Fly Up! 237

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『只今より、全国中学生バドミントン大会全道予選決勝を開催します』

 場内にアナウンスが流れた時には、すでに武達は試合が行われるであろうコートの傍に立っていた。
 大会の終わりに向けてコートが整理されており、十面作られていたコートは両側の壁の傍にある場所からテープを剥がされ、中央の二面だけが残された。
 二試合同時に試合を開始して、終わったコートから次の試合に入っていくという形式だというのは疑いようがなかった。
 コートの傍に立っていたのは武達だけではない。武達が到着するのとほぼ変わらずに、すぐに相手チームも姿を現していた。
 函館Aチーム。現時点で日本一強い女子中学生、君長凛を先頭に選手達が堂々と歩いてきて、南北海道チームとは反対側に集まってアナウンスを待っていたのだ。

「……皆、ここまで良く頑張った」

 相手チームを見てから吉田コーチが全員に対して言う。Bチームの面々は観客席から庄司と共に武達を見ていた。おそらくは、吉田コーチはBチームの仲間にも言っているに違いない、と武は思う。

「今日の最後の試合。そして、全国への挑戦権を賭けた試合だ。必ず勝つぞ」
『はい!』

 全員が同時に叫び、勝利への決意を新たにする。全員の覇気が十分に満たされていくのを眺めて、吉田コーチはオーダーを発表した。
 男子シングルス・小島。
 女子シングルス・早坂。
 男子ダブルス・武と吉田。
 女子ダブルス、瀬名と姫川。
 ミックスダブルス、安西と清水。
 勝利をもぎ取るための、全力を出せるオーダー。
 発表後にタイミング良く審判がやってきて、両チームを二面のうち、片方のコート内に入れる。試合の最初と最後にだけ、全員がそろってコートに足を踏み入れる。互いに向かい合い、ネットごしに握手を交わして互いの健闘を誓い合う。武の握手の相手はおそらくはダブルスで相手になるであろう梶だった。握手を終えてからコートから全員を一度出したところで、審判は男女シングルスの試合をコールした。タイミングをよく合わせているのか、武達も気づかぬうちにもう一つのコートにも審判が立っていた。
 小島と早坂は同時に前に踏み出す。

「小島! 早坂! 絶対勝てよ!」
「当然!」
「勝ってくるわ」

 武の言葉に二人とも気合いを乗せた声で反応する。コートへと向かう二人の体から気合いが周りに噴き出しているように錯覚するほど。武は息を呑みながらその背を見送った。

「あいつらは、勝てるさ」

 吉田が隣に来て囁くように言う。武達はコートを挟んで両サイドに大会役員が用意したパイプ椅子に座って、二人の試合を同時に見ることになる。どちらも目が離せない試合だが、武はやはり早坂の方へと視線が向いた。

「勝つって信じてるけど……やっぱり早坂の方は……きついよな」
「早坂だけじゃないぞ、きっと」
「え?」

 吉田は小島のコートを見ていた。
 正確には、ネットを挟んだ向かいに立つ男子へと。武は、その男子は今まで試合をしているところを見たことがない。今まで補欠だった選手を出したのかと思い、自然と呟いていた。

「相手は小島だから……捨てたのかな? っ!?」

 武の言葉を聞きとがめたのか、吉田が軽く頭を叩く。急な痛みに声も出なかった武は叩かれた後頭部をさすりつつ吉田を見る。

「おいおい。ちょっと油断しすぎだろ」
「でもさ……相手は一回も出たことないんだろ? なら、シングルスで主力張ってた選手をダブルスとかミックスに回したんじゃ……」
「多分、そうでもない。勘だけど」

 勘だけで殴ったのかと吉田を恨めしそうに見る武だったが、確かに油断しているところはあったと反省する。
 全道大会の決勝ともなれば、試合一つ一つに駆け引きがある。今まで補欠だった選手がシングルスで出てきたのも何かしら意味があると考えるべきだ。武の思うとおりに試合を捨てるにしても、ただ捨てるわけではないだろう。

「稲田隼人ってあいつ……多分、だけど」
「え?」

 吉田の言葉を武が聞き返す。その間に試合が始まり、隼人からサーブが放たれた。シャトルは弧を描いて小島の頭上を越えていく。それに追いついてから小島はストレートスマッシュでライン際に沈めようとする。しかし、稲田がそのシャトルに即座に反応し、綺麗に前に落としていた。

「ポイント。ワンラブ(1対0)」
「……え?」

 審判の声に続いて武は口を開けて呆気にとられた。小島のスマッシュはけして様子見ではない。武の目から見て本気のスマッシュを放っていた。その速度は武にも刈田にも引けを取らない。しかし、稲田は一回目からそれを取り、綺麗にヘアピンを返した。それはシャトルが完全に見えており、速度に慣れていてシャトルを支配できているということだ。

「ここまで温存していて出してきているのなら……それだけ奥の手だってことだよ」

 吉田は「多分だけど」の後の言葉を続ける。武は口を閉じて吉田のほうへと視線を戻した。顔は強張り、緊張が浮かんでいる。武の視線が向いているのを分かって、吉田は続けた。

「稲田は多分、函館Aチームの中で一番強い。君長凛とあの稲田隼人で、二枚看板なんだ。更に俺達と経歴が似てる鈴木と梶。残りの女子は分からないけど……十分最初の三戦で勝利出来る公算があるんだ」

 オーダーによる回避ではなく、真っ向勝負。武達は自分達の最も自信のあるオーダーを出したが、それに対して函館Aチームは最高のオーダーをぶつけた。いくつかある駆け引きの中で、最もシンプルな真っ向勝負を挑まれている。

「……それでも、小島は勝つよ」
「それは俺も信じてるさ。ただ、油断は一切できないってことだな」
「ああ」

 話を続けている間も、稲田はスマッシュで小島を押している。小島は劣勢だったが、シャトルを的確に打ち返して稲田の攻撃をある程度受けると躱していく。だが、躱す先に回り込むように稲田はすぐ連続攻撃に入っていく。
 攻撃は最大の防御。やがて、小島のラケットを抜けてシャトルがコートへと着弾した。

「ポイント。ツーラブ(2対0)」
「しゃあ!」

 稲田は審判の声に重ねるように叫ぶ。その顔は生き生きとして、コートにシャトルを沈めることに異様に喜びを感じているようだった。小島はゆっくりとシャトルを拾い、打ち返す。それを稲田はラケットを使い中空で受け止めると、逆に素早くサーブ態勢を取った。早く小島へ試合を再開しようと誘っているのは明らかだ。

「間違いなく勝ちに来てるな」
「ああ」

 吉田の言う言葉がようやく身に染みて、武は唾をごくりと飲み込む。小島が負けるとは思わない。それでも未知の敵への畏怖は拭えない。その怖さを吹き飛ばすように、武は小島へと声を張り上げた。

「小島! ストップ!」

 その声に小島はゆっくりと手を上げて答えた。


 * * *


(あいつも肝が据わってきたと思ったけど、まだまだだな)

 小島は内心で武の動揺を笑いつつ、レシーブ姿勢を取る。するとすぐに稲田がロングサーブでシャトルをコート奥へと運んできた。それをストレートのハイクリアで飛ばしてコート中央へと戻る。すると、すでに稲田はそのシャトルの落下地点へと移動していた。小島は最初に二点取られたことで感じていた何かをここで掴む。

(やっぱり。こいつも姫川と同じくスピード系だな)

 同じ函館で言えば、君長凛と同系統。
 稲田隼人はフットワークの速度とスマッシュの威力を兼ね備えたプレイヤーだった。フットワークの速度の脅威は身近にいる姫川や、全道大会での他の選手の動きを見てきてはいるが、公式戦でそのタイプと対戦するのは初めてだ。実際にネットの向こう側に立たれると早坂が君長に苦戦する理由も分かる。

(確かに……大したもんだ。今まで無名だったってことは、この冬までで一気に伸びたってことだろ!)

 稲田のスマッシュをロブで打ち返し、コート奥へと縫い付ける。そこから負けずにスマッシュを打ち続けてくる稲田はおそらく体力にも自信があるのだろう。しかし小島はそんなことには構わずに、シャトルを狙ったところへと打ち返し続ける。

(でもな! そんな奴ぁ中学からならごろごろいるんだ!)

 スマッシュの間に挟まれたドロップも前に詰めた小島はギリギリのヘアピンで返す。シャトルは白帯にぶつかって稲田のコートへと落ちていた。

「サービスオーバー。ラブツー(0対2)」
「しっ!」

 小島は小さく拳を腰に引き付けた。
 稲田は落ちたシャトルを悔しそうに見ていたが、それを小島が拾うのを見てすぐにレシーブ位置に戻った。小島もサーブ位置に戻りながらゆっくりと羽を綺麗な状態に整えてから振り向き、稲田を視界に収める。その様子はまだ慌てていないようだったが、小島には心の中の迷いみたいなものが見えていた。

「一本」

 小さく呟いて、ロングサーブを高く打ち上げる。シャトルが下りてくる間にコートの中心に陣取ると、稲田は挑戦的にスマッシュを打ち込んできた。真正面のシャトルを打ちやすいように体を斜め横にしてバックハンドで構える。稲田もネット前に落とされるかと前に詰めようとしてくるが、それを視界の端でとらえた小島は手首だけで高いロブへと変化させる。稲田は右足で踏み込んで体を止めると、すぐにシャトルを追って行く。その動きは淀みなく最初から決まっていたルートのように小島の目にも映った。
 それは力のロスがなく、綺麗なフットワークが出来ている証拠だ。

「おら!」

 後ろへ飛んでシャトルを射程距離に収めて、稲田はラケットを振りぬいた。バックジャンプからのジャンピングスマッシュはシャトルをコートの右側の線上へと運ぶ。だが小島はたった二歩で距離を詰める。ライン上に落ちようとするシャトルの射線上にラケット面を置くだけで、シャトルはその面に弾かれて稲田のコートへと返り、ネットを越えて落ちていく。同じ轍を踏まないと前に出た稲田だったが、またしてもシャトルに追いつくことが出来なかった。

「ポイント。ワンツー(1対2)」
「っくっそー!」

 稲田は感情を露わにして届かないことに苛立つ。今度はシャトルをラケットを使って拾い上げ、小島へとシャトルを放って渡す。小島もラケットでシャトルを取ると左手に持ち直した。

(……これで終わってくれると楽なんだが)

 客観的に見ると自分のフットワークやスマッシュの速度が通用せずに苛立っているように見える。実際にその部分があるとしても、ここまで実力を隠してきた男がこれで終わるとは思っていなかった。必ず何かもう一段階あると小島は確信している。
 今まで一度も稲田のことは目にしておらず、おそらくは自分達の地区で行われた学年別大会の頃に実力を伸ばしたのだろう。データがない相手だったが、今まで戦ってきた相手との経験からすると、全道以上で戦える選手は必ず何かこれ以上の武器を持っていた。

「小島ー! 一本だ!」

 外から聞こえる武の声に、小島は少しだけ感心した。武は小島が油断しないように声をかけてきている。それは小島自身には無用のものなのだが、そんなことをしてくるということは、稲田に何かあるとまだ思っているからだ。自分と同じ思いの仲間がいるということはほんの少しだけ気分を楽にしてくれる。

「一本!」

 前よりもほんの少しだけ大きな声で、小島はシャトルを打ち上げた。
 稲田はまたシャトルを追い、今度はハイクリアで小島を右奥へと追いやる。しっかりと飛んだシャトルはギリギリ後ろのラインに向けて落ちていくように見えた。小島は打つ瞬間に稲田の位置を確認し、クロスのハイクリアで相手の右奥へとコートを端から端まで切り裂く。飛距離が長い分、稲田は難なく追いついて次の手を打った。小島はコートの左寄りに膝を落として待ち、シャトルはストレートのドロップで落とされていた。前に詰めてラケットを出すと、突進してくる稲田の顔が見え、その瞬間にラケットをスライスさせてシャトルをクロスヘアピンに変換する。
 稲田は方向転換して変化した先へとラケットを出していた。辛うじて捉えた瞬間に打ち上げすぎないようにヘアピンになる。飛び込んだ勢いで弾いた結果、シャトルは白帯すれすれを越えて落ちようとした。

「はっ!」

 シャトルが落ち始めたところを狙ってラケットが下から上に跳ねあげられる。下からシャトルコックをスライスさせるように跳ねあがったラケットに合わせてシャトルが稲田のコートへと戻る。今度は稲田がクロスヘアピンで小島の逆側へシャトルを運んだ。
 同じようにシャトルをスライスさせてスピンをかけるネット前の攻防。四度目で初めてシャトルを跳ね上げたのは、稲田だった。

「どうした!」

 小島は叫び、シャトルの下に入る。そこからジャンピングスマッシュを放った。
 狙うのは小島から見て右側奥。稲田の左側シングルスライン。稲田のフットワークならばすぐに追いついて打ち返せると考えた通り、稲田は打ち終って空いている小島の右側を抜こうとドライブでシャトルを打ち抜く。
 だが、小島の伸ばしたラケット面が稲田が打ったシャトルへと当たり、ネット前へと返していた。

「ポイント。ツーオール(2対2)」

 似たような結果がすでに三回目。
 稲田もすぐには悔しがらず、同じ結果が繰り返されていることに何かを考えているようだった。
 少し動きを止めた後でシャトルを拾い、小島へと放り投げる。ふわりとした弾道のシャトルを受け取った小島は今まで以上のプレッシャーを感じ始めていた。
 何か小さく呟きながらレシーブ位置へと戻っていくその姿は、短い間に現状を分析して打開策を得ようとしているのかもしれない。

(化けて、くるか?)

 小島は背筋に汗が伝うのを自覚した。
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