Fly Up! 233

モドル | ススム | モクジ
 安西と岩代は、中学で初めてバドミントンを始めた。
 元々小学生の時は有志で大会が近くなった時だけ練習するバスケ部に所属して、活躍していたことからも運動神経は良かった。だが、継続してバスケを行うかと問われるとそこまで技量も高くなく、好きというわけでもない。単純に体を動かすのが好きだったというだけだ。
 だから中学でバドミントンを始めたのも偶然だった。ちょうど、担任教師がバドミントン部の顧問であり、毎年部員確保に苦心をするため「嫌なら辞めればいい」ということで誘われたのだった。
 川瀬と須永も同じ理由。
 最初は四人とも同じクラス。
 そして二年になり別クラスとなり、今に至る。
 一度離れた実力差を、十分巻き返して、互いに勝利を掴もうとせめぎ合う。

(――はっ)

 自分が物思いにふけっていたことに気づいて安西は慌てて顔を上げた。目の前には岩代の背中。ショートサーブを打とうとしている。そのことで、安西は自分の置かれている状況を確認した。
 川瀬達からサービス権を奪って、最初のサービス。得点は七対六。安西達が辛うじて一点のリード。その得点を叩き出したスマッシュによって安西の体力は奪われて、一瞬だけ集中力が途切れたのだろう。今の苦しい状況から逃げたい自分の弱さが見せた回想かもしれない、と安西は軽く頬を左手で張った。

(危ないな……よし)

 岩代が出してきたサインにOKして、一点を取るために気合いを入れる。岩代も吼えて気合十分のままでショートサーブを放った。岩代の気迫が満ちているシャトルがちょうどいい力加減で軌道に乗り、ネットを越えていく。川瀬はプッシュはせずにヘアピンで前に落とした。それも、ラケットを素早く横にスライドさせてスピンをかけてから。不規則な変化をしたシャトルを、岩代は更にヘアピンで前に落とす。それはネットギリギリの部分を落ちていくが、川瀬は難しさを感じさせずに奥へと返した。

「任せろ!」

 安西が振りかぶり、クロスにスマッシュを放った。急激に落ちていくシャトルを須永が丁寧に拾って再びロブを上げていた。安西達の攻めを巧みに封印している。それを繰り返して、自分達のチャンスの時にシャトルを打ち込む。試合時間を長く使うことで川瀬と須永は安西達が攻めきれないところをカウンターで襲う作戦を取っている。
 安西達を知っているからこそ。入部当初から一緒に打って、試合をしてきたからこその戦略。
 しかし、安西達には試合中に急激に成長した川瀬と須永は読み切れない。逆に言えば、安西達の成長が川瀬達の想定内、あるいは川瀬達に劣っているということ。

(負けるか――よ!)

 内に生まれた怒りを乗せて更にスマッシュ。
 シャトルが須永の左わき腹あたりへと突き進む。
 しかし、軌道が低かったためにネットにぶつかっていた。

「セカンドサービス。セブンシックス(7対6)」
「ドンマイ」
 
 審判の声に続いて岩代が声をかけてくる。安西も頷いて謝ったが、内心ではネットに引っかけた理由が掴み切れていなかった。湧いた怒りが原因かもしれないが、疲労が蓄積してきたためかもしれない。複数の要因があり、どう修正したらいいか頭の中が徐々に混乱してくる。
 何度も今の川瀬と須永は今までの彼らとは別物であり、全く違う相手と想定して試合をするべきと自分に言い聞かせたが、何かの拍子に戻ってしまう。苦しくなってくると自分が思考するのが楽な方向へと行ってしまうのだ。

(くそ……やっぱり俺は甘いのかもな)

 岩代のプレイはいつもと同じように見える。つまり、岩代は目の前の相手に勝つために集中できているということだろう。安西もそうあるべきのはずなのに、川瀬と須永という『自分達よりも実力が低い相手との試合』というイメージを払しょくできない。
 だが、いつまでもイメージにとらわれていては試合は出来ない。安西は息を大きく吸って鋭く言葉と共に吐き出した。

「一本!」

 鋭く爆発させるような声。その勢いそのままにドリブンサーブで相手の左奥を狙う。だが、須永は体を捻って強引にオーバーヘッドストロークでシャトルを打った。真っ直ぐ叩き落されたところにいたのは岩代。ラケットで丁寧にシャトルを捉えて前に落とす。ジャンプした須永が着地せず、取れないタイミングでのヘアピン。しかし、須永は片足がコートに着いたところで強引に前に体を運ぶ。

「うおお!」

 普段の無口さからは想像できないほど大きな声と気合い。
 須永はラケットを届かせて、クロスにヘアピンを打った。無理な移動がたたって倒れたが、何とかネットには触らないようにする。コートに倒れる大きな音を背にクロスで進むシャトル。岩代は一瞬、須永に気を取られて動けない。そのままシャトルがコートに落ちると思われたその時――

「はっ!」

 安西がシャトルを拾って更にヘアピンで前に落とした。ロブをしようにも角度がなく、チャンス球が上がってしまうだけで、厳しくても打たざるをえなかった。倒れた須永に代わって前に出たのは川瀬。安西の動きを読んでいたように前に出るのが速く、ネットを越えて落ち始めたところでラケットを突出し、スナップだけで安西の後ろへとシャトルを跳ね上げる。それに対してショックから立ち直った岩代が追っていき、サーブ時に須永と同様に強引に体を入れてハイクリアを打った。
 自分達もまた体勢を崩したことで、一度立て直したかったためだ。
 安西は即座に右サイドに移動していた。ストレートに飛ぶシャトルを目で追っていった安西が見たのは、倒れたはずの須永がシャトルを追っていき、追いついた姿。移動速度や体勢の立て直しの速さも上がっている。

(いや……本当に集中してるんだ)

 自分達を倒すために、思考の全てを。体の全能力を使って挑んできている。
 そう、川瀬と須永は挑戦者なのだ。BチームからAチームへ。安西と岩代へと。そんな当たり前のことを、一点を争う極限状況で改めて自覚する。
 安西は須永が放ってきたスマッシュを大きく返し、何度か深呼吸をする。須永は追いつくたびに力あるスマッシュを放ち続けるが安西も的確に左右へと返していていた。機械のように正確に。
 やがて須永が根負けしたのかドロップを打った。そこで飛び込むのは岩代。そして、その動きとほぼ同時に後ろへと飛ぶように動く安西。その移動中でも、川瀬の表情が驚きに変わったのを見逃さない。

「はっ!」

 岩代がドロップをプッシュで押し込むが、川瀬が即座に反応してシャトルがピンボールのように跳ね飛ぶ。それに追いついた安西は戻っていく川瀬のボディ目がけてスマッシュを打ち込んだ。後ろに移動しながらの狙いも十分で、川瀬はクロスヘアピンでチャンスを作ろうとする。
 しかし、岩代がその軌道上にラケットを置いていたためにシャトルはネットを越えた後で跳ね返り、コートに落ちていた。

「ポイント。エイトシックス(8対6)!」
「しゃああ!」

 安西の気合いがコート上にほとばしる。ネットを挟んだ川瀬と須永も、安西からくる気合いに体を震わせて動きを止めた。まるで憑き物が落ちたかのように安西の顔は晴々としていて、雑念がなくなっていた。

「安西」
「すまん、岩代。今からでも巻き返す」

 安西は放られたシャトルを手に取って羽根を直す。そして前のサービスラインぎりぎりに立つと、前を向いたままで岩代へと叫ぶ。

「一本だ!」
「当然!」

 岩代の応えに笑み浮かべて、安西はショートサーブを放つ。直前まで気合いを出していた人物と同一人物とは思えないほどに冷静に、コースを狙う。川瀬はプッシュを打とうとしたが下から上にこすり上げるショットでぎりぎりシャトルを落とす。速度がなかったために前に出た岩代にとられ、ロブでシャトルは奥へと飛ばされた。

「う……ぉおお!」

 止まることを諦めたかのような移動速度で後ろに飛んだ須永。ジャンプで体が流れていても、シャトルを捉えてドリブンクリアで弾き返す。勢いで更に後ろに着地した後で一気に前に詰めていく。それに合わせるように川瀬は横に移動した。
 対して安西はシャトルを追ってコート後方へと移動する。シャトルの下に入り、川瀬達それぞれの位置を確認する。須永が左で川瀬が右側。前に突進するようにやってきて、ちょうど須永は立ち止まったばかりだった。その地点を見極めて、安西はドリブンクリアよりも更にドライブ気味にシャトルを打った。ハイクリアの体勢からとは思えないほどに平行シャトルが突き進む。
 それは、武が得意としていたドライブクリアだ。

(俺がいつも使わない技ならどうだ!)

 シャトルを追っていくのは須永。急激な前後運動をして足腰に負担がかかってるのは明らかだったが、それを感じさせないバネでシャトルへと食らいつく。弾道が低い分、いつもよりも追いつく手前でシャトルを捉え、鋭くスマッシュを打ってきた。安西が前に出て勢いを殺してヘアピンにする。前に出てきた川瀬はそのシャトルに触ってクロスへと変換。今まで、何十回。下手すれば百回単位で見てきた戦法だ。だからこそ安西はすぐに追って、ラケットを鋭く振って打ち込んだ。
 シャトルがコートに落ちる前に再び須永が思い切りラケットを振りきり、安西達のコート奥へとロブでシャトルを飛ばした。先ほどから動き続けても運動量が落ちない須永に安西も内心、驚いていた。

「おおお!」

 安西の代わりに岩代が吼えてシャトルを追う。コートの奥までしっかりと届いたシャトルに、照準を合わせて岩代はスマッシュを放つ。相手コートの右サイドぎりぎり。アウトかインかを見極めづらい場所へと。
 だが、シャトルがネットを越えたところで川瀬のラケットがまるで刀のように閃いた。シャトルが鋭角にコートへと叩き付けられ、反動で軽く転がる。安西も岩代も、一瞬のことで動くことができなかった。

「さ、サービスオーバー。シックスエイト(6対8)」

 完全に岩代のスマッシュを狙われていた。そのことに気づいて安西はため息を付く。安西と岩代とを比べて、多少岩代のほうがスマッシュは遅い。しかし、その違いを狙ってくるとは想像できなかった。

(後は……タイミングか? 単調になってるのか? いくらなんでも、スマッシュを完全に狙い撃つのなんて無理だろ)

 バドミントンで使われるショットでは最速。室内競技に幅を広げてもバドミントンは最速のスポーツの一つ。その中で最も速いスマッシュを見てから動いたのでは間に合わない。川瀬は岩代のスマッシュの癖を掴み、狙っているに違いない。

「ストップ」

 安西はシャトルを拾うと川瀬へと渡す。それから肩を落とす岩代に向けてドンマイと声をかける。
 まだ試合は終わっていない。サーブ権が移動しただけで負けたわけではない。

「絶対勝つ!」
「おう!」
「一本!」
「いっぽぉおおん!」

 安西と岩代に呼応するかのように川瀬と須永も吠えた。
 四人の声がコートに迸った。


 * * * * *


「凄かったな」

 安西と岩代。川瀬と須永の試合が終わり、一度コートのモップ掛けやシャトルの補充で休憩時間となった。
 武と吉田は目の前で繰り広げられたハイレベルなダブルスの試合を回想しながら語り合っている。少し先の観客席には精も根も尽き果てて椅子に横になっている四人の姿。コートでは戦う相手だとしても、一度出れば同じ部活の仲間。更には同じ市内の仲間だ。互いに全力で試合をしたことによるわだかまりなどない。

「いい試合をしても、結果は結果だ」

 二人の会話に口を挟んできたのは小島だった。指をさして、最後の得点を捲ったスコアボードを見る。
 18対17。
 十三点目でセティングを迎え、そこから五点を先に取ったのは、川瀬と須永だった。
 最後まで互いが全力でぶつかりあった試合は、遂に公式戦での川瀬と須永の勝利という形で幕を閉じたのだ。練習では最近負けてきたという安西達も、公式戦で負けたのは初であり、終わった直後はショックを隠し切れなかったが、すぐに体力回復のため椅子に倒れたことでそのショックは霧散した。
 単純に、今は力で川瀬と須永が上回っただけ。そう言わんばかりに。

(俺らもウカウカしてられないな)

 自分の出番がないことで、好試合に火照った体を冷ます手段はない。うずうずする武の頭を、軽くラケットが叩いた。

「いて!?」
「決勝での相沢君の出番、作ってくるから待っててね」

 武の頭からラケットを上げて言ったのは姫川だった。その気負いのない笑顔と正反対で、ダブルスのパートナーである瀬名はしかめっ面をしている。

「ああ。頑張ってな」
「でも後輩を負かすことになっちゃうね」

 視線の先には準備運動を始めている相手――寺坂と菊池の姿が見えた。自分の後輩で、いつも声援を受けているほうだった。しかし今は、敵同士。

「今は敵。むしろ、徹底的にやってくれ」
「お、きっびしー」
「色々学ばせてよ。そうすりゃ、あいつらも強くなる」

 武がそう言って見せた笑みに喋っていた姫川も、後ろでじっと武の方を見ていた瀬名も息を呑む。武だけはその意味が分からずに頭にはてなマークを浮かべていた。何かあったかと問いかけようとしたが、二人は試合だと言ってコートへと向かった。

「お前、天然だよね」
「……なんで?」

 小島の突っ込みにも武は頭を捻るしかなかった。

 全国バドミントン選手権大会全道予選、準決勝第四試合。
 姫川・瀬名 対 寺坂・菊池。
 試合開始。
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