Fly Up! 238
小島のスマッシュがコートに打ち込まれる。踏み出した足を止められずにたたらを踏んだ稲田は何とか体勢を元に戻した。息は軽く切れており、コートに転がっているシャトルを睨みつけるとラケットで静かに拾い上げた。シャトルの羽を整えてから軽く打って小島へと渡す。
小島は左手で受け取ってから次のサーブ位置へと赴くが、横目で得点板を見て舌打ちするのをかろうじてこらえた。点数で優位に立っている中で、わざわざ自分が追い詰められているというところを見せる必要はない。
得点は十三対十。序盤から緩むことなく一進一退の攻防が続いている。当初、小島は稲田がここまで食い下がってくるとは思ってもみなかった。フットワークが速く、スマッシュもタイミングが早く打たれるために、シャトルの来る速度がいつもよりも速く感じたが、それもあくまでタイミングの問題で筋力自体は一学年下のもの。刈田や武に比べれば全く大したことはない。
しかし、小島の背筋は緊張によってずっと汗を流したままだった。
序盤から感じていた稲田の中にあるモノ。それは成長力だった。
自分という敵に触れたことで稲田の実力を閉じ込めている蓋を開かれて、この試合の間に一気に解放されるのではないかという予感。
それはいつもならば小島には燃えること。自分とギリギリの戦いを繰り広げる相手との、紙一重の一点のせめぎあい。そうして勝つことが最も嬉しいことだった。なのに、今はその稲田の爆発を恐れている。
(……それだけ、こいつの才能が凄いってことなのか?)
ポテンシャルだけならば、もしかしたら淺川よりも上かもしれない。そう感じさせるものが小島に警戒させているのかもしれない。全く根拠はなく、小島自身もなぜそんなことを考えているか分からない。しかし、稲田がシャトルに追いつき、シャトルを一回打つごとに稲田の中で変わっていくものを感じ取れる。
(俺も飲まれてるってことなのかもな。この空気に)
隣のコートでは早坂と君長凛の勝負が始まっている。これまで試合に集中していたことで展開や試合の詳細な様子は分からない。だが、視界の外から来るプレッシャーの桁外れな大きさに小島は体が自然と反応して硬直する。
「さあ、一本」
自分にまとわりつくそのプレッシャーをはぎ取るように、小島はシャトルを遠くへと打ち上げた。山なりになるシャトルの下にたどり着く稲田は高く飛びあがってジャンピングスマッシュを打ち込んできた。その角度にも動じずに小島は冷静に前に落とす。そこに飛び込んできた稲田は綺麗にロブを打ち上げた。
(もうこのパターンも通じないしな……)
序盤は今のレシーブによって点が取れていた、スマッシュをヘアピンで返すこと。それも六点目あたりから返されるようになった。最初は中途半端なロブから始まり、今はしっかりコート奥へと返されている。
小島はシャトルの真下に入り、次に狙う場所を探す。しかし、一瞬見ただけでは稲田に隙はなく、小島はハイクリアでコート奥へと追いやった。それを追ってまたスマッシュを打つ稲田。バックハンド側に打ち込まれたシャトルをクロスで打ち返したところでそれに稲田はラケットを被せてきた。
(しまっ――!?)
「おおお!」
稲田は吼えながら前に飛び込んでラケットを振った。シャトルが勢いそのままにコートへと叩きつけられ、羽を飛び散らせる。試合の間、珍しく一回も変えなかったシャトルが壊れていった。
「サービスオーバー。テンサーティーン(10対13)」
審判がサーブ権の交代を告げて新しいシャトルを稲田へと放っているのを見ながら、小島は飛び散った羽根とシャトルの残骸を拾う。それらをコートの外に出してから元の位置へと戻る。
一連の行動をしている間にも、稲田の様子を注意深く見ていた。
(考える根拠は良く分からなくても。あいつは強くなってるってのは間違いない。どうやって倒すか……)
得点を改めて確認する。相手は十点。こちらはまだ三点のアドバンテージがあり、更に追いつかれてもセティングを申請できる。けして負けているわけではない。相手の勢い飲まれているだけだ。
(飲まれてる……俺が?)
自分の中に思い浮かんだ単語に自分で違和感を覚える。今の自分は自分らしくない。刈田や吉田が聞けば笑い飛ばすものだろう。自分にとって一番無縁のものだったはずだ。ならばどうして飲まれているのか。
(何か理由があるはずだ)
稲田に対してレシーブ姿勢を整える。恐らくはロングサーブ。そう思って後ろの方へ体重を移そうとすると、稲田はショートサーブで前にシャトルを落としてきた。小島はすぐに前に飛ぶように移動してロブを上げる。傍から見れば全く問題ないプレイだが、小島自身はフェイントを喰らったことにかすかにショックを受ける。
「ストップだ!」
背中に溜まる緊張の汗さえも吹き飛ばすように、声を出す。稲田は相変わらずすぐに追いついて構えると、スマッシュを打つと見せかけてクロスにドロップを打つ。今度は騙されずに、シャトルを捉えるために前へラケットを突き出した。
(このまま、スピンで!)
フェンシングの突きのようにラケットを突き出してシャトルにスピンをかける。不規則な回転がかかったシャトルは稲田が突進してくる前にコートへと落ちていった。
「サービスオーバー。サーティーンテン(13対10)」
「ふぅ」
「ちっくしょ!」
シャトルを追ったために下で俯いている形になっている稲田と、それを見下ろす形になる小島。
顔が見えない稲田の背中から、更にプレッシャーが小島へと吹きつけた。
(このプレッシャーの正体……)
吹きつけられる圧力に一歩後ろに下がると同時に稲田が顔を上げる。その顔に浮かぶのは笑み。今のピンチの状況を心の底から楽しんでいる。それに乗じて稲田から来る圧力が増していた。稲田が戻る姿を見ながら小島はシャトルの羽を整えつつサーブ位置に戻る。稲田から来る力の一端が、ほんの少しだが垣間見えた。それを確かめるために小島は一つだけ覚悟を決める。
「一本!」
大きく叫んで遠くへとシャトルを飛ばす。稲田はすぐに追いついて、斜め前に飛んでからジャンピングスマッシュをストレートに叩きつけた。角度と前方への体重移動による速度の上乗せ。二つの要素を加えたシャトルはライン上へと落ちていく。だが、小島は難なくクロスにロブを上げて稲田をコート奥へと縫いつけた。稲田は打った直後に横に移動するとまたジャンピングスマッシュをストレートへ打ち込む。最短距離を最速でシャトルを通過させるために。
攻撃の後に攻撃。そのレシーブをまた攻撃する。先ほどまでとは明らかにプレイスタイルを変えてきている。防御などなく、攻撃に特化したスタイルに。
(攻撃スタイルも変えた。変えたというより……変わった。なんか見えてきたぞ)
ストレートでシングルスライン上ぎりぎりを狙って放たれるシャトルを小島はクロスのロブで遠くへと飛ばしていく。その繰り返しが何度も続く中で、次第に小島の中に一つの答えが浮かんでくる。
(稲田……こいつは……)
ロブが十回目を数えたところで、初めて稲田はラリーを崩した。ジャンプをしてからスマッシュを放つのではなく、クロスへのドロップ。それまでスマッシュが放たれていたことと、クロスへの軌道の変化により、小島は遅れてラケットを突き出す。向かってきた稲田の姿を視界に入れて、小島は一瞬だけ加速した。ラケットの先に触れたシャトルはスピンがかかってヘアピンとなって落ちていく。少し前に打ったものと展開は同じ。だが、違うのは稲田が更に前に踏み出して目前まで迫ったこと。稲田のラケットがシャトルを捉えようとしたところで、小島はコースをふさぐようにネット前にラケット面を立てた。
ラケットを視界に収めた稲田は咄嗟にラケットを動かしたが、シャトルはネットに引っかかって落ちていた。
「ポイント。フォーティーン、ゲームポイントテン(14対10)」
「くっそー!!」
稲田は心底悔しがり、すぐにシャトルを拾って小島へと投げて渡した。シャトルを受け取って小島はまたサーブ位置へと戻る。その背中にはプレッシャーが吹きつけていたが、先ほどまでよりもダメージは受けていない。
小島には稲田の強さの秘密が分かった。
(こいつ……君長凛の圧力に反応して更に力を増してるんだ)
稲田から吹き付ける圧力。それは、稲田一人のものではなかった。
隣で試合をしている君長凛。彼女が対戦相手である早坂へと叩きつけているプレッシャーに自分の圧力を上乗せして小島へと向けている。
無論、稲田自身のプレッシャーが増している理由もある。追いつめられれば追い詰められるほどに、稲田は自分の力を更に発揮していくタイプのようだった。だが、やはり一番の特徴は君長凛と隣同士のこの状況下で発揮されている。
(君長凛と同じようなフットワークのスピードで押すタイプだと思ったが……もしかして、単に張り合ってるってことなのか?)
稲田は小島がサーブ姿勢を整える間に軽くジャンプしながらフットワークの準備を整えていた。ギアを入れ替える前の予備動作なのか。鋭い眼光からくる力が小島の肌を焼く、ように感じる。全ては感覚の世界だったが、コートに立つ二人の間には確かにあるもの。
しかし、小島は先ほどまでとは違ってその場にしっかりと立っている。稲田からのプレッシャーを真正面から受け止めて、弾き返している。
(つまりお前はさ……)
思いは途中で止めて、シャトルを構える。稲田は気合いそのままに構えたが、その顔に陰りがさした。
小島はこの試合、初めて自分の中にある気迫を前面に押し出す。その気配は一気にコートを包み込み、稲田の圧力を覆い隠そうとしていた。
「一本」
静かに紡がれた言葉と、それに反して爆発音を引き連れて高く上がるシャトル。
稲田は一瞬遅れた後に落下点に入る。
再び前に飛んでジャンピングスマッシュをストレートに叩き込む。
「はっ!」
しかし、ネットを越えようとしたところで小島が瞬時に前に詰め、ラケットを差し出す。ラケット面に当たったシャトルはほとんど離れることなくネットに沿って落ちて行った。
稲田がジャンプから着地するのと、シャトルが落ちるのは、ほぼ同時。
完璧なタイミングで前に飛び出した小島の反応速度と、ラケットでのコントロールがあるからこその現象だった。
「ポイント……フィフティーンテン(15対10)」
小島は無言のままコートから出てラケットバッグに入れてあったタオルで顔を拭く。稲田もコートの外で顔を拭きながら小島を睨みつけていた。それだけでは何も変わらないと分かっていても、悔しくて仕方がないのだろう。そう判断して小島は見せないように笑みを浮かべる。
「そうだ。もっと、俺を見ろよ」
怒りにも似た感情に乗せて、呟く。
稲田の強さは君長凛を意識することにある。
フットワークの速度を持って相手を圧倒するスタイル。それに加えて、ジャンピングスマッシュ主体の攻撃的なもの。君長凛を意識して、それ以上の攻撃力を持つのは、いつか彼女を倒すためのものだと小島は気づいた。つまり、稲田は将来の敵として君長凛を見ている。小島はその強さを身に着けるための踏み台としか考えていないのだ。
それは構わないと小島は思う。小島自身も、自分が勝ち進んでいく先には必ず、自分が敗れた淺川亮が立っていると確信している。だからこそ、そこに至るために立ちふさがる敵を倒すと考えている。その想いと稲田のありようは一見同じように見える。
だが、小島と稲田の違いが一つだけ。大きなものがある。
(稲田は、俺を見ていない)
稲田は目の前の小島ではなく、隣で試合をしている君長凛だけを意識している。そして、彼女が相手を圧倒するほどのプレッシャーを放つと、それに負けていられるかと呼応して強くなる。
あくまで君長凛。相手は誰だろうとかまわない。
(相手の監督は、今回のような試合形式だから、稲田を選んだのかもしれない……並んで試合をさせれば、稲田は今までの本気以上の力を出せる……確かに、強い。素質は十分ある。でも)
小島はタオルを顔から外してコートを移る。稲田も横を通りぬけて逆サイドへと移っていた。顔はもう拭き終わり、また小島へと鋭い視線を向けている。まだ女子の第一ゲームは終わっていないために小島は君長の隣に立つことになる。それが悔しいのだろう。
「お前は、俺を舐めすぎだ」
小島はシャトルを受け取って左手で持った。審判がセカンドゲームの始まりを告げ、稲田が「ストップ!」と吼える。
だが、小島はゆっくりと息を吸い、サーブ姿勢を整えてから、腹から声を出していた。
「一本!!」
その瞬間、世界が止まった。
あまりの声量に試合を隣でしている二人以外が黙り込む。見ていた観客も、仲間達も。敵チームの面々も。ただ、声量だけで場を静まらせることはできない。小島の体から同時に発せられた見えない気迫が、コートだけではなく会場までも支配した瞬間だった。
静まり返った世界の中で、小島はシャトルを思い切り高く打ち上げた。
パンッと軽い音を立てて遠くへと飛んでいくシャトルを追いかけて、稲田は真下にもぐりこむ。それからジャンピングスマッシュでクロスにシャトルを叩き込む。逆サイドのシングルスライン上を狙ったものだったが、一瞬で小島が回り込んで前にシャトルを落とす。追って行ってシャトルを跳ね上げたが、小島のラケットがインターセプトしてシャトルを打ち返していた。
「ポイント。ワンラブ(1対0)」
審判のカウントに稲田は舌打ちして立ち上がる。ちょうど、目が合った時に小島は宣言した。
「お前は五点に抑える。全力で来いよ」
稲田の顔が青ざめるのを、小島はじっと見ていた。
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