Fly Up! 219

モドル | ススム | モクジ
「〜でありまして。この函館は――」

 恰幅の良い初老の市長の演説に武は何度も大きくあくびをしそうになり、その度に口を噛み締めるのに苦心していた。
 壁に備えつけられている時計を見ると、時刻は九時十五分。九時五分頃に登場してから、十分話していて更に記録を伸ばしている。
 不審にならない程度に周りを見てみると、全体的に気怠い空気が流れ始めていた。誰もが自分と同じく退屈しているのだと分かって、武はホッとする。
 視線を戻したところで隣に並ぶ女子の列の一番前を見る。そこに立っていた早坂は、真正面ではなく少し顔を左に傾けているようだった。顔の向きは最小限の角度にして、あとは視線の動きでカバーしているらしい。どこを見ているのかは、武の位置からだと視線の先が大体把握できた。
 函館Aチーム。
 その先頭に立つのは君長凛。
 自分の最大の目標がそこにいる。気合いが入るのは当然だ。

(そうだな……でもまずは、初戦から突破しないと)

 今回は自分が勝つだけでは勝ち進めない。
 一人ひとりが試合を大事に戦い、すべて勝つというような気迫で望まないといけない。
 そんな強い気持ちを持っていても敵わない時はあるだろう。それをカバーできるのが団体戦の最大の利点。各人が楽をしていいというわけではない。
 前日の夜に行われたミーティングで吉田コーチの、武達に伝えた言葉が蘇る。
 風呂に入る前に行われたミーティングでは、当日の流れを説明された。開会式の後に四チームごと二グループに分けられて、リーグ戦が行われる。一日で三試合。全ての試合を行い、そのリーグで二位までが次の日のトーナメントに進出できる。
 全勝すれば問題ないが、一敗で他のチームと並んだ時には各個人の勝敗が考慮される。
 捨て試合など一つもない。全ての人間が全ての試合に全力を注ぐのだと伝えられた。結局、小島は「全部勝てばいい」と笑って済ませたが、武は清水や藤田はどう思ったのかと少し不安になった。

(あいつらが不安な分、俺が頑張ればいいんだけどな)

 初めての大きな試合で緊張しない方がおかしいのだ。だからこそ、一度全道というものを経験している自分がフォローをする。すでに団体戦は始まっている。

「それでは、私からは以上です。皆さんの健闘を祈ります」

 市長はそう言ってお辞儀をして檀上から降りて行った。司会の人間が拍手を促して武も軽く叩く。それから武が聞いた通りの大会の流れが説明されて、開会式が終わった。退場して自分達の確保したスペースへ向かう中で前を歩く藤田と清水の傍へと駆け寄った。

「どう? やっぱり緊張してる?」

 武の言葉に振り向いた二人は、お互いの顔を見やって笑う。そこにあるのは前日までも悲壮な雰囲気ではない。妙にさっぱりとした顔になっているのを見て、武は安心した反面、どうしてここまで変わったのかよく分からない。武の困惑が分かったのか、清水が口を開く。

「昨日ね、早坂に言われたのよ。『あんたたち、負けるのが当たり前なんだし、気にしなければいいんじゃない?』」

 声や口調を真似る清水に武は思わず吹き出す。さすがに一緒にいる期間が長いからか、よく特徴を捉えていた。
 しかし藤田は顔をひきつらせて清水の肩を軽く叩く。まるで何かに気づいてほしいという信号を送っているかのようだ。清水はそこで、武の後ろを見て同じように顔を引きつらせる。そこまできて初めて武も後ろに早坂がいることに気づいた。

「早く用意してよね」

 不機嫌な声で三人を威嚇し、早坂は去っていく。その後ろ姿を見ていた藤田と清水だったが、その顔は先ほどのひきつった顔ではなく、どこか嬉しそうだった。

「二人とも、なんで笑ってるの?」
「だって、今のとかも、あんな感じで流してるけど。内心不満に思ってるの、分かるから」
「はぁ」

 藤田の言葉に武は早坂の様子を思い出してみる。しかし、とても藤田の言うような素振りは見えなかった。それでも二人には分かっている。というよりも、早坂が見せているのか。
 そこで清水が先ほどの続きを言う。

「そうそう。あと『あんたたちが負けても、他の皆が勝ってくれるから、自分の精一杯でがんばろ!』」

 最後のほうは早坂らしくないと武は思う。しかし、きっと本当のことだ。今まで見せていなかった自分を見せるようになってきただけなのだろう。
 早坂も徐々に自分らしさを仲間達に出していく。武が早坂の孤独を知り、追いついた。早坂は更に高みを目指すことにしても、自分から歩み寄ることを決めたのだろう。これから先、もっともっと新しい早坂を見られるかもしれない。

「うっし。俺もまずは全勝だな」
「うん。私達も頑張るよ」

 藤田の言葉に頷き、三人で待機場所に向かう。その足取りは今まで以上に軽い。今まで以上のプレッシャーでも、支える仲間達が多ければ潰れることはないのだった。


 * * *


 待機場所の客席に戻った武達は吉田コーチの周りに集まる。
 オーダーをすでに決めていたのか、紙を手に持って皆に視線を送る。刈田達Bチームは庄司が中心になって号令をかけていた。

「まず初戦だ。対戦相手は札幌Aチーム。男女共に実力は高い、いきなり正念場と言っても過言じゃないぞ」

 そこで吉田コーチは言葉を区切って武達の反応を見る。武自身も思っていたが、胸の奥から込み上げる高ぶりが抑えられない。
 各人のそんな様子を見たのか、吉田コーチは満足して続けた。

「だからこそ、真正面からぶつかる。ここで全員蹴散らせないようなら、全国の頂点は狙えないからな」
『はい!』

 みんなの気合いを確認して吉田コーチはオーダーを発表する。
 男子シングルスは小島。女子シングルスは早坂。男子ダブルスが武と吉田。女子ダブルスは瀬名と姫川。そしてミックスダブルスは安西と清水。
 ミックスまでは最も安定した布陣。ミックスダブルスも、最も勝率が良かった武や小島と女子達のダブルスの次に勝てた組み合わせ。ある意味、これは今後を戦う上で重要な意味合いを持つ。
 最も力があるだろうこの布陣で苦戦するようなら今後はかなり厳しい戦いとなる。
 負ければ終わる団体戦。一人ひとり、自分の最大の力を出しつつ、負けた仲間をサポートする。
 その意識の下で、武達は一つになる。

「そういえば……このチームにキャプテンを決めていなかったな。特に決める必要はないと思っていたが、決めるなら誰がいい?」

 吉田コーチはそう言って武達に問いかけた。確かに、集まってはいたがまだチームとしてちゃんと機能していたとは言い難い。これからはそうした『チーム』としての機能も必要となってくる。
 吉田コーチが『監督』なら、このチームのキャプテンは誰なのか。

「吉田でいいんじゃね?」
「賛成」

 そう言ったのは小島と安西だった。それに同調するように他の女子達も頷く。話題を振られた吉田は驚いたが、本当にいいのかと問い返す。誰も反対しなかった。

「俺は個人としちゃ強いけど、人を率いるのって苦手だしな」
「俺は出来なくはないけど、やっぱり実力あるやつが率いた方がいいって思うし」
「このメンバーじゃ、吉田が一番似合ってると思うよ」

 小島が。安西が。そして早坂が吉田へと言う。武も自信を持って吉田へと頷いた。
 このチームを率いるのは吉田以外にいない。

「分かった……じゃあ、俺がキャプテンやらせてもらいます」
『よろしく!』

 みんなで吉田の体を軽く叩く。手荒い激励に顔をしかめた吉田だったがすぐに笑い、よろしく、と呟き返した。
 その時、場内アナウンスが流れた。札幌Aチームと自分達のチームの試合を告げるコール。
 まずは全国へ挑戦が幕を開ける。それは全国制覇に向けての長い道のりの入口。ここで倒れてはいられない。

「皆。じゃあ、早速キャプテンとしてやりたいことやらせてほしい。円陣組もう」

 吉田の言葉に男子は気合いが入ると同調し、女子は少し恥ずかしがりながらも集まる。
 段差があったが何とか円形になり、肩を組んでうつむいた。
 吉田が息を少し吸い、一気に吐き出す。

「まずは目指せ、全道予選突破!」
『応!』

 全員の気合いが放射状に広がっていった。
 体を前に倒した体勢から一斉に顔を上げて、ばらけてから全員がコートへと向かう。吉田を先頭に、そして吉田コーチは最後を歩く。
 駆け足で向かった選手達が一足先にコートへと降り立ち、告げられたところで基礎打ちを始めようとラケットを取り出した。そこに札幌Aチームも近づいてくる。武の眼にはちらほらとジュニア全道大会で見覚えのある顔が見えていた。

(やっぱり、地区予選って言っても全道単位の地区予選だもんな……気を楽にできるところなんてどこにもないな)

 武は改めて気を引き締めるために息を吐く。
 そして、顔を軽く張って気合いを入れ直すとラケットで軽く素振りしながら吉田の準備を待った。
 そこに現れたのは審判を務める大会役員だった。

「すみません。スケジュールの都合上、基礎打ちはなしでお願いします」

 武達は素直にコート外に出る。残ったのは試合が始まる二組だけ。
 武達の試合として割り当てられたのは二コート。そこでまず男女シングルスを終えた後で男女ダブルス。最後に片方のコートでミックスダブルスという流れだった。
 ベスト4からは一試合を一コートで行い、先にどちらかが三勝したら終わる。そのため予選は出来るだけ試合を同時に行って時間を短縮させるようだった。一ゲームの点数も、本来十五点である男子の試合や女子のダブルスは十一点までとなっている。

「よし、二コート同時に応援やってやるか」

 安西はそう言ってこれから試合をする二人に激励を送る。小島と早坂はそれぞれ礼を言ってコートへと向かった。
 武はうずうずする体を沈めて二人の背中を見る。

(一緒のチームになってこんなに安心する背中ってないよな)

 早坂は元々一緒の学校だったので見慣れている背中だが、やはり全道を経てその背中はより頼りがいがあるように見える。
 一方、小島は他校であり、こうして背中を見送るのは初めてだった。いつも真正面から自分の仲間と戦う彼を見ていた。その時に感じるのは圧倒的なプレッシャー。全道大会で淺川亮に負けたとはいえ、その実力は陰るものではない。南北海道の中でも、彼に匹敵するプレイヤーはそうそういないはずだ。だからこそ、その背中には仲間を自然と安心させる強さがあった。

(小島のチームメイトはいつもこんな感じなんだろうな)

 清華の男子は他に強いプレイヤーは石田しかいない。武と同年代の男子の実力はかなり下だ。この背中を見て、安心していたのだろうか。

「小島君は何も心配する必要ないね」

 いつしか隣にきていた姫川が呟く。武の位置が小島の試合を見やすいからという理由だけだが、武はなんとなくむずがゆさを感じる。

「早坂は?」
「ゆっきーはせなっちに任せてるから。今回はこっち」
(姫川のあだ名の付け方……なんか若葉に似てるな)

 妹のことを思い出しつつ、武は試合に視線を戻す。
 ちょうどコート中央で握手をしあって、シャトルを小島が取っていた。早坂の方は相手に取られたらしい。瀬名が「ドンマイ!」と失点した時のように大きく声を出している。早坂が「そこまで言わなくても」というような微妙な表情で視線を返していた。ただ、武は気づいていた。その表情に柔らかいものが混じっていることに。

(早坂。頑張れ)

 小島と早坂。
 二人の初陣が、武達の挑戦の始まりだった。
 審判のコールに合わせて小島と相手が互いに礼をする。
 小島が無言でロングサーブを上げて、コート中央に陣取った。相手はまずは崩そうとストレートのハイクリアで小島をコートの右奥へと追いやる。小島は難なく追いついて、そのシャトルを同じくストレートに返した。すぐにコート中央に戻るが、更に相手は右サイド奥を狙う。小島は再び追ってまたストレートのクリアを打った。
 どちらが先に次手を変えるか。
 いつまでも右サイドのストレートクリアの応酬では埒が開かない。むろん、それは互いに分かっている。
 だからこそタイミングを計って次の手を打つことで相手からペースを奪おうとしていた。
 小島だけではなく、相手も同じような思考でいると気づき、武は自然と拳に力を入れる。

「相手は……全道で見たよな」
「ああ。確か、札幌玉林中の坂田……」

 刈田と戦ったやつだ、と補足する吉田。武がその言葉に耳を傾け、意識をそらした瞬間だった。
 大きく音が響き、スマッシュが小島の足元へと叩き込まれる。小島はラケットを差し出してクロスでネット前に返していた。そこにバックハンドで構えて飛び込んでくる坂田。そこからストレートにもクロスにも狙えるため、小島はコースを絞れない。

「はっ!」

 坂田が吠えてシャトルを叩く。それはどこなのかと武が思った瞬間に、小島は更に前に踏み出していた。そしてラケットを思い切り振りきる。
 甲高い音を立ててシャトルは相手コートに返っていた。前に突進してきたために坂田はネットに自分の体をぶつけないように踏ん張るのが精一杯でシャトルを追うことができない。
 シャトルはゆっくりとコートへと落ちていた。

「ポイント。ワンラブ(1対0))」
「しっ!」

 小島が拳を上げて得点したことを主張する。フレームショットであり、運の要素が強いもの。しかし、だからこそ自分には今、流れがきているという主張。

「小島。勝負どころが分かってるよな。試合の主導権を一気に奪う気だ」

 偶然だとしても必然のように扱う。自分に流れを引き寄せる強い力。それが小島にはある。
 吉田の言葉の裏にある、小島への対抗心に武も自然と胸が熱くなった。
 やはり小島は仲間であり、ライバルの一人だ。

(でも……だから、心強い。このチームになれてよかった)

 隣のコートを見ると、早坂もサーブ権を奪い返してサーブでシャトルを打ち上げていた。彼女もまた反撃を開始する。
 第一戦は徐々に熱を帯びていった。
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