Fly Up! 243

モドル | ススム | モクジ
 シャトルの羽を一つ一つ丁寧に整えながら、早坂は頭の中を整理していく。指が羽を一つ一つ揃えていくと共に、これまで順番に自分の中へと蓄積された情報をバラバラにして、そこからパズルが一つ一つはめていく作業だ。

(私はラインぎりぎりばかりを狙っていた。君長はそもそも、自分から一番遠い位置を最初から目指して移動している……そうされると分かっているから。それを読んで別方向に打っても、方向転換して間に合うから問題ない……その、方向転換だ)

 自分の移動方向を切り替えるポイント。今の早坂もそうだったが、体を狙われるのが有効なのは、ラケットを持つ手の可動域の問題にある。どうしてもラケットを持つ側の体近くというのはシャフトが長いラケットにとっては死角になる。反応が速ければ前にラケットを出して、腕が縮こまる前に叩き返せるのだがそれを先読みするには余程の反応速度が必要だった。
 早坂はシャトルを出来る限り綺麗にして君長へと打って渡す。それを受け取って、羽部分を多少触りながら君長はサーブ位置に移動した。得点は8対6であと二点で早坂に追いつく。このまま何もできず追い抜かされるならばそのまま一ゲーム目を取られているだろう。それが分かっているのか、君長はこれまで以上に気迫を外に発散させる。突風を感じたような気がして、早坂は体を震わせた。

(ここが勝負所ね)

 誰よりも勝ち抜いた君長が本気を出す場所。それを信じるならば、七点目を取るかサービスオーバーかで結果はほぼ決まると見ていい。早坂が取ったとすれば、次の九点目が勝負の分かれ目になるのだが。

「ストップ」
「一本!!」

 早坂の気合いをかき消すように高い声を出して、君長はシャトルを更に高く打ち上げた。空へと放たれた言葉がシャトルに打ち抜かれるかのように。急速に打ちあがって、そのまま落ちていく。シャトルの軌道下に早坂は移動するとハイクリアを飛ばす。今まで通りの、最も遠い場所へ。

「はっ!」

 君長が追いつき、クロスに長いスマッシュを打つ。急角度で前に落ちていくのとは違い、飛距離が長くシャトルを捉えられやすいがコートの深いところまで攻められる。早坂が追い付いてそのままドライブを打った瞬間、君長は前に出た。

(やばい!?)

 打ち気を誘うシャトルの軌道に思わず攻めてしまった。君長ならば撃たれたシャトルに飛び込んで更に速くインターセプトすることは可能だ。少しでも決められる可能性を減らすために前に出る。君長は前に出てくる早坂を見て、勢いを止めずに前に出た。そのまま右足の踏込からクロスプッシュで羽を床へと飛ばす。

「あっ!」

 悲鳴にも近い声を出してラケットを振る。すると乾いた音が鳴り、シャトルは高くロブで返されていた。

(危ない……!)

 完全に勘で打ち返したシャトルはちゃんと返った。まだ自分に運が向いていると、早坂は腰を落として次の手を待つ。君長は即座に下に回り込む。そしてスマッシュをストレートに放ち、早坂のバックハンド側を襲った。シャトルを拾い、前に打つか後ろに打つか。君長の姿を見てクロスのロブを上げる。前への突進を止めて後ろに仰け反るようにして飛んでいく君長。自分が攻めるタイミングは分かっている。そのショットが来るまでは防御に徹する他ない。

(でも君長なら、私の狙いに一度で気づく……そうしたらそんなシャトルを打ってくることはこっちが追いつめない限りない。だから、ここで取る)

 君長が背筋をのけぞらせてストレートのハイクリアを放つ。早坂はシャトルの軌跡を追い、ラケットを振りかぶる。君長は自分の最も遠い位置――斜め右前方へと突進していた。それを視界に収めて、ストレートのドロップを打った。
 斜め右前方に向かっていた体を右足の一踏みで止まらせて、すぐに方向転換する。一瞬だけの停滞に耐えうる体は、体重の軽さも影響しているだろう。軽やかに前に出てラケットを差し出し、君長は早坂のいない方向へとクロスプッシュを打った。

「は!」

 だが、早坂はシャトルへとダッシュしてバックハンドで打ち上げた。先ほどと同じようにギリギリの返球。しかし、今度は半分は賭けで半分は確信だ。君長が打つ瞬間に、加速してシャトルへと追いつく。君長ならばきっとシャトルをクロスへと打つだろう。その予想と共にフェイントを入れたのだ。君長は少し動き出しが遅れたが、それでもシャトルに追いつき振りかぶる。スマッシュをクロスに打ち込み、前に出る。

(ここだ!)

 早坂はそこで前に踏み出した。前方に進むようにしてシャトルを射程距離に収める。君長は咄嗟に止まり、早坂の次の手を見ようとする。その隙に、早坂はネット前でプッシュを放った。狙うのは、一点。
 君長の胸部へと。

「はっ!」

 ネットすれすれに放たれたプッシュは軌道は浅い。しかし、真っ直ぐに君長のボディに向かう。君長はラケットを振ろうと体を動かしたが一瞬間にあわずにシャトルは肩口に当たって下に落ちていった。

「サービスオーバー。エイトシックス(8対6)」
『ナイスショーット!!!!』

 武や小島、吉田を筆頭に仲間達が声を出す。早坂はそれに呼応するように天井に向けて吼えた。

「やー! 一本!」

 吼えてから君長の方へと向き、サーブ位置に立つ。君長は自分のミスに呆気にとられたようで、シャトルを拾うのを忘れていたようだった。審判に声をかけられて慌てて拾うと早坂へと打って渡す。シャトルを受け取って羽を綺麗に整えながら、次の手を考える。

(もう一点。今のタイミングを狙う――)

 早坂はサーブ姿勢を整えて君長が構えるのを待った。相手は早坂を見据えてまたプレッシャーを突きつけてくる。
 おそらくは何かに気づいただろうがそれを完璧に気づく前にもう一点取る。最低でもそれでセティングに持ち込める状況になれば精神的に優位に立つだろう。

「はっ!」

 気合いの一声と共に早坂はシャトルを打ち上げる。君長が落下点に移動し、クロスハイクリアで早坂を今の場所から最も遠くへ追いやる。その間に君長は斜め前に出る。遠い位置、遠い位置というように詰将棋を展開する。その土俵に乗らずに早坂はストレートにハイクリアを放ち、今度は君長を後ろに追いやる。ハイクリアからハイクリア。更にハイクリア。またシャトルを高く丸い軌道を描く二人は、同じように攻め込むタイミングを計っている。
 また膠着状態になるかと周りが思った矢先、君長が動く。

「やっ!」

 ストレートのハイクリアからストレートのドロップに。そしてコート中央に戻る。早坂はその動きを見て右前方にヘアピンになるように打ち返す。君長は中央からたった二歩で追いついてシャトルをプッシュで叩き込んだ。ネットギリギリだったために威力はなく、落ちていくシャトルを早坂は更に前に落とした。ロブを上げるのではなく前に。急ブレーキをかけて向かった君長の体が多少後ろに引かれたのを早坂は見極める。
 君長はプッシュできなかったため、早坂にロブを上げさせようとしてヘアピンを打った。体はロブに備えて斜め後ろに動く。
 そこを狙い、早坂はプッシュともヘアピンとも言えない中途半端なショットを打った。

「!?」

 君長の顔が驚愕に染まったのを早坂は見逃さなかった。君長は自分自身に向かったシャトルに対してラケットを出すも、ラケット面をすり抜けて右後方へとシャトルは流れていく。そのまま尻餅をついて倒れた。

「ポイント……ナインシックス(9対6)」

 息を切らせながら早坂は君長を見下ろした。君長は尻餅の状態から早坂を見上げる。
 早坂は自分の狙ったことが完全に成功したことに内心でガッツポーズを取りつつもクールにサーブ位置に戻っていく。背中に君長の視線が注がれていくのが感じ取れた。それほどに、今の早坂の集中力は高まっている。
 遠くから遠くへと移動することが前提の君長のフットワーク。速さと反応速度を兼ね備えた君長にこそ存在した弱点を完璧に突けたのだ。
 いくら速くても、移動と攻撃をほぼ同時に行うことはできない。早坂自身、フットワークで移動してギリギリ追いついたシャトルを体が流れたまま打つことはあるが、それはあくまで移動して体を流した後でラケットを振っている。ラケットを振る時にはもう体は慣性のまま動くことに委ねているため「移動」はしていない。
 早坂は君長が移動を開始した直後に、その移動を始めた地点へとシャトルを打ち込んだ。その場から最も遠くへと走り出そうとする君長にとってスタート地点というのは最も自分の体に近いところ。ボディアタックが取り辛いバドミントンの特性は君長にも当てはまる。更に、移動のために足を踏み出したところに来るのだから、咄嗟に動きを止めて打ち返すのはいくら君長でも至難の技だった。
 最も。その地点にシャトルを打ち込む技量を持つものもほとんどいないというのが事実だろう。君長の動きだしは相手がシャトルを打つ直前だ。その前まで視界に君長を捉え、打つ瞬間にシャトルへと目をやるというのが通常の打ち方。そうしなければシャトルのインパクトが微妙にずれてコースが定まらない。だが、動き出した直後に打ち込むためにはシャトルと君長が同じ視界になければ達成できない。だからこそ、早坂もいつでもできるわけでもなく、する時もそのタイミングを見極めるために集中力をかなり使い、疲労が蓄積する。早坂にとって諸刃の剣。

(それでも、私はやるしかない)

 勝つ道がそれしかないのなら進むしかない。体力が減って最後に力尽きても、それを試合が終わる時まで伸ばさなければいけない。苦しい勝負になるの初めから分かっていた。その覚悟は、できている。
 シャトルを貰い、サーブ体勢を整える。残るは二点。十点目をもぎ取るために早坂は君長一人しか見えないくらいに集中力を上げた。

「一本!」

 ロングサーブを打とうとラケットを振りかぶり、インパクトの瞬間に止めてショートサーブに変換する。今日初めてのショートサーブに後ろに飛んだ君長が前に移動した。体を揺さぶられても打つ時にはしっかりした姿勢になっていて、並のプレイヤーならロブを上げるところをヘアピンで勝負する。
 ネット前にストレートにきたヘアピンに早坂は一歩早くラケットを届かせて低めの弾道でロブを上げた。君長はすぐに後ろへと走って行き、回り込むようにしてシャトルに追いつくと高くロブを上げて体勢を立て直す。奥へと返ってきたシャトルをクロスで奥へと打ち込む。コート中央にしっかりと体を落ち着かせた君長からは動き出しを狙うというのは使えない。あくまで、連続したラリーの中で君長の動きを常に止めない速さが必要だった。
 次々とラリーを続けていく中で、互いに相手の隙を作り出そうとする。君長は素早く動いて早坂の攻撃を次々と受け止めることで。早坂は厳しいコースを突き続けることでそれを達成しようとする。よりリスキーなのは早坂のほうだ。コート四隅ぎりぎりを狙わなければ君長の移動スピードでは簡単に追いつかれ、プッシュされてしまう。今も追いつかれてはいるが決定打を打たれないのは、コントロールを駆使してシングルスで使われる範囲を最大限に使っているからだ。少しでも甘くなれば狙い打たれる。

(それでも、いく!)

 早坂のスマッシュを君長がクロスで返す。早坂はすべるようにシャトルに追いついて君長を見る。左サイドにいたところから右サイドに移動しており、逆サイドが空いていた。

「はっ!」

 クロスのドライブをインターセプトして同じ軌道に打ち返す。慣性力を打ち消して、君長は逆サイドへと体を交差させる。その時、その動きが大きくぶれた。

「きゃっ!?」

 転びはしなかったが君長は体を低くしてその場に座り込んだ。シャトルはそのままコートを抜けて行き、ライン際に着弾する。

「ポイント。テンゲームポイント、シックス(10対6)」

 早坂も含めて周りに緊張が走ったが、君長は少しの間縮こまった体勢でいて、ゆっくりと起き上がる。床を見て汗を拭きとる動作を審判にしてからタオルを取りに行った。

(……足が滑っただけか)

 早坂自身もホッとする。もしこれで君長が怪我をして試合が中断となれば、試合には勝てるが勝負に勝った気はしない。自分が苦しいのは百も承知だが、やはり全力で君長を倒したかった。シャトルを受け取って羽根を整えている間に君長も気になるところを拭き終えたらしい。タオルをラケットバッグに置いてレシーブ体勢を取った。

(……君長も、汗をかいてる、か)

 試合時間のことを気に掛けると、体感ではいつもよりも明らかに長かった。実際の時間を知る手段は今の早坂にはないが、自分が君長の体力を削れているというのは大きな自信となる。

「ラスト一本!」

 叫んでシャトルを打ち上げる。君長が追って行き、コート奥でラケットを振りかぶる。
 そのテンポが今までよりもかすかに遅い。そう感じた時だった。

「やっ!」

 君長のスマッシュが、ネットに当たって弾き返されていた。

「ポイント。イレブンシックス(11対6)。チェンジエンド」

 あまりにもあっけないファーストゲームの終わりに、早坂もどうしたらいいか分からずに動けなかった。しかし取られた方の君長は意に介した様子もなく、淡々とコートの外に出てラケットバッグを持つ。これから早坂のいるコートに向かって歩き出す。視界に入れてようやく早坂もコートから早足で出て、ラケットバッグを持って君長のいたコートへと向かった。仲間達も展開に理解が追い付いて、拍手と共に声援を送る。

「まず一ゲーム!」
「一気にいこうぜ!」

 聞こえてくる耳慣れた声の中で、早坂は空気が冷えていくように感じていた。
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