Fly Up! 222

モドル | ススム | モクジ
 初戦を突破した武達は勢いのままに勝利していった。
 第二試合は函館Bチーム。小島と早坂のシングルスはラブゲームで勝利し、ダブルスは武と吉田ではなく安西と岩代が勝利を収めた。女子ダブルスは藤田と清水が出場して負けたが、吉田と姫川のミックスダブルスが勝利。四対一で勝利する。元々女子ダブルスが強いという風評だったため、吉田コーチはオーダーを女子ダブルスを捨てるという選択をしていた。

『姫川と瀬名なら、おそらく勝てる。しかし、今日の残り試合や明日の試合を考えると二人の試合数は少なくしたい』

 そう言って吉田コーチは清水と藤田に勝算のない戦いを望んだ。そして、二人は嫌な顔一つせずに従った。チームで必要なのは誰が勝つかよりもいかに勝つか。捨て試合が必要なら、それをあえてすることも躊躇しない。更に藤田も清水も自分の力量は分かっていた。自分達は、ミックスダブルスでしか勝てない。だからこそ、他のメンバーが勝つことに貢献できるなら協力しようと。
 その潔さに他チームメイトは自分達の勝利を強く思い、期待に応えたのだった。

(あと、一試合で今日は終わりか……)

 早坂は自動販売機から清涼飲料水を取り出して、歩きながらキャップを開けた。
 自分達の試合は終わり、最後の試合までのインターバルが三十分ある。タイムスケジュール通りに進んでいるらしい。特に大番狂わせも起こらず、勝つところが勝っていく。
 Bチームも勝利して残り一試合。それは君長凛のいる函館Aチームだ。

(私達のところで函館Bチームと、次はCチーム。どのチームもある程度強かった)

 それでも、早坂はラブゲームでシングルスは勝ち抜いていた。当初の思惑として、君長とやる前に何かレベルアップのきっかけを掴もうとしていたが、二試合はあまり役立ったとは思えない。君長の力の突出の仕方は尋常ではなかったということだ。武達男子の試合も見ていたが、誰もが君長のレベルの半分にも達していないように思えた。

(このまま当たって……私は、君長に勝てる?)

 目の前にちらつく、ジュニア予選での敗北。トラウマとまでは言わないが、敗北した時の気持ちと光景を思い浮かべると気分が鬱になっていく。そして、周囲が見えなくなる。
 だから、早坂は前から来る人物にぶつかってしまった。

「きゃっ!?」
「あ、すみませ……ん」

 視線をぶつかった相手に向けて謝った早坂の声が尻つぼみになる。相手もまた誰か気づいたのだろう。口を軽く開いて「あっ」と呟いたまま固まった。

「君長……」
「早坂、さん……」

 君長凛は小さな声で呟いた。
 自分を見て少し怯えたように後ろに下がる姿は、とても自分より実力のあるプレイヤーには見えない。ショートカットに下にある円らな瞳に、小さく可愛らしい輪郭の顔。体つきもようやく男子と違う部分が出てきているという、幼さが残っている。
 それでも、彼女の小さな体には全国を勝ち抜く力が詰まっている。見た目に騙されたらいけないのだ。

「大丈夫?」
「はい……ありがとうございます」

 早坂の言葉に君長は落ち着きを取り戻したのか、笑みを浮かべて言葉を返す。そして頭を軽く下げてその場から去ろうとした。しかし早坂は反射的に口を開く。

「あ、待って」

 その言葉に反応して君長が立ち止まる。しかし早坂はその後に続ける言葉を持ってはいなかった。自分が目標と思う選手に遭遇して、何もしないまま別れるのがもったいない気がして、とりあえず引き留めただけ。その後に何を言うかなども考えていない。

(今度は負けないって言う? それとも調子はどうって聞く? どちらにしても……格下の私が言うことじゃない)

 早坂が一歳年上だとしても。実力も実績も君長のほうが上なのは間違いない。そうだとしたら、他に紡げる言葉を早坂は持っていないのだ。やがて引き留めたにも関わらず何も言わない早坂に対して、君長も「なにか?」と言う。その言葉でようやく早坂も次の動きに踏み出せた。

「ごめんなさい。なんでもないわ」
「そう……ですか。あ、そうだ」

 早坂の返答に釈然としないまま会話を終わらせようとした君長は、共通する別の話題を思いついたのか早坂へと一歩近づいて尋ねた。

「あの、有宮小夜子さんって知ってます?」
「有宮?」

 どこかで聞いたような名前だったが、早坂は思い出せなかった。友人や後輩、他校の生徒と次々と記憶を探っていくが、やはり思い当たらない。しかし、どこかで見聞きした名前なのは間違いない。

「ごめんなさい。分からないわ」
「そうですか。実は、ジュニア全国大会の決勝で当たった人なんです」

 君長の言葉に早坂はピンときた。バドミントンマガジンを読んでいて、今年行われたジュニア大会の全国大会結果。そこにあった女子シングルスの優勝者である君長凛。彼女と決勝を戦った東東京からの代表が、有宮小夜子と言ったはず。顔写真もあったはずだが、そこまで詳しく早坂は見ていなかった。

「思い出した……でも、その人が何?」
「試合終了後に話して少し仲良くなって……その時に聞いたんです。出身が早坂さんと同じところだって」
「そうなんだ」

 再び記憶をたどってみるが、やはり有宮のことは思い出せなかった。出身が同じということは、試合に出る前に転校したのかもしれない。小学生は小学校四年生から公式戦に出る。小学校三年次や四年次のどこかで転校していれば、試合にも出場することがないままだろう。
 早坂はそこまで考えて君長へと言葉を返した。

「小学校の間では当たったことはなかったわ。多分、四年生からの公式戦に出る前に転校したんじゃないかしら」
「確かに、四年生の初めに転校したって言ってました」

 ならば、面識はないだろう。君長と全国優勝を競うほどの強さならば、もし一度でも試合で当たれば分かったかもしれない。あるいはその時はさほど強くなかったが中学から伸びたか。幸い、近場に例が並んでいるために疑うことはない。

「そうですか……分かりました。引き留めてすみません」
「いいえ。私もごめんね」

 君長は一礼して駆け足で去っていった。自分の出番が近いのか、他人の出番を見るのか分からない。
 小さくなっていく背中は、とても全国一位とは思えないほど小さく華奢だ。それでも、誰も彼女には勝てない。

(私は弱気になってる……? 誰も勝てないなら、私が初めて勝つ)

 何度か深呼吸してから早坂も歩き出す。キャップを開けたままだったペットボトルの中身を半分くらいまで勢いよく飲んでから、早坂は自分の場所へと戻る。
 君長に会えたことで迷いかけていた気持ちに一つの固く真っ直ぐな棒が突き刺さったような気がしていた。彼女の目の前に立ったところでどういう状態だろうと、勝つだけ。勝つために考えるだけなのだ。実力差など気にしても仕方がない。気にするならば、それを戦略として取り入れる。そうやって、自分より各上の相手と戦って勝つ方法を先人は模索してきたのだから。
 席に戻ると武達が談笑してる。次の試合までまだ余裕があるからだろう。Bチームの面々も戻ってきていて、試合終了している。話しぶりを見ると勝ったらしい。次に控える函館Aチームに勝てれば、決勝トーナメントに進める。武達も勝てたならば、南北海道予選で同地区決勝という面白いことになる。

「あ、早坂。ちょうどいいところにきたな」

 声に振り向くと、そこには吉田コーチがいた。早坂を皮切りにAチームのメンバーが集められる。そして、吉田コーチは少しだけ声を潜めて次の試合のオーダーを発表した。

「男子シングルス。吉田。女子シングルス、姫川。男子ダブルス、安西岩代。女子ダブルス、瀬名清水。ミックスダブルスは相沢と藤田だ」

 自分の名前がないことに驚いて早坂は小さく「えっ」と呟いてしまう。その言葉を聞いたのか、吉田コーチは説明をしようと先を続ける。

「もう試合はないが……シングルスとして小島と早坂を休ませたかった。それに、今回のオーダーでも勝てるはずだからな」

 吉田コーチは近くまで来ている選手達を一度見回した後で言葉を紡いだ。

「我々は、ただ勝って全国大会にいくのではない。恥じることがない結果を持って、南北海道代表として、行くんだ」

 吉田コーチの言葉に全員の間にある空気が引き締まったように早坂には思えた。
 早坂や小島。そしておそらくは武達も自分では思っていただろう、目標。ただ勝つだけではなく、それ相応の成績を残して勝ち抜こうとする気持ち。それを吉田コーチは全員に持ってもらおうと発言したのだ。

「既に小島や早坂。相沢と吉田は実践しようとしているようだがな。今回試合に出る全員、それを意識してほしい。具体的に言えば、今回のメンバーでも全勝が目標だ。いいな!」
『はい!』

 小島と早坂以外の面々が気合いを入れる。ちょうどそこに試合のアナウンスが流れて、勢いに任せて武達が早坂と小島の横を抜けていった。

「頑張ってね」
「おう!」

 ちょうど傍にいた武に向けて激励を向けた後で、皆が走っていた後ろについて早坂と小島も向おうとする。しかし、まだその場に残っていた吉田コーチが早坂を引き留めた。

「早坂。お前は応援しなくていい」
「え……でも……」
「お前はBチームの応援に向かってほしい」

 吉田コーチの言葉の意味が理解しかねた早坂だったが、助け舟を出したのは小島だった。吉田コーチの真意を理解したというよりは、自分もそのつもりだったのかもしれない。

「早坂には君長凛の偵察をしろってことですね」
「そうだな」

 小島の言葉に早坂は息をのむ。先ほど偶然会った小さな少女が、試合になるとどのように変貌するのか。
 それは明日になれば分かるだろうが、その前に一度見てみたいという思いはどこかにあった。今回は試合に出ていないためにチャンスではある。

「俺は早坂を過大評価していない。今の状態でジュニア大会チャンピオンの君長に勝てるかと問われれば負けるだろうと言う。だから、少しでも試合を見て弱点になりそうなところを探せ」
「全国チャンピオンに弱点が……ありますか?」
「見つけられなければ早坂。お前は負けるだろう」

 吉田コーチの言葉に息を飲む。自分は勝てるかもしれない。勝つ、と仲間達には言われていた。
 初めてではないかもしれないが、めったに聞かない「負けるかもしれない」という言葉。それだけ、君長凛は高い壁なのだと改めて自覚する。早坂は唾を飲み込んでから、頷いた。

「分かりました」

 早坂は吉田コーチから視線を外してBチームの応援へと向かう。試合のアナウンスがされた時に、Bチームも名前を呼ばれたはずだ。別の場所でオーダー決めなどしていたためにこの場にいなかったのだろう。コートのほうを見ると、武達がいる第一コート、第二コートとは対角線上にある反対側のコートに集まっていた。男女シングルスは一試合目のため、急がなければ始まってしまうだろう。

「気を付けてなー」
「うん!」

 小島の言葉に手を挙げて返事をして、早坂は走ることに集中した。
 客席を真っ直ぐに横切ってBチームの試合をしている傍へと向かう。途中で他チームの陣地をすり抜けながら、何人か全道大会で見かけた顔を見つけた。無論、相手も早坂のことは見たことがあるようで、視線が集中するのを感じる。

(早く……抜けないと)

 椅子に転びそうになりつつも何とか走り抜けて、Bチームの試合を傍で見れる席まで移動する。そこには、今回の試合から除外された寺坂と藤本が並んで座っていた。

「あ、早坂先輩」
「どもっす」

 二人が気づいて声をかけてきたことで早坂も次を続けやすかった。藤本の隣に座って息を整えながら目の前の試合に視線を移す。男子シングルスは刈田。女子シングルスは森丘が出ている。Bチームは自分達のベストオーダーを崩さないで行くようだ。Bチームは女子シングルスプレイヤーがいないため、自然と女子シングルスは捨て試合になる。今回は更に、全国チャンピオンの君長凛が相手だ。最初から森丘が諦めていたら、わざわざ試合を見に来た意味がなくなるかもしれない。

「早坂先輩も、今回は試合なしですか?」

 寺坂の言葉に早坂は頷く。今回は小島と自分が休みだと伝え、君長の試合を見に来たのだと二人に説明する。そこで藤本は早坂が不安だった点をそのまま口にした。

「でもそれだと……森丘さんは最初から負ける気で試合するかもしれませんね」

 藤本の言葉に早坂は答えない。もしそうだとしても、森丘を責めるわけにはいかない。どんなに力の差があっても諦めずにというのは、自分や小島、武達に対してだから言えることなのかもしれないと早坂は思っていた。森丘にも同じことを考えて試合に望めというのは理想ではあるけど、できないからと言って悪いわけではない。おそらく会場のほとんどが、森丘は勝利することはないと思っている。それに対して意地を見せる、勝とうとするという気持ちを持てるかどうかは当人のモチベーション次第だ。
 元々シングルスプレイヤーならまだしも、森丘はダブルスプレイヤーだ。今回の選出でパートナーは落ち、自分だけが残った。更にBチームは本来の組み合わせをメインに使っていくため、必然的に森丘は空いた女子シングルスか、ミックスダブルスにいくしかない。穴埋めのような状況で森丘にモチベーションが保てるのか、早坂には分からなかった。

「イレブンポイントスリーゲームマッチ、ラブオールプレイ」

 審判のコールにお互いが「お願いします」と頭を下げる。サーブを取ったのは君長だった。すぐに大きくロングサーブを打って、コート中央に腰を落とす君長。早坂から見ても、隙が見当たらない。

(生半可なショットだと効かない……)

 次の瞬間、森丘のスマッシュが君長の真正面に向かった。そこは読んでいなかったのか、君長はその場から離れようとした状態から咄嗟に腰を落としてシャトルを迎え撃つ。しかし、その一瞬が遅れに繋がり、ラケットに辛うじて当てたもののシャトルはネット前に上がった。そしてそこに森丘が飛び込み、プッシュを叩き込んでいた。

「サービスオーバー。ラブオール(0対0)」
「やーっ!」

 森丘はこれで試合に勝ったとでも言わんばかりに吠えていた。
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