Fly Up! 191

モドル | ススム | モクジ
 武は素早くコートに入り、林とドライブを打ち合っていた。杉田の試合を見て高揚した気分を失わせず、試合へスムーズに入るために。空いたコートで打ち合いを続けて五分ほどしたところで、試合のコールがなされた。
 自分達の打ち合っているこのコートで、準決勝。遂に現在第一シードである安西と岩代へと挑む。
 二人がフロアをゆっくりと歩いてくるのを見ていると、林が隣にいつの間にかやってきていた。

「相沢。緊張してるんだ」
「そりゃ、な」

 自分と吉田のダブルスと常に戦いを続けてきた二人。今回は、相棒は別のダブルスを組んでいる。林は優秀なダブルスプレイヤーだが、相手二人は全道を経験した間違いなく現時点で市内トップレベルのダブルスだ。全道の成績は武と吉田のほうが上だが、けして気が抜ける相手ではない。

(それでも、勝つ。今のパートナーは吉田じゃない。林なんだから。二人で、勝つ)
「相沢。作戦は忘れないでな」

 林の言葉に頷く武。スマッシュを封印して前衛で攻防を続ける。しかもそれを、安西達にぶつける。
 ここでモノにしてこそ今回のペア変えの真の目的が達せられるのだ。

「ここで、掴んでみせる」

 安西達がコートに足を踏み入れるのと、審判として瀬名がやってきたのは同時だった。
 試合が始まる前、瀬名がラブゲームで負けるところを武も目撃している。
 清華中の姫川詠美に手も足も出ずに負けた様子は、武や吉田には衝撃だった。おそらく早坂も驚いているに違いない。開会式の前に自分にぶつかってきた女子が、実はとんでもない実力者だったという現実。そして、庄司がベスト4の試合が始まる前に言っていた言葉。
 目の前のライバルと、新たに生まれるライバル。
 常に成長し続けている周りに、自分も負けられない。

「よろしくな」

 ネットを挟んだ先から安西が言ってくる。武は軽く答えてネット上から手を出し握手をした。その手が強く握られるところに、相手の意思を感じる。

『手を抜きやがって』

 安西の強い怒りは半分は錯覚で、半分は本当だろう。
 これから先に控える、第一回の全国規模の団体戦。そこではおそらく味方同士だ。つまり、二年の間に戦えるチャンスというのはこの大会しかなかった。中体連では武達が負けた。ジュニア予選では勝てた。なら、最後の対決としてこの大会はどちらが二勝目を上げる場となるはずだったのだ。安西達は勝利を掴むために練習をしてきただろう。それが無になったのだから。

(安西。悪い。お詫びに見せるよ)

 じゃんけんでシャトルを取り、武はサーブ位置に立つ。
 いつもセカンドサーバーだったために、試合の初めは吉田の背中を見ていた。でも、今は自分が背中を見せる立場になっている。

「イレブンポイントスリーゲームマッチ。ラブオールプレイ!」

 瀬名のコールに合わせて武達と安西達。二組が同時に互いへと『お願いします』と叫ぶ。
 それは依頼ではなく、挑戦。必ず相手に勝つという強い意志をこめた言葉。
 続けて武は「一本!」と林にショートサーブのサインを出すと同時に言う。そしてバックハンドサーブの体勢をとって安西へと対峙した。
 瞬間、空気が変わりプレッシャーが一気に大きくなる。

(くそ。なんか全道と同じじゃないか?)

 どこか市内大会ということで気が抜けていたのかもしれない、と武は息を吐き、止めた。
 狙うは一点。ネット越しに見える安西の左肩口。そこを通せば、ぎりぎり相手コートのサーブライン上に落ちるはずだった。その細かいコントロールを自分が出来るか。
 出来るか出来ないかは問題ではなくやるしかない。
 そうしなければ安西達には勝てない。

「一本!」

 再度叫んでからシャトルを押し出した。打ったというよりも押し出す。ラケットに乗せてというのは反則であるため、グレーゾーンと言われても仕方がないくらい力を緩め、シャトルをネットを超えるように運ぶ。
 そこに安西が綺麗に飛び込んできてプッシュを放った。

「相沢!」

 武は聞こえてきた声と同時に左側にシャトルを避ける。軌道からすれば安西が武の右側へとシャトルを打つのは定石だった。林は左利きであり、武はサーブを打った直後で反応するにはぎりぎり。打ち返される角度によっては体にシャトルがぶつかるだろう。それを一瞬で判断し、武は林に後衛を任せた。
 かわした武の右側から打ち上げられるシャトル。無理をせず高く遠くに飛ばしたのはバックハンドを使った林。
 練習以上、今日の実戦の中では一番の軌道だ。

「ナイスショット!」

 武は言いながらサイドバイサイドの陣形を取った。前に飛び込んだ安西はそのまま。後ろから岩代がスマッシュを打つ体勢をとる。武はバックハンドに構えて中央に打ち込まれることをカバーした。林には事前にバックハンド側のスマッシュを警戒するように指示してある。
 左利きと右利きの場合、林が右側にいると本来右側がフォア側になるはずがバックハンドとなり、訓練していないプレイヤーにとっては脅威となる。だからこそ、武はいつも以上に防御範囲を広げた。

(俺が多少無理して、林に打ちやすい状態を作り上げる!)

 林も打ち合わせどおりにバックハンドでシャトルを迎え撃つ。岩代は一瞬だけ武と目を合わせて、シャトルを強打した。

「はっ!」

 飛んできたのはスマッシュ、ではなくハイクリア。虚を突かれたが武はシャトルを追って後ろに向かう。
 シャトルの落下地点に入ってスマッシュを打とうと構えたところではっとする。

(スマッシュじゃ、駄目だ!)

 既にラケットを振っていたため、力を急激に弱めてドロップに変化させる。直前まで自分さえスマッシュを打とうとしていたのだから、取ろうとした安西も一瞬だけどう対処すればいいかと動きを止めた。
 一瞬の時間の隙間を縫うように、武はネット前へとダッシュした。林もその動きを見て、前に行こうとした動きを止めて後ろに回る。
 安西がヘアピンでシャトルをネット前に打った時には既に武はラケットをシャトルへ向けて立てていた。
 飛び込んだ勢いを完全に右足で殺し、ネットを越えた瞬間のシャトルを叩き落す。
 シャトルは安西のボディにぶつかってコートへと落ちた。

「ポイント。ワンラブ(1対0)」
「すみません」

 謝る武に安西はシャトルをラケットで掬い上げてそのまま放った。手で取り、サーブ位置へと戻る武。内心では今の流れにホッとする。

(よかった。今回はスマッシュはなしでいく。自分の不得意分野で、あえて安西達に挑戦する。舐めているわけじゃない。舐めていないからこそ、真っ向から対峙して勝つ)

 今の試合の目的を再確認する。少しでも忘れてしまえば、スマッシュを打ってしまいそうで、それだけ体に染み付いているのだと武は思い、苦笑する。自分が生きてきた十四年間のうち、八年という長い間振ってきたラケット。そのうち、今のようにスマッシュで押していくような型になったのはいつだったか。
 それでももう体の一部のようなのだから。それをあえて封印してネット前に執着する。いつも以上に冷静に頭を使わなければいけないだろう。

「ナイスプッシュ」

 林からの言葉に笑って応える武。だが、すぐに顔を引き締めて安西達に向かう。

「あいつらにも伝わっただろう。俺らが、本気で勝とうとしているってことを」
「少なくとも、吉田と相沢に近いくらい感じてもらわないと」

 林の発言に武は心強さを感じる。一回戦から、どこかいつもと違って発言の一つ一つに自信を感じさせる。一体、林の中ではどんな変化が起こっているのか。今のところ良い方向に向かっているのだからと特に心配はしていない。

(どんどんいくか)

 シャトルを構えて林にサインを出す。今度はロングサーブ。これも事前に取り決め済みだ。

(ロングサーブを打って、そのまま前に入る。おそらく岩代はスマッシュで来るから、それを林が前に出てドライブで返す。クロスなら、俺が何が何でも止める)

 構えている岩代のラケット側。
 自分の立つ位置から斜めに打つという条件の中で最も近い位置。中央のライン上に落とすようなイメージを持って、武はシャトルを少しだけ強く打った。
 前に飛び込もうとした岩代がシャトルの軌道の強さに気づいてその場で飛び上がり、ラケットを伸ばす。
 出来るだけ低い軌道と考えて打ったために、岩代のラケットはシャトルを捉え、それが思い切り振られて打ち出される。
 シャトルは武目掛けて打ち下ろされるも、武はラケットを咄嗟に眼前に掲げる。そこにちょうどよくシャトルが当たり、カウンターとなってネット前に落ちていく。岩代は飛び上がってからまだ着地できていない。
 そしてシャトルは岩代が着地した際の右足の傍へと落ちていた。
 一瞬の出来事で安西も、林も動けなかった。

「ポイント。ツーラブ(2対0)」
「しっ」

 短く気合を吐き出す。今のところ、自分の戦術に二人がついていけてないと武は思う。元々安西と岩代は吉田と武のダブルスに照準を絞ってきているはずだった。二人の戦術ならば実際の対戦や全道も含めて最も多く見ているだろう。しかしその戦術も吉田が主体の物だ。今回は武がメインで、林を動かそうとしている。それが些細な違和感となっているのだろう。

「この調子でいこう」

 林に向けて呟く。先ほどと同じように林は応じるかと思っていたが、武越しに安西達を見て一つ息を呑んでから呟く。

「いや、さすがに次からは厳しそうだよ」
「え?」

 振り向いたところにシャトルが低い軌道で飛んでくる。武の胸に軽く当たって下に落ちそうになったところを慌てて掴んだ。シャトルを放った安西は手を軽く上げて「悪い」と謝ってきたがまとう気配は先ほどまでとは大きく違い。

「多分、やっぱり俺らを舐めてたんだと思うよ。でもそうじゃないって分かってきた。今のところ、相沢一人で本気を引き出した感じだな」
「林……」
「次は、俺にも見せ場をくれるよう、よろしく」

 ラケットで軽く武の肩をたたいて後ろに移動する林。シャトルを構えて安西に再び対峙すると、先ほどよりもプレッシャーは逆におさまっていた。

(なんだ……? あんまりプレッシャーが……いや。違う。これは)

 武には安西の体の周りに集まっている力が見えた、ような気がした。あくまで比喩表現だが、武や全道で対戦した相手は気迫やプレッシャーを前面に押し出してくるタイプがほとんどだった。橘兄弟がおそらく最大のものだったろう。
 だが安西はその気迫などを内に集めるタイプのようだった。そうして力を溜めて、それを全てシャトルに乗せる。そうすることで力を爆発させるのだろう。最初からそのタイプだったかを記憶を辿ろうとして、それは無意味だと武は気づいた。

(そうだ。俺だってもう昔とは全然違う。昔を見てたら、今は勝てない)
「一本!」
「おう!」

 林へとサインを送り、安西にシャトルを打つ。一回目と同じショートサーブ。しかし今度は、左肩口ではなく、右側。ダブルスの外側のラインぎりぎりに打った。
 シャトルはまっすぐにライン際へと向かう。安西は最速で飛び込もうとしたが、進行方向を一気に変えてラケットを伸ばす。前回まで最短距離を狙っていたからこその外し。だが安西のラケットは強打でストレートプッシュを放った。

(あの体勢で打つかよ!)

 驚愕するのもつかの間。林がストレートにドライブ気味にシャトルを打った。体勢が崩れていた安西にとってはその鋭いシャトルは取れず、岩代が後ろに回ってストレートドライブを放つ。今度は武がそのシャトルをネット前でインターセプトした結果、安西がクロスヘアピンで武から離れていくようにシャトルを打つ。武は素早く横移動してラケットをシャトルの下に置くように平行移動させた。シャトルがラケット面にぶつかる瞬間にスライスさせてスピンをかける。
 不規則な回転がかかってシャトルが落ちる。安西が移動してきてそのシャトルをバックハンドで打ち上げた。
 一時の攻防は武側の勝利。だが、仕切りなおされたここからどうなるかが勝負の分かれ目になる。
 林を信じてコート中央よりも少し前に陣取り、次手を待つ。

(林なら、スマッシュを打つ)

 スマッシュが得意ではないといっても、林のスマッシュは練習によってだいぶ威力を増していた。元々ドライブが得意だということで体重移動はしっかりしていたのだから、後は打つ角度やタイミングによるもの。今までの試合の中でもたまに良い当たりをするショットはあった。今回も、初めから打てれば相手に奇襲をかけられる。
 と、その時。
 眼前の安西達の動きが一瞬だけ止まった。何を見たのか分からなかったが、武は自分の顔の横を通り過ぎていくシャトルを見て悟る。

(ドライブか!)

 オーバーヘッドストロークからスマッシュを打つのではなく、咄嗟にシャトルの落下位置から自分の体をずらして、サイドスローでシャトルを打ったのだろう。その移動で奇襲となり、ドライブの威力が二人の予想以上だったのか、取ろうとした岩代のラケットから弾かれていった。

「ポイント。スリーラブ(3対0)」
「ナイッシュー! 林!」
「しゃ!」

 林の笑顔に武もほっとする。一番得意なショットで勝負し、勝利したのは大きい。逆を言えば、試合中に速度に慣れられてしまえば勝ち目は薄くなる。今回は二ゲームで終わらせる、電撃戦を展開する必要があるということだ。

(安西達も侮れない。実際、ダブルスとしての力は相手が上なんだから。ここで油断はするな。先のことを考えず、今の一点を取ることを考えろ)

 武は自身に言い聞かせる。岩代からシャトルをもらい、サーブ位置についてからはまた岩代をじっと観察した。
 こちらもプレッシャーは先ほどよりは減っている。パートナーがパートナーだからか、岩代自身も力を溜めるタイプなんだろう。

(なら、俺はいつも通りにいくか)

 息を吸い込み、腹をへこませながら武は咆哮した。

「一本!」

 上半身全てがスピーカーとなったかのように、響き渡る声。空気を振動させ、安西達さえも震わせるような気迫で。自分の全てをかけて相手を倒す。
 その感覚は全道大会で橘兄弟と戦った第三ゲームの時に得た感覚へと近づいていた。
 岩代に対しては、今度はショートサーブ。コート中央。フロントのサーブラインと中央を走るラインの交差点へとシャトルを落とすように、打つ。岩代はラケットを立ててプッシュで返してきた。ネットぎりぎりだったために威力は弱まり、林が大きくロブを上げる。先ほどと似た光景。しかし今度は安西が後ろに回り、林に向けてスマッシュを放った。十分肩が温まっていたのか、その速度に林はついていけず、シャトルを真上に打ち上げてしまった。

「サービスオーバー。ラブスリー(0対3)」

 林は上がったシャトルを自ら取り、羽を直して安西に放った。

「さ、ストップだ」
「おう」

 特にダメージはない。林の自信に武も背中を押されるように、自らのレシーブ位置へと立った。
 得点は3対0。まだ試合は始まったばかりだった。
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