Fly Up! 236

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 試合後、コートから出てからAチームとBチームは改めて握手を交わした。
 3−1という差。試合内容の差はあったものの、互いに全力を尽くし、どちらが勝ってもおかしくはなかった。自分の前までで試合が終わったために出番がなかった武は、泣きながら瀬名と姫川に握手をしている寺坂を見て、考える。
 そしてBチームの思いも背負って、決勝に挑む。

「何考えてるか、よーく分かる顔してるな」

 吉田に声をかけられて武は頷く。自分達が勝ち進むたびに、負けた人達の勝ちたかった思いを背負うことになる。
 今回は団体戦。自分達が勝ったら、その相手だけではなくチーム全員の思いが散ることになる。自分達がその後負ければ、自分達に負けた対戦相手の思いもまた途切れてしまうのだと。

「考えすぎだよな、ほんと」
「もう慣れたよ。俺の性格には」

 吉田とひとしきり笑いあってから、次の試合を考える。
 早坂と君長凛の対戦に気を取られていたからか、自分が対戦するだろうダブルスの相手を全く分からないことに気づいた。武が試合のプログラムを探そうとしたところで吉田が言う。

「お前がそういうのに夢中だから、情報は持ってきておいた」
「香介はすごいなー」
「棒読みで言うと説得力はないな」

 吉田も諦めたのか嘆息ひとつでプログラムを開く。
 各チームの構成が書かれたページの函館Aチームを見て、そこにある名前を指しつつ口を開いた。

「俺達が第一ダブルスで出るって前提で考えると、間違いなくこの二人に当たる」

 武の目に入ってきたのは、鈴木直人と梶幸助。声に出さず読んでみて、梶は漢字は違うが吉田と同じ名前読みであることに武は頬が緩む。その様子を見て、何を考えているかまた理解したのか、吉田は特にそこについて説明なく続けた。

「読みだけじゃなくて結構、経歴も似てた。鈴木は相沢と同じく中学までは勝った記録はない。梶は小学生から全道大会には出てた。コンビを組んだのは中学からで、地元の学年別大会で優勝したところが、二人のデビュー戦だ」
「てことは、香介も知ってる?」
「いや、俺が小学生で全道出られた時には気づかなかったな。あと、この前の全道大会でも。多分、出てたけど」

 名前を聞かないということはあまり強くないのか。そう思いかけた武だったが、吉田から来る雰囲気からそんな甘い思考は控える。

(考えてみりゃ、俺だって全道出たのはこの前が初めてだし。対戦してない相手のことなんて意識できるはずないしな)

 自分が全道大会の常連のような錯覚でいたことに血の気が引いていく。橘兄弟に勝った自分達には、今回の大会では油断しなければ負けないと思っていた節がある。
 ただ全道で対戦しなかっただけで、当たれば負けていたかもしれないのに。

「危ない危ない」
「そうそう。油断大敵」

 吉田はそれだけ言うとプログラムを閉じようとする。だが、その手を止める第三者の手があった。そのまま吉田から取り上げて中を見る。

「俺の対戦相手になりそうなのは、どんな奴か分かるか?」

 小島が名前を確認する。吉田は名前を指して、同じように全道に出ていたはずだと答えた。小島は「ふーん」とだけ呟くと去っていく。胸を張って歩いていく様は自信が満ち溢れていた。どんな相手が来ても叩き潰す。それを無言でも語っていた。

「なんかもう、かなり風格出てるよな」
「淺川に負けたのが本当にショックだったんだろうな」

 それは君長に負けた早坂も同じかもしれない。
 小島のスタイルも変わった。出会った頃は相手のスタイルを模倣して、更に上を行くという相手をすべてにおいて上回るような戦い方だった。それは自分が上ということを相手に理解させた上で試合を終わらせる。そんな意志を感じさせた。しかし、淺川に負けた頃。もう少し詳しく思い出すと、全道大会に入ったころから、自分の力をすべて相手の弱点を探すこと、突くことに集中していくように変わっていった。
 力の使い方を変えたということなのだろうが、それもまた小島の成長に思える。
 武のように最初は弱かった選手では、強くなっていくことは速度も度合いも周りより多かった。それは、そうしなければ追いつけなかったからではある。だが、吉田は小島のように最初から一定以上の力を持っていたプレイヤーはある程度進んだ先にある壁のブレイクスルーは難しい。
 小島も、自分よりも強いプレイヤーに出会えたことで意識が変わったのだろう。

「淺川とまた戦うために成長していくんだろうな」
「あいつの場合はそれだけじゃないだろう」

 吉田の言葉に武は首を傾げるが、それには何も言わない。吉田は武のことをいろいろと把握するが、武からは吉田の思考を読み取るのはまだ出来そうになかった。

「でも、気になることはあるんだよな」
「何が?」

 プログラムを持ったままで呟く吉田に武もプログラムを眺める。そこには函館Aチームに並ぶ名前。十人のうち、男五人はどこかで見たことあるような名前だった。
 ジュニア全道大会時に見たプログラムの中で目にしていたのかもしれない。
 吉田は一人の名前を指さして言う。

「稲田隼人。まだ中一だけど、団体メンバーに入ってる。どっかで聞いたことあるんだよな……」
「後輩に知り合い、いるかぁ? 橘兄弟くらいじゃないか、俺らが関係あるの。昨日今日は出てるの?」
「まだ一回も試合には出てないはず」

 吉田が何を不安がっているのか武には分からない。
 だからもう一度名前をなぞる。

(稲田、隼人か)

 今まで試合に出ていないなら、次の決勝戦には出番があるかもしれない。他のメンバーが健在なら、補欠として出場しないまま役割を終えることもありえる。そこまで気にする必要がなさそうな相手をそれでも気にするということは、何かを稲田隼人に感じているのかもしれない。

「吉田、相沢。一度戻るぞ!」

 我に返った武は少し離れた場所から手を振っている庄司が見えた。吉田と目を合わせて頷きあうと、後を追おうとする。だが、武は立ち止まる。

「ん? どした」
「ちょっとトイレ行ってからいくよ」

 武はそう言って反対方向へと走り出す。ちょうどトイレは武達の集まっている場所と正反対。更には試合を見ることに集中していて尿意を忘れていたために衝動は一気に武へと押し寄せた。早足で駆け抜けて試合をしていたフロアから出る。それからトイレに向けて一直線に駆け込んだ。

「……ふぅ」

 用を足して手を洗ってから出てくる。
 試合の間、一度もトイレに行かずにプレイをじっと見ていた。小島や早坂だけではなく、安西と岩代。川瀬と須永の死闘は試合中に水分が全て出て行ってしまうのではと思えるほどに汗が滲み出ていた。
 自然と体が火照り、早く試合がしたくて仕方がなくなる。
 トイレから出た武は一度背伸びをして歩き出す。まずはみんなと合流して、決勝戦のイメージトレーニング。
 そう思って足を速めようとした時、声をかけられた。

「ちょっとごめん」

 踏み出した右足で体を支えて声がした方を振り向く。
 そこには髪の毛をストレートに下ろした女の子が立っていた。
 良く見るとただのストレートではなく、一房ずつ左右の頭の上の方で結び、垂れている。武には髪型の名前などは分からなかったが、周りにいない髪型のために珍しく思った。服装は見た記憶がないデザインのセーラー服。選手で着ていることはないだろうから、応援の生徒だろうかと考える。

「えーと、何か」
「次の決勝戦に出る選手の人……だよね?」
「あ、はい。そうですけど」

 自分の思った通りなのが嬉しいのか武には読み取れなかったが、女の子は満面の笑みで「良かったー」と笑う。何が良かったのかも分からないし、自分に話しかけてくる理由も分からない。さっきの試合には出ていなかったために補欠とでも思われてるのかもしれない。

「私さ、地元が成城市なんだよね。昔住んでたことがあるんだー。だから懐かしくなっちゃって」
「そう、なんですか?」
「敬語にしなくていいよ。同い年でしょ、きっと。私、中二だし」

 武は女の子の姿を一度上から下まで見る。あまり女子の服装や雰囲気に興味がない武には制服を着てしまえば中学か高校の区別も怪しい。だが、改めて見てみると雰囲気は自分達に近いように思える。

「ちょっと。視線が嫌らしくない?」
「……え!? そんなことない!」

 女の子は体を隠すように手で覆う。その仕草に武は慌てて手を付けつつ否定した。初めて会う女子には無礼すぎたかもしれない。そう思って素直に謝る。女の子も最初から気にしていなかったのか笑いながら「いいよ」と許していた。

「君は真面目なんだねー。あ、名前なんて言うの?」
「相沢武だよ。浅葉中の二年生」
「浅葉中かぁ。引っ越さなければ通ってたかも」

 女の子が武が進む方向へと歩き出したので、とりあえず武も後ろについていく。どこに向かうのかも分かっていないし、遅くなれば他の皆も何かあったかと心配するだろう。試合までにはまだまだ時間があるとはいえ、その間にミーティングを済ませておく必要もある。
 しかし、武は何故か見知らぬ女子から目を離せなかった。
 同年代の中では可愛い方だが、そのことを特に気にしているわけではない。話していると妙に落ち着いた気分になっていくのだ。遠く離れた土地で同郷の人間に会えたからなのか。他に理由があるのか。

(なんだろうな……なんか……似てる?)

 誰に似ているのか。思い浮かんだ単語を繰り返し、考える。しかし何も掴めない。考えるには情報が足りな過ぎる。心のどこかに引っかかっているのは分かっているのだが、その理由に思い至るためには更に知る必要がある。だが何を知る必要があるのかも分からない。言いかえると、現状では八方塞がりだ。

「どうしたの? 難しそうな顔して」

 歩きながら振り返って言ってくる女の子に「なんでもない」と首を振る。もしかしたら試合前で感覚が高ぶっているだけかもしれないし、初めて会ったのだから繋がることなどあるはずがない。
 女の子は武の内面の葛藤を気にせずに問いかけてくる。

「あの公園、まだあるよね? 市民ホールの傍の」
「ありま――あるよ。最近、どっかから桜の木が移植されて春は綺麗に花が咲くんだ」
「私がいたころはまだまだ殺風景だったからなー。あ、桃華堂はイチゴパフェ以外に名物出来た?」
「出来てないけど、最近はコーヒーが美味いみたい。俺は飲まないから分からないけど」

 女の子の記憶にある光景と武が体験している現在の風景。二つを対比させながら、女の子は自分の中の誤差を修正しているようだった。その作業が楽しいのかずっと笑みを浮かべている。武も意図しなかった地元の話が出来て楽しくなってきた。全国に行くぞ、と気合いを入れて会場に入ってから、初めて気を緩めたのかもしれない。

「じゃあ――あ」

 更に話を続けようとした女の子が足を止める。それに合わせて武も止まり、女の子の視線の先を見る。
 そこには、二人より更に小さい少女が立っていた。しかし、武は知っている。その小さい体にとてつもない力があることを。

「君長……」

 名前を呟くだけで緊張する。これから対戦するチームの主力。全国でも、優勝に最も近いプレイヤー。
 だが、相手もまた武達を見て驚いているらしかった。

(いや……もしかして、この子を見て驚いてる?)

 君長の視線が少しだけ自分よりも女の子へと向けられていることに気づいた武は、思わず一歩下がる。それと同時に君長が口を開いていた。

「どうしてここにいるんですか?」
「あなたに会いに来たのよ〜、凛」

 女の子は笑って君長へと語りかける。君長は少し引き気味だったが、隣に武の姿を見るとまた不思議そうな顔をした。

「確か……早坂さんと同じ代表の人」
「覚えててくれたんだ」
「はい……なんとなくですけど」

 初めて話す君長は少しおどおどとしている少女だった。コートの中で早坂を完膚なきまでに倒した姿しか見ていないため武は少々困惑する。考えてみれば君長はまだ一年生。ついこの間までは小学生だった。もちろん、武も二年前にはまだランドセルを背負っていたわけでそこまで大差はない。ただ、自分が小学生から中学生に変わっての変化というのは大きかったから自分の中一の頃は本当に幼いというイメージだった。

(でも、考えてみたら。君長のほうがよほどすごい体験してるよな)

 中一にして全国で優勝しているような経験ならば、武の成長とは比べ物にならないだろう。だからこそ、おどおどした様子の君長が印象的だった。

「知り合いなんですか? 有宮さんと」
「……あ、この子の名前? 今、知り合ったんだけど。そうか、有宮って名前なのか」
「言ってなかったっけ」

 女の子――有宮はいたずらっぽい笑みで武を見る。絶対わざと言っていると確信して突っ込もうとした瞬間、武の中でかちり、とパズルがはまる音が鳴る。
 一つ一つばらばらだったものが一つになるとき、武はその言葉を呟く。

「有宮、小夜子?」
「そ。まいねーむいず、有宮小夜子」

 中学英語の教科書にそのままありそうな言葉遣いで自己紹介をする有宮。その苗字と名前は、前日に吉田から見せてもらったバドミントンマガジンに載っていた名前。
 ジュニア全国大会で君長に僅差で敗れたシングルスプレイヤーだ。

「どうしてここにいるんですか?」

 君長は先ほどと同じ問いかけをする。有宮は同じように「凛に会うため」と言ったが真面目な顔をされると肩をすくめて言いなおす。

「半分はほんとよ。もう半分は、用事で函館に来て、帰るまで時間があるから寄ってみたの」
「そうなんですか」

 セーラー服に身を包んだ有宮に何かを言いたそうな君長だったが、結局、何も言わずにその場から去ろうとする。そこに有宮が声をかけた。

「凛。今度こそ倒したいから、絶対出てきなさいよ、全国大会」
「……善処しますけど。私が勝てても他の人が負けたら行けませんから」

 そう言って君長は背を向けた。有宮も更に引き留めることはせず、武にも「もう行っていいよ」と言った。

「あなたも試合でしょ? 引き留めてごめんね。やっぱり地元トークは楽しかったから」
「そりゃいいけど……吉田とかに会って行くか?」

 武の申し出に有宮は首を振った。顔には少し寂しさが浮かんでいる。それが何を意味するのか武にはよく分からない。

「会うのは試合が終わってからにするわ。きっと集中してるでしょうし」
「そっか……」
「あと、相沢君は私のこと、こーちゃんには言わないように。理由は以下同文」
「こーちゃん……香介のことか。了解」

 有宮は「よし」と言ってから去って行った。出口ではなく観客席の方へと向かったため、おそらくは決勝を見るのだろう。特に君長の試合を。

(……せっかくだけど、再戦はできない、かな)

 自分達が勝つから。それだけではなく、早坂が君長に勝つと武は信じていたから。
 右拳を左掌に打ちつけて、武は仲間の下へと戻って行った。
 南北海道大会決勝まで、あと二十五分。
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