Fly Up! 232

モドル | ススム | モクジ
 安西は一歩前に出てスマッシュをより速いタイミングで打ち返そうとする。だが次の瞬間、安西の中の何かが警告する。

(川瀬は、スマッシュを打たない!?)

 ほぼ直感で、安西は前に踏み出していた足を後ろに移動させる。それと同時に川瀬はドリブンクリアをストレートに打っていた。安西は同じタイミングでシャトルを追って動く形になる。
 シャトルに追いつくために移動したまま、安西は振りかぶってスマッシュを放った。

「はあ!」

 シャトルはストレート、更にはコートの右端に向けて打ち込まれた。ぎりぎりのところにきたシャトルを見ていた川瀬だったが直前でラケットを引く。しかしシャトルはライン上に落ちて審判はインと判断して、シャトルはサービスオーバーで安西達の所へと戻った。

「今の、よく反応できたな。てっきり川瀬がスマッシュ打つと思って前に出たかと思った」

 岩代の言葉に安西は首を振ってから答えた。

「いや。途中まで騙されてた。でも普段のフォームとかすかに何か違ったんだよな。ほんと、漠然としたイメージだよ。いつもとフォームが微妙に違うって」
「……それが見えてるなら大したもんジャン」
「そんなに集中力は続かないし、集中しててもたまに分かる程度だよ」

 そこで話を切り上げて安西は放られたシャトルを取り、岩代へと渡した。間を外したいが、外しすぎると審判や相手からの抗議の視線が痛くなる。特に川瀬と須永からは練習時と同じようなテンポ良い試合を臨まれてるように安西には思える。

「ここで誘いに乗ってもいいけど。練習は練習。試合は試合、だろ」
「岩代……そうだな。俺達は勝つために試合やってんだからな」

 安西は気を取り直して岩代の後ろに付く。岩代は既にサーブ体勢を整えて須永と向かい合う。後ろからでも安西は二人の間でぶつかり合う火花が見えた――気がしていた。

(この一回一回、ひりつく緊張感がたまらないよな)

 安西は少しだけ両足の幅を広げた。
 そこにタイミングを合わせるように、岩代がショートサーブを打ち、須永が岩代を躱すようにプッシュを放っていた。


 ◇ ◆ ◇


 武は自分がいつしか手すりを力強く握りしめていることに気づき、慌てて話した。掌には汗がたまっており、鉄製の手すりを握ったことによる独特な匂いで顔をしかめる。隣を見ると真剣に視線を向けている吉田。そして小島もまた試合の流れを見守っている。その緊張感は刈田と試合をしていた時に近いように武には思えた。

「あの四人、今は神がかってるな」

 吉田の呟きは特に誰かに向けられたものではない。しかし、小島が即座に反応していた。

「これが事実上の決勝っぽい感じだ」

 対して小島の言葉には吉田は答えない。そもそもが意識せずに流れ出した言葉であるために、それに対して答えが返ってくるという考えもない。だから試合に集中しているために聞き逃したのだろう。それを小島も分かっているのか、また視線を目の前の試合に戻した。
 武はスコアを眺める。
 得点は十五対十五。セティングポイントに入ってそれぞれ一点を取ったところだ。追いつかれたのは安西達。まだ第一ゲームだというのに一進一退の攻防を繰り広げていて、試合時間も他のコートより長い。ここから二点取れば第一ゲームを取ることになるが、今の安西達と川瀬達に差はない。おそらくはサーブの奪い合いになるだろうと武は予想していた。

(これだけ打ち合って取った一ゲームは大きいぞ……安西、岩代)
 
 ここで一ゲームを取るだけで大分精神的にも優位に立てると武は踏んでいた。シーソーゲームを繰り返して長く続いている試合時間。それだけ打ち合った結果、ゲームを取れなかったという時の精神的なダメージは大きいはずだ。もしもそこから立ち直れなければ第二ゲームはあっさりと負けてしまうかもしれない。自分の行ってきたことが無に帰す。その時に気持ちを切り替えて第二ゲームに望むというのは至難の業だ。

「ストップ! 安西、岩代!」

 川瀬が安西に向けてサーブを放とうと構える。その前にどうしても激励したくなり、武は声を上げた。その声に押されるように川瀬がショートサーブを放ち、安西が前に飛び込む。強くプッシュできずにコースを狙ったゆっくりとしたショット。それを須永が飛び込んでロブを打ち上げる。岩代が後ろでタイミングを計り、ストレートにスマッシュを打ち込んだ。須永は同じ軌道に今度は低い弾道で打ち上げる。打った直後に低く返された岩代は更に構えを早くして打ち抜く。
 シャトルは再び須永の下へ。須永が返球する体勢を取ったところで、安西が軌道上に立ちふさがった。須永はそれを一瞬だけ見てクロスヘアピンで安西から離れるようにネット前にシャトルを打つ。安西はサイドステップでシャトルに追いつき、前に柔らかく落とした。

(勝った――!)

 武がそう思った瞬間、川瀬がラケットをシャトルの下に入れていた。低い体勢であり、並のプレイヤーならばロブで体勢を整えるくらいしかできない。それでも、川瀬は並のプレイヤーではなかった。
 安西は川瀬が打つロブの軌道上にラケットを出さないように躱す体勢を取る。
 今の二人の距離でラケットを出していれば上手く打ち返せずにアウトになる可能性が高い。完全に岩代に任せようとしていた。
 逆に岩代は上がってくるロブを打ち抜こうとコートの後ろ側でスタンバイする。しっかりと構えて力あるスマッシュを打つために。
 だからこそ、川瀬は二人の間に落ちるようにシャトルを打った。ふわりと力なく漂うように、シャトルはコートの中央に落ちていた。

「ポイント。シックスティーン、ゲームポイントフィフティーン(16対15)」

 先に握られるゲームポイント。そもそもセティングも追いつかれたのは安西と岩代だ。最初にゲームポイントを取ってから追いつかれ、更にゲームポイントを奪い返された。武の想像以上に二人はダメージを受けているはずだった。

「今のタイミング……」
「ああ。安西と岩代が、川瀬の次のシャトルを予想した一瞬を完全に突きやがった。だから、分かっていても動けなかった」

 吉田と小島が今のラリーについて分析する。
 おそらく武と吉田との対戦ならばこのようなラリーにはならない。川瀬だからこそ、今の状況から二人がどのように予測を立てるかを考えることができた。更にはその裏をかくことができた。
 ここにきて、川瀬は安西達にとって致命的な読みを成功させたのだ。

「絶対ストップ!」

 武は自分の中の力を全て二人に渡すかのように叫ぶ。武に引き続いて団体メンバーが声援を送っていく。ダブルスのコートは一気にヒートアップしていった。

「一本」
「応っ!」

 声援の嵐の中で川瀬が最後の一点を決めようとサーブ体勢に入る。須永も背中から力を与えるように声を上げる。
 シャトルをゆっくりとラケット面の前に持ってきてから、川瀬は急に筋肉をたわめて弾き飛ばす。ドライブ気味のサーブを岩代は強引に叩きつける。シャトルはすぐさま川瀬を襲ったが上手く躱し、後ろにつけた須永がヘアピンを放った。川瀬をブラインドにしてのショットにも岩代は躊躇なく前に進む。ラケットを立ててヘアピンで落としたところを川瀬が冷静に打ち上げていた。

「岩代!」

 安西の声に反応して岩代はコート前衛の中央へと移動する。そして安西は岩代の頭部を狙うようにスマッシュを打ち込んだ。岩代の頭の横を通って突き進むシャトルを、須永がインターセプトして返す。しかし次の瞬間には岩代がラケットにシャトルを当てて鋭く打ち返していた。
 ピンボールのようにコート間を行き来するシャトル。二組とも、徐々にシャトルを打ち返すタイミングが早くなり、速度が上がっていく。。どちらかが攻めてどちらかが守るというのは変わらない筈なのに、スマッシュも鋭く、ロブも弓なりではなくドライブ気味になっていく。
 武も吉田も小島も。おそらくは他のメンバーも。
 そのラリーから目を離せなくなっていた。

(おそらく、どこかでフェイントかけて落とすはず)

 速度が上がっていくのは、互いにフェイントの布石であると武は読んでいた。
 どこかで勢いを完全に殺したショットを打ち、コートに落とす。それのタイミングを計っているのだと。
 しかし、互いのショットの威力が強くて勢いを殺そうとして殺しきれない可能性が高い。だからこそ、一瞬でも、少しでもシャトルが行き来する強さが弱まったところを狙うに違いない。
 ――そして、その時がやってきた。

「はっ!」

 川瀬がスマッシュで安西の右肩口を狙う。安西はラケットを上げて前でとらえようとした時に、右足を強く踏み出してラケットは完全に止めていた。勢いを完全に殺されて跳ね返るシャトル。そして床と平行に進み、ネットを越えたところで落ちた。

(――よし!)

 武は心の中で叫ぶ。絶妙なタイミング。武と吉田。どちらかでも反応できるか分からない。一試合に何回打てるのか分からないベストショットだ。
 しかし。

「おらああ!」

 全力の咆哮と共に須永が横っ飛びでシャトルへと追いつき、下からシャトルに向けてラケットをスライスさせた。ラケット面がシャトルコックに掠り、シャトルは一瞬上がったと思うと安西達の側へネットにぶつかりながら落ちて行った。
 須永もまた勢いをつけて飛んだために床に激突するような大きな音を立てて倒れた。

「ポイント。セブンティーンフィフティーン(17対15)。チェンジエンド」
『須永!』

 Bチームの面々が須永に駆け寄ろうとする。しかし、須永は体を即座に起こしてシャトルの行方を見た。そして自分達が得点し、第一ゲームを取ったことを悟るとラケットを掲げて喜ぶ。
 一方で安西と岩代は自分のコートに落ちたシャトルを呆然と見ていた。打ち返せるタイミングではなかったはず。実際、着地できなかったということは須永もかなり無理をしたのだろう。それでもシャトルを取れた。完全に安西と岩代の予測を越えた動きをしたことになる。
 そしてそれは、武達も同じだった。

「まさか、あそこの動きも読んでたってことか?」
「いや……どっちかっていうと、自然と体が動いたってところだな。多分、俺達と対戦することがあれば、あの動きを全部できるかって言うとそうでもなさそうだ」

 武の問いかけに吉田が答える。厳しい視線を安西と岩代。そして川瀬と須永へと向けていた。呟いた言葉は吉田が思っていることだろうが、実際に当たった場合にそれだけでは済まないことを直感的に理解している。
 川瀬と須永の実力は、今や完全に安西岩代を捉えている。どちらか勝つか全く分からない。それほどまでに成長している。

「ジュニア全道大会のお前らみたいだな」

 小島の言葉によって、川瀬と須永の急成長に実感が持てる。
 第一シードを倒した時、橘兄弟を倒した時の自分達の感覚。今までよりも二段階、三段階先にレベルアップしたような実感。今まで蓄積してきた経験や練習の成果が一気に一つに集約していく。
 それによって武達は第一シードや橘兄弟。両方を打ち倒してきた。
 それと同じくらいの印象を持つ川瀬と須永は、なら安西と岩代を倒せるか。

「確かに凄いけど……安西達には負けてほしくない」

 武はもう一度両手でラッパを作り、二人に向けて声を届ける。
 外から見ている自分達には応援しかできないと言うように。分析をいくらしても、今、何とかするのはコートの中の安西と岩代しかいない。

「まずは一ゲーム取ろうー! ストップ!」

 安西と岩代は武に向けて左拳を突き出す。二人の心は全く折れておらず、むしろ逆転する気合いがほとばしっていた。自分達に声を出させていることが許せなかったのか、安西は一度ラケットを脇に挟み、両頬を張った。岩代も同じように何度も叩き、自らに気合いを入れる。

「よし! ストップ!」
「ストップ!!」

 コートに叩き付けるように。自分達に叩き付けるように。
 川瀬と須永のプレッシャーを跳ね返すように。
 僅かなインターバルの後ですぐにセカンドゲームが始まる。一ゲーム終わりに使ったシャトルを川瀬は審判に返るよう要求し、新品を貰う。
 軽く岩代へと打って互いに試し打ちをして、数度打ち合った後で受け取った。

「よろしいですか? セカンドゲーム、ラブオールプレイ!」
『お願いします!』

 四人の声がコートから発せられる。
 即座にそれぞれが臨戦態勢に入り、急激に静まり返る。張りつめた空気が武達まで伝わってきて、皆が黙り込んだ。

「一本」

 静寂を破り、川瀬の一言からショートサーブが放たれた。

 安西・岩代VS川瀬・須永。
 川瀬・須永リード。
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