Fly Up! 201

モドル | ススム | モクジ
 早坂が客席へと戻ってくるとささやかな拍手と共に迎え入れられた。
 まだ試合をしているコートに配慮してのものだが、早坂に群がる二年女子や一年女子の面々。男子は遠巻きに見ている。しばらく女子の輪で話をしていた早坂だったが、そこから離れて下で繰り広げられている試合に目を向けた。
 
「どうなってるの?」

 輪から抜け出して武の傍に来て問いかけられている。特に名前を呼ばれたわけではなかったが状況から、その言葉が自分に向けられたのだと思って、武は状況を説明した。

「えーと。男子はどっちも第三ゲーム目。一年のほうは、残ってるのは女子ダブルスだけ」
「寺坂達よね。競ってるんだ」

 早坂の視線の先で試合をしていたのは寺坂・菊池組ともう一組。スコアは10対10。セティングを相手が取り、残り二点の勝負となっている。

「一年男子ダブルスは、竹内達が惨敗。藤本達は強かったよ」

 競り合っている女子と違って、一年男子ダブルスは圧倒的な力の前に竹内達は敗れた。11対0と11対1。付け入る隙をまったく探せないままで、ひたすら攻められ続けて負けた。当人達は精も根も尽き果てたのか、客席に座って試合を眺めている。他の部員達も二人が何とか食い下がろうとしていたところは見ていたため、それが全く通じなかったことのショックはある程度理解していた。だからこそそっとしている。

「そう、か……後で慰めてあげなさいよ」
「分かってるよ。でも、今は寺坂達の応援が先だろ」

 そう言って武は寺坂達の試合に集中する。
 相手のダブルスはスマッシュを多用して寺坂に集中攻撃を繰り広げていた。それでも寺坂は一つ一つしっかりと奥へと返し、チャンスを狙っている。菊池は下手に動けば自分のほうを狙われて得点されてしまうと分かっているのだろう。実際、その方法で序盤は点を取られていた。ようやく最後の場面になって耐え切るしかないと分かったのだろう。

(俺や吉田がやられたら、きっと逆に厳しいコース打ってチャンス球上げさせるだろうけど)

 寺坂にはまだ相手の厳しいスマッシュを厳しく返すことが出来ないようだった。ミスを恐れて大きく返すだけ。
 しかし相手もまた攻め続けた結果、ネットに引っ掛けてミスをする。攻め続けることで体力が減ったためだろう。
 一年女子ダブルスの第三ゲームは奇しくも早坂と姫川が繰り広げたような体力勝負になっていた。
 寺坂がロブを打ち上げ、それをスマッシュで打ち込まれる。何度か繰り返されるうちに徐々に速度が落ちていく。その隙を見逃さずに、寺坂はそれまでストレートに返していたロブをクロスに打った。無論、前衛に入ってそのシャトルを打ち落とそうとする相手もいたが、ラケットに掠めることなく過ぎていく。それを追って後衛も走っていき、たまらずクリアで打ち上げた。

「スマッシュ!」
「はいっ!」

 寺坂は叫んで前に出る。後ろに回った菊池はシャトルを狙いすましてスマッシュを打ち込んだ。サイドバイサイドの陣形を取るのが遅れたのか、サイドに広がったところにちょうどシャトルが飛んでいき、ラケットが捉えきれずにコートの外へと飛んでいった。

「ポイント。イレブンマッチポイントテン(11対10)」
『ナイッショー!』

 女子が声をそろえて菊池のスマッシュを称える。相手をセティングまで追い込んで、遂にマッチポイント。まだファーストサーブだけに十分チャンスはあった。それでも武は、寺坂が緊張に縮こまっているように見えた。

(寺坂……怖がってるな)

 無理もないと武は思う。自分の下の代では確かに強いほうだったが、ここまで競った試合をしたことはなかったはずだ。しかもそれが優勝がかかっているというようなものは。おそらく、初めてだろう。

「寺坂! 思い切って行け!」

 寺坂がサーブ体勢をとったところで、武は思い切り声を張り上げる。寺坂の体を包む緊張を全て弾き飛ばすような気合を込めて。それが伝わったかのように、彼女の肩から余計な力が抜けたように武には見えた。

「一本!」

 寺坂は気合の声と共にロングサーブを打つ。シャトルはふわりと柔らかい軌道だったが、前に構えていた相手には十分フェイントになった。それでもシャトルに追いつき、ストレートにスマッシュを放たれるが、菊池が打った相手に向けて再度打つことで体勢を崩させる。
 たまらず上がったハイクリアに追いついて、菊池がクロスにスマッシュを打つと、それを狙いすましたかのようにクロスドライブを打ってくる。その斜線上に寺坂はラケットを置いてヘアピンで返した。タイミングがよく武も含め見ていた誰もが決まったと思ったが、ドライブを打った相手が前衛に入り、ロブで打ち返す。
 寺坂もそのまま前衛に入り、菊池は後ろで更にスマッシュを打とうと構えた。相手ペアは両サイドに大きく広がり、サイドに打たれるのを阻止しようとしているように武には見えた。

(誘いか?)

 あえて中央に打たせようというのか。それとも単に広がりすぎたのか。菊池はどう感じたのか、中央目掛けてスマッシュを打ち込む。

「はっ!」

 そのシャトルを、左側にいた女子がカウンター気味に打ち返した。タイミング十分の一撃に寺坂はラケットで捉えきれず、シャトルはコート外に出て行った。告げられるセカンドサーブと、体力が尽きたのか膝を突いてうつむく寺坂。逆に明光中側は声援が大きくなり、後押しする。ここでサーブ権を奪い返せばおそらくは寺坂達は一気に流れを持っていかれてしまうだろう。
 言うなれば、次のサーブが最後のチャンス。それを分かっているのか、菊池もシャトルを貰ってからの動きが緩慢になっていた。まだ寺坂は立ち上がっていないところに、武は両掌でラッパを作り、吼える。

「まだだ! ラスト一本だ!」

 まだ負けたわけではないが、浅葉中側は静まり返っていた。それを武の咆哮で一変し、寺坂達へと声援を送った。洪水となって押し寄せる激励に寺坂は立ち上がって笑顔を向ける。そこには緊張も残っていたが、体を動かすには適度なものに減っていた。

「一本!」
「いっぽーん!」

 菊池の声に重ねる寺坂。放たれたショートサーブをプッシュで打ち返されても、寺坂は冷静にロブを打ち返した。綺麗に上がったシャトルの落下点に入った相手はスマッシュを打ち込む。寺坂は一歩前に出てヘアピンで返した。先ほどと同じ、厳しい攻め。同じように相手はロブを上げて菊池にスマッシュを打たせようとする。

「なんだかんだ、あの相手上手いな」
「今、ロブを打ったのが今村幸華。もう一人が今北真美。どっちも強いわよ」

 早坂の言葉に頷きつつ、武は試合の流れを見守る。今までは自分達の年代で手一杯だったが、少し視界を広げれば、こうして強いプレイヤーがたくさんいる。それでも自分達のほうがまだまだ上だと思える程度には成長したらしい。

(ずいぶんと、進歩したな、俺も)

 こうして後輩を応援するような立場になる。小学校の時はいつでも、応援する立場だった。
 だからこそ分かる。応援することの力を。

「一本!」

 武の声に触発されたのか、菊池は再びスマッシュを中央に放つ。相手は再びサイドに広がる体勢。
 先ほどと同じように左サイドにいた相手が渾身の力を込めてドライブで打ち返す。

(打ち返せ! 寺坂!)

 前衛には寺坂。これも同じように、ラケットをドライブで返されたシャトルの斜線上に持っていこうとする。少しでもタイミングを誤ればコートの外に弾かれる。
 寺坂の腕が伸ばされて、ラケットがシャトルの斜線上に入り。
 甲高い音と共にシャトルが宙を舞った。フレームに当たったためにおかしな回転で飛んでいく。
 相手コート側へと。

(よし!)

 さっきと異なり、少しだけラケットを出すタイミングが早かった。だから、フレームに当たって真正面に返せなくとも良い結果に結びついた。一つ前の失敗を恐れず、更に前に踏み込んだ寺坂の勝利。
 ドライブを打った今北は返されることを想像すらしていなかったのだろう。ラケットを振り切った状態のまま、その場で動きを止めてシャトルがコートに落ちていく様を見送るだけ。その一瞬が武達観客には長く感じた。おそらくは、試合をしていた当人達はそれ以上に。
 シャトルがコートに落ち、その動きを止めた後で審判は結末を告げた。

「ポイント。トゥエルブテン(12対10)。マッチウォンバイ、寺坂・菊池」

 それまでは得点するたびに声援を送っていたが、試合が終わったこの時には、誰も言葉を発することは無かった。静かに、コート上の四人はネット前に集まり、握手を交わす。

『ありがとうございました』

 同時に言い、そして離れていく。明光中の二人はすぐにコートから出て、寺坂と菊池は審判からスコアボードを貰い、勝利者のサインを記入する。全てが先ほどまでの盛り上がりとは打って変わって静かに行われていた。
 しかしサインの記載が終わってからは拍手が沸き起こる。ゆっくりと、波のように広がったそれらは寺坂と菊池を包む。先ほどの早坂と姫川の試合後のように。
 武は、その中で顔をうつむかせて震える寺坂を見ていた。

(寺坂。泣いてるんだろうな。お疲れさん)

 辛い試合を超えての勝利。自分が経験したものとは多少違うだろうが、中学に入って初めて、厳しい試合を潜り抜けて得た勝利だろう。菊池に肩を包まれながら一緒にコートの外に出て行く様子が武の印象に残った。ゆっくりとフロアの外に出た二人は、少しすればここへ戻ってくるだろう。

「褒めてあげなさいよ」
「俺よりお前に褒めてもらったほうが喜ぶんじゃないか? 寺坂」

 早坂の言葉に思ったことを返す武。しかし早坂はため息をついて「分かってないわね」と呟く。どういうことか尋ねても早坂はため息をついて黙るだけだった。

 ◇ ◆ ◇

 寺坂はコートフロアを出たところにある共用スペースで、自動販売機の傍にある椅子に座って休んでいた。財布は自分の鞄に入れて客席にあるため、喉は渇いていても買えない。菊池は先に戻ってもらっていた。自分は疲れのためしばらく休んでから行くと伝えて。
 精も根も尽き果てた今の状態では、客席に戻った際の部の仲間や先輩達の称讃に応えられないと思ったからだった。せっかくの優勝なのだから応援してくれた人達にちゃんと応えたい。そのためにはしばらく休息が必要だった。

「お疲れさん」
「きゃあ!?」

 そんな心持だったため、急にかけられた声に心臓が激しく動く。近づいてきたことも全く気づかなかったが、更にその相手が武だったからこそ、余計に緊張まで付いてくる。当の本人は叫び声まで上げられたことで驚かしてしまったことを詫びる。

「す、すまん。そこまで疲れてたんだな……よくやったよ、寺坂」

 そこまで言って武は小銭を自動販売機に入れた。そしてスポーツ飲料を買うと寺坂に差し出す。
 少しの間ペットボトルと武の顔を交互に見て、やがてそれが自分に差し出されたものだと気づいた寺坂は慌ててかぶりを振る。

「ああ、あの。受け取れませんよ!」
「いいよ。頑張ったご褒美。それに、疲れてる時は水分補給したほうが良いぞ」

 そう言ってキャップを空けてから再度寺坂に差し出す武。腕が疲れているだろうと気を利かせてのものだと分かり、寺坂は急に顔が熱くなる。さりげない気配りに、試合の中で封じていた自分の中の気持ちが浮上してくる。

(……うう。変な風に思われちゃう)

 寺坂は礼を呟いてからペットボトルを両手で受け取り、飲めるところまで一気飲みした。ペットボトル内の四分の三ほど飲んだところで唇を離し、ほっと息を吐く。今だけでだいぶ体力を補充できた。

「どう? 景色、変わった?」
「……まだ、実感がありません。勝てたのも私が出したラケットで、たまたまシャトルが相手コートに返っただけだし」

 それは寺坂の中で、今回の勝利に影を落とすもの。試合の最初から最後まで、前衛の仕事が出来たかというと疑問点が残る。結局は、今回の勝利は運だけだったのではないかという思いが、試合後にどんどん湧き上がって来ていた。
 素直な気持ちを言葉に乗せる。

「きっと、総合力だと相手のほうが強かったです。だから、実感ないのかも……」
「なるほどな。なら、実感得るまで頑張るしかないよな。今日から始めたらいいと思うよ」

 寺坂を見て、武は大きく頷いた。その顔にあるのは一つの自信。寺坂がその意味を探す前に、更に続ける。

「今日勝てたのは間違いなく、実力が上回ったからだよ。総合的なこと以外の、何かの力に。だから、勝ったことはそれだけでまず嬉しくなればいいさ。後は、その後の努力の話だ」

 そこまで言って、武はその場から離れていく。背中越しに「もう少し休んだら客席に戻りなよ」と告げて。多くの言葉を投げかけても今の寺坂には負担と感じたのかもしれない。
 武なりのアドバイスに、寺坂は軽く頭を下げて「ありがとうございます」と呟いた。
 ここが、自分の始まり。自分の起点となる場所。まだ、そう考える余裕は無いけれど、明日からは考えてみようと。

(ありがとう、ございました)

 武へ感謝の気持ちを思うだけで、ほんの少し、心が温まった気がしていた。

 学年別一年女子ダブルス 寺坂、菊池組優勝。
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