうだな……あいつが成長してくるなら、俺も成長しないとな)

 武は軽く息を吐いてラケットを握る右手の力を抜く。親指と人差し指以外でグリップを握り、吉田のサーブ姿勢が整うまで力を抜いてラケットを振る。
 自分がどう成長するかというビジョンは見えない。だが、自分達に向かって急激に成長してくる相手を、真正面から叩き潰すことによって得られる何かがあるはず。そうならば、これまでの自分からワンランクアップはできないだろう。ここで勝って全国行きが決まるのならば、全国で闘える自信が一つ欲しい。
 そう思っていると、吉田がサーブ位置について「一本!」と叫んだ。背中を見ていてもその場に縫いとめられそうなほどの強い気配。鈴木と梶ならばなおさらこのプレッシャーを感じているのかもしれない。

(そうか……そうだよな)

 どう成長したいか。その答えは目の前にある。常に傍で、目標として追いかけてきた男がいるのだから。
 ダブルスのパートナーとしては並んだと思っていても、実力やその他の何かはまだまだ吉田が上だと試合をやるごとに気づかされる。見た目の技量というのは並んでいるように見えても、深いところで何かが違う。

(吉田を目指して成長する。それが、俺の進む道)

 いつか追い抜くためにも、その背中をすぐ傍にするためにも、進み続ける。
 具体的な何かというものはまだ決まっていなくとも、そう決意するだけで自分の中にスイッチが入る。

「一本だ!」

 吉田を後ろから押し出すように咆哮する。力を込めて、不可視の力を前にぶつける。その勢いに乗るように、吉田はショートサーブを放った。シャトルは白帯すれすれの軌道を飛んでいき、そこにレシーバーの鈴木が飛び込んでヘアピンを打つ。ストレートに、ネットからなるべく離れないように。吉田が前にいても、リスクを気にせず打つ。その思い切りの良さが功を奏したのか、吉田はプッシュできずにクロスヘアピンで鈴木をサイドに動かした。鈴木はシャトルの軌道に合わせて横に平行移動してプッシュを打った。ネットから離れていなかったために強打は出来ず、それでも重力に従って斜め前に落ちていく。武は軌道の到達点にラケットを置いて、跳ね上げた。しっかりと奥まで返ったシャトルの下にすぐに出現する梶。そこから、飛び上がって高い打点でシャトルを打ち抜いた。

「だらぁあああ!」

 聞いたこともないような咆哮に一瞬、体が固まる。それでもシャトルは武の胸部へと一直線に迫ってきたため、バックハンドでまた打ち返す。今度はスマッシュを打つには少し低い軌道を、梶に。鈴木のラケットを掻い潜って梶へと向かったシャトルは、しかしより速いテンポで打ち返されていた。着地をした梶が自分に向かってきたシャトルを見て一歩踏み込んで打ち返した。
 ドライブで打ち返されたシャトルはしかし、ネットの白帯にぶつかって鈴木の傍へと落ちていた。シャトルが転がり、止まったところで審判がポイントを告げる。得点は十二点目。差は広がり、逆に武達は優勝へと近づく。しかし梶はミスに対して全く気にすることはなく、レシーブ位置に着く。それは鈴木も同様だった。二人の頭の中にはまるで今のミスが全くなかったことになっているかのごとく、粛々と吉田のサーブを待ち受ける。

「武。次は、入るかもしれない」

 吉田は武に向けてそう言ってからサーブ体勢を取る。武は腰を落としてプッシュに備える。吉田の言葉を心の中で繰り返し、その意味に戦慄する。
 あえて、白帯を狙ってシャトルをギリギリこちら側に入れることを意図的にしようとしている。たまに武もスマッシュが良い角度で入ることで同じ現象が起こるが、あくまでも偶然によるもの。決まれば確かに武達も取れるかどうかは分からない。だが、それをこのタイミングで狙うとは。

(意地でも入れてくる、気か)

 武は動き続けていたことによる汗とは別に背中をまた冷たい汗が伝った。吉田の咆哮と共にサーブが放たれ、それを梶がプッシュで打ち込んでくる。武は咄嗟にラケットを振りきってドライブ気味に打ち返した。それは梶の真正面に飛び、また梶がプッシュで打ち返す。カウンターのカウンターというような状態となり、吉田がロブを打ち返せたのは運が良かったとしか言いようがない。ふわりと浮かんだシャトル。その滞空時間の間に武と吉田はサイドバイサイドの陣形で広がった。後ろには梶が移動していて、ラケットを振りかぶってスマッシュを打ち込む体勢。そして怒号のような声を上げながらラケットを振りきった。
 武はシャトルが勢いよく飛んでくると思って身構えたが、思うよりも遅いタイミングでシャトルがやってきて、バランスを崩した。

(しま――)

 前のめりに倒れる体。しかし諦めずにラケットを前に差し出す。ネット前に落ちて行ったシャトルにラケットが届き、ラケット面にシャトルが振れたと感じた瞬間に手首のスナップを利かせてギリギリに浮かせた。

「がっ!?」

 胸から床に落ちて息が詰まる。コート外から悲鳴が聞こえるが、武はすぐに起き上がって次のシャトルの動きを見る。ちょうど、シャトルの目の前にやってきた鈴木が武のほうへとシャトルをヘアピンで打ち返す。立ち上がったばかりでラケットを振るには厳しい体勢。それでも武は体ごと強引に右腕を振った。

「うぁおおお!」

 また倒れそうになるほど窮屈な体勢から体ごと回して、シャトルを打ち上げる。その勢いのまま、逆サイドへと向かうと既に吉田も武が守っていたサイドへ移動していた。
 体の勢いを殺して腰を落としたところで見えたのは、再びスマッシュの体勢を取る梶の姿。そう思わせておいてドロップを打てば先ほどのように。しかし本来の強打で打ち込めばチャンス球を上げることになる。どちらを次は打ってくるのか。そこで武は、前に動いた。

(どっちが来ようと。前へ行くだけだ!)

 梶のラケットが振られてシャトルを打った瞬間に、武はラケットを掲げながら前に踏み出した。今度のシャトルは鋭くストレートに突き進む。ちょうど武の真正面に迫るように。武もまた前に進んでいるために速度はより速く見えている。それでも臆せずにラケットを立て、スマッシュをプッシュで返すという矛盾さえもクリアするかのような気迫で踏み込む。
 そこで、シャトルが白帯の当たって一瞬、中空に浮いた。
 前に出てラケットを振ろうとした矢先のこと。ふわりと浮いてチャンス球だが、完全にタイミングが外されたことで武のラケットの先を落ちていく。このまま振ってもネットにぶつけてしまうだろう。

「ぅううおおおらあ!」

 最後の一歩を踏み出すために、武は強く吼えて左足で床を蹴った。それはほんの少しだけの差。硬直していた体を強引に前へと進めたことによる結果。武が振ったラケットのフレームにシャトルコックが当たり、硬質的な音を立ててシャトルがふわりと舞った。チャンス球だと待ち構えていたのは鈴木。瞬時に横移動してシャトルへと飛び込み、ラケットを振りきる。
 だが、シャトルはネットを越えた瞬間に弾かれて逆に鈴木達のコートへと落ちていた。

「……え?」

 鈴木が声を発するのを武は俯きながら聞く。
 何が起こったのか全く分かっておらず、自分達が得点されたことに気づくのに多少の時間を要した。武は掲げていたラケットを下げると、その場でゆっくりと立ち上がる。切れ切れの息を整えて、しっかりと左手でガッツポーズをとった。

「ナイス、インターセプト!」
「ぅおおしゃあ!」

 武は吉田と左手を打ちつけ合う。倒れかけて視界も定まらない中で鈴木が打ち込むであろう軌道を予測してラケットを掲げた。もし外しても吉田が何とかしてくれると信じての行動が結果を出したのだ。

「ポイント。サーティーンナイン(13対9)」

 あと二点。ここから追い上げられてもセティングポイントを宣言できる。圧倒的優位な位置まで上り詰めてきた。武は右サイドに移動してネットの向こうの梶と鈴木を見据えた。その顔には初めて焦りが見えた気がして、武は少しだけホッとする。

(さすがに、ここまで来たら焦る、か。でもだからこそ油断はしない)

 相手に見えた僅かな隙。追いつめられているところを感じ取れても、武の背中をたまに走る悪寒は消えない。あと二点を、しっかりと取るだけだ。

「よし、一本!」
「一本だ!」

 先に武から言って、吉田がそれに乗る。ラスト二本となりコート外の応援も熱を帯びていく。武はあえて顔は見ないで、声だけを聞いていた。視線は目の前の二人に集中しなければ、相手のプレッシャーに押し潰されてしまいそうだったから。

(焦ってるだろうけど、それでも諦めていない)

 点差をつけられようが、最後の点数を取った方が勝つ。それがバドミントン。サーブ権を奪うことが出来れば自分達の攻撃は続く。極論を言えば、ここで武達が十四点をとっても、そこから連続で八点連続で取れば鈴木と梶がワンセットを取ることになる。そうなればファイナルに持ち込まれる。

(ここで気合負けするわけにはいかない!)

 吉田が身構えるのと同時に腰を落とす。そこで武の胸部にかすかに痛みが走った。

「――っ!?」

 痛みに気を抜いた瞬間に吉田がショートサーブを打つ。シャトルが進む真正面に鈴木が飛び込み、ラケットをスライスさせてヘアピンを打った。吉田は上げないように更にヘアピンで打ち返すも、鈴木もまたヘアピン勝負を挑む。武は痛みからは立ち直り、吉田と鈴木のヘアピン勝負の行方を見ていた。

(これ、さっき倒れた時か)

 痛みは一瞬で、さほど強くもない。しかし、急に痛むのは集中力を乱す不安があった。実際、武はシャトルの行方に集中できなくなっている。吉田と鈴木のヘアピン合戦は今まで以上に頻度を重ねていた。どちらもギリギリの高さを打ち合って、なかなかプッシュを打つタイミングを掴めない。クロスにストレートにと打つ方向を変えても互いに追いついていく。
 終盤に来て細かい動きで互いの隙を探す。
 そして。

「はっ!」

 遂に打ち込んだのは、鈴木のほうだった。それまでの攻防よりもほんの少しだけ浮いたところを、鈴木がバックハンドで手首のスナップだけでプッシュを放つ。
 だが、そこには武の真正面。ラケットを構えて、シャトルに向かって打ち抜く。振りぬく瞬間にまた胸に痛みが走るも、武は咆哮によってそれをかき消した。

「いけぇええ!」

 とにかく奥へと飛ばそうと、力に任せて打ったシャトル。それは下から上に角度があまりないまま突き進み、ネットの白帯部分にぶつかった。
 コートにいる全員が息を飲む。
 タイミングを外された鈴木と梶は両方ともシャトルへと向かうが、一瞬だけ静止したようになって落ちていく。
 鈴木がシャトルの下にラケット面を入れて打ち上げるも、そこにはすでに吉田のラケットが振り下ろされた。
 鋭くコートを打ち抜くシャトル。そして、告げられるポイント。

「ポイント。フォーティーンナイン(14対9)! マッチポイント!」

 遂に辿り着いた最終ポイント。武はゆっくりと立ち上がって息を吐いた。
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