Fly Up! 251

モドル | ススム | モクジ
 コートを出てから武はラケットバッグの中にあったタオルで顔を拭き、またほっと息を吐く。審判はスコアボードの数字を初期状態の0に戻して、セカンドゲームに備えている。逆サイドでは鈴木が梶に向けてアドバイスを送っているようだった。聞こえてくる言葉の断片から判断すると、もっと前の方でインターセプトして行くという話らしい。

「相沢。気づいてるか、あいつらの弱点」
「……弱点って言えるか分からないけど。得意分野は別れてそうだよな」
「ああ。その分、俺達の方が、強い。大丈夫だ」

 吉田の自信を持った言葉に武は頬が緩む。吉田が自分をリラックスさせ、力を出し切れるように配慮してくれているのが感じ取れた。
 鈴木は前衛ばかりで後衛はあまり得意ではないらしい。スマッシュもそこまでの威力はなく、コースも甘い。逆に梶はスマッシュやドロップなど後衛の技は武とほぼ同等。ただ、前衛のプレイは苦手のようでほとんど行っておらず、機会が回ってきてもすぐに回避して鈴木が前衛をやるようにしていた。

「俺達はどちらかしかできないという弱点を克服してきた。だから、その分有利だ」
「分かってるよ。ありがとう」

 武の素直な言葉に吉田は頬をかきつつ「おう」とだけ呟く。顔を拭くのを止めてコートに入るとちょうど一分経ったのか、審判が「試合を始めてください」と両ペアに言った。シャトルは既に吉田の立つ側のコートの上にあり、試合の再会を待っている。吉田はゆっくりとした動作で拾ってシャトルが真新しいことを確認すると、サーブ体勢を取った。

「セカンドゲーム、ラブオールプレイ!」
『お願いします!』
「一本!」

 審判の言葉に合わせて四人同時に挨拶し、更に吉田はすぐに一本と付け加える。相手が構えたのを確認して、即座にショートサーブを放った。シャトルは白帯の上スレスレを抜けて鈴木のほうへと進む。鈴木はプッシュを打とうとしたのだろうが、吉田のサーブの軌道の厳しさに諦めてネット前にシャトルを落とした。吉田も前に詰めて左サイドにいる鈴木から離れるようにクロスヘアピンを打ち、平行移動する。真正面で睨み合ったまま移動した二人だったが、先に視線を外した鈴木はシャトルをヘアピンで打ち返す。時間を短く済ませるためにストレートへと。
 吉田はラケットを伸ばして、足の踏み込みを勢いに変換させてシャトルを返した。そこで鈴木がまたヘアピンを打つ。それを同じくヘアピンで返す吉田。そこで五回、六回とヘアピン勝負が繰り広げられたところで、最初に離脱したのは鈴木だった。後方で待ち構える武はシャトルの落下点よりも少しだけ後ろからジャンプして、中空でしならせた体を一気に解放してスマッシュを打ちこむ。鈴木も今まで以上の速度と角度に上手く返すことが出来ずにシャトルはふらつきながら上がり、最後に吉田が後方に下がりながらのスマッシュで沈めた。

「ポイント。ワンラブ(1対0)」
「しゃあ!」
「ナイスショット!」

 吉田の咆哮に武も合わせる。応援してくる仲間達も第一ゲームよりは大きな声で声援を送ってきていた。武と吉田は左手をぶつけあい、気合いを込めてから次の位置へと立つ。武は吉田の後ろで腰を下ろして相手へとサーブを打つ吉田を見守っていると、今度は比較的早めにショートサーブでシャトルが放たれた。梶は強引に打とうとしたのか、シャトルがネット前に引っかかってしまい、武達の方へと変えることはなかった。

「ポイント。ツーラブ(2対0)」

 興奮に沸き立つ仲間達。第二ゲームに入ってから武は自分のサーブの番じゃなくても手ごたえを感じている。一ゲーム目はあれだけ取るまでの展開がもどかしく思えた得点も既に二点。吉田のサーブの精度が上がっているために向こうも今までのように上手く打つことが出来なくなっているのではないかと考えられた。

(本当にそれなら、ずいぶん楽だけどな)

 シャトルを構える吉田の背中が、「それだけじゃいかないぞ」と暗に告げてきている気がする。それも武の妄想ではあるが、根拠がないわけではない。
 自分達に似ている成長。それは、つまり試合中での成長のことだ。武は自分の実力が試合の中で覚醒していったと自覚している。確認してはいないが吉田もそうだろうと。
 強敵に追いつめられ、どうやって倒すかを必死で考えた結果、その考えと積み重ねてきた基礎が一つとなり、成長を促したのだと武は思っている。だからこそ、いくら得点を許しても油断はできなかった。

(もしも、鈴木と梶が同じようなタイプなら……俺達に追いつめられて成長するかもしれない)

 武と吉田。梶と鈴木。
 鏡合わせのように似ている二人。だからこそ、成長もまた似てるとするならば。これからが本当の正念場だ。

「よし、冷静に一本いこう」

 吉田に語りかけるようにそう言って、武は腰を落としてから深呼吸を何度か行った。吉田には言う必要がないと考えていても、自分に言い聞かせるためにも言う。

(考えてみたら……こういう心配って初めてかもしれない)

 武は第一ゲームから自分の中にある違和感を、ようやく形にしようとしていた。
 いつも武は挑む側だった。市内では実力が上の方で追いかけられるとしても、その時も相手に対して挑んでいる。気持ちは少なくとも挑戦者だった。
 全道でもそれは同じで。明確に格上だった橘兄弟以外にも、自分達が挑戦者だという気持ちで臨んでいたはずだった。
 しかし、この大会ではどこか、自分達は油断しなければ負けることはないという気持ちになっていた。
 この南北海道予選では、自分達に勝るダブルスはほぼいないだろう。だからこそ、自分達なりに目標を持って一試合一試合に望もう。そういう意識で試合をしてきた。だからこそ、こうして第一ゲームから自分達が「負けるかもしれない」と思う試合をしているのは久しぶりの感覚だ。自分達で目標設定をするのではなく、相手に勝つこと自体が目的。本来のバドミントンに戻ったと言える。
 それはつまり、自分が挑戦者ではなく王者としての考え方でいたということだろう。

(柄に合わないけど……そういうもんなんだろうな……)

 全道で橘兄弟を倒し、その後棄権したことで武達はダブルスとしては全道で二番目に強いことになる。
 だがそれは組み合わせの妙もあり、更には次に橘兄弟に当たった時に勝てる保証は全くない。それくらいギリギリの戦いで、運の要素が強かったと言える。まだまだ外見はハリボテなのに、王者を語ることなどおこがましい。
 武は頭を振って自分の中の雑念を払う。

(そうだ。俺は挑戦者だ。いつまでも。だから、この相手にも、勝つんだ)

 吉田のサーブの構えに合わせて腰を落とす。その瞬間、武の背筋に冷たい汗が流れた。
 ひやりとして一瞬、体が硬直したところで吉田がショートサーブを放つ。鈴木は今度はプッシュで武に向けてシャトルを落としてきた。一瞬の遅れだったが、武は強引に手を伸ばして、腕の力だけでロブを上げる。シャトルは綺麗に奥まで返り、そこを待ち構えていた梶がスマッシュをストレートで打ち込んだ。

「だりゃ!」
「はっ!」

 梶の言葉が消え去る前に、武が吼えて打ち返す。シャトルはピンボールのように跳ねて逆サイドへと飛んでいく。打ったばかりの梶は横に移動できずにそのまま前に出た。代わりに鈴木がシャトルを追って行き、下に周りこんでスマッシュを打つも、体が流されて上手く打てなかったのか白帯に当たって自分達のコートにシャトルが落ちていた。

「ポイント。3対0(スリーラブ)」

 武はロブを上手く返せたことにほっとして息を吐く。しかし、自分を一瞬だけ硬直させたものは気になって鈴木を見た。
 サーブを待っている間に、あからさまな敵意を鈴木は武へと向けてきたのだ。その気配によって背筋に冷たい汗が伝い、硬直してしまった。

(敵意と言うよりも闘争心、か)

 そこで改めて武は気づく。
 自分達が今まで相手に向けていた視線、闘志を。今度は自分達が向けられている。そうしてその闘争心を持ちながら試合を続けていくことで実力をアップさせていく。
 安西や岩代にももちろん向けられていたが、その時に感じたものとは全く別。
 二人は一年の時からの「ライバル」として認識していたために武も挑むという意識だった。しかし、鈴木と梶から見た自分達は、おそらくは武と吉田にとっての橘兄弟。あるいは西村と山本龍。越えるべき大きな山なのだろう。
 自分が相手に向けて発してきた気迫を、初めて自分が受ける。今までずっと挑戦し続けてきた武には初めての感覚だった。

「武。落ち着こう」

 気づいた時には吉田が傍に来ていた。いつものように平然として、自信を持って武を見つめている。シャトルを持った左手で軽く肩を叩いてから自分のサーブ位置へと立つ。現在は三点取っているため、武は右サイドにすぐ移動できるように、少しそちら寄りの位置取りから腰を落とす。

「あいつらがどういうペアだろうが、俺達は俺達のプレイをする。それが、これからの俺達に求められることだ」

 吉田は顔を向けないまま言う。それは鈴木と梶にも聞こえているだろう。武は吉田の背中を見ながら、言葉を脳内で再生する。

(俺達は俺達のプレイ。それが今後求められること、か)

 自分達のプレイとはどういうものだったか。吉田が前衛でシャトルを打ち込み、武が後方から強力なスマッシュで攻撃していく。その相乗効果で得点を重ねていく。それが武と吉田のスタイルだった。だが、それは全道大会から徐々に変化し、武もまた前衛を鍛えた。安西と岩代との戦いを回避してまで。

(そして、挑むこと、か)

 相手がどうだろうと。自分達は挑むことを止めない。挑戦していくこと。強い相手をどうやって倒していくかを思考し、実践していく。奇をてらわずにそれだけを目指すというのが、武が今までやってきたバドミントンだった。
 それは昔も今も変わらない筈。

(そうだ。相手が強いのは当たり前だ。全道なんだから)

 武の心の一つの芯が通って行く。その間に吉田が「一本!」と声を上げて今度はドリブンサーブで梶の左側を打ち抜く。第一ゲームで武に打たれたコースと同じ。違うのは梶が左サイドにいること。
 右サイドでサーブを受ける時よりは窮屈な動きをせずに、梶はスマッシュを打ち込んだ。本来ならば武が取るもので、武はラケットを伸ばしつつ移動する。しかし、先に吉田のラケットがシャトルを捉えていた。吉田は当てることだけが目的で、シャトルは完全に勢いを無くし、ネットを越えたところで触れつつ落ちた。

「ポイント4対0(フォーラブ)」

 吉田は拳を掲げて「しゃ!」と短く気合いを吐き出す。サーブ一つにも神経をすり減らし、どれだけ思考の間隙を縫えるかと考えている。

「ナイスサーブ! 香介」
「このまま一本ずつ行くぞ」

 一本ずつ。それを十五本積み重ねればおのずと勝利が見えてくる。武にとって吉田に敵わないと感じるのは、こういった我慢強さだ。自分達の試合は自分達の勝利だけではなく、団体戦の勝利にも一歩繋がる。小島が勝ち、早坂は勝ったかどうか試合中のため確認はしていない。どちらだとしても、自分達が勝利すれば優勝か、その一歩手前までの行くことになる。どうしても先にある結果を思い、気持ちが逸ってしまうが、吉田はどんな状況でも目の前の一本に集中できている。
 バドミントンに一発逆転はない。一本一本をしっかりと向き合って得点をしていけば。更には、どんなに負けているとしても最後に十五点か、セティングで伸びた先の点数を取れば勝つことが出来る。先のことに、現状に一喜一憂していてはそのチャンスを逃すことになる。あくまでも、最後の得点を自分達が取るまでは負けでもないし、勝ちでもないのだ。

(この精神力を俺も身に付けられれば……また変わるかもしれない)

 武は吉田の呼吸に合わせるように軽く息を吸い、吐いた。五点目に向けてのサーブは鈴木へのサーブ。吉田は少し慎重に構える位置を微調整して、最後に軽く打ちだす。バックハンドから優しく打たれたシャトルに対して鈴木がプッシュを打ちだす。低い弾道ではなく、真正面。武の顔面に向けて。

「うわっと!」

 咄嗟にロブを上げて打ち返そうとラケットを上げるが、プッシュでコートに沈めてくるだろうと予測していた武には、ラケットに当てることが限界だった。ふらふらとネット前に行くシャトルに狙いを済ませて、鈴木は今度こそプッシュで急角度にシャトルを沈めた。

「サービスオーバー。0対4(ラブフォー)」

 自分の前に転がったシャトルを拾い上げて、武は乱れた羽を整える。シャトルコックをくるくると回転させて羽に異常がないと判断すると、軽く鈴木の方へと打ち返した。それと同時に吉田が武へと近づいてきた。

「ドンマイ」
「すまん。あそこまでドライブっぽいシャトルは予測できなかった」
「いいさ。でも、もっと後半は集中力上げていけよ」
「……どういうことだよ」

 吉田は言葉を切ってちらりと鈴木と梶を見た。そして視線を外さずに元の位置に戻りながら武へと言う。

「これから、もっとあいつらは強くなるぞ」

 吉田の言葉に隠れていたかのように襲い掛かってくるプレッシャー。それは間違いなく鈴木と梶からのものだった。

 南北海道大会決勝第三試合。男子ダブルス。
 相沢・吉田組リード。
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