Fly Up! 223

モドル | ススム | モクジ
 サーブ権を取り返した森丘は一度間を開けるためにサーブ位置で右足を何度かコートへと付けた後で息を吐いた。
 君長の姿を視界に収め、より高くより遠くに飛ばすようにロングサーブを放つ。君長は素早い動きであっという間に落下地点まで移動すると、ストレートスマッシュを放った。森丘はバックハンドでシャトルを取ると、真っ直ぐ前に落とす。クロスに返す余裕がなかったからかもしれない。しかし、そのシャトルはネットから少しだけ高く上がり、前に詰めてきた君長のプッシュの餌食だった。
 森丘のいる場所から離すように、空いているスペースに打ち込まれたシャトルはコートに強く跳ねた。

「サービスオーバー。ラブオール(0対0)」

 森丘は悔しそうに君長を見てから自分のコートに落ちたシャトルを取り、君長へと打って渡す。空中でラケットを使いシャトルを取ると、流れるように次のサーブ位置につく。
 そこからだった。観客席から見ていた早坂にも感じ取れる、君長凛のプレッシャー。何も変わっているように思えないのに、なぜか鳥肌が立ち、体中の毛穴が収縮する。

「な……なんなんですか? あの子」

 寺坂は口を押えて青ざめている。自分と同じ歳の選手であるが、放たれる圧力が桁違いであることに気づいたようだった。隣に座っていた藤本は青ざめてはいるが、平静を装うくらいの余裕はあるらしい。それでも、口から洩れた言葉は率直な感想だった。

「こりゃ桁が違う……誰も勝てないっすよ」
「そうね」

 早坂の答えに藤本が慌てて振り向く。謝ろうとした藤本を制し、早坂は先を続ける。

「私も正直、何とかなるんじゃないかと思ってた。ひと月くらいだったけど、試合でも練習でも、ジュニア大会の時よりも成長できたって思ってる。でも、やっぱり格が違うわね」

 早坂は視線を一瞬でも離さない。まだ力の差はあるとは分かっていた。予想以上だったのは確かだが、それでも自分がここにいる理由を忘れてはいない。
 実力差があっても、何とかして勝機を見つけ出す。そのために思考するスポーツがバドミントンだ。何か弱点がないのか。攻める戦法はないのかと君長の一挙一足を見る。目を皿のようにして。

「一本!」

 君長のロングサーブで放たれたシャトルを森丘がスマッシュで返す。しかし、シャトルがネットを越えたところで、もう君長のラケットはシャトルを捉えてクロスヘアピンで返していた。その軌道は追いついたとしても上手く打ち上げなければネットにぶつかってしまうもの。森丘には追いつくフットワークがなく、シャトルから離れた位置で落ちる光景を見るしかなかった。
 短いが、君長凛の力を端的に表したラリー。その後は一方的な展開で試合が進む。
 君長のサーブ。森丘のリターン。君長のショット。シャトルはほぼ二往復でコートに沈む。森丘がどのコース、どの球種を打っても君長はそこに出現し、十分な体勢からのプッシュやスマッシュでシャトルを沈めていく。
 スマッシュの速度自体はそこまで速くはない。しかし、移動後の十分な体勢から放たれるそれは現実以上の速度を対戦相手に錯覚させるはずだ。スマッシュを恐れてドロップを打てば前でとらえられ、前に詰められるのを恐れるために奥へクリアを上げてもスマッシュで押され、返したシャトルを打ち込まれる。森丘にはすでに何もできないというビジョンが見えているだろう。

(ここまで何もできない……確かに、できてない)

 試合開始から十分。君長は第一ゲームをもぎ取っていた。あまりに早い展開に周りの人間が青ざめるのが見て取れる。
 特に早坂の隣で見ていた寺坂と藤本の憔悴ぶりは見ていて痛々しかった。

「強すぎ……」
「同じ一年とは思えないっすね」
「そうね」

 藤本の言葉が自分あてだと思い、早坂は答える。コートチェンジの間に森丘も庄司からアドバイスを受けているようだったが、どこまで実践できるのか。抗えずにこのまま流されてしまうのか。

「でも、これだけ圧倒的な展開だけに気になりますね、最初の」
「最初……」

 藤本の言葉に早坂は思い返す。この試合の始まりは、森丘のボディアタックから幕を開けた。そこから君長が本気になって、圧倒的な展開を見せた。その流れに特に不自然な点は見当たらない。そのことを藤本に告げると、彼はそれでも首を振る。

「そう思うでしょうけど……あれだけ打てる選手が最初は気を抜いていたってのもなんとなく違う気がして。実力差があるなら、なおさらです。実力差があれば些細なミスだとしても対応できるはず」

 藤本の言葉には一理ある、と早坂はもう一度君長の姿を思い起こす。
 サーブ権を奪われたのはボディへのスマッシュ。動こうとしてその場で軽快に跳ねたところで打ち込まれ、咄嗟にバックハンドで返した。
 それがもし、君長のウィークポイントだとすれば何が考えられるか。

「セカンドゲーム、ラブオールプレイ!」

 審判のコールに従い、君長がサーブする。高く上がったシャトルを森丘はスマッシュで返した。軌道は、一ゲーム目最初と同じ真正面。ボディアタックだ。しかし、君長は前に出てプッシュの要領でカウンターを返す。シャトルは森丘のコートへ着弾した。

(やっぱり。二回目からは普通に対応してる)

 ボディアタックは庄司が指示したのだろう。しかし、それも全く効果がない。またしても一方的に点を取られていく展開になるかと思われた。
 だが、森丘は二点目から自分から攻めることを止めてハイクリアやロブを多用していった。相手からの攻めをとにかく高く返す。ともすれば戦意を喪失してただ試合を長引かせるために打っているように思える。あるいは、君長の体力を奪うことが狙いか。

(でも、それも二ゲーム目からは意味がない)

 君長は既に一ゲームを取っている。最初にこうした戦法を取るのなら分からなくはないが、二ゲーム目から行ったからといって君長が体力切れになる姿は浮かばなかった。君長は小さな体ながらも全国という強豪の立つ舞台で最後まで駆け上がった選手だ。地区のたった一つのゲームで体力切れを起こすなんて考えつかない。

(なら、森丘はなんで?)

 ラリーも二十を数えたところで君長のスマッシュがシングルスラインぎりぎりに決まった。ポイントが告げられ、君長がシャトルを取って次のサーブ位置に立つ。それでも、森丘は俯いたまま肩で息をしていた。全く動けなかったのだ。

「す、すみません……」

 森丘は勢いをつけて上半身をあげて姿勢を保つ。そしてレシーブ位置を移動して君長に向けて「一本!」と叫んだ。体力の低下を少しでも精神で補うために。早坂からも、寺坂や藤本からもそれは不可解な光景だ。戦略をその場その場で変えてただ空回りしているように思える。

「空回り……してるんでしょうかね?」
「弱点を何とか探そうとしてるのよ」

 早坂は藤本の言葉に顔を向けないまま答える。視線はコートから外さない。森丘は必死に君長の弱点を探そうとしている。少しも勝ちを諦めていない。最初に侮ったことに対して自分が恥ずかしくなり、早坂は心の中で森丘に謝った。

(ラリーを続けても駄目。君長の真骨頂は信じられない速度のフットワークを、ずっと保てる脚力……だから、いくらこっちがシャトルを散らしても必ず追いついてくる。なら、スマッシュで力押し……?)

 スマッシュが頭をよぎったが、第二ゲームの初めにそれで逆にインターセプトされている。相手がスマッシュを打つのに反応して前に詰めて叩き落すのは速度に慣れていないと無理だろう。

(やっぱり、最初に打ち損じたのは油断だったのかな?)

 どんなに強くても、立ち上がりには調子を出し切れないのだろうか。それしかウィークポイントがないならば、自分は勝てるのか。早坂の心に暗雲が立ち込める。
 次々と得点を許していく森丘の様子に、徐々に応援の声が陰り始めた。

「ポイント。セブンラブ(7対0)」

 審判の声が響き、その後に君長へと声援が飛ぶ。その声が序盤に比べて増えていることに気づいた早坂は視線を周囲に移す。いつしか観客が増えていた。時間も夕方に差し掛かったところで客が増えていたのだろう。
 君長のプレイを見て拍手をする。まだ地区の予選だというのに、すでに観客の心を掴み始めていた。自然と、早坂は自分も見とれていたことに気づく。森丘の必死さと君長の流麗な動き。その二つが合わさった上でのラリーなのだ。それを観客は気づいていないだろうが。

「森丘! ここでストップだよ!」

 早坂は急に立ち上がって森丘に激励した。その声に顔を向けた彼女の瞳の光は弱々しく消えそうになっていたが、一気に強くなる。
「ストップ!」と大きく叫んで構えた体勢は、今までよりも大きく堂々としていた。君長の速度に対応しようとしてか、無意識に体を縮めて小さくなっていたのだ。そこまで見て早坂は更に分析する。

(君長の弱点と言えるのは、体が小さいから私達より多く動かないと駄目なこと……フットワークで誤魔化されていたけれど、君長は私達より多く動いて拾ってる)

 森丘の二点目のラリーを思い返す。十分弱点をカバーしているだけに気にならなかったが、君長は森丘のショットに対して小さい体を目いっぱい移動させて打ち返している。攻めが素早いのでそう簡単には隙は見せないが、そこを上手く突けないか。

(……あ)

 そこまで考えて、早坂は一つの考えに思い至った。攻略するには足りないが、君長の弱い部分。弱点とまでは行かなくても付け入る隙になる部分を。

「やっ!」

 その時、森丘のスマッシュが君長の胸部に向かった。先ほどと同じ展開。しかし、君長はバックハンドで胸元に構えて返した。ふわりと浮かんだシャトルに向かってチャンスとばかりに飛び込んだ森丘だったが、届く前にシャトルはネットを越えた。
 何とか返そうとしたが、変化にラケットワークで対応しきれずネットにぶつけてしまった。

「ポイント。エイトラブ(8対0)」
「どんまい!」

 早坂の言葉に続いて、寺坂と藤本も声をかける。刈田の試合を応援していた仲間達も森丘へと声援を送った。それに負けじと相手チームも君長を盛り立てる。
 双方の応援に後押しされるように、二人はシャトルを打ち合う。
 ――そして。

「ポイント。イレブンラブ(11対0)。マッチウォンバイ、君長」

 森丘は一点も取れないまま、負けた。
 拍手の中で森丘と君長が握手をし、離れていった。
 君長は特に表情を崩さないまま、仲間に手渡されたタオルで顔を拭いてからコート横の椅子に座った。一方、森丘は同じようにタオルを受け取ったが、頭に被せたまま俯いてしまった。かすかに震えているのは悔しくて泣いているのか、疲れすぎて体を支えるのが精いっぱいなのかは早坂には分からない。それだけ森丘は必死に君長に対抗したのだ。その中で早坂はおぼろげながら君長に勝つ青写真が脳裏に浮かんでいた。

(まだ可能性は低いけど……少なくともゼロからは進んだ)

 早坂は拳を握り、力を込める。自分の中に浮かんだ可能性を大きくするために。


 * * *


 石田のラケットが空を切ってシャトルがコートに落ちた時、すべての試合が終わりを告げた。
 審判の声に頭上を見上げて悔しがった石田だったが、時は逆には流れない。
 5対0。
 結局、誰一人勝てないままにBチームは惨敗した。握手を終えてコートから離れる面々の顔は意気消沈していて暗い。それも当然かもしれないと早坂は思う。君長以外は、どの試合も接戦だったからだ。何かが違っていれば、勝利はBチームに転がり込んできたかもしれない。
 それでも、勝利は全て相手チームに持って行かれた。
 何かが違っていれば。
 それはつまり、最後に勝利を掴み取る底力が相手チームの選手達にあったということなのかもしれない。
 寺坂と藤本は立ち上がって試合を終えた選手の傍に駆け寄る。早坂も行こうとしたが、寺坂が振り返って早坂を止める。

「早坂先輩は、Aチームの応援に戻ってください。私達は私達でミーティングします」
「……そうね」

 寺坂の言葉に押されるように、早坂はその場を離れた。考えてみれば、これでBチームはリーグ戦で二位が確定。決勝トーナメントに出てくる。遠目に見えるAチームの試合は、最後のミックスダブルスに入っているようだったが、互いのチームの様子からAチームが勝ち抜けしていることは明白だった。
 リーグ一位として決勝トーナメントに進出する。つまり、明日の第一試合はBチームと当たる。

(ここからは、敵同士ってことね)

 寺坂の様子を思い返し、早坂はくすりと笑った。

(試合に出てくるか分からないけど……望むところよ)

 Aチームの応援に戻る頃には、試合は終わりを迎えていた。
 5対0。
 Bチームの敗北とまったく同じスコアで勝利を掴んでいた。

 Aチーム、Bチーム共に決勝トーナメント進出決定。
 ここから本当の地区予選が始まる。
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