Fly Up! 234

モドル | ススム | モクジ
 寺坂はシャトルを取ってサーブ位置に立った。後ろには菊池が腰を落としている気配がする。そして目の前には姫川がラケットを前に突き出していつでもショートサーブをプッシュで叩き落す、という気迫を見せている。何度か練習では対戦したことがあるが、公式戦ではもちろん初めてであり、そこに寺坂は練習との違いを見る。

(サーブ権……じゃんけんで取れて良かったかも)

 姫川は早坂にも似た、顔だちの整った女子だ。バドミントンをせずに綺麗な私服を着ればファッション雑誌のモデルと言われてもおかしくはない。しかし、バドミントンプレイヤーとしても姫川は、圧倒的なプレッシャーを持つ選手だ。

(うう、怖い……けど、萎縮してられない!)

 寺坂は一度息を吐いてから新鮮な空気を体に取り入れる。そして姫川に向き合って構えると、覚悟を決めた。

「イレブンポイントスリーゲームマッチ、ラブオールプレイ」
『お願いします!』

 審判の声に被せるように四人が叫ぶ。そこから停滞なく寺坂はショートサーブを放った。そのまま前に詰めると、姫川がプッシュで寺坂の顔の傍を抜いた。シャトルは真っ直ぐにコートへと落ちようとするが、菊池が間に合ってロブを上げる。すぐに左側へと広がって相手の次のショットを待ち構える。
 シャトルが飛んだ先には瀬名が移動してラケットを構えている。女子の中ではスマッシュが強力なプレイヤー。何度か練習で受けてきたからこそ、寺坂は取れると思っていた。
 しかし、瀬名がラケットを振りきった時、シャトルが寺坂の横へと落ちていた。

「サービスオーバー、ラブオール(0対0)」

 寺坂は耳に残るシャトルがコートを叩く音によって、審判の声に反応するのが少し遅れた。慌ててシャトルを拾って姫川へと軽く打って渡す。姫川がシャトルの羽を指で整えている間に、寺坂は自分を落ち着かせようと何度か深呼吸をする。

(凄い……全然、反応できなかった)

 瀬名のスマッシュが速いのは分かっていた。そして、スマッシュはどんなに速くても何かしら反応はできるはずだった。触れなくても目で追うなどは出来ると思っていた。
 しかし、今のショットは完全に寺坂の視界から外れてコートに落ちた。自分の傍へと着弾したのに。
 それは完全に思考の間隙を縫って打ち込まれたからに他ならない。

(速さを錯覚したってこともあるかもしれないけど……)
「トモ」

 深く考えようとした寺坂の方を菊池が叩いた。振り向くと笑顔の菊池。いきなりサーブ権を奪われたことに何の気負いも感じていない顔がある。

「まずはストップしよ!」
「……りょーかい」

 寺坂は軽く菊池と手を合わせてレシーブする位置を足で踏みしめた。相棒の言葉によって過去の失敗から現在の状況への対処に気持ちを切り替えるために「よし」と一言呟いてラケットを掲げてから、姫川のショートサーブに備える。ロングとショートのどちらのサーブが来るのか、寺坂は考えを巡らせた。
 元々、姫川はシングルスプレイヤーであるため今までの試合でもロングサーブが多かった。それで問題なかったのは、姫川の防御をかいくぐる攻撃が出来る女子がいなかったからだろう。自分はどうかと言われると自信はない。

(姫川さん相手だと……変に打ったらカウンターされちゃうし)

 思考がまとまりきる前に姫川が「一本!」と叫んでサーブ姿勢に力がこもる。寺坂はどちらのサーブが来てもクリアを上げて様子を見ようと決めて、来るシャトルに集中した。
 ラケットが動いて放たれたシャトルは、目の前に山なりの軌道を描く。
 寺坂は目の前に落ちてきたシャトルをその場から動かずにロブで高く打ち上げてからサイドに広がって待ち構える。後ろに動いたのはまたしても瀬名。姫川はショートサーブからの流れで前衛に入る。姫川・瀬名ペアが最も力を発揮する形。
 ここで瀬名のスマッシュを返そうと寺坂は腰を落として、出来るだけシャトルを視界の真正面に捕えようとする。シャトルの軌道が目線と平行に近くなればなるほど見やすくなるため、打ち返せる可能性が高くなる。角度のあるスマッシュが返しづらいのは、距離感が角度と速度によって狂わされるからだ。極端に言えば、体勢の変更によってスマッシュをドライブとして捉えられれば、いくら速くても寺坂にも取るチャンスが広がる。

「ストップ!」

 自分への気合いを込めて声を出す。
 しかし、次の瞬間にはその気合いが空回りした。
 シャトルは高く遠くに打たれて、寺坂はシャトルを追うために落としていた腰を上げて、後ろに動く。結果、足腰に負担がかかる。

(――っ!)

 悲鳴を上げる体を精神力でねじ伏せて、寺坂はフットワークを使い、移動する。シャトルの少し後ろまで達して、スマッシュを放った。背丈が低いためにドライブに近くなったが、体重を上手く乗せたことで速度は上がる。菊池も後を追うように前に前に詰めて、姫川とネットを挟んで向かい合う。
 シャトルには瀬名が追いついて、バックハンドで構えた。

(クロス――!)

 姫川をブラインドに使ってのクロスドライブ。そう予測した寺坂は咄嗟に逆サイドに走ろうとした。だが、シャトルはストレートに打ち込まれてしまい、寺坂は反転が間に合わずシャトルが着弾するのを見るしかなかった。

「ポイント。ワンラブ(1対0)」

 今のラリーで体にかかった加重による痛みが複数個所に走る。それでも試合に支障が出るほどではない。寺坂はそう言い聞かせてシャトルを拾い、相手に返した。

(もっと準備運動ちゃんとやっておけばよかったけど……試合の間で温めるしかないよね)

 寺坂は一つ息を吐いて、菊池に謝る。菊池も「頑張ろう」と一言だけ言って、サービスレシーブのためにポジショニングする。その少し離れた後ろに腰を落として寺坂は姫川の姿を見た。ショートサーブには相当の自信があるように見えていた。

(凄い。もう、二人のダブルスが自然だ)

 もう何年も一緒に組んでいるような雰囲気を出すダブルス。あとから見れば、この組み合わせしか考えられないというようなペアに、今まで一年間組んできた自分達が霞む。寺坂は頭を振ってそのイメージを消し、負けるかと代わりのイメージを意識した。
 相手のペアがいくら組んで間もなくても、強いものは強いのだ。
 先輩である武と吉田も一年と少し。ライバルの安西や岩代達は更にバドミントンをしているのも中学からだ。
 始めた年数など関係なく、強い者は強い。

(今は勝つことだけに、集中)

 姫川のショートサーブが菊池の前に迫る。前に足を踏み出していた菊池はシャトルをプッシュで返す。
 コートに叩き落とすことはできず、軽く押し出して姫川と瀬名の間に落とそうという目的だ。そのシャトルを姫川は上手く躱して瀬名が拾う。ロブで遠くに飛ばし、サイドバイサイドの陣形となる姫川達。後ろには自然と寺坂が移動して、シャトルを打つ前に位置関係を確認する。瀬名のスマッシュを警戒し、寺坂は姫川を後ろに追いやるようにハイクリアを打った。寺坂の意図通り後ろに向かう姫川だったが、持ち前の移動速度で瞬時にスマッシュを打てる位置に行く。

(姫川さんなら、まだ取れるはず)

 スマッシュの威力なら瀬名が女子の中ではトップクラス。姫川はフットワークによるコートカバーリング能力は早坂でさえも上回るが、各ショットの強さはまだ隙があった。ドロップやスマッシュを積極的に打たせるようなシャトルを相手コートへと打ち続ければ、自分達にも勝機はあると寺坂は考える。
 その考え通りに、姫川のストレートスマッシュを菊池がクロスで返す。前に出てきた瀬名はインターセプトできず、寺坂も決まったと思った。だが、寺坂の目にはそのシャトルに難なく追いついてストレートドライブを放つ姫川の姿が見えた。

「わっ!?」

 悲鳴と同時にラケットを振って何とかドライブで返す。だが、姫川は前に即座に出て、ドライブをインターセプトして更に速いドライブを寺坂へと打ち込む。その切り替えしには反応できず、シャトルを体で受け止めてしまった。

「ポイント。ツーラブ(2対0)」

 寺坂は自分の前に落ちたシャトルを拾い、羽を整えてから打ち返す。
 速度についていけていないが、その動きを予測できていないわけではない。普通に考えれば深刻だが、逆に考えればより速くシャトルのコースを予測してラケットを出せば勝機はあるということ。
 早坂や武、吉田を見てきた寺坂は姫川と瀬名に足りないものがなんとなく見えている。姫川の移動速度はそれを補っているに過ぎない。

(そのはず……なんだけど)

 レシーブ位置について構える寺坂。自分の考えに今一つ自信がないのは、姫川と瀬名もまた試合を重ねることで成長するだろうという危惧だった。ずっと見てきた早坂や武達もおそらくはこの大会が始まる前よりも成長している。実戦で練習の中で培った物が開花していっていると寺坂は思っていた。自分達も手ごたえは感じていたが、元々自分達よりも実力がある目の前の二人が、同じように成長しない筈がない。

(駄目だ……また余計なこと考えてる。集中集中)

 試合でのシャトルの動き一つ一つに意識を集中する。試合の合間は、今のラリーを分析して次のラリーに生かす。そうしなければ実力が上のダブルスに勝つのは難しい。

「ストップしよ! トモ!」

 後ろから菊池の激励。菊池も寺坂が揺れているのが分かったのだろう。寺坂は振り向かずに軽く頷いて、姫川へと向かう。もう一度プレッシャーと向き合い、シャトルを叩き落とすシミュレーションをする。

「一本!」

 そう寺坂が思考を切り替えた瞬間を狙ったかのように、姫川は弾道が低めのドリブンサーブでシャトルを奥へと飛ばした。寺坂は咄嗟にラケットを振ってシャトルを打ち返し、後ろにたたらを踏みながらも体勢を立て直す。その隙を狙ったかのように、姫川のスマッシュが寺坂の左側へ打ち込まれた。

「やっ!」

 寺坂はまたラケットを出して、シャトルを何とかネット前に返す。そこに瀬名がラケットを突き出してプッシュする。狙う先はまたしても寺坂。打った直後を狙われても、やみくもに振ったラケットがシャトルを瀬名の頭上を越えさせていた。瀬名も返ってくるとは思っていなかったのか、ラケットを出せない。しかし、後ろにいたのは姫川だ。後ろから一気に移動してシャトルをネット前にクロスに打つ。

「私が行くよ!」

 菊池がそう言って前に出る。二連続で攻められて余裕がない寺坂を咄嗟に庇っての行動。寺坂は少し後ろに下がってしっかりと腰を落とそうとする。それが、隙になった。
 菊池がシャトルに追いついてネット前にヘアピンで落とそうとシャトルを返したところに飛び込んだのはまたしても姫川。菊池が追い付けない速度でクロスヘアピンを打ち、シャトルはコートに落ちた。

「ポイント。スリーラブ(3対0)」

 転がったシャトルを見て、今の自分の動きが隙になったのだと理解する寺坂。そして、理解できたからこそ、その隙を突いてくる相手の力量に戦慄する。偶然だという思いと、必然だという考えが交差する。そこでまた余計な思考に陥りそうな自分を寺坂は軽く頬を叩いて元に戻す。どちらにせよ、次の得点は必ず止めなければいけない。序盤だが確実に、力量差によって点数も広げられていく。ここまで、そこまで凄い動きをしていたわけではない。スマッシュが速いことも、姫川の動きが速いことも事前から分かっていたことだ。
 結局のところ、正攻法で攻められて何も対抗できていないだけ。

(なら、相手の得意な場所で戦っちゃダメってことなんだよね)

 寺坂は深く息を吸って、吐いた。次は菊池がサービスレシーブのためにコート中央の少し後ろへ下がり、サーブを打とうとする姫川の様子を見る。菊池に対してどこに打とうかと目線は鋭く、しかし全体を見ているかのようだ。あまりに視線が動き過ぎるとサーブのコースを特定される可能性もある。寺坂のところからはさすがに見えず、出来るとすれば菊池だ。

(どうしようか、な)

 姫川がショートサーブを打ち、菊池がストレートにロブを上げる。サイドバイサイドとなってシャトルの行方を追うと、瀬名が追ってスマッシュの態勢を取っていた。クロスに来るならストレート。逆なら菊池がクロスに高く打つ。まずはスタンダードな戦術を取ってみる。
 瀬名がスマッシュをクロスに放ち、自分の目の前に来たシャトルを高くロブを上げた。すぐに前を見ると、低い弾道のショットをインターセプトしようとしたのか姫川が寺坂側に寄っていた。シャトルは瀬名がコートを横切るように追って再びスマッシュ体勢に入る。今度もまたストレートで寺坂へとシャトルがうなりをあげて迫る。寺坂はストレートにロブをしっかりあげてシャトルの流れを見定めようとした。

(やっぱり……私、狙われてる)

 先ほどから自分が落とすことばかりだった。菊池の方を狙うのも結局は寺坂の隙を効率的に攻めるためだろう。
 レシーブと攻撃を分けている自分達にとって、レシーブ専門の寺坂自身が攻められて得点されているというのはショックだった。

(これを何とかするのは……私の仕事だ)

 寺坂は自分自身に気合いを入れて、打開策を探すために思考をフル回転させる。
 それでもまだ、光は見えては来なかった。
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