Fly Up! 200

モドル | ススム | モクジ
 その瞬間は、訪れる。

 早坂と姫川の間に流れる時間は既に他の試合よりも長い。
 息切れが激しく、一度落ち着くためにタイムをかけてタオルを取りにコートの外に出た時には、他のコートの試合がほぼ終わっている。残っているのは二年の男子シングルス、ダブルス。一年の女子ダブルス。ぼんやりと見ていると、どのコートも三ゲーム目。今、自分達のコートはまだ二ゲーム目なのだ。その事実を確認して、少し早坂は体勢を崩す。それに気づいて左足に力を入れ、勢い良くタオルで顔をこすりラケットバッグの上に落とした。

(疲れで集中力が切れてきてる。でももう少しなんだから……負けるわけにはいかない!)

 自分を叱咤するために鋭く息を吐いてからサーブ位置に戻る。シャトルを取り上げて構えると、向かいには姫川の姿。自分と同じように肩を上下させ、疲れを隠しきれていない。第二ゲーム開始から自分の限界以上の速度を出してきた結果、今になってはもうその速度は維持できていない。自分もまた、コントロールはどんどん悪くなっていく。その相対効果で結局はほぼ互角のままここまで来た。

「試合再開します。テンエイト(10対8)。マッチポイント」

 早坂はだるさを堪えてサーブ体勢をとる。姫川が腰を落としてシャトルを追いかける準備が出来たところで、高く遠くへシャトルを飛ばした。追っていく姫川の動きは鈍い。第一ゲームが100パーセント。第二ゲームの初期が120パーセントならば、今は60パーセントあるかないかだろう。それでも一瞬だけ足に力を入れたのか、シャトルの落下地点に入るのは速く、ストレートのハイクリアを打ってきた。早坂もその軌道の下へと入り、相手の左前へとクロスカットドロップを打ち込む。
 しかし、シャトルはネットに阻まれて姫川のコートに到達しなかった。

「サービスオーバー。エイトテン(8対10)」

 一番練習してきた、自分のフィニッシュショットが決まらない。体勢が崩れていたわけではないのだから、微妙なコントロールが効かなくなってきている。冷静に分析すれば、際どいところは狙わずに姫川を翻弄すれば今の彼女からなら点は取れるだろう。
 しかし、早坂はその選択肢を脳内から消す。

「ストップ!」
「一本!」

 姫川は早坂が構えたとほぼ同時にサーブを打ち上げた。軌道は高く、早坂にドロップを打たせることが狙いのようなもの。それでも早坂はクロスにハイクリアを打った。
 シャトルは姫川の右サイド。シングルスライン上へと向けて打たれる。そのまま下降してきたところを姫川はスマッシュをストレートに打ち込んできた、早坂はシャトルを追ってバックハンドで振りかぶり、右足で体を支えたところで打とうとした。だが、一瞬で判断してその手を止める。
 体は慣性を抑えきれずに進行方向へと倒れたが、シャトルには触れないように一回転していた。
 そのままの勢いで体を起こし、線審のジャッジを見る。
 両手を広げて、アウトのサイン。審判も続いてコールした。

「サービスオーバー。テンエイト(10対8)」

 早坂はしゃがんでいる体勢から立ち上がって、シャトルを拾いサーブ位置につく。目を閉じてシャトルの羽根部分を指先で丁寧に延ばしていく。高鳴る心臓に荒れる息。自分の意思から離れようとする体を決められた時間内に制御下に置くためにルーティンワークを繰り返す。

(今の姫川になら、コースを狙わなくてもいいかもしれない。でも、私はここで逃げちゃいけない)

 シャトルの状態を確認して、サーブ体勢を作る。姫川ももう前を考えていないのか、少し後ろに立ち位置を移していた。ここで前に打てば次を有利に進められるだろうかと思考をめぐらせる。

(いや、ここで前に打ったら私のほうが前に落とすか後ろに飛ばすか悩む。それでも望むところだけど……)

 それでも、自分が思い描く展開にするために、早坂はロングサーブを打った。狙いはシングルスのサーブライン上。どんなに疲れていても、ぎりぎりの位置を狙う。体力が切れるということはこれからもあるだろう。その時にも厳しい位置を狙い続けられるコントロール。それこそが、早坂が目指す場所。スマッシュも威力を上乗せする方法は見出したが、自分の生来の武器はやはりコントロールなのだ。目いっぱい後ろへ下がったところで姫川はストレートにスマッシュを打ってきた。先ほどとほぼ同じ軌道。違うのは、それがシングルスライン上だということ。

(姫川も、同じ気持ちか)

 試合の中で、姫川もまたコントロールへの意識が強くなってきたように早坂は思っていた。最初はフットワークに任せてコース自体は甘く、早坂も相手の速さに惑わされなければ取りやすいものだった。しかし、今は何度も試合中に打ってきたコースだからか、徐々にライン上に落ちる軌道をとることが多くなっている。姫川もまた、試合中に進化しようとしている。体力が落ちたからといって自分の思い描いた理想のプレイスタイルを棄てずに、それを体現するために突き進む。逃げれば勝てるかもしれない。しかし、それでは勝った意味がない。

(そうだ。私は……私達は、もっと先を見て試合をしないといけない)

 今日勝つことは一つの目標だが、その先に見えるものがあるのなら、そこに繋がる試合をしなければいけない。
 姫川のストレートスマッシュを、早坂はバックハンドでクロスヘアピンとして打ち返す。先ほど失敗したクロスカットドロップと違い、今度はネットを越えていく。そこに突進する姫川の速度は、これまでとほぼ同じ速度。早坂のスマッシュと同じように、要所で速度を引き上げていた。

「やっ!」

 ネットを越えたところで姫川のプッシュによりシャトルが弾き返される。触れることが精一杯だったのか、威力はないプッシュ。シャトルはゆっくりとコートに落ちようとした。しかし早坂が横に走ってラケットを振りきり、ロブを上げる。苦し紛れだったが、シャトルは姫川のコート奥へと返って体勢を立て直す時間が出来る。

(私達はお互い、自分のスタイルは崩さない。私はコントロール。姫川は、フットワーク)

 たとえ体力が限界だろうとスタイルに合わせる。全道で体験したプレイヤーの気迫そのものに、早坂は歓喜した。だからこそ、ここは自分の勝利で終わらせる。第一ゲームを勝ってるというアドバンテージは既に頭から消えていた。このゲームで負けても第三ゲームがあるという意識もない。
 自分の足がたまに痙攣するようになったことにも気づいていた。第三ゲームになれば、体力の低下によって間違いなく攣るだろう。姫川のほうが先かもしれないが、どちらにせよ第三ゲームでまともな試合が出来るような体力は両者には残っていない。ただ勝利を掴むなら、このゲームを勝てば良いかもしれない。しかし、内容として勝利を目指すならばここで勝ったほうが欲しいものを手に入れられる。

(同じ気持ちみたいで、助かるわ!)

 姫川からのハイクリアを早坂は一歩前に踏み出すスマッシュで返す。速度を増したスマッシュを姫川のバックハンド側へと打ち込み、そのまま前に駆け出した。たが、姫川はそれをストレートのドライブ気味に打ち返す。予期せぬ返球に早坂のラケットは届かず、シャトルはコートへと落ちた。

「サービスオーバー。エイトテン(8対10)」

 シャトルを取りにいき、拾い上げる。羽根が折れているのを見つけて審判に替えを要求すると、手持ちがなかったのか運営本部へと取りに走っていった。そこで小休止に入れる。その間に早坂は現状を出来るだけ整理した。

(スマッシュはとうとう慣れたかな。いや、それ以前にもうスピードが出てないのか……打点がずれたのか。どっちかは分からないけど、このスマッシュは失敗した時が不利よね)

 相手がその速度に上手く返せない時ならば前に飛び込めるが、今のように完璧にカウンターを取られると追いつけない。体力が切れていることで速度が出ないのか打点がずれて出せなかったのか今は検証している時間はない。

(やっぱり、これは使えない。四隅のコントロールで押しきる)

 今はまだ、という制限付きだが。自分にはまだスマッシュまではいかない。自分の力不足だからこそ選べない。今ある武器で全力で姫川に向かう。
 審判が戻ってきてシャトルを姫川に渡したところで、試合が再開した。姫川のサーブにより後ろに追いやられた早坂は、姫川が左サイドに留まっているところを見つける。あからさまな誘いだが、早坂はそれに乗る。

「はっ!」

 スマッシュではなくドライブ。それも、軌道はドリブンクリアに近い。武が良く打つドライブクリアだ。スマッシュやドロップならばカウンターを取られるが、これならば後ろに追いやれるしカウンターを取られることもない。姫川は一瞬前に行こうとしたがすぐにシャトルを追っていく。だが、その速度は今までより更に遅い。結局、バックハンドでシャトルを捉えてネット前に落とすショットになる。早坂はネット前に移動してシャトルに対してラケットを立てただけで対応した。ラケット面に当たったシャトルはほぼ弾き返らずにネットすれすれにコートへと落ちていった。

「サービスオーバー。テンエイト(10対8)」

 姫川は打ち返した場所で膝に両手をつき、項垂れていた。早坂から見ても体力の限界がきたように思える。客席からもざわめきが聞こえ、これ以上の続行は危険なのではないかという声もちらほら聞こえてきていた。

(私も、危険だけどね)

 見つめていた姫川の姿が二重になり、一度目をこする。プレイが止まるたびに体の脱力感が酷くなっていた。
 二人とも三ゲーム目は無理だろう。出来たとしてもほとんどプレイは出来ない。やはり、先ほど考えたように、今、このゲームを取ることが勝利に繋がるということだ。
 早坂はシャトルをネット下からラケットを使って手に取り、サーブ位置に戻る。そうすると姫川も顔を上げてレシーブ位置に向かった。

「一本!」

 それは自分を鼓舞するため。そして、姫川を倒すという気合を示すための咆哮。今は、大きな声を出すだけでも体力を消費するのだが、それでもしておきたかった。ここまで戦った姫川に最後まで自分を見ていて欲しかったから。
 自分を倒すために動いて欲しかったから。

「ストップ!」

 顔を上げ、ラケットを掲げて早坂へと鋭く視線を向けてくる姫川。好敵手に感謝をして、早坂はロングサーブを打った。
 今までと同じように、ライン上を狙うサーブ。姫川は明らかに下に回りこむ速度が遅く、かろうじてスマッシュを早坂の左サイドに打ち込んでいた。シャトルはライン上に。体力が完全に尽きたように見えても、加減やタイミングなどは体に染み付いている。
 早坂はバックハンドでどこを狙おうかと姫川の位置を確認する。そこには後ろから動けていない姿が映った。このままならば、ネット前に落としてやれば問題ないだろう。

(これで、終わり?)

 シャトルをストレートに打ってネット前にふわりと落とすようにコントロールする。最後まで、ネットから離れないように加減して。
 しかし、早坂が次の瞬間に見えたのは、そのシャトルへと今までのように突進する姫川。速度は一瞬で100パーセントのものへと上がり、ネット前につめる。余計な動きをせずに、一動作に賭けたのだ。

(来る――!)

 早坂は咄嗟に中央に戻って姫川の次手に備える。腰を落とし、プッシュをされても、ヘアピンをされてもどこに打たれてもいいように。理屈の上では対応できるはずだが、後は反射速度と体力がそれを許すか。
 いつものスピードを今の一瞬だけでも取り戻した姫川から繰り出されるショットは体感的には先ほどまでより数段上の速度に感じるはずだ。
 早坂が身構えた時と、姫川が前に飛び込んだのはほぼ同時。
 そして。

「……あ」

 その呟きが自分から漏れたものだと気づくのに、早坂には時間が必要だった。
 シャトルは早坂のコートへと落ちて、ネットは姫川のラケットにより大きく揺れていた。
 
「タッチネット。ポイント。イレブンエイト(11対8)。マッチウォンバイ、早坂」
『おおお!』

 審判のコールと同時に客席から歓声と拍手が巻き起こる。
 まだ試合が行われているコートがあるため控えめだったが、十分な賛辞。
 その中で早坂はしばらく腰を落とした体勢のまま動けなかったがやがて姿勢を正して、ネット前に歩いていく。
 そこには既に姫川が立って早坂を見ていた。顔を上気させて、目は悔しさから涙を流そうとするのを堪えているのか潤んでいる。早坂が目の前に立ったところでネット上から手を差し出してきた。

「ありがとう、ございました」
「ありがとうございました」

 しっかりと交わされた握手。十分に戦ったと分かるように、熱い掌。互いの熱さを感じながら、ゆっくりと手を離す。

「強かったです」

 姫川は一言呟いて、コートの外へと歩いていく。その背中に早坂は声をかけた。

「また、やろうね」

 顔を向けずに頷いて、姫川は左足を軽く引きずりながらコートを出て行く。早坂も駆け寄ってきた審判のスコアボードに勝者サインを書いてから、コートの外へと歩き出した。

 学年別大会二年女子シングルス。
 早坂由紀子、優勝。
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