Fly Up! 224

モドル | ススム | モクジ
「ふわー」

 武は肩まで温泉に浸かって天井を見上げるように足先を前に伸ばして、体を前に倒した。時間帯が良いのか、今は他に誰もおらず貸切になっている。頭の後ろを風呂の縁に乗せてだらりと四肢を広げると、湯船の中に溶けていくような錯覚に陥った。

(あまり試合はしてないんだけど……疲れたなぁ)

 武は三試合のうち二試合、第一戦の男子ダブルスと第三戦のミックスダブルスに出場した。どちらも勝利。特に第一戦は圧勝だった。それでも疲労を強く感じるのは、それだけ気を張っていたからだろう。地区とは数段レベルが違う試合。どの相手も、少なくとも地区のベスト4以上の力があるに違いないのだ。楽な試合などあるわけがなく、その分、精神的な疲労も色濃くなる。それを解消するのに静かな浴場というのは武にとって都合がよかった。

(明日か……)

 次の日に進出するチームがそれぞれのリーグ戦から選ばれた。武達の方からは、武達Aチームと札幌Aチーム。
 もう一方からは、Bチームと函館Aチーム。明日はその四チームでトーナメントを行い、先に三勝したほうが勝つ。
 更には、第一試合目は刈田達Bチームと戦う。チーム分けをした時に、最後に試合をやったことはあるが公式戦で戦うことになるとは武は思っていなかった。

(刈田達と戦う……俺と吉田は川瀬と須永かなぁ)

 オーダーを自分なりに考える。刈田達のオーダーはほぼ普遍だろう。
 男子シングルスは刈田。男子ダブルスは川瀬と須永。女子ダブルスは堤と上代。女子シングルスとミックスダブルスはその時で変えるだろう。川瀬と須永の最近の成長は侮れないレベルになってきている。そもそも武は他者を侮ることはないが、今までの流れだと川瀬達と試合をする前に安西達が倒して勝ちあがってくるために公式戦で当たることはなくなっていた。

「お、相沢じゃん」

 ぼんやり考えていたために、浴場に続く扉が開かれた音に気付けなかった武は慌てて視線を向ける。そこには笑って刈田が立っていた。武の近くでシャワーを浴び始める。

「今日はお疲れさん」

 言った後にシャワーの音に消されるかと思った武だったが、その心配はなかったらしい。刈田は髪を豪快に洗ってから返答する。

「そっちこそ。明日は公式戦でリベンジするから楽しみにしてろよ」
「楽しめないだろ」

 武は視線を天井に戻して湯船を堪能する。効能が書かれた板が壁に貼り付けてあり、そこの文字を目で追っていく。
 つらつらとたくさん文字が書かれていたが、ようは疲労回復ということが書かれている。それに納得して今度は口元まで浸かった。
 しばらく刈田が浴びるシャワーの音を聞いていたが、やがてそれも止まる。その頃には武もお湯の中の心地よさに眠くなり意識が朦朧としていた。だが、頭を軽く叩かれて目を覚まして顔を上げる。

「おいおい。溺れる気かよ」
「……さんきゅ」

 あのままでいれば溺れていただろうことに気づいて武は素直に礼を言う。刈田はそのまま風呂の中に入ってきて両腕を思い切り上げた。獣のような呻り声と共に背筋もぴんと伸びる。今日の試合で酷使した背筋をいたわっているらしい。

「結局、三試合でずっぱりか」
「ああ。どいつも強かったよ」

 刈田の言葉に武は何となく違和感を覚える。それが何かに思考を巡らせる間も刈田はずっと話していた。武に話しかけているというよりは、自分の考えをまとめるためなのかもしれない。頭に手拭いを乗せて、武と同じように体を斜めに倒し、天井を見上げる。

「試合した相手はみんな強くて……俺自身、成長できたと思う。だから、今度こそ目標を越える」
「目標って、小島、か」
「そうさ。もうずっと、あいつが目標だ」

 刈田の言葉には熱がある。プレイスタイルは武と似ていて、気合いを前面に押し出すタイプだ。だから分かるのか、武には刈田の言葉は真実で、心の底から小島に勝つことを望んでいると理解できた。それは武が吉田に感じる思いに似ていたかもしれない。

「小学生の時は、吉田。中学の時は小島。俺はいつまで経っても一位を取れないけどな。だから、今度こそ。あいつを越える。Aチームには悪いが、勝つぞ」
「どうかな。俺達は強いぜ」
「大した自信じゃねぇか。いつもより強気か?」

 刈田の言葉には答えない。武自身、その強い言葉が出てきたことは想定外だった。思い返してみれば、今日一日を通して不安になったことはない。自分が負けたとしても必ずみんなが勝ってくれる。だからこそ、自分はのびのびと自分らしくプレイして、力を発揮できる。そんな安心感の中で試合をした結果、多少厳しくても勝つことができた。
 今までも、部活を通して自分の部の皆とは仲間として一緒に頑張ってきた。
 しかし、それは集団の中でもどちらかと言えば個。吉田と武の二人が、突出して全道の舞台へと乗り込んでいったようなものだ。気持ちとしては壁はなくとも、何か別の要因で仲間達とは壁があるような気がしていた。
 今はそんな壁はなく、完全に一つのチームとして仲間を受け入れている。同じくらいの高みにいる人々と。

「なんかさ。こういうの良いなって思ったんだ」
「あ?」

 武の言葉の意味を続けさせる気で刈田は相槌を打つ。武もそれに乗り、自分の中にある気持ちを吐き出していく。

「俺と吉田。あとは、早坂。三人で勝ち進めるようになって。同じ部活の仲間達と一緒に高みを目指すのも好きなんだけど……なんていうか、やっぱりこの三人が勝つことが多くなって。こうやって仲間達と一緒に頑張るって感覚が懐かしくなったんだよな。俺が小学生の頃は……俺が弱くて。強い上級生達と一緒に団体戦もやった。自分が一人の参加者っていうか」
「うだうだ言ってて分からん」

 刈田がすっぱりと武の言葉を切って捨てた。あまりのことに武はずるりと滑って湯船の中に沈んだ。慌てて浮かび上がり、恨めしそうに刈田の方を見る。しばらくは視線だけで文句を言っていたが、刈田は文句なら口で言えというように見返してくる。先に折れたのは結局、武だった。

「まあ、確かに関係ないよな。今となっちゃ」

 武は背伸びをしてから一度湯船の中に体を沈める。そして心の中で十数えてから外に出た。

「もういいのか?」
「ああ。俺の周りには信頼できる仲間しかいないってことさ」

 たとえ今、この場にいなくても。部活の仲間達は武と共にいる。アニメではないけれど、そう思える。
 武達が試合に出ている間にもきっと練習しているのだ。そして少しでも団体戦や個人戦で一緒に戦えるように。目指す方向は同じなのだから。

「ちょっと、覚悟足りなかったけど付いたよ。サンキュな」
「なんか分からんけど良かった」

 刈田に礼を言って風呂から出る。自分の服を入れた籠からタオルを出して体を拭きながら、武は心の中で思考をまとめていく。

(もう、俺は弱い言葉は言わない)

 自分はもう、一回戦負けを続けた人間ではなく、全国の優勝を目指して戦っている。過去はどうあれ、今は今だ。
 二年になったころを思い出す。自分と吉田に憧れてバドミントンを始めた川岸。田野や竹内も自分や吉田を目指してきた。そうした目指される者、は強くならなければいけない。弱い言葉を出来るだけ無くして、高みを目指す。みんなを引っ張る指標となるべき。

(その役を、吉田に頼ってきた自分を。そろそろ卒業しないとな)

 ここから先に進むために。精神的に強くなるために。
 武は体を強めに拭いて一気にTシャツと下着、ハーフパンツを着る。そのまま勢いに任せて脱衣所の外に出ていった。


 ◆ ◇ ◆

「お疲れさま、ゆっきー」

 姫川から渡されたビンのコーラの冷たさに顔をしかめた早坂はすぐに気を取り直して礼を言う。部屋に備えつけの冷蔵庫から取り出したもので、あとで個々人でお金を払うシステムのものだ。すでに姫川は前日と今日で三つ飲み干している。人よりも長く風呂に浸かっているからか、水分補給を多めにしているようだった。

「あんまり飲み過ぎるとお腹壊すよ?」
「大丈夫ー。と言っても不安だから、分かった」
「不安なのね……」

 早坂は半分くらいまでコーラを飲んでから近くにある台に置いてベッドに寝転がった。寝間着代わりにしている白いTシャツと黒ハーフパンツ。髪の毛はほどいているためにベッドに広がった。湯上りのために少し濡れている。時刻は夜九時と中学生にしてみればまだ寝るには早い時間帯だが、昼に試合を終えた彼女達にとっては気だるさが増していく時間帯。すでに早坂は眠気に襲われて目を閉じかけている。

「今日は疲れたね」
「詠美も三試合でたんだから、一番疲れたんじゃない?」
「私、昔から疲れ溜まりにくい体質だからまだ大丈夫」
「得な体質よね」

 最初は二人部屋で気まずくなるのではないかと思っていた早坂だったが、そんなことはなかった。名前やあだ名で呼び合うということを先に決めていたこともあり、そのおかげでスムーズに会話が進む。互いにいろいろと話が弾んでいく。

「そういえば、小島君とはどうなの? 上手くいってる?」

 姫川の質問は聞こえていたが、内容が頭には入ってこなかった。しかし、黙っていたら何かよからぬ噂を立てられそうだということは感じたのか、早坂は少し意識を起こして姫川に尋ねる。

「ごめん。聞いてなかった。何?」
「小島君とは上手くいってるの?」
「……普通」

 早坂の答えに姫川は「えー」とあきれ顔をするが、早坂自身、どのように言ったらいいか分からなかった。
 小島の好意に対して甘えている部分はある。武にフラれたことで新しい恋愛を目指すのは当たり前だと考えていたが、その相手が小島になるとはまだ分からない。

「毎日一回はメールしてるけど」
「それって十分仲良いよね。もう付き合っちゃったら?」
「んー、それは……ね」
「まだ相沢君のこと?」

 昨日の時点で、早坂と姫川は互いの恋愛遍歴についてまで話していた。遍歴と言っても、互いに初恋の次は中学二年だったのだが。その中で武にフラれたことまで早坂は話している。姫川には自然と、話すことに抵抗がなかった。

「相沢はもういいんだけど……次を探すには早いんじゃないかって。今のタイミングだと小島を利用してるような気がして」
「真面目だなぁ……そんなこと言ってたら、私が取っちゃうよ?」
「え?」

 姫川の声に含まれる何か、その場の空気にそぐわないものに振り向く。姫川は「ん?」と首をかしげて早坂を見返していた。ベッドにうつ伏せになって頬杖をついて足をバタバタさせている姿は、早坂とは違って部屋に用意されていた浴衣だ。リラックスしているように見えて、早坂は何か姫川の中に緊張感を感じる。

「どうしたの?」
「昨日さ、最近フラれたって言ったんだけど。その相手って小島君なんだ」

 小島が姫川をフッた。その言葉に早坂は胸の奥にちくりと刺さる針を自覚する。

「でも直接フラれたわけじゃないんだ。それはね、小島君がゆっきーを好きだって分かったから、私は告白しないまま諦めたんだよ」
「そう……だったんだ」
「そう。私には『早坂さん』は憧れだったし、小島君は私の好きな人。私が好きな人が私の好きな人と上手くいってくれたら嬉しいって思ったわけ。でも、ゆっきーがぐずぐずしてるなら、同じ学校のアドバンテージ使ってモーションかけちゃうよ?」

 姫川は冗談とも本気とも取れない口調と表情で、早坂へと問いかける。おそらく姫川はここで答えなくても何も言わないだろうと直感で思った。しかし、早坂の中に答えなければいけないという思いが生まれる。ここで逃げると、ずっと逃げることになるという予感が。
 素直に思ったことを早坂は口にした。

「詠美。私を理由に使わないで、モーションかけなよ」
「……かけていいの?」
「だって。小島が私のことを好きと思ってくれてるのは嬉しいけど。詠美が小島を好きだって気持ちは変わらないでしょ。諦めるのも、諦めないのも私のせいにしないで自分で決めて」

 早坂の厳しい言葉に姫川は笑った。予想通りの返答という考えがにじみ出ている。そこまで来て、自分が試されていたのだと早坂は悟った。

「そっか……。じゃあ私は、諦めた」
「そう」
「うん。私はゆっきーも小島君も、友達とか彼氏とかよりも目標って感じだし」

 姫川は嬉しそうに転がって、布団の中にもぐりこんだ。早坂は少し早いと思ったが、明日に備えて寝るのも別に問題はない。実際、今日三試合すべてに出ている姫川のほうが疲れているのだから、そちらにあわせるのが当然と思った。

「じゃあ、明日も頑張ろうね」
「うん。お休み、詠美」
「お休み〜」

 電気を消して、暗くなる部屋。その中で目を閉じると、今日の試合の様子が思い出された。
 そして、明日の試合のことを思う。

(君長……凛……絶対、勝つ)

 姫川にとっての目標が早坂ならば。
 早坂にとっての目標は君長凛。
 その相手と遂に戦える。一度目の敗北を糧に、ここまで来た。その全てをぶつける時。

 全国中学校バドミントン大会一日目の夜は更けていった。
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