Fly Up! 235

モドル | ススム | モクジ
(ずっと考えてるわね……)

 姫川はサーブ態勢を取りながら、レシーブをしようと自身の挙動を一つも見逃さないようにいる寺坂を観察する。試合は一ゲーム目を難なく取り、二ゲーム目も12対3と点差を広げている。このままミスなくプレイをすれば自分達の勝利は確定だ。実際、下馬評通りだと姫川・瀬名組の勝利は動かない。Bチームとしては、最初の三戦のうち二勝できなければ負けはほぼ確定だった。Bチームには姫川と瀬名に対抗できるダブルスは正規の二人以外ありえない。Aチームとは違い、固定シングルス、固定ペアで挑むことになったBチームは、第一ダブルスの堤が足を痛めた段階で勝敗は決まっていたと言っていい。

「一本!」

 姫川は気合いを込めて声を発し、シャトルを静かに打つ。フェイントなどは必要ない。自分が最も理想とする軌道をなぞるようにシャトルを打つ。姫川は試合の中で、今時点の自分は一番調子が良く、理想を描けると感じていた。その感覚は間違っておらず、シャトルはプッシュで叩けるような甘いところは通らずに、すべて白帯ぎりぎりのラインを進む。寺坂は無理をせず、飛び込もうとした体を踏み留めてロブを打ち上げる。
 後ろに向かったのは瀬名。今までも強力なスマッシュで相手のコートにシャトルを叩き付けてきた。奇しくも似たようなタイプのダブルスとして当たったが、前衛も後衛も寺坂達より一枚上手な姫川達には障壁になりえない。

「はっ!」

 後ろから迫るシャトルの気配を感じつつ、姫川は頭を少しだけ右に寄らせる。今まで頭があった個所を通り過ぎて行ったシャトルを、菊地が慌てて反応してラケットを振る。タイミングを計らず振ったラケットにシャトルが当たり、勢いはそがれても跳ね返る。そこへ姫川がジャンプをして手首だけでスマッシュを打ち込んだ。
 菊池の足元にシャトルが叩き付けられて、コロコロと転がった。

「ポイント。サーティーンスリー(13対3)」

 あと二点。
 あっさりと取れるのか何かひと波乱あるのか。そう思ったところで、姫川は一瞬だけだが体に電流が走ったかのように震えが来た。慌てて後ろの瀬名を見るが、そこには不思議そうに首を傾げている瀬名がいるだけ。
 目の前に視線を戻すとレシーブ位置についた菊池がいた。
 何としてでもこのターンをしのぐ。そんな強い意志が込められた瞳が自分へと向けられている。
 その眼を見ていると、再び背筋にぴりっとした緊張が走った。

(……目の前の二人から、か)

 小さいながらも、本気の早坂から感じた圧力。
 強いプレイヤーから発せられる、闘志のようなもの。それは相手にプレッシャーを与えて硬直させる。漫画風に言えばオーラのようなものか。姫川はクスリと笑って構えなおす。

(この会場で試合をしてた時は毎回感じてたけど、まさかこの二人からも感じるとはね)

 小さく、一瞬ながらもそれは間違いなく早坂や、おそらく自分から発せられるものと同種だろう。
 自分のものはいまいち理解できないが、瀬名も早坂も圧力を感じているという。集中すると自然と出る類のものなのだろうか。
 そうなれば、この試合に勝とうと必死になっている相手からも感じ取れるか。

(あと二点。全力で行こう)

 集中して菊池の目線を外し、ネットの白帯を見る。その少し上、シャトルの羽の高さまでの軌道を思い描き、そこにシャトルをなぞるように打つ。するとシャトルは姫川の想像の軌跡を滑って行き、相手のコートまで入った。絶妙なショートサーブに菊池は寺坂と同じようにロブを上げる。後ろにはまた瀬名。同じパターンで行けば相手のミスに繋がるかもしれない。しかし、瀬名は少し変えてストレートのスマッシュを放った。打ち返した菊池にとってバックハンド側となり、打ち返すコースも甘くなると考えてのことだろう。そこまで把握して、姫川は少しだけ立ち位置を後ろにする。菊池はスマッシュを拾ってクロスヘアピンを放った。姫川が菊池側に寄っていたのも視界に入れていたのだろう。だが、姫川の移動速度にとってはコートの広さはほとんど関係ない。ましてや、ダブルスで守備範囲が減っていることで、不意打ちでなければまず姫川の守備範囲は抜けられない。
 フットワークでシャトルまで詰める姫川。菊池と同じくバックハンドだが、軽く弾くようにしてネットにラケットヘッドが当たらないようにするのと、シャトルをコートに落とすという二つの目的を達成しようとする。
 寺坂も取ることが間に合わなかったが、回り込んでいた菊池がロブを上げて態勢の立て直しを図った。

「はっ!」

 再び瀬名がスマッシュを放つ。今度はクロスで寺坂の方へ。姫川はシャトルの邪魔にならないように移動し、打ち返されるシャトルに備える。
 寺坂はバックハンドで腰を低く構えた後、飛び上がるようにしてロブを打ち上げた。シャトルはコートの奥へと飛んでいき、瀬名は再び落下点に入る。

「やぁあ!」

 女子にしては野太い叫び声をあげて瀬名がスマッシュを打つ。それを寺坂はまるでドライブのように捉えて強く遠く、そして速く打ち返していた。

(小さい体を利用してスマッシュを無効化してるんだ!)

 女子でスマッシュ力が強い選手が有利なのは、速度についていける選手が限られていることもあるが、やはり縦の変化に弱いことがある。しかし、横の変化というのは意外と追いつける。ドライブでも打ち合いになるということは多々あった。寺坂は腰をかなり落とすことで瀬名のスマッシュを自分の視界とできるだけ平行になるようにしてから打つ。そうして瀬名のスマッシュの利点を無効化していた。逆に、渾身のスマッシュを素早いカウンターで返されることで瀬名を追いつめることができる。
 だが、瀬名は弾道が低いシャトルでも力を込めて打ち放っていた。
 力強いドライブを寺坂がまたドライブで打ち返し、シャトルがピンボールのように両エンドを行き来する。
 その様子を姫川と菊池は構えつつも見守っていた。

(瀬名っち……決めて!)

 二人の間のドライブ対決。ここで相手の猛攻を躱せばもっと楽に勝てるかもしれない。
 しかし瀬名は寺坂との勝負を選んだ。スマッシュを返された時からこの展開を予想していたのかもしれない。スマッシュを打てないならドライブを打ち続けて、力でねじ伏せる。
 瀬名の心の中をなんとなく思い浮かべる

(瀬名っちは、力で相手をねじ伏せる……ゆっきーとも、私とも違う。それをやろうとしている)

 後輩に真正面から挑まれた以上、もう躱せない。
 強打に強打を重ねてどちらが根負けするか。今、自分にできるのはコースを潰さないようにするということくらいだと、姫川は少し立ち位置を瀬名のショットの軌道上から離れた。
 シャトルも徐々に羽の一部が落ちていく。二人は打ち続けられるとしても、シャトルの方が先に限界が来る。

「ぇええいい!」

 瀬名が咆哮し、振りかぶってからすぐに打ち抜く。そのタイムラグで打ち返すタイミングが遅れても、それを補うほどに力が込められたシャトル。寺坂は生まれたタイムラグを使って前に一歩踏み出し、ラケットの振りは最小限にして体を前に出す反動でシャトルを打ち返す。それまでのシャトルの威力によって鋭く瀬名へと向かって行く。

「はっ!」

 しかし、その時にはすでに瀬名は構え直していた。きたシャトルを思い切りサイドスローで打ち抜く。
 シャトルは寺坂が打ち返そうと突き出したラケットの横をすり抜けていた。

「しま――」
「拾うから!」

 後ろに移動していた菊池がシャトルを強引に打ち返す。だが、返ったシャトルの先にあったのは姫川のラケットだった。

「やっ!」

 ネットをようやく越えてきたシャトルを狙いすまして、姫川はスマッシュを寺坂の体へと叩きつけた。
 瀬名との勝負に負けたのを菊池がカバーしたことでピンチを脱した、という一瞬の気が抜けたところを狙い、最も取り辛いところを狙う。その作戦通りに寺坂はシャトルを取ることができずに体で受け止めていた。
 寺坂は体にぶつかったシャトルを咄嗟に出した手で掴んでいたが、その手に収まったシャトルは、瀬名と寺坂のドライブ合戦によってボロボロになっていた。

「すみません」

 寺坂がシャトルを見せて交換の依頼をする。そこで審判はシャトルがなかったために大会本部へと取りに行った。少しの間の中断し、姫川は屈伸をしつつ瀬名に向けて言った。

「よくやったよーせなっち!」
「……ありがと。パワーで負けてられないもんね」
 
 そのセリフの先に早坂や自分がいることを姫川は分かっている。
 今回のダブルスも、同じチームなのも一時的なこと。あくまで瀬名の目標は早坂に勝つこと。また、姫川へのリベンジ。その努力の成果が出ていることに姫川は気づいていた。

(ラケットを戻すのが凄い速くなってる。ていうか、さっきのラリーではまった、みたいな)

 激しいドライブのラリーの中でラケットを後ろに引いて打つというのはかなり厳しい。まず、振り遅れるだろう。それをなくすためにはラケットを振る速度を上げることだ。スイングスピードを上げることでパワーだけではなくスピードを利用して更に速いショットを打つことができる。武に教えてもらった正しいフォームで力を伝達するスマッシュと、腕の振りを早くすることで素早い展開の中でも強打を打てるようにする。それが、瀬名が自身で掲げた課題。
 練習では上手くできなくても、試合の中で歯車がかみ合う。

「さあ、あと一点。決めてやるわよ」
「頼りにしてるよ〜、相棒!」

 姫川が本心を冗談っぽく言うと瀬名はため息とつきつつ小突く。本気で言うには照れがある。何より自分もまた早坂をシングルスで倒そうとしている立場にある。このダブルスはダブルスだが、仲間の前にライバル。瀬名の気持ちも分かった。

「ストップ! 絶対ストップ!」

 その瞬間、俯いていた寺坂がそのまま叫ぶ。その声量に誰もが一度黙り、寺坂に視線を集めていた。
 そこに大会本部からシャトルを持ってきた審判が返ってきて、姫川へとシャトルを渡す。
 談笑の時間は終わり、最後になるかもしれないラリーへと向かう。

「さあ、ラスト一本!」
「絶対ストップ!」

 最後のサーブとなるように思いを込めて、姫川は寺坂へとショートサーブを打った。大きな流れになんとしても抗おうと寺坂は必死になって吼え、気合いをぶつけようとする。だが、絶妙なコースに打たれるシャトルに強打は出来ず、ふわりと浮かせて姫川と瀬名の間に生まれるデッドスペースへ打つしかない。
 そこにはすでに瀬名が前に出て来ていて、姫川は回り込むようにコート内を移動して後ろへと向かった。瀬名が前衛で寺坂と張り合う。ほとんどローテーションでもしなかった組み合わせをラストで行おうとする。寺坂はそこに惑わされずに瀬名のヘアピンをクロスヘアピンで落とした。シャトルに追いついた瀬名はストレートヘアピンで触るように前に落としたが、飛び込んできた寺坂がロブを大きく上げた。
 落下点には既に姫川がいる。瀬名に比べてスマッシュが多少遅めの姫川が後方から打っても大丈夫だというのか、寺坂と菊池は通常構える位置よりも前に移動した。スマッシュを早い段階でインターセプトしてしまえば、姫川もスマッシュの隙を捉えられるかもしれないということか。
 姫川は想像を頭の隅に置き、あえてスマッシュでシャトルを叩き込んだ。中央へと突き進むシャトルを寺坂が早いタイミングで打ち返す。瀬名がラケットを振ってインターセプトしようとしたが届かず、空振りに終わる。姫川はまたスマッシュで今度は左サイドへと打ち、また寺坂が拾って奥へ返す。
 瀬名が常にラケットを振って威嚇するからか自然と高く遠くへと打ち上げていく。
 姫川はその落下点に即座に追いつくと、軽くジャンプして後ろに下がった。そしてそこから更に前に飛び上がり――

「やあ!」

 ジャンピングスマッシュで寺坂の前方を狙った。
 姫川はスマッシュだけでいえば地区の三強の中では一番遅い。だからこそ、姫川は高さでカバーできないかと考えた。ジャンピングスマッシュは着地時の姿勢制御や次の動作への繋ぎが難しく、中学生女子はあまり使えない。だが、姫川自身の移動速度があれば、着地時に隙があってもカバーできるのではないか。
 その予想の下で練習をしたジャンピングスマッシュが、実際に威力を発揮する。

「――!?」

 寺坂は声にならない悲鳴を上げてシャトルを打った。急角度に、自らも腰を下ろすことができず、シャトルを打ち上げてしまう。そのシャトルに瀬名のラケットは届かず、着地時に隙を狙って縫えたはずだった。
 だが、姫川は着地するとすぐに前に飛び出し、落ち行くシャトルを自らの手で寺坂達のコートへと叩きつけた。

「……ポイント。フィフティーンスリー(15対3)。マッチウォンバイ、姫川瀬名」

 その言葉を聞いた瞬間、姫川は天井を見上げてホッと息をついた。

 全国バドミントン選手権大会。
 Aチーム、決勝進出決定。
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