Fly Up! 252

モドル | ススム | モクジ
 シャトルが鋭く足元に飛び込んでくる。武は咄嗟にバックハンドで打ち返し、そのまま前衛に出た。シャトルを追うように前進し、ネットの所で待ち構える鈴木と対峙する。近づくことで少しでも怯んでくれればと期待するが、鈴木は武を無視するようにシャトルだけを見て、プッシュの構えを取る。

(――真正面!)

 武はラケット面を縦にして構える。しかし、次の瞬間に武の方を鈴木の目が向いた。そこからラケットが振られて、シャトルはクロスに放たれてコートに落ちていた。

「ポイント。ナインエイト(9対8)」
「しゃー!」

 鈴木の後ろから梶が吼えて、後ろを向いた鈴木が手を思いきり振る。二人の手が重なって乾いた音を立てた。気合いに乗って鈴木も吼えて、お互いに自分が沸き立たせる熱い気持ちを注入しあうようだ。武はその様子を眺めてからシャトルを拾い、羽のボロボロになった部分を直していった。

「ドンマイ」
「すまん。前衛だと、やっぱり鈴木が一枚上手だわ」

 前に出たことを利用して鈴木の打つコースを狭めようとしたが、逆に動きを読まれて別方向に打たれた。それが自分の作戦で、更にコースを読むことが出来れば問題なかっただろうが、そこまでは都合が良すぎた。

「上手もそうだけど……あいつら、武が前に出るような配球にしてる」
「やっぱりか」

 最初にあった四点のアドバンテージを遂に今、追い抜かれた。ラリーを繰り返していたが、少しずつ追いつかれて抜かれたことはそこまでショックではない。追い上げられることは予想の範囲内。
 それよりも問題なのは、得点されたパターンが内容に違いがあっても、最後に武のミスショットや、武の打ったシャトルを次に打たれたことで沈められているということだ。ラリーも吉田より武に集中している。明らかに、二人は武に狙いを絞って打ってきていた。

「体力は大丈夫か?」
「それは大丈夫。最悪、ファイナルに持ち込まれても動ける自信はある。でも……このまま取られるのは形が悪いかもしれない」
「分かってるじゃん」

 武はシャトルを打って鈴木に渡してからガットの位置を修正する。綺麗に四角形になるように整えてから、息を深く吐き、レシーブ位置についた。
 鈴木からのセカンドサーブ。今、打ち込まれた相手を前にして、ネットの向こうから伝わってくる闘気に武は気圧されないように自分もまた気合いを押し出した。

「ストップ!」
「一本!」

 武の声に上被せしてかき消すように、鈴木も声を出す。その気迫に反してシャトルは丁寧にショートサーブの軌道を突いた。武は前に出てヘアピンでサイドライン上を狙う。前に突進した勢いを完全に殺した絶妙なヘアピン。十回に一回打てるかという軌道に、鈴木は追いついてロブを上げた。
 コート奥へと飛んだシャトルに対して吉田が下に回り込む。武はネットからあまり距離を取らずに真中へと移動し、次のショットを待つ。ラケットを軽く上げてすぐにインターセプトできるように。

「はっ!」

 吉田の気合いの声とと共にシャトルが打たれた音。その音の軽さと視界の斜め前に映っていた鈴木の体勢が崩れたことから、スマッシュと見せかけたドロップショットだと理解する。次に武の眼にシャトルが鋭い軌道を描いて落ちていくのが見えた。通常のドロップだとインパクトの瞬間に力を抜いただけのであり、多少山なりとなる程度だが、吉田の打ったのはカットドロップ。インパクトの瞬間にラケット面をスライスさせることによりよりキレる軌道を出すことが出来る。
 ネットを越えてギリギリに落ちてくるドロップ。読めたならまだしも、体勢を崩されたあとではロブを返すのが関の山。
 それだけ追いつめられた末にも鈴木はロブを放つが、武はラケットを思い切り伸ばしてシャトルをインターセプトしていた。

「おら!」
「――!?」

 ロブを打ち上げたばかりで体勢が整わない鈴木の傍に落ちていくシャトル。再び打ち返すことが出来ないままに、シャトルはコートへと落ちていた。

「サービスオーバー。エイトナイン(8対9)」
「――しっ!」

 強打ではなかったが確実にシャトルを捉えて相手コートに入れる。武は今のプレイで自分の中の変化を認識していく。ただ当てるだけでも、相手のシャトルに反応してインターセプト出来る。自分の集中力が段階的に高まっていくのが分かった。

(この感じ……全道の橘兄弟の時も。学年別の安西と岩代達との時も感じたやつ……この感じが続いてる間にいくぞ)

 武の方へと戻って来たシャトルの羽を整えて、吉田に渡す。軽く肩をラケットで叩いて「一本」と小さく声をかけてから、振り向いて腰を落とす。そこで吉田の背中から発せられる圧力に気づいた。

(香介……勝負に行くか)

 得点差は一点だが、8対9であり、先に二桁に到達させると精神的な優位性が異なる。実際には一点差でも、何倍も差があるように思わせられる。そのためには、今回のターンで二点取っておく必要があった。この理想の形の内に。

(香介のショートサーブが俺よりも上手いのは分かってる。だから、あいつのサーブでロブを上げさせて、俺のスマッシュで落とす。ここで、それを実行する)

 自分達の理想形で得点をすることによって波に乗る。逆を言えば、ここで失敗すれば相手に飲み込まれる可能性も出てくる。それだけ吉田が鈴木と梶を警戒しているのだ。もしも梶が武と同様の軌跡を歩むのだとしたら、成長するのはここだと。

「一本!」
「応っ!」

 吉田のサーブは梶へと向けられる。ネットをギリギリ越えたところで落ちていくシャトルの軌道。梶は頭からサーブがアウトになるという可能性を消し去ったのだろう。前に躊躇なく飛び込み、とにかく当てて返すことに終始した。シャトルは白帯を越えたところで捉えられて返される。それが功を奏してネットからほとんど離れることなく落ちていく。吉田はシャトルへと飛び込んで、ラケットを素早く振り切る。
 後ろから見ていた武の目には、吉田のラケットのフォロースルーに遅れて同じ軌道で進んでいくシャトルが見えた。打ってから前にとどまった梶もその動きには驚いたのか、顔を驚きのまま歪ませて後を追う。シャトルはネットに対して水平に進んでいたが、白帯を越えたところでシャトルコックがぶつかり、くるりと回転して梶の目の前を落ちて行った。

「ポイント。ナインオール(9対9)」

 神技と形容してもいいくらいのヘアピンに、敵も味方も息を飲んで言葉が出なかった。梶も動けず、吉田が自分でネットの下からシャトルをラケットで引き寄せる。

「凄いな。ナイスヘアピン」

 羽を綺麗に整えながら返ってくる吉田に、武はようやく声をかけることが出来た。吉田は苦笑しながら言葉を返す。照れを隠すことなく。

「偶然だよ。さっきのお前のヘアピンと同じ」
「バレたか」
「なんにせよ、これで同点。次で取って二桁にするぞ。鈴木のショット、取ってくれ」

 今のサーブならば強打されることは少ないはず。しかし、吉田が鈴木への警戒心を高めているのは間違いない。強打ではなくても、自分の守備範囲外までプッシュできると確信している。特にネット前で今のような神がかり的なヘアピンを見せたことで、鈴木もネット前では勝負したくないだろう。

「分かった」

 吉田が左サイドのサーブ位置に着き、武は右寄りになって腰を落とす。吉田のサーブへのプッシュならば、経験からどの位置に落ちてくるかというのは想像できる。吉田がサーブ姿勢を取り、プレッシャーを開放する。武さえも気圧されそうになって、かかとを上げてつま先に体重をかける。前傾姿勢から前に落ちてくるだろうシャトルを思い切り打ち上げる。
 前衛に着くだろう鈴木。代わりに後衛として後ろに回る梶。その梶が移動距離を多くとらなければいけないように飛ばす。

『一本!!』
『ストップ!』

 四人がほぼ同時に口にする。言葉がぶつかり合い、気迫が弾ける。不可視の激しい気流の中を沿うかのように、自然と吉田のショートサーブでシャトルが打ちだされていた。
 ネットへ向かって進んでいくシャトル。
 すぐにラケットを上げながら前に出る吉田。
 後ろに下がる梶。
 ラケットを掲げる鈴木。
 全てが、武の頭の中に描かれたシナリオ通り。
 ただ、一点だけ予想から外れていた。

「はっ!」

 鈴木は立てたラケットを咄嗟に横に振り、クロスヘアピンを放っていた。先ほど武が放ったヘアピンとほぼ同じ。だが、それよりも鋭い軌道で吉田の前を通り過ぎていく。ヘアピン勝負を挑んでは来ないだろうという武の思考の間隙を縫って、落ちて行った。だが、吉田は想定していたのか、反応して逆サイドに向かうシャトルに追いついてストレートヘアピンを打つ。だが、シャトルに追いつかせたラケットの勢いを殺しきれなかったのか、普段の吉田のヘアピンからは僅かな差だが白帯より浮かんだ。
 そこを狙いすましたように鈴木がバックハンドでプッシュを打ち込んできた。

(ここだ――!)

 武はシャトルが打たれる音と同時に前に飛び込んでいた。シャトルはストレートに、ヘアピンを低い体勢で打った吉田の頭上を抜くように飛ぶ。その軌道へと自分から向かい、バックハンドで鈴木のいる左前ではなく、右側に打ち抜いた。前に出る勢いとカウンターでの速さ。二つの効果で武の打ったドライブは今までより数段速く鈴木達のコートを侵略する。鈴木が吉田のヘアピンにより片方に釘付けの間ならば、インターセプトはされない。
 だが、武は打った直後に視界に梶が前に飛び込んできているのが見えていた。

(――!)

 考えるよりも先に体が反応する。
 シャトルを打った側に移動して、梶からのドライブに備えて腰を落とす。

「うおお!」

 梶は吼えて右手を後ろへと逸らしてからシャトルに向けて思い切り振り切った。カウンターのカウンターとなってよりタイミングが早く戻ってくるシャトル。そこで武は自然と頭に浮かんだ行動を取っていた。
 武は前に飛び込み、ラケット面を立ててシャトルに向かう。ラケットにシャトルを当てて、後ろにつくようにして前に進み出た。シャトルは弾かれた衝撃でネット前に落ちていく。梶もまた前に出てそのシャトルへとラケットを伸ばして拾い上げた。

(ここだ!)

 武には、次に梶が打つであろうシャトルの軌道が見えていた。今までに、何度も見てきた軌道。イメージの中で光の道として見えるそこにラケットを被せると、ほんの一瞬遅れた後にシャトルがラケット面にぶつかっていた。シャトルはまた勢いを無くして、打った梶の肩口に当たり、すぐにコートへと落ちていく。体をなぞるように転がって、床に落ちた時にはまるで柔らかい布の上に落ちたかのように静かだった。

「ポイント。テンナイン(10対9)!」
『おおおお!』

 先ほどに続いてのインターセプト。苦しい体勢でロブを上げざるを得ない状況にしておいて、軌道を読んでラケットを差し出して完全に勢いを殺す。派手なプレイではないが、そう簡単に取れるようなシャトルでもない。それが仲間達にも分かっていると、歓声が物語っている。

「ナイスインターセプト!」
「おっしゃ!」

 吉田の声に合わせて左手を上げると、そこに合わせて吉田が手を叩き付けてくる。
 その顔には安堵が広がっていた。その一つ前のヘアピンは吉田のミスと言えばミス。だからこそ、そこで決められれば自分のせいで流れが変わるかもしれなかった。武は一度頷いて吉田に向けて言う。

「あんなんミスでもなんでもないって。俺がカバーするからさ」
「……たくましくなったもんだよ。頼りにしてるさ、相棒」

 吉田の言葉に込み上げてくる達成感。吉田の隣に並んで試合が出来ていることが自分の中でどれだけの重要なことなのかを改めて理解する。
 まるでもう一人の自分とでも言うように、吉田のプレイが頭に浮かぶ。そして、その次にしなければいけない行動が分かる。普段はあまり感じないが、こうして試合に集中できていると分かっている場合には、特に鮮明に浮かぶ。

(このまま、行けるか……)

 シャトルが返ってきて、それを中空で取る武だったが、羽部分が一か所完全に折れていたため審判に向けて替えを要求する。審判は横に置いてあるシャトルケースから一本取りだし、武へと放った。同じくラケットで絡め取り、すぐに吉田へ手渡す。

「このまま一気に行こう」
「そうさせてくれればいいけどな」

 吉田の言葉に宿る不安。武も漠然と感じているもの。吉田の後ろについてサーブ後のリターンに備えた時、武は背筋を駆け昇る悪寒を感じた。

(きた、か……)

 予想はしていたが、いつとは分からない。しかし、その悪寒を生じさせたプレッシャーは確実に武を貫いてきている。
 ネットの網をすり抜けるような鋭さで、吉田ではなく武を狙ってきている。
 梶からの冷たい視線。明らかに武を狙ってきているのは、何の意図があるのか。

(あっちにとっちゃ、俺狙いは変わっていない筈。今回の二点は吉田のショットで隙を突かれて、俺が決めるパターンだった。次は、また俺を集中して狙うようにするはずだ)

 吉田の「一本!」という声に合わせて武も吠える。先に二桁に乗せたことは考えた通りに優位に働く。ここで一度気合いを入れなおして更に得点して差をつけるために、武も今まで以上に意識を集中させた。感覚が研ぎ澄まされて、離れていても相手の目線が分かるような錯覚さえ生まれる。

(俺に来るなら……こい)

 吉田のショートサーブが放たれて、シャトルがネットを越える。鈴木は無理を止めたのか、下からロブを上げてシャトルを奥へと飛ばした。武はその真下に入り、一瞬だけ鈴木と梶の陣形を確認する。両方とも左右の中央へと陣取って、どこでも取れる状態。ならばと、武は梶のボディを狙ってスマッシュを打ち込んだ。

「はっ!」

 何の小細工もなく、渾身の力を込めた一撃。そのシャトルを梶は体を横にずらしてサイドストロークで打ち返す。
 そして、そのまま前に出てきた。

(――これは!?)

 強くなる悪寒に、武は嫌な汗が噴き出るのを自覚せずにはいられなかった。
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