Fly Up! 190

モドル | ススム | モクジ
(これで、最後かな)

 杉田は目の前に立つ刈田の姿を見ながら思う。
 得点は10対10。コートをチェンジしてから重ねられた時間。刈田にスマッシュを打ち込んで、壁の幻惑を使ってシャトルを上手く返させない。作戦通りの展開に持ち込んでも刈田の速度は脅威だった。スマッシュは取れず、しかし相手も杉田のスマッシュをジャストミートできない。
 そして一進一退の攻防を繰り広げた結果、残り一点で同点の今がある。
 刈田からのサーブ。今までどおり、高くあげられるはずだった。体は重く、気だるさに包まれているが精神は今まで以上のものになっている。一つ気合を入れて、杉田はラケットを掲げた。

(さあ、これでサービスオーバーを、取る)

 高く上がったシャトルをこれまで通りにストレートスマッシュで打ち込もうとする。だが、視線を一瞬だけ向けると明らかに杉田のスマッシュをストレートに受けるという位置に体を移動させていた。極端な位置取り。明らかに逆サイドが空いている。

(あからさまな誘い。でも乗らないとさすがに取られる!)

 判断は一瞬だった。杉田は体の向きごと変えて、スマッシュを左サイドへと鋭く打ち込んだ。刈田は当然シャトルを取りに移動するが、それは斜め前に飛ぶように足を進める。自然とラケットがシャトルを捉える位置も前になる。
 杉田はそれに気づいて自らも慌てて前に詰める。
 シャトルが刈田のラケットに捉えられた時点で、杉田は背筋を這い上がる悪寒を感じた。

(まさか――!)

 自分の直感を信じるか。それともこのまま勢いに乗るか。
 どちらを選んでもシャトルを返せる確率は半分以下だろう。悩む時間さえも今はない。

「おらあああ!」

 杉田は、右足を踏み出したところで思い切り体にブレーキをかけた。つんのめりそうになる体を強引に押しとどめて体を後ろに飛ばす。それと同時にシャトルがロブでコート奥へと飛んだ。刈田が前に落とそうとしたシャトルをフェイントで奥へと飛ばした。杉田が前に突進してくるのをぎりぎりまで引き寄せた上でのフェイントだった。しかし、それに杉田は反応した。

(これを、取れれば――!)

 シャトルを追うことは出来たが、それを打てるかは別問題。
 シャトルは低い軌道でコートにつこうとしている。杉田はその横を併走するようにしてラケットを振りかぶった。
 刈田の位置を確認し、自分の打つシャトルをイメージする。
 しかし、シャトルが描く軌道のイメージは、全て刈田のラケットの範囲内だった。

「くっそお!」

 出来るだけ高く打ち上げて、遠くへ飛ばす。低い軌道だとインターセプトされ、高さだけ求めれば飛距離はなし。
 高く遠くへ。杉田は一縷の望みをかけてラケットを振り切った。
 シャトルはネットすれすれではなく、ある程度の高さを持って飛んでいく。速度も十分。このままいけば奥に行くだろう。
 だが、刈田がラケットを伸ばして飛び上がってシャトルをインターセプトしにいく。杉田もラケットを振り切った状態から体勢を立て直して前に飛び込もうとする。

「うおおおああ!」

 しかし刈田の目的はインターセプトではなかった。前に飛び込みながら、杉田は再び右足で体を支えようとする。
 これから来るのはスマッシュに間違いない。前にいては取るのは不可能だ。ここで耐え切ればまたチャンスが来る。

(しまった……!)

 だが杉田の右足は勢いを殺すことが出来なかった。前につんのめり、右ひざからコートに倒れてしまう。急いで顔を上げた時には刈田がジャンピングスマッシュで杉田を狙うところだった。

「らぁあ!」

 刈田の咆哮と渾身のスマッシュ。
 シャトルが杉田のいる位置から離れた場所に打ち込まれる。杉田自身に打たれれば……ラケットが届く範囲ならば返される可能性が残る。だからこそ刈田はその可能性を完全に消した。逆を言えば、それだけ杉田を警戒したのだ。

「ポイント。イレブンテン(11対10)。マッチウォンバイ、刈田」

 告げられるポイントと静まり返るコート。
 杉田はラケットをシャトルが打ち込まれた方向に伸ばした状態のまま固まっていた。動こうとしても彫刻になったように動けない。何度かその状態で息を深く吸い、吐くことでようやく体が動くようになる。
 だが今度は右膝に痛みを感じてすぐには立ち上がれなかった。

(打ち付けたからか……いってぇ)

 ゆっくりと左足に体重をかけて立ち上がる。右足に体重をかけると痛みが走るため、左側に体を傾けてネット前に歩いていく。

「足、痛めたのか」
「最後に体力切れた。支えられなかったよ」

 杉田の様子を見て、ネットを挟んだ向こう側から刈田が話しかけてくる。試合が終わればもっと悔しいかと思っていたが、そんなことはなく自然と返事ができた。

「やっぱり強かった。お前とやれてよかったよ」
「こっちは小島の前に当たりたくなかったよ。疲れた」

 握手を交わすと頭上から拍手のシャワーが降りてきた。見上げれば試合を見ていた各中学の選手達が拍手をしている。刈田だけではなく、杉田へも。

(これは……)

 杉田は思わず口が開きそうになるのを抑えながら、拍手をしてくる人々を見回した。
 自分と刈田へ向けられる賛辞。今までの試合の中で最も力を出し、負けた。しかし、その先にはこうした暖かい拍手が待っていた。

「ほら。お前も、十分強い。今回は、俺の運が良かっただけだな」
「……そうか」
「最も、俺はずっと勝ちを譲る気はないけどな」

 刈田は笑って手を離し、杉田から離れていった。後姿を見ていると、自分の心臓が激しく高鳴っていることにようやく気づいた。同時に体の力が抜けそうになって両足を踏ん張る。そしてまた右膝に痛みが走った。

(痛てぇ。今まで精神が肉体を凌駕してたってか?)

 右足を引きずりながらコートの外に出て、ラケットをバッグに戻そうとすると、ガットが切れていることに気づいた。何から何まで終わった後に気づいてしまう。
 それだけ、目の前の勝利しか見えなかったのだ。それが手の中からこぼれた。

(また、勝てなかった)

 今までどこか夢うつつだったのか。
 急に押し寄せてきた現実に杉田はその場に崩れ落ちた。右膝の痛みはそこまで痛くはなく、我慢できないほどではない。しかし、敗北という現実がプラスされると今の杉田に耐え切れるものではなくなっていた。

「ちくしょう……」
「歩ける?」

 不意に聞こえてきた声に顔を上げると、藤田が立っていた。既に試合は負けて出番はない。ジャージ姿フロアに下りてくる理由などないはずだった。
 藤田は杉田の隣にしゃがみこんで杉田に肩を貸して立ち上がった。

「ちょっと。もう少し自分で立ちなさいよ。重いでしょ」
「いや、肩貸して欲しいとか言ってないし。いきなり立つなよ。痛いだろ」

 藤田は杉田を見ないまま歩き出した。杉田もその場に留まると痛みが走るため、バッグを肩に背負いなおして歩いていく。視線を前に移すと、運営本部の方向から後輩の女子がシャトルとスコアボードを持って走ってきていた。どうやら杉田が試合をしていたコートで行われる次の試合の審判をするためらしい。

「おい、あれ」
「庄司先生が杉田が足を痛めたからって、本部に審判する人交代するように言ってくれたのよ。で、今、私くらいしか迎えにこれなかったから」

 ゆっくりとフロアの入り口まで歩く。関を切るように言葉を紡いだ後で一転して黙ったまま藤田は前に足を進める。杉田も歩くのに集中するために下を向き加減で歩く。そこで、藤田が自分の歩調にリズムを合わせてくれていることに気づいた。

(右足に力かかりそうな時にフォローしてくれてるのか。サンキュな)

 フロアを出て階段まで来たところで一度立ち止まる。
 更にタイミングを合わさなければ階段は登れない。杉田は一度息を吐いて、右足を踏み出そうとした。その時、藤田が小さく呟く。

「かっこよかった」

 かすかに、しかしはっきりと聞こえた言葉に横へ振り向くと、頬を赤くして少し顔を俯かせた藤田の顔があった。そこから急に移動して杉田も慌てて足を出す。右膝に痛みが走ったが、それに痛がる余裕もない。 
 痛がる前に足が前に進んでいく。結局、一気に飛び上がるように二階へと登った。フロアに足を踏み出したところで杉田は体勢を崩して倒れてしまった。咄嗟に体を回転させて背中から床に落ちる。

「いて!」

 倒れたことで藤田を下から見上げる体勢になる。藤田も階段を急いで登ったからか、少し息を切らせていた。顔にかかる髪をはらって、杉田に手を伸ばす。

「ほら。早く立って」
「さっき、かっこよかったとか言ってくれた?」

 そう言うと藤田の動きが止まり、杉田をじっと見つめてきた。手を差し出したままで。杉田はすぐにその手を握り、立ち上がる。右ひざをかばいながら、藤田を促して進む。

「そういうこと言ってくれると勘違いするぞ?」
「別に。勘違いするならすればいいんじゃない?」

 疑問系に対して同じように返し、わざと答えをはぐらかす。これ以上追求するのも可哀想だと杉田は思い、口をつぐんだ。

(なんか、素直に嬉しいよな)

 女子とはある程度距離を置いてきたつもりだった。だから後輩も同年代も自分にはさほど興味はないだろうと考えていた。大体は、吉田や武達が試合ではメインなのだから。それでも藤田とは似たような立ち位置だからなのか良く話していた。そんな相手だからか、杉田は藤田の言葉により嬉しさを感じた。

「ありがとう」
「……どういたしまして」

 相変わらず杉田の方向を見ない藤田と一緒に客席への扉を開いて中に入る。
 入る頃には右膝の痛みも少し引いた。どうやら心配することはないようだと杉田は胸をなでおろす。そのまま藤田に肩を貸されながら中に入り、ふと階下に目をやる。
 そこではもう大体のベスト4の戦いは終わっている。一年は全て終わり、二年も女子ダブルスが途中まで進み、残りは男子の二組。
 即ち、武と林組、吉田と橋本組が明光中の二組に挑む試合。

「あいつらの試合以外だと、特に波乱もないかな」
「波乱ならあったよ。瀬名さんがラブゲームで負けてた」

 藤田の言葉に杉田は思わず、足を止めていた。前につんのめる形で藤田も立ち止まる。
 杉田の関心が今の言葉だと分かって、更に続けた。

「早さんは勝ったけど、瀬名さんが準決勝で負けてたよ。清華中の姫川さんって子に」
「姫川……? 今まで出てきた?」
「ううん。今日、初めて知った」

 藤田は杉田を促して、客席に座る。そこから自分のプログラムを開いて女子シングルスのトーナメント表を見せてきた。そこには一回戦から得点と、勝ち上がった選手の名前を太線で進ませていくという記録が記されている。自分の試合もおそらく他の部員に書いてもらったのだろう。

「姫川って子。ノーシードから上がってきたんだけど。見てみて」

 姫川の名前を最初から追っていき、杉田はあることに気づく。そしてそれは、準決勝の瀬名でも同様だった。

「全部、ラブゲームって。凄いな」

 そこには2対0で勝ち上がる姫川の姿が浮かび上がる。更に、スコアは11対0。圧倒的な力で勝ちあがっていったのだ。今まで早坂のライバルであり、全道にも出場している瀬名でさえ、ラブゲームを崩せなかった。

「これなら試合も早かったんじゃないか? よくタイムスケジュール狂ってないな」
「それが、試合時間自体は大体皆と同じなのよ。私も自分の出番とかあったり、ラインズマンやったりであまり見れなかったけど、多分、自分からあまり攻撃しないんじゃないかな」
「拾うタイプってやつか……それでラブゲームって相手のミスを誘うんかな」

 想像してもこれ以上先は無い。今、自分が出来るのは応援だけだろう。
 そう考えていると、試合のコールがされた。

『試合のコールをします。浅葉中、相沢・林組。明光中、安西・岩代組。第四番コートにお入りください』

 既に下にいたのか、ここには顧問の庄司と一年が何人かいるだけ。他は下で試合をする武達や吉田達の試合のラインズマンをしにいったのだろう。
 自分の出番が終わり、後は残る仲間に託す。

「ねえ。相沢達、勝つと思う?」
「わかんないな。ただ、簡単に負けるとは思わない」

 吉田がいなくても武のダブルスが成長していることは練習の間でも分かった。林の力を引き出すような試合運びも出来るようになっている。全道から帰ってきて、今日、安西達や刈田、小島を見たが、おそらく一番成長していると感じたのは武だ。全道に行った中では、当初の実力は下のほうだったからなのか、成長速度が尋常じゃない。

(あいつなら、何か起こす気がする)

 杉田の中に期待が沸き起こる。
 武達の正念場が今、始まろうとしていた。
モドル | ススム | モクジ
Copyright (c) 2012 sekiya akatsuki All rights reserved.