Fly Up! 220

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「ポイント。イレブンツー(11対2)。マッチウォンバイ、早坂」

 審判が試合終了のコールをして、コートの二人は互いに握手をした。早坂も対戦相手もさほど汗をかいていない。正確には、汗をかく暇もなく早坂のシャトルが相手コートに次々と落とされていたため、汗が流れる前に動きが止まっていた。早坂のコート奥へのハイクリア、前へのドロップやヘアピンなど角を突く戦術の前に、相手が追い付くことができず次々と得点を決める。
 相手の二点は序盤のサーブ権を取り返す前までの二点。早坂にとっては様子見の二点だった。

「おつかれ」

 瀬名がタオルを取り出して早坂へと渡す。早坂は受け取って顔を拭いてから息を吐いた。タオルを離したことで見えた顔に緊張の影を見つけたのか、瀬名は首をかしげて尋ねる。

「そんな疲れる相手だった?」
「そりゃ……相手も札幌は強い人なんだから、そうよ。地区の決勝レベルはあるでしょ」
「なるほどね」

 瀬名はそう言って、自分のラケットを取り出した。次は姫川とのダブルス。姫川は既にコートに下りて軽くフットワークをして体を動かしている。瀬名は「よし」と一言呟いて早坂の隣をすり抜けてコートへ向かった。

「せな……じゃなかった。真由理」
「なに?」

 早坂は瀬名の顔に一種の悲壮感を見出した。それについて指摘をすれば、きっと瀬名は意固地になる。試合をしてきた中、合同練習で友人として距離を詰めた仲になって。瀬名の性格はだいぶ掴めていた。だからこそ、早坂は言う。ただ、自分の思ったことを素直に。

「姫川とのダブルスは、きっと全国レベルだよ」
「……あんたと私のダブルスの次にね」

 瀬名は笑ってコートへと向かった。後ろは振り向かず、真っ直ぐに。
 自分にそう言われただけで無駄な力が抜けて笑顔になる瀬名を見ていると、早坂も自然と顔がほころぶ。違う学校でここまで気に入るのも珍しい。同じ学校でも由奈くらいだろうか。

(ほんと、由奈もこの場にいれたらよかったな)

 幼い時から一緒にバドミントンをしている仲間。その当時と比べると、ずいぶんと遠くに来たと思う。
 地区の中で勝った負けたを繰り返していた。自分はさらにその先ではあったけれども。
 そして今は全道という空気にも慣れ始めている。緊張したのは初戦だったからであり、相手に油断しないこともいつも通りのことだ。

(こうして頼りになる仲間もいるしね)

 瀬名と姫川のダブルスが始まる。
 姫川がファーストサーバーとしてシャトルを取り、瀬名が後ろで腰を落として構える。姫川の防御力と瀬名の攻撃力を十二分に生かす陣形。地区内では絶対に起こりえない組み合わせ。
 公式戦の初陣。

『お願いします!』

 審判の試合開始のコールに続いて相手を含めた四人が同時に叫んだ。
 姫川のショートサーブはネットの白帯を綺麗に飛び越えて相手コートへと入る。プッシュできなかったため、山なりの軌道でシャトルは返ったが、姫川が綺麗にラケットを当ててプッシュを打ち返していた。
 一瞬で入るポイント。相手だけではなく、応援していた相手選手の間にも動揺が走ったようだった。
 早坂から見ても姫川の移動速度は目を見張るものがある。いつも練習で一緒に打ち合っていたからか、学年別の時よりも速くなったように思える。

(実際、速くなってるのかもしれない。詠美は、強くなってる)

 強い相手との試合や普段よりも厳しい練習は姫川にとって恵みの水なのかもしれない。
 真綿が水を吸うように急速に成長していく姫川に早坂は頼もしさと同時に怖さを感じる。

(次に試合で当たった時に勝てるかしらね……)

 その時には自分も成長しているとは思っているが、それでも姫川の強さは脅威に思える。
 こちらのチームで早坂と小島、武と吉田のダブルスは警戒されていた。三人とも全道で上位に入っているのだから、マークされるのは当然のことだ。だからこそ、他のメンバーはノーマークか、あまり警戒はしない程度で相手も臨んでいたはず。他のメンバーは全道に出ても二回戦くらいで姿を消していたり、そもそも出ていなかったりするのだから。この四人に対して分析できれば団体戦の勝利は近づくだろうと誰もが考えていたはず。
 しかし、それが崩れた。
 瀬名と姫川のダブルスは次々と得点を奪っていく。
 中途半端な威力のドライブを放とうものなら、姫川が一瞬で追いついてインターセプトする。
 それを恐れてロブを上げれば瀬名が渾身のスマッシュを放つ。武にアドバイスを受けてから、瀬名のスマッシュは徐々に速度を上げていった。ばらつきはあるが、最速は早坂よりも速く、女子の中では全道でも屈指のものだろう。瀬名のスマッシュはある程度以上の実力があっても女子が取るのは厳しくなっていた。
 どこにシャトルを打っても打ち返される、コートに叩きこまれるといったことを繰り返していき、相手の戦意が消えていく様子が早坂には見て取れた。序盤ではあったが、もう勝利は動かないだろう。よほど姫川達の運が悪くない限り。

「早坂。お疲れ」

 先に試合を終えていた小島が早坂へと声をかける。
 今いるのはコートと直結した観客席。早坂が座るすぐ隣に腰を掛ける小島に、少しだけ間を開けた。

「小島も。どうだったの?」
「おう。両方とも十一対一。俺としてはラブゲームを狙ったんだけどな」

 大真面目な顔で呟く小島に早坂は苦笑して言葉を返す。

「そんなこと、全道じゃ無理じゃない?」

 しかしその言葉に小島は真顔のままで反応する。

「無理なことをやれないと、あいつには勝てないからな」

 それだけで早坂には小島の言いたいことが分かっていた。
 小島が見ているのはこの試合の優勝ではなく、もっと別のものだ。
 全道の頂点。そして全国屈指の実力を持つ、淺川亮の姿。
 確かに半端な力じゃ対抗できない。誰もが不可能だと思っていることが出来なければ、今の自分達には勝機さえないのだ。
 小島がそうやって遠くに見ているのと同様に。早坂にもその相手はいる。
 ただ、小島とは違ってこの大会中に追い越さねばいけない相手。
 ジュニア大会、全国大会のチャンピオン。君長凛。

(それこそ、私も不可能を目指さないと駄目なんだ。普通に勝てるとしても、それで満足しちゃいけなくて。もっと厳しく。もっと相手に付け入る隙を与えないようにして勝たないと。それで今の私はようやく君長と同じ位置に立てる)

 全道大会の記憶が蘇る。
 フットワークの速度にどんなショットも取られ、最後には打ち込まれた。何を打っても通じない無力感。
 あれからそんなに時間は経っていない。それでも、あの時より確実に強くなったとは思っている。
 しかし、君長は更に全国の戦いに挑み、制した。二人の間に今、どれだけの差があるのか分からない。
 間違いなく君長凛は、今、この会場にいる選手の中では一番強いだろう。
 逆に言えば、早坂が君長と当たるまでどれだけ成長できるかにかかっている。

「早坂。気負いすぎるなよ」
「……そう見える?」
「見える見える」

 小島は早坂に向けて自分の頬を上げて見せた。リラックスをしろということなのだろうが、何か馬鹿にされているような気がして、早坂は顔を曇らせる。不機嫌な気配を嗅ぎ取ったのか、小島は慌てて弁解発言をする。

「いやいや。馬鹿にしてないから! やっぱり早坂は気にし過ぎだって。俺らは別にアニメキャラとかじゃないんだから、隠れたパワーが発揮されたりとかはしないさ」

 小島は一度言葉を切って、前を見る。早坂も視線を移すと、ちょうど瀬名のスマッシュが相手コートに突き刺さったところだった。
 既に得点が6対0と瀬名達がリードしていた。
 予選の間は女子ダブルスでも十一点。このままいけば早めに終わるだろう。二人のコンビネーションは試合が進むにつれて滑らかになっていく。姫川が素早い動きでカバーリングできているところが最大の理由だろうが、瀬名も自分の役割を理解して、前衛に入ってもすぐに後衛に移動して姫川と役割を交代する。そして相手が上げたシャトルをスマッシュで相手コートに沈めていく。ワンパターンではあるが、まだ瀬名のスマッシュを相手はちゃんと打ち返すことができていなかった。

「あいつらも。結局、練習通りの力が出せてるから、あそこまで出来る。俺達も、試合の中で成長はできるだろうが、やっぱり今まで練習してきたことが力になるんだ」

 小島の言葉に早坂は頷く。
 特に異論はなかった。瀬名と姫川のコンビが相性がいいのは練習の時から分かっていた。様々な組み合わせを試した合同練習でも、彼女らのダブルスは特に気合いが入っていたと思う。瀬名は姫川をあまり好いていないように見えたが、試合の時はそのことも忘れて勝利に向かって進んだ。
 何かを悩むのではなく、試合の時は勝利に向かって思考し続ける。純粋な勝利への執念。それこそが、バドミントンに必要な基本であり、全て。

「あれこれ悩んだって仕方がないわよね。ただ、私も小島みたいに目標決めて少しでもこの大会の間に実力を上げることにする」

 頭を重くしていた未来への不安も消えて、早坂は素直な感謝を示すために小島に笑いかけた。すると、小島は早坂から視線を逸らして試合を見てしまう。いつもの小島ならば、何か格好つけた言葉を言って迫ってくるはずなのにと首をかしげた早坂だったが、小島の頬が赤いことに気づく。

(もしかして、照れてる?)

 何を照れているのか早坂には分からなかったが、そこを詰めても今は関係ない。
 今、関係あるのは試合に勝つことだけだ。心地よい雰囲気に浸るのは、今日勝ちきって次の日に進むことが決まってからでも遅くはない。
 目の前の試合に視線を戻すと、姫川がプッシュを決めていた。8対0。相手ペアからは既に戦意が消えかけていた。まだここで勝つことができれば挽回できる可能性は残っているというのに。
 男女のシングルスが敗れて、男子のダブルスが負ければ敗北が決まってしまうが、望みを繋げるためには最低限、この女子ダブルスで勝たなければいけないはずなので粘ってくると思っていた。だが、結局は姫川の速度と瀬名のスマッシュに圧倒されている。すでに二人のダブルスが全道レベルまでは行っているということを示していた。

「あのダブルス、戦意喪失してるみたいだな」
「ええ……え?」

 小島の言葉に一度答えた早坂だったが、視界に移った小島の指先を見て視線を男子のコートに変更する。
 すると武のスマッシュが相手側に突き刺さったところだった。武のシャトルは、向こう側から手前に落ちていた。

「もうコートチェンジしてるの?」
「あいつらもラブゲームやりやがった。橘兄弟も西村達もいないところで負ける気はないらしい」

 武達の気合いはコートの向こうからでも早坂に伝わってきた。いつも気合いを押し出す武だけではなく、吉田もまた湧き上がる気合いを抑えずに飛ばしていた。相手も全道レベルのはずだが、まったく相手にならない。それは速度が最初から違っている。
 相手にショートサーブを打ち、シャトルが返される。
 そのシャトルに対して武が一瞬で踏み込んでドライブを打ち返していた。その速度に相手はラケットを伸ばすのが精一杯で、打ち返したところで吉田の前衛に阻まれるのだ。

「凄い……」

 明らかに練習の時と動きが違う。吉田よりも武のほうが動きとパワーが凄まじかった。
 純粋なパワーなら刈田に劣るものの、他の誰よりも正しいフォームから生まれる力の伝導率の高さによって、シャトルは超速の弾丸になって相手コートに突き進む。シャトルは元々空気抵抗により徐々に遅くなっていくが、相手には武が打ったシャトルは手元で伸びてくるように感じるだろう。
 正確には速度が落ちにくいため、手元までほぼ同じ速度で打ち込まれるのだ。それに相手ダブルスは気づくことができずにポイントを重ねているらしかった。

(あいつらも、西村と山本に追いつこうと必死なんだよね。ジュニア全道大会じゃ結局、試合はできなかった。その前に第一シードや橘兄弟にあたったのも原因だけど……やっぱり相沢達も追いかけてる。練習の積み重ねの先に)

 相手にペースを握らせないように、シャトルが返される前に二人は立ち位置をチェンジさせてすぐにサーブできるようにしている。相手は自然と武達のペースに合わせざるを得なくなる。時折タイムをかけるなどするのだが、結局は武達の速いペースに巻き込まれてポイントを重ねられていく。その様子に早坂は見覚えがあった。
 実力者と対峙する時、弱い方はプレッシャーに固くなる。それはまるで相手から沸き起こった気配がまとわりついて動けなくするかのようだ。もちろん気合いは目に見えない。気迫に絡め取られるというのは錯覚だろう。しかし、それを認識しているのなら、きっとその人には存在している。相手の強さが何かしらの形になって。
 その形を、武と吉田は身に着け始めているのかもしれない。

「あいつらと一回、ダブルスやってみたくなってきた……」

 隣で見ていた小島が呟く。もう疑いようがない。武達のダブルスは、全道でも屈指の強さになっている。ジュニア全道大会から帰還後数週間で、一段階レベルアップしていた。それは本来の才能によるものか、短い間の練習が余すことなく成長に繋がったのか。
 どちらにせよ、今の武達を倒せる選手はそういないだろう。女子ダブルスと同じように戦意喪失気味の男子ペアが何とか勝とうと咆哮を上げる。しかし、自分達の弱気を隠すための叫びではとうてい武達には勝てない。
 吉田の絶妙なショートサーブを上げ、武が繰り出すスマッシュを打ち返そうと構えをコンパクトにして構える相手。
 しかし、次に武が放ったのはドロップだった。スマッシュの時と同じ軌道で振られるラケット。そして、インパクトの寸前まで全くスピードが衰えないために打たれなければスマッシュと判断できなかった。だから相手ペアは二人ともその場から動くことができず、シャトルを見送った。

「ポイント。エイトラブ(8対0)」

 いつしかポイントは8対0となっていた。
 武達の試合が始まって二十分になろうとしていた。
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