Fly Up! 244

モドル | ススム | モクジ
 向かいのエンドの傍にラケットバッグを下ろして早坂はコートへと入った。先ほどまで君長がいた場所。そこに自分が立っている。
 ファーストゲームに決着がついて、第二ゲーム目。それも、自分が先に取っている。ジュニア全道大会ではなす術なく倒されて、時間経過で言えばもう終わっていたくらいだ。
 短期間の間に練習した成果が現れているという確信がある。それでも早坂の心の中には不安な気持ちが広がっていった。

(まだまだ……何かが、ある)

 自分が持つイメージの中の君長凛と自分の成長。その差に困惑しているということではない。
 ファーストゲームを取れたこと自体は自分の力を出したことだと思っている。体力をかなり消費しており、後のことをあまり考えたくはないほどだ。逆を言えばそれだけ体力を使わなければ勝てない相手であり、その価値は十分にある。
 しかし、早坂が感じているのは明確な「何かがある予感」だった
 君長はファーストゲームの後半から全力を出しているはずだった。それは移動速度を上げていること。靴紐を結んでしっかりと履くことで踏み込みも安定し、コントロールが増した。追い上げられた時に早坂は君長がフットワークで移動を開始した直後に元いた場所を狙うことでミスを誘わせた。
 隙を狙うことには多大な集中力が必要であり、更にラリーの中で限定した状況でなければいけないが、その状況に持ち込めば早坂は君長の上を行く。あとはその状況を作り出すために思考を展開するだけ。

「一本」

 勝利への道が見えたはずなのに、それが間違ったルートの気がしてならない。早坂は気を抜かないために呟いてからサーブ姿勢を取る。君長はその場で体をほぐすように何度か飛んで、レシーブ体勢を取った。

「セカンドゲーム、ラブオールプレイ」
『お願いします!』

 二人が同時に言って、早坂はシャトルを打ち上げた。ファーストゲームと同様にライン際をずっと狙っていく作戦。一度流れが切れた後でも狙いは正確にサービスラインの後ろと横が交わる点に向かってシャトルが落ちていく。

「はっ!」

 君長は飛び上がり、そのままスマッシュを打ってくる。弾道はストレート。
 早坂はシャトルをレシーブしようとラケットを伸ばそうとした体勢のままで、コートに着弾した音を聞いていた。

「サービスオーバー。ラブオール(0対0)」
(――なんですって?)

 レシーブ体勢は十分だった。ストレートの軌道はファーストゲームからも何度も受けている。右にワンステップ踏み込んでラケットを伸ばせば十分届くはずだった。しかし、結果はラケットが出る前にシャトルがコートへと落ちていた。明らかに、ファーストゲームよりも速く、角度が付いていた。

(……スマッシュの打ち方が、変わった?)

 シャトルを拾い上げて乱れた羽を整えると、君長に向けて打ち返す。内心の童謡を悟られないようにしながら、早坂は一度深呼吸して感情をリセットする。

(打ち方を変えてきた。つまり、一ゲーム目の攻めは君長にも十分通じているってことだ)

 もしも挽回できると考えているならば、一ゲーム目と変えてくる必要性はない。早坂が無理をしているのはおそらく君長ならば分かっている。ギリギリのコースを狙い続ける集中力がどれほどのものか知らない筈がない。それでも持久戦を選ばずに攻め方を変えたということは、このままだと早坂が押し切る可能性が十分あると考えたからに違いない。

(攻め方を変えてきたなら、それに合わせるだけ)

 君長がサーブ姿勢を取り、早坂はラケットを掲げる。ここから先はファーストゲームから引き続いてのセカンドゲームではなく、新しく始まった試合だと思った方がいい。そう頭を切り替えて、早坂は咆哮する。

「ストップ!」
「……一本!」

 君長が鋭く呟いてロングサーブを打つ。コートの右奥に飛んで行ったシャトルへ追いつき、早坂はストレートのハイクリアを打つ。君長はすぐにシャトルへと追いつき、飛び上がる。

「やっ!」

 ジャンピングスマッシュで放たれたシャトルは早坂の予測を越える速度で迫ってくる。早坂は咄嗟に前に出していたラケットでシャトルを打ち返すことが出来たが、バランスが崩れてたたらを踏む。その間に前に詰めた君長は飛び上がってまるでスマッシュで打ったかのような軌道でプッシュを打ち込んだ。

「ポイント。ワンラブ(1対0)」

 少しでも体勢を崩しただけで次の攻撃に反応できない。君長のスマッシュの速度が上がったことで、普段通りのフットワークの速さが更に生かされている。
 シャトルを拾い上げて羽を綺麗にし、打ち返す。
 普段と同じ動作をして平常心を取り戻してから、次の君長とのラリーに挑む。何度同じように負けようとも、そうしなければ更に簡単に点を奪われるだけ。

(焦るな……焦ったら、一気に押し切られる)

 自分の中にあるボーダーラインを一つだけ下げる。
 二ゲーム連取。最初から最後まで攻め続けると決めていた思いを、一ゲーム取ったのだから最悪ファイナルまでもつれ込めばいいと。それは緊張から自分を解放するためのテクニックだったが、逆に気が抜けて押し切られかねない諸刃の剣。
 危うい選択だったが、まずは自分の力をすべて出し切れる状態にできなければ意味はない。

(少しでも可能性がある方に、賭ける)

 君長は更に自分でシャトルを整えてから構える。早坂がレシーブ姿勢を取ったところで「一本!」という言葉と共にショートサーブでシャトルを前に押し出した。
 前に落ちようとするシャトルをラケットを伸ばして打ち上げる早坂。
 しかし、自分の頭の上に影が覆い、次にはシャトルが足元へと打ち返されていた。

「――っ」

 シャトルコックが右足のつま先部分にぶつかり、跳ねる。
 バドミントンシューズに包まれているとはいえ、シャトルで最も固い部分がかなりの速度で叩き込まれたため、痛みが脳まで一気に駆け抜ける。早坂は思わず座り込み、つま先をさすった。

「だ、大丈夫ですか?」

 顔を上げると君長が心配そうな顔でネットの上から覗き込んでくる。その上と下が、現状を表しているようで早坂は転がったシャトルを掴み、立ち上がる。

「大丈夫よ」

 手で軽くシャトルを放って君長へと渡す。受け取った君長は軽く頭を下げてサーブ位置へと戻って行った。得点は2対0だが、早坂にとっては悪い展開から取られた二点だ。攻めることができていたファーストゲームに比べて最初から攻め込まれて、取られてしまっている。
 最初から流れが悪ければ二手目、三手目と追い込まれるのは必然。今のは運の要素もあったが、君長に流れが行きかけているからこそネット前にインターセプトが出来たに違いない。

「ストップ」

 ラケットを掲げて左足を前に出して構える。右足はつま先を床に付けるようにしているが、痛みは特にない。君長が心配するまでもなく、ダメージはなかった。ダメージがあるとすれば心の方。このまま打開策を思いつかなければセカンドゲームを取るために必要な心が折られかねない。

(スマッシュの威力が上がってるところから始まってる。だから、スマッシュを攻略しないと)

 君長が声とともに飛ばしてくるロングサーブ。早坂は後を追って真下に入るとクロスにハイクリアを打つ。できるだけ遠くに打ち込んで、シャトルが来るのを遅くする戦法。シャトルは初速と終速でかなりの落差があるため、いくら君長の威力を増したスマッシュでも慣れればとれるはずだ。君長はシャトルに追いつくが、そこで早坂は初めてスマッシュの秘密に気がついた。
 君長はシャトルの落下点よりもかなり後ろに移動し、前に飛びこむようにしてスマッシュを打っていた。シャトルを追い越したところで急ブレーキをかけ、そこから前に飛び、前方へと駆け出す勢いを用いたその威力は角度と速度に重力加速をより与える。早坂の体重移動を上手く乗せたスマッシュを、三次元の領域で行っていた。

「くっ!」

 ストレートに突き進むスマッシュに何とか反応してラケットを伸ばす。バックハンドでコントロールしてネット前に落とすが、そこには君長の姿。そのままプッシュで早坂の足元へとシャトルを叩き付けた。
 三点目が入り、君長がガッツポーズをするのを見ているとどうしても心がざわつくのを早坂は感じていた。その度に息を吐いて溜まった感情を外に出す。焦ろうが落ち込もうが、得点は入らない。取られたら割り切って、次に生かすしかない。それほどの精神的な強さを得なければ、君長にはかなわない。

(逆に言えば、君長はそれだけの強さを持ってるってことなのかもしれないわね)

 一つ下の後輩ということはもうこの場には関係ない。自分が相手にしているのは全国の頂点。早坂はシャトルを返してからレシーブ位置に着くまでに、君長に尊敬の念を抱いている自分を意識した。自分よりも小さい体に、全国の頂点まで駆け上った力が凝縮されている。その相手に対して一ゲーム目を取っている。ジュニア全道大会での敗北から、ここまでになった。自分の道は間違っていないと胸を張って言える。
 後ろで応援してくれている仲間達。隣のコートで試合をしている小島。
 そして、地元にいる同じ部の仲間達。
 全員の顔が頭をよぎり、早坂は一度目を閉じてから、見開いた。

「ストップ!」

 気合いを入れなおして君長のサーブに備える。相手は小さく「一本」と呟いて、ロングサーブでシャトルを運ぶ。シャトルの下についてストレートのハイクリアを放ってコート中央へと腰を落とすと、早坂は君長のスマッシュ一択で身構えた。

(ここで、あのスマッシュを止める!)

 君長ならばここからハイクリアやドロップに打つショットを変更できるだろう。だが、それならばまだ反応できる。問題なのは、威力が上がったスマッシュだ。最速のスマッシュに体のギアを合わせて反応する。スマッシュを優位に決められずにラリーを続けることが出来ればファーストゲームの展開に持ち込むことが出来るはずだった。

「こい!」

 君長がスマッシュを打ってくるように声でも牽制をしておく。こちらに気合いに応えて打ってくるかどうかは微妙ではあるが、やっておいて損はない。
 そして、君長はシャトルの後方から前にジャンプしてラケットを振りきった。
 シャトルがストレートに早坂のコートへと向かい、軌道を読んだ早坂はバックハンドで取りに向かう。軌道も速度も完ぺきにとらえたと、早坂は思った。

(――え!?)

 シャトルの軌道へと滑らせたラケット面が、その軌道を外れていく。そして、シャトルはラケットシャフトに当たってコートに落ちて行った。右足を踏み込んで体を止めて、転がったシャトルを見ながら、早坂は今の状況をすぐに把握した。

(遅い、スマッシュ……)

 君長が出してきた最速のスマッシュ。それを取ろうと決めて構えたところで、君長はあえて「遅いスマッシュ」を打ってきた。その遅いスマッシュもファーストゲームで打っていた速度とほぼ変わらず、反応が遅れれば取ることが出来ない速さを保っている。タイミングのずれというのはなかなか修正できない。それを修正しようとしたところを狙っての、次の一手。
 完全に君長の術中にはまっている。次に早坂がどうしようとしてくるか読まれているのだ。たった一つのスマッシュから支配権を奪われる。それは、スマッシュの効果を君長自身が理解して、利用しているということ。
 現状では戦術レベルで君長が上を行っているのは間違いない。

(私も、なんとか現状を打開しないと)

 状況を持っていかれたスマッシュの攻略。それを第一に考えて本当にいいのか。スマッシュに的を絞れば、今度は速度のマジックで応戦される。もっと打たせれば癖か何か見分けることができるきっかけが掴めるかもしれないが、その前にセカンドゲームが終わる可能性もある。このまま打ち込まれたままで得点できずに負けてしまえば、ファイナルゲームは押し切られるだろう。

「早坂! まずサービスオーバーだ!」

 思考に溺れかけた頭に声が届く。大きく、集中している中では耳障りにもなってしまうような声。だが、逆にそれだけ自分の中に届く声が正気に戻す。

「ストップ! シャトル返してこう!」

 聞こえてくる武の声に頬が緩む。背中を強く熱い何かが押しているような錯覚。コートには一人だとしても、後ろについていてくれる存在。小学生の頃は遠くにいた男が、気づけばすぐ傍まで来ていたことに嫉妬もした。それでも、背中にいてくれたことに感謝をして、恋愛感情まで抱いた。
 小学生の時に感じていた孤独感はここにはない。余計な不安などなく、前だけを見ていける。

「ストップ!」

 レシーブ姿勢を取って君長のサーブを待つ。すぐにショートサーブが打たれて早坂はロブを上げようとラケットを後ろに引く。打ち気は完全にロブ。君長もそれを感じ取ったのか後ろへと体を飛ばした。
 その瞬間に、早坂は右足を思い切り踏み込んだ。

「やっ!」

 ラケットは振り切る前に力で止め、シャトルはただ弾かれてネット前にふわりと浮かぶ。ラケットの軌道を強引に止めたことで白帯から大きく浮かんだが、後ろへと動いていた君長がそれをプッシュするにはさすがに距離がある。
 君長は右足で自分の体の流れを抑えて前に飛んだ。

(ここからよ!)

 落ちていくシャトルに向かう君長を視界に収めながら、早坂は内心で吼えていた。
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