Fly Up! 199

モドル | ススム | モクジ
(今のところ、なんとか出来てるわね)

 一ゲーム目を終えて、早坂は一度スポーツ飲料を口に含む。すぐには飲まずに、口の中で落ち着かせてから飲み込む。ゆっくりと体に染み込んでいくような感覚を得たところで一息ついた。ネットの向こうでは姫川が同じように飲み物を飲んでいる。自分と同じようにしてきている意図が早坂には分からないが、第一ゲームを取ったことで何かしら動いてくるだろうと気を引き締めた。

(このままで終わったら、いいんだけど)

 早坂の中の何かは、まだ警戒を解いていない。試合が終わるまで気を抜かないのは当たり前だが、今、早坂を包んでいるのは邂逅時の予感だった。
 全道クラスの選手と同じような何かを持っているという予感。フットワークの素早さは君長に匹敵するが、それは四隅を正確に突くことで対応できている。それでもついていくのは大変だが、コースを厳しくしている分、姫川の返球が甘くなり、その隙を突いていける。
 今のところ、フットワーク以上の何かはない。しかし、早坂の勘はそれ以上のものがあると告げている。

(信じすぎてもいけないけど、でもこの予感をとりあえず信じる。このままでいけるならいいし、いけなくてもやっぱりって思うだけ)

 もう一度スポーツ飲料を飲む。息を強く吐いてからコートに戻った。姫川もほぼ同時に入ってくる。
 あらかじめサービスエリア内に置いたシャトルを手にとって、姫川へと視線を向けた。同時に相手も早坂に視線を向けてくるが、そこには何の感情もない。

(まだ、何かあるなら見せてみて?)

 心の呟きが聞こえたわけではないだろう。しかし、姫川はそのタイミングで初めて、笑みを浮かべた。そこには敵意ではなく、何か別の強い思いがあった。

(なんだろう。どこかで、感じたことがある、ような)

 引っ掛かりを思い返そうとしたが、すぐに審判が試合を始めるコールをしたことで早坂はその考えを棄てた。
 第一ゲームは勝っているとはいえ、体力がいつもより減っているのは分かっていた。君長凛のフットワークについていくための習もしたことで体力強化はされているが、それとコントロールでようやくイーブンなのだ。体力が落ちてくればコントロールも引っ張られる。そこで一気に形勢が逆転する可能性は十分ある。

(どれだけ競っても、このゲームで決めないと)

 姫川が何か隠しているならば、目的を達成するには早めに引き出させるか、出す前に試合を終わらせるかだ。

「セカンドゲーム、ラブオールプレイ!」
『お願いします!』

 互いに応えて早坂はサーブに、姫川はレシーブに体勢を整える。姫川の位置を見て、左奥へと高くサーブを上げた。中央に腰を落として次手を待つ。とりあえず今までと同じ戦術で、相手の出方を見ようと早坂は考えた。

(まずは……いつもどおり)

 相手から何かを仕掛ける前にこちらから動くのは得策じゃない。そう思った早坂だったが、意外と早く変化が訪れる。

「たっ!」

 姫川からの返球はハイクリアではなく、ドリブンクリア。第一ゲームではなかった鋭い軌道。反応してシャトルを追って、第一ゲームまでより早いタイミングで飛び上がった。鋭く息を吐きながらカットドロップで逆サイドを狙う。それに当然のように反応して飛び込んでくる姫川を視界に収めながら、早坂は着地と同時に斜めに走る。どうショットを打たれようとも反応して手を伸ばす自信はあった。
 だが、姫川がプッシュしたシャトルを捉えることが出来なかった。シャトルはストレートに打たれ、早坂の伸ばしたラケットのフレームを掠めてコートに着弾していた。

「サービスオーバー。ラブオール(0対0)」
(……今の、は)

 早坂は自分の目が信じられなかった。しかし、呆然としたのも一瞬でシャトルを拾い上げる。ここまで来て驚いてばかりもいられない。シャトルを姫川へと返した時、早坂は見た。
 姫川は笑みを浮かべて早坂を見ていた。それはけして早坂を笑っているのではなく、むしろ自分の力を引き出してくれた早坂への感謝のように思えた。何故そう感じたのか。すぐに早坂は答えを出す。

(きっと私なら、あんな笑顔になるから)

 ゆっくりと頷き、早坂はレシーブ位置に立つ。目の前にいるのは間違いなく最強の好敵手。今日、これまでの試合のことや、一日を過ごしてきたことなど頭の中にあった雑念が消えていく。今あるのは、目の前の姫川詠美というバドミントンプレイヤーに勝ちたいという気持ちだけ。

「一本!」
「ストップ!」

 姫川は弾道の低いドリブンサーブでシャトルを飛ばしてきた。それを途中でインターセプトして前に落としたが、そこには姫川が移動してプッシュをクロスに打った。今度はぎりぎり反応してバックハンドでドライブを打ち返すが、相手コートを突き進みそうだったシャトルは姫川にインターセプトされていた。
 ドライブでシャトルが帰ってくる。早坂は体勢を整えるためにロブを上げて待ち構えた。

(今の姫川さんは、君長よりも速い!)

 スマッシュともに前に飛び込んでくる姫川を視界に収めながら、早坂はクロスドライブで抜こうとした。だが、進行方向を急に転換してシャトルを追った姫川は、そのまま捉えてドライブを打ち込む。打つと同時に返ってくるかのような錯覚にだまされず、早坂はバックハンドで何とか前に落とす。しかし、既に姫川は前に飛び込み、プッシュを打った。それも早坂は体を反転させてロブを打ち上げる。攻めようとしても跳ね返されてロブを上げるしかなくなる。
 うかつにドロップを打てばゆっくりと進む分、相手に時間を与えてしまう。

(相当無理はしてるはず……あの速度を、ずっと維持できるなんてそれこそ全国クラスの……君長以上の化け物じゃない!)

 自分が遭遇した化け物……君長凛はその点が凄いところだ。とにかく軽やかなステップを試合の初めから終わりまで続けられること。姫川はトップスピードは少し劣るくらいだった、その点に付け入る隙があった。
 しかし、今の姫川は君長を越えた速度をずっと続けている。それでいて、弾道が低く速いシャトル回しで打ち込んできていた。自分のペースに持ち込んで、早坂に速度についていけなくさせる気だろう。そう結論付けて、早坂は一瞬だけ息を吐き、スマッシュが放たれたと同時に前に飛び込んでいた。

「はぁ!」

 ストレートスマッシュ。その軌道に飛び込んで、早坂は勢いを完全に殺した。少しも浮くことはなく、シャトルは姫川側のコートへと落ちていった。ネットすれすれには追いついても触ることが出来ず、姫川は呆然と見送るしかない。

「サービスオーバー、ラブオール(0対0)」

 審判のコールと同時に拍手が響いた。会場で彼女達の試合を見ている誰もが、今の攻防に賛辞を送る。フットワークとシャトルの鋭さで相手を封殺しようとした姫川と、その速度の中にある細く脆い生きる道を打ち抜いた早坂。速いシャトルラリーの中で狙い通りのところにシャトルを飛ばすのは至難だ。それでも早坂はやってのけた。

(やっぱり。細かいラケットワークとかは、私のほうが上。姫川さんが上なのは速度と、反応速度)

 足腰の強さと反応の素早さ。二つがそろってこそ、コートの中をより速く、より先に動ける。
 今の早坂に、それについていくような速度はない。下手に付き合えば振り回されてしまうだろう。だからこそ、自分なりの最大速度で、他の点で上回るしかなかった。

(追い詰められてもぎりぎりを狙えるコントロール。これが私の見つけた答え)

 早坂はシャトルを持ち、相手の構えを確認した上で思い切り打ち上げる。

(まずは、一つ!)

 自分の積み上げてきたものを、姫川へとぶつけた。
 早坂の体を一つの自信が包み込む。しかし、悠長に待っていてもいられないことは分かっていた。
 姫川のフットワークが無理をしているとしても、自分はある意味それ以上に無理しているのだ。

「一本!」

 姫川が打つ瞬間を見計らって叫ぶ。それに動揺するということはなく、ストレートスマッシュが迷いなく迫る。追いつき、再度ストレートにロブを上げ、姫川がそれを追う。コートの左サイドを使ってのシャトルラリー。お互いに右サイドにシャトルを展開するタイミングを見計らっている。どちらが仕掛けてもその二手三手先を見据えたものになるため、少しでもシャトルを打つ体勢が崩れたところを狙っていた。
 十度を数えて、観客達の緊張が高まったその時、姫川のスマッシュが早坂へと打ち込まれた。

(ここで!)

 そのスマッシュに今までの速度がないと早坂は感じた。それが本当かどうかは分からない。しかし、感覚の違いを今は信じてシャトルをぎりぎりまでひきつけたところでクロスにヘアピンを打つ。そのままシャトルを追うように前に出た。
 そこに走りこんでくる姫川。その速度は確実にシャトルを拾う。前に出てプレッシャーをかけるために早坂はラケットを掲げてロブを上げるコースを減らした。

(――!)

 しかし姫川は早坂をまったく見ずにシャトルだけに向かう。そしてラケットを平行に構え、シャトルがネットを越えた瞬間にあわせて一気に突き出した。

「やっ!」

 突進してきた勢いを右足で完全に殺す。女子らしからぬ踏み込み音が響き、シャトルはスピンがかかったまま早坂の前に落ちていく。掲げていたラケットを咄嗟に下へまわし、ロブを上げたがあまりにネットに近かったため、ネットに弾き返されていた。

「サービスオーバー。ラブオール(0対0)」

 突進の勢いと、一瞬だけ突き出したことでかかった鋭いスピン。
 姫川は肩で息をして膝に手をつきながらも、ネット越しに早坂を見た。そして、静かに話しかける。

「あなたに、勝ちます」

 言葉に込められた強い意志を感じ、早坂は体の奥から震えが来るような気がしていた。気合が圧力となって自分に襲い来る。武や吉田が全道で第一シードや橘兄弟達と試合をした時に感じたと言っていたのを思い出す。
 早坂自身は君長と試合をした時はそのようなものは感じなかった。それは君長にとっては自分がまだ相手にならなかったからかもしれないし、当人が気合を押し出すようなプレイヤーではなかったからだろう。瀬名は武のように気合を押し出すタイプだったが、それほどの脅威ではなかった。
 今回のような感覚になるのは初めてだったのだ。

(これが、相沢達が体験した、もの)

 徐々に周囲の温度が下がってくるような錯覚。それを起こすほどに強烈な姫川の気迫。
 それも全て、自分を倒さんとする気持ちが現れたもの。全道大会ではずっと挑んでいた。きっと、自分も相手にこのように冷や汗をかかせて来たに違いない。自分と何か似ている姫川だからこそ、そう思える。
 姫川がシャトルを持ち、サーブ位置に立つ。それを見てから早坂はラケットを掲げて相対した。

「一本!」

 姫川は低い弾道でシャトルを打ち出す。鋭く奥に飛ばされるシャトルに追いつき、早坂はハイクリアを飛ばした。姫川とは違って高く深く届くように。滞空時間を長くしておいて、その間に体勢を立て直す。試合の進め方さえも構築しなおす。

(コントロールだけじゃ駄目なら、もう一つ、使うしかない)

 君長凛を倒すために練習したもう一つの手段。君長のように軽やかなフットワークが武器のプレイヤーならば、コントロールを磨くだけでは追いつかれて打たれてしまうのではないかという予想は立てられた。だからこそ、他の手を考える必要があった。

(今の体力でどこまでできるかわからないけど……ここで勝てないと君長にも勝てない!)

 姫川はストレートのドリブンクリアで早坂を後ろに飛ばす。今までより大きなストライドでシャトルを追い、スマッシュを打てるところまで下がった。息を大きく吸ってから一度止める。ラケットを持つ手に最低限の力だけ込めて後ろに回し、息を吐くと同時に鞭を放つようにスマッシュを放つ。
 今までも多少は行っていた動作を更にしなやかに、強さを求め、更には前へ一歩踏み出す力も加えた。
 その結果、早坂のスマッシュは、今まで放たれた彼女のスマッシュのどれよりも速く姫川の元へと到達した。

「やっ!」

 体の真正面に考えていた速度より速く到達したシャトルを何とかバックハンドで返した姫川だったが、前に打ち返すのが精一杯だった。そして、そのシャトルへと早坂は明らかに今までよりも速いタイミングで飛び込み、プッシュを打ち込んだ。

「サービスオーバー。ラブオール(0対0)」

 またしても動くサーブ権。姫川はネット前にいる早坂を呆然として見ていた。

(今までよりも、速いスマッシュを打ち込む。コントロールと、速度。これが、私が強くなるために身に着けたもの)

 今までより速く、体力も取られたスマッシュに上下する肩を気づかれないように抑える。今の自分に何発打てるかは正確にはわからないが、おそらくそこまで多くない。

(要所要所に使って、姫川が慣れる前に試合を終わらせるしかない)

 姫川と早坂。どちらの体力が先に切れるか。
 シャトルを持ちながら早坂は絶対に負けないと気合を入れた。
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