Fly Up! 231

モドル | ススム | モクジ
(これで勝てば決勝、か)

 安西はネットの向かいに立つ川瀬と須永を見ながら思う。つい先日まで同じ部活の仲間として勝利を目指してきた。互いがライバルで、共通の敵として武と吉田ペアがいた。
 自分達が第二シード。川瀬と須永が第三シードという位置から自然と第一ダブルスへの挑戦権を争って公式戦でも対戦は多い。部活でも何度も試合をして、公式戦でも戦って。おそらくは中学時代で一番試合をした相手だろう。その中で、安西は今までは負ける気はしなかった。
 それが崩れたのは学年別大会の直前。初めて、練習時に負けた時。

「目標は違っても、挑戦権を争うのは一緒か」
「ん? 何か言った?」

 呟きをかすかに聞いて、岩代が尋ねる。それに笑い返しただけで詳しくは言わなかった。試合が始まるということでその後すぐに握手を交わさなければいけなかったこともあるが、自分の中の思いをわざわざ岩代へと言う必要性を感じなかった。岩代も間違いなく、自分と同じ思いをしていると安西は分かっていたから。

「じゃんけん」
「ぽん」

 ファーストサーバーの須永にじゃんけんで勝ち、サーブ権を取る。シャトルは真新しく、ほつれ一つない。それを手の中でもて遊びつつ、安西はサーブ位置についた。後ろに岩代が腰を深くして構え、左右どちらにでも移動できるようにするのを気配で確認し、安西は目の前に集中する。須永が、前衛に来たシャトルは全て切って落とす、という気迫を持って待ち構えていた。その気配は、全道で経験したものに近い。あの橘兄弟ほどではないが、近いものは確かにあった。

(これに勝って、俺達は決勝に行く!)

 安西は雑念を捨てる。
 最後に残ったのは、純粋に勝利だけを求める思い。そこに思考が集約していく。

「一本!」

 シャトルをバックハンドで静かに押し出して、試合が開始された。
 ふわりと舞ったシャトルがネットを越えようとしたところで須永がプッシュで叩き落す。サーブを打った安西がそのまま斜め前に突進してきたのを見て咄嗟に逆方向へとシャトルを打った須永だったが、そこにはすでに岩代がラケットを伸ばしていた。

「甘めぇ!」

 岩代が柔らかなタッチでシャトルを掬い、ネット前に落ちるように返した。プッシュで前に詰めていた須永にはそれを取れない。
 今までならば。

「うおお!」

 安西と同じサイドにいた須永は、右足で思い切り床を蹴って逆方向へと飛んだ。ラケットは一直線にシャトルへ。そしてネットを越えて落ちようとしていたシャトルにヘッドを触れさせると上方向にスライスした。シャトルにはスピンがかかり逆に安西達のコートへと落ちていく。

「ととっ!」

 岩代は打った勢いでそのまま前に出て来ていたため、シャトルの下へと追いついた。体勢は攻める状態ではないと、ひとまずロブで時間を取る。その間に安西は左サイドの中央に腰を落とし、次の一手を待ち構える。内心では多少なりとも驚きが残っていた。

(まさか、あのタイミングで追いつくなんて)

 プッシュを打ち返したタイミングは悪くなかった。悪くないどころではなく、かなり良い場所、タイミングで打ち返したはずだ。須永は前足に体重が集まり前のめりになるのを堪えていて、どうしても次の行動に行くまでにタイムロスがある。それを強引に力でねじ伏せてラケットを伸ばした。それは今までの須永には出来なかったことだ。

(いつから……できた? できるようになった?)
「ぼやっとするな! 安西!」

 戦力分析に気を取られていた安西は岩代からの叫びで意識を前に戻す。すると、そこにちょうどシャトルが襲い掛かってくるのが見えた。まさに放たれたというより襲い掛かってきたというほどに、自分の顔面へと向けてシャトルが来る。川瀬のスマッシュを安西は後ろに下がってラケットを立てるだけで跳ね返した。それでも後ろに重心がかかっていたために自然と体は下がってしまう。その隙をフォローするように岩代が前に出た。
 前にいた須永は返って来たシャトルへとラケットを出す。先ほどと同じく際どいシャトル。ネットに引っかけるかフォルトを取られるか。難しい位置。
 それでも須永は両方選ばずに岩代のラケットの横をすり抜けてシャトルを打ち込んだ。落ちていくシャトルに安西は目いっぱい腕を伸ばして体を飛び込ませる。最初の一点を何としてももぎ取る、という強い気持ちが体を動かしていた。結果、シャトルを取らえて高く相手コートに返していた。

「岩代! そのまま後ろ!」

 岩代にそう言って場所をチェンジする。今度は安西が右側で岩代が左側。再びシャトルは川瀬の射程距離に入る。スマッシュ体勢を取る川瀬の視線の動きを確認しながら、安西は腰を落としてバックハンド気味に構えた。

(右に来られてもラケットを縦にして振り切る。今度は完全に返すぞ)

 そう思った安西だったが、次に来たのはスマッシュではなくドロップだった。完全にスマッシュだと思っていた安西はその場に縫い付けられたように動けない。

(うご……けぇ!)

 硬直から回復して動き出そうとした時、岩代が先に斜めに飛び出していた。そのまま岩代はネットを越えてきたシャトルをプッシュで押し込む。今度は須永も取ることができずにコートへ落ちて跳ねた。

「ポイント。ワンラブ(1対0)」

 審判の声に安西は一つ大きなため息を付いて肩の力を抜いた。
 ラケットを下して次のサーブ位置へと移動する。その間に川瀬がシャトルを取って安西へと打って返した。ちょうど手で取れる絶妙な位置に落ちてきたそれを見て、心の中で感嘆する。

(川瀬も須永も、強くなってるな)

 今の攻防を思い出す。おそらくは、練習時なら落とすだろうシャトルを須永は取った。更には、スマッシュを打つタイミングだった川瀬もドロップを打った。明らかに自分の想像を超えて二人は動いている。

「あいつら。安西の思考を完全に読んでるな」

 傍に来た岩代が言ったのを聞いて静かに頷く。どういったショットを打つのかをこちらが予想している。その予想を完全に読んで、川瀬は違うショットを打った。須永もおそらくは岩代が打つ方向が分かっていたからこそ、強引にでも飛ぶことができたのだろう。

「逆に俺達はあいつらの動きを読んでいるようで別のことをされてる。昨日までのあいつらなら読めただろうが、今のあいつらは試合の間に成長してるよ……」
「かなり苦戦しそうだな」

 安西は岩代の背中を軽くラケットで叩き、後ろに行くように促した。次のサーブまであまり時間を取るわけにいはいかない。岩代も分かっている。一言だけ呟いて後ろへと下がった。

「お前、楽しそうだな」

 岩代の言葉を聞いて安西はかすかに口元を緩めた。
 安西は目の前の相手からくる気迫を楽しんでいた。ひりつくような空気。冷たい、零度を下回る空気の中にいる時に感じる張りつめた感覚。それに近いものが須永や川瀬から来るのだ。
 それがたまらなく楽しいと安西は思う。コートに入る前はこれを勝てば決勝に進むということや、川瀬や須永のこと。練習でのことや、武、吉田のこと。いろいろなことが頭をよぎった。しかし、今は思考が徐々に先鋭化されていく。
 目の前が誰であろうと関係なく。
 ただ、相手よりも先に決勝点を取る。
 それだけに思考を回すようになっていく。

「一本」

 静かに言って、安西はショートサーブを放った。目の前にいるのは川瀬と須永。明光中の仲間、ではなく。
 一組の、敵だ。
 川瀬はネットギリギリを越えてくるシャトルを無理せずにロブを上げる。安西はそのまま前に残り、岩代のスマッシュに意識を集中した。ネットを越えた先には両サイドに広がった二人。その中央へと向けて岩代はスマッシュを叩き込む。そこでブラインドになるように安西はシャトルの軌道を予測して少しだけ頭を上げた。結果、耳の横を掠らずに過ぎていくシャトル。
 そしてそれを予測して、すでに一歩前に出て補足していた川瀬。

「はっ!」

 バックハンドに持ち替えた川瀬がスマッシュを弾き返す。後ろからのシャトルを躱した直後の安西の目の前へと。タイミング的に打ち返せないもの。安西は川瀬の顔に一瞬、笑みが浮かぶのが見えた。
 そこで感じた思いが形になる前に、安西は体ごと避けていた。その後ろに岩代がいることを感覚的に理解していたから。実際に、岩代はスマッシュを打ってからすぐ前に出てきていた。そして、川瀬が前に出たことで手薄になった右奥へとシャトルを低めのロブで鋭く抉った。そのまま前に出て、安西は後ろに回るというローテーション。
 後ろに回るのは須永。小さい体を飛ぶように移動させてバックハンドで打ち返す。シャトルの軌道はクロスのドロップ。それが、綺麗な弧を描いて岩代のバックハンド側に落ちていく。シャトルには追いついていたが、ネットぎりぎりだったために叩くことができず、やむなくヘアピンで前に落とした。
 だが、その行動を読んでいたのか川瀬が目の前に現れる。岩代が失態に気づいた時には、打ち返した瞬間のシャトルを更にヘアピンでクロスに落とされていた。
 角度がついたシャトルには安西も追いつくことができなかった。

「サービスオーバー。ラブワン(0対1)」
「しっ!」

 岩代と安西に見せつけるように拳を突き上げる川瀬。それから何事もなかったかのように元の立ち位置へと戻っていく。その様子に、安西も岩代も呆気にとられたがすぐに気を取り戻す。

「どんまい」
「ああ。やっぱり強いわ」

 純粋に実力を認める。須永のドロップが完ぺきだったことも含めて、次の岩代の手を読んで先に先にと移動した。結果、ヘアピンのカウンターという難技を成功させたのだ。安西がシャトルを拾って川瀬へと返す。次のファーストサーバー。岩代へ向けてサーブを放つことになる。

「集中していこう」
「当たり前だ」

 岩代はそう言って息を一つ、深く吐いた。
 川瀬から伝わってくる気合いは岩代も肌で感じている。ラケットを上げて前に来たシャトルをプッシュできるように。そう思いつつも少しだけ後ろへのサーブを気にする。どちらを打ってくるか。川瀬ならばどうするか。
 今までの試合展開と今までの川瀬の印象を重ね合わせて。
 岩代は前に出た。

「――!?」

 突き出したラケットの前には、シャトルが無い。
 右足で体重を支えてからすぐに後ろを振り向くが、体は動かせなかった。
 大したことはない速度で、シャトルはコートへと落ちていく。それを見送ったままで岩代は思わず脛をラケットで叩いた。

「ポイント。ワンオール(1対1)」

 その怒りは、簡単に点を取られたことへのものだ。
 川瀬の思考を読んで、読み切った気でいた。
 しかし川瀬は更にその上を読んでロングサーブを打ってきたのだ。岩代は完全に掌の上で遊ばれたことに気づき、怒りをこらえきれなかった。

「どんまい。仕方がないだろ」
「すまん……」
「今の川瀬達に予測は逆効果だ」

 そう言って安西は前に出る。お互い、一番打ち合ってきた相手だけに思考を読もうとすれば必ずどちらかが読み負ける。更に、今現在も成長しているだろう川瀬達のほうが読みは勝っている。それはもう認めるしかない。自分達のほうが弱いと認めたうえで、勝つ方法を探す。いつもはその相手が武と吉田であったが今回は川瀬と須永であるだけだ。立ちはだかるのはいつでも実力が上の相手だけ。急速に力を付けた川瀬と須永に、全力で挑むだけ。

(来たシャトルに反応するしかない。それでも、体が自然と動くってことはあるのかもな……極力避けるしかない、か)

 ラケットを上げて川瀬の斜め前に立つ。
 前傾姿勢になり過ぎず、前も後ろもどちらでもすぐに動ける体勢。川瀬の思考が読めないなら、来るシャトルに反応する。そんな安西の思考も川瀬には思い浮かんでいるのかもしれない。
 何を思ったか。川瀬は一つだけ息を吐き、自然な動作でショートサーブを打った。

(来た――!)

 半分以上、シャトルの音に反応する形で前に飛び出す安西。ラケットは前に。シャトルがネットを越えた瞬間を狙い澄まして、小さく前に突き出した。シャトルは回転して川瀬の胴体に軽くぶつかっていた。

「セカンドサービス。ワンオール(1対1)」
「しゃ!」

 先ほどの川瀬をやり返すつもりで拳を上げる。しかし、川瀬は無表情でレシーブ位置に戻っていた。シャトルを拾い上げて須永へと渡す。受け取った須永も表情は特に変えずにあっさりとサーブ姿勢を取った。それに合わせるように岩代がラケットを構える。安西も後ろに腰を落とした。

「一本!」

 突如大きな声を張り上げた須永はその勢いでロングサーブを打った。弾道が低く後ろを越えすぎないような絶妙な高さ。それを岩代は背中を反ってほぼシャトルの軌道と平行になるように体を寝かせ、前にドライブを打つ。たたらを踏んで体勢を立て直す間に安西が前に出て、極力、シャトルを打つコースを狭めた。前に残った須永はその安西の包囲網を抜けてシャトルをプッシュでカウンターを取る。
 安西をすり抜けてシャトルがコートにつきそうになった瞬間、岩代のラケットがシャトルをすくいあげた。

「安西!」

 自分の名を呼ぶ響きだけで意図を掴み、安西は右横に回る。移動している中で目をそらさなかったのは、シャトルの動向。
 川瀬がシャトルの下に身構えて、スマッシュの体勢を取っていた。
 安西、岩代対川瀬、須永。
 二組の戦いは徐々に熱を帯びて行った。
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