Fly Up! 189

モドル | ススム | モクジ
(ここまでは……予定通りか)

 杉田はタオルに顔を埋めつつこれまでの展開を振り返る。第二ゲームに敗北するのは予想通り。ここまでの大差で負けるのは織り込んではいなかった。しかし、一応自分の中の展開に重ねる手段は残している。

(後は俺がどこまで耐えられるか、だな)

 刈田のスマッシュは見えてきている。最初はあれだけ返せなかったスマッシュも、よほど良いコースに行ったり、構えきれていない場合以外は返せる。そうすれば、残りは作戦を実行する力があるか。
 自分にはある、と信じる。
 経験値で全く劣っている自分だからこそ、今は自分の力を信じるという選択肢を選ぶしかない。

(この道があってるか間違ってるかなんて分かるか。間違ってたら負けるだけだ)

 鋭く息を吐いて勢いよくタオルを顔から話す。バッグの上に置いてコートに入る。刈田は既に戦闘体勢を整えているようだった。その姿は、追い求めてきたもの。背中から前に。武よりも吉田よりも。小島でもない。ただ、目の前に立つ大きな男に勝ちたい。

(そうだ。俺はこいつに勝つ。今はそれだけだ。他に何もいらない!)

 杉田は腰を落としてラケットを上げめに構えると、息を一瞬だけ吸い込んで咆哮する。

「ストップ!」
「一本!」

 刈田もまた杉田に呼応するかのように叫び、サーブでシャトルを高く打ち上げた。
 それはファイナルゲームの幕開けに相応しい爆発音と、高さ。杉田は即座に真下に入り、スマッシュを右隅に叩き込む。刈田は一歩だけ左に足を踏み出して弾き返すが、それを読んでか杉田はすぐに前に飛ぶように移動する。ドライブ気味に返されたシャトルに向けてスマッシュを更に叩きつける。今度は体の真正面に打ったことで刈田の反応も一瞬だけ遅れた。
 シャトルは返されたが刈田は体勢を崩して膝をついてしまう。その間に杉田はヘアピンで前に落としていた。

「サービスオーバー。ラブオール(0対0)」

 杉田は刈田側に落ちていたシャトルをラケットで引き寄せて左手に収める。羽根を整えて刈田が構えるのを待っている間に一つ一つ過去の展開を振り返る。

(スマッシュの速度。ドロップのタイミング。クリアの高さ。全部思い起こせ。後は、取れるとイメージすることだ)

 羽根を新品に見えるまで綺麗にしてからサーブ姿勢を取った。ラケットを軽く握り、タイミングを計る。
 自分の一挙一足を意識して、杉田はラケットを振り上げた。

「一本!」

 声と同時に高く上がるシャトル。それは一つ前の刈田のそれとほぼ同じ軌道を進んでいた。
 刈田が移動し、鋭い腕の振りからストレートドロップを落としてくる。インパクトの瞬間までスマッシュのスイング速度だった分、杉田は虚を突かれて足を出すのが遅れた。しかし、体を精一杯伸ばしてラケットを落ち行くシャトルへと届かせる。
 ラケット面に跳ねたシャトルはネットすれすれに越えていき、刈田のコートへ落ちようとする。しかし、刈田もまた前に詰めていて杉田の体勢を確認してからロブを後ろに上げていた。杉田は体を起こしてからフットワークを駆使して飛ぶようにシャトルを追う。追いついたところで視線を刈田に向けると、既に中央に位置していて隙を見せていない。

(なら、まずは立て直す!)

 思い切りラケットを振って狙うのは、右サイド。高く上がったシャトルを追う様に杉田はコート中央へと戻って腰を落とした。この後に来るとすればスマッシュ、ドロップ、ハイクリアの三択。これまでの杉田の攻めならばスマッシュとあたりをつけて腰を思い切り落とす。そこに一瞬だけ視線を向けられたことに杉田は気づいた。

(くる!)

 瞬時に刈田の思考を読み取り、杉田は半歩だけ前に出た。爆音と共に繰り出されるスマッシュはストレートに杉田の右側をえぐる。だが、シャトルはこれまでよりも速いタイミングで返っていた。刈田が容易に取れないようにクロスヘアピン。最も遠い位置にいくように。
 刈田はその巨体を速度に乗せて突撃してきた。止まることを考慮しているのか分からないほどの突進力。シャトルにラケットを伸ばすも、半歩遅く、シャトルはコートについていた。遅れて刈田が踏み込んで体を止めたことからくる轟音がフロア全体を振るわせたような気がした。

「ポイント。ワンラブ(1対0)」
(冷や汗かかせるなよ……)

 今の球を取られると自分が追いつけないと杉田は脳内にビジョンを持っていた。
 このパターンなら自分が勝つ。このパターンなら負ける。
 過去の試合現在の二ゲーム。自分との対戦じゃない他のゲームも自分の記憶にある限り再生する。
 刈田自身と、その先に見える何かを視界に収める。勝つために、越えるために杉田は二度目のサーブを打つ。
 ラケットの振りはそのままにショートサーブ。刈田は半歩後ろに下がった状態から前に詰めてロブを打ち上げる。そこに合わせて杉田は前に飛んだ。

「はっ!」

 跳ね上げられたシャトル。それがネットを越えて杉田の領空に入った瞬間に、ラケットがシャトルをインターセプトしていた。刈田はレシーブの状態から動けずに硬直している。審判も何が起こったのかわからず呆然としていたが、杉田からの視線でやることを取り戻した。

「ポイント。ツーラブ(2対0)」
「しっ!」

 いい展開で来ている。シャトルを手に取って次のサーブへと踏み出して、刈田のほうを向く。
 刈田から来る気迫に慣れている自分に気づいて、杉田は少しだけ微笑んだ。それがまた気に障ったのか、刈田の顔に怒りがまとわりつく。刈田は武と似た、気合をシャトルに乗せて威力を増していくタイプだ。これ以上怒りを溜め込まれると、どんなスマッシュが来るか分からない。
 さすがに怒りすぎて力が入りすぎるということを刈田はしないだろう。どこかで立て直してくるはずだ。

(俺は一点ずつ、取っていくだけ!)

 ロングサーブを打ち上げてコート中央で待ち構える。サイドのシングルスラインぎりぎりを狙ったサーブに追いついて、刈田はその巨体を中空に躍らせた。

「うらぁあ!」

 爆音と呼んでも差し支えない破裂音と共に打ち込まれたシャトルは、杉田の胸部を直撃し、衝撃に後ろへと倒れこんだ。

「さ、サービスオーバー。ラブツー(0対2)」

 審判も驚く中で杉田は胸部を押さえながら立ち上がる。速度も威力もあるが、実際は少し痛む程度。だが、杉田自身も驚いたのは、その威力に押されて後ろに倒れてしまったことだ。
 音や急に飛び込んできたシャトルに驚いたことは確かだが、体勢を崩して倒れるほどのものかと。
 しかし実際に倒れたことは間違いない。刈田のスマッシュの威力は更に増している。

(怒り、か)

 これが最後まで続くのか分からないが、ここで流されては負けは確実になる。

「ストップだ!」

 咆哮と共に打ちあがるシャトルを、杉田は全力でスマッシュをバックサイドへと打ち込んでいた。


 ◆ ◇ ◆


「ポイント。シックスファイブ(6対5)。チェンジエンド」

 刈田が先に規定のポイントに達して、エンドが代わった。刈田のスマッシュの雨に晒されながらも、杉田は何とかシャトルを捉えて一方的な展開になるのを防いでいた。大崩れしないのは、前よりもシャトルを取っているからに他ならない。

(俺のスマッシュが、取られている。慣れてきたってことなんだろうが……)

 刈田はシャトルを手で軽くもてあそびながら杉田の姿を捉えていた。
 肩で息をしているのはスマッシュを取るために集中力をかなり使っているからかもしれない。もう少し力で押せば倒せそうだ。
 だが自分の中の感覚はこれだけじゃすまないだろうと告げている。今、目の前にいるのは全道大会に出る実力者。けして格下ではない。

(そうだ。こいつはもう俺と同等と認めるしかない。少しでも侮っていたら負ける)

 刈田は息をゆっくりと吸い、吐いた。自分の中の「弱い杉田」のイメージを追い出し、目の前にいる現実の杉田をインプットする。
 ロングサーブで高くシャトルを打ち上げる。杉田に対してスマッシュを打たせる余裕を持たせるが、相手の速度は分かっている。小島や、全道で体験した選手達のものに比べれば一段遅い。そこが杉田を強敵と思っても、負けるとは思わない要因だった。確かにシングルスプレイヤーとしては一つ高い次元にさしかかろうとしているが、まだ足りない。それでも、この試合中に到達するかもしれないという予感はある。

(油断しないで、ここで終わらせる!)

 杉田の構えが大きくなる。渾身の力を込めてスマッシュをする気だろう。ストレートでもクロスでも反応する。バックハンド気味に構えてシャトルを待ち構えた。

「はっ!」

 鋭い気合の声と共に放たれるストレートスマッシュ。シャトルを捉えようと腰を落とした体勢からバックハンドで返そうとした時、それは起きた。

(なに!?)

 シャトルが一瞬だけ視界内でぶれた。
 それはほんの一瞬だったが刈田のラケットを鈍らせるのには十分な間。ラケットを改めて振った時にはシャトルを捉え損ねて真上に打ち上げていた。
 シャトルが落ちる前に手で取り、刈田はじっとシャトルを見つめる。

「サービスオーバー。ファイブシックス(5対6)」

 審判の声に少し遅れてシャトルを杉田へと打って渡す。今、目の前で起こったことを確認する。

(確かに今、シャトルが見えづらくなった。俺は完全にシャトルが見えていたはずだ。なのに見えなかった)

 思考がまとまる前に杉田が「一本!」と叫び、刈田へと構えることを要求してくる。試合を長く停滞させるわけにも行かず、逆らわずに構える。だが、今の謎が解けなければ後が危うい。

(目の錯覚か? とにかく、まだ何も判断できない)

 杉田が高くロングサーブを放ち、刈田はそれを追う。まずはまたシャトルを取り返す。それからまた考える。
 思考をシンプルにしてスマッシュをストレートに叩き込むが、杉田は読んでいたのかラケットを伸ばしてシャトルの威力を完全に殺して前に落としていく。そのパターンは既に分かっていた刈田も前に突進し、杉田のいる逆方向へとクロスヘアピンを放った。ネットすれすれに移動するシャトルにラケットを合わせた杉田は無理せずにロブを上げて後ろに上げる。刈田は流れるように動いて追いつき、今度はストレートドライブで杉田の横を抜こうとする。
 そのシャトルに対して杉田はバックハンドで構えると前に押し出すようにシャトルへカウンターを合わせた。

(それも読んでるぜ!)

 再び前に突進し、シャトルを視界に捉えた刈田だったが、再びシャトルが消えたように見えた。

(なんだと!?)

 ラケットを慌てて出すが、シャトルを捉えきれずにネットへ引っ掛けてしまった。
 シャトルがゆっくりとコートに落ち、審判は得点を告げる。

「ポイント。シックスオール(6対6)」

 呆然としていると杉田がシャトルを引き寄せて拾っていた。
 ネットを挟んで向かい合う二人の間に重い空気が広がる。そこで刈田は二度の違和感の正体を掴んでいた。

「なるほどな。ここまで作戦だったか」
「もう気づいたのか」

 杉田は素直に驚いて、肩をすくめる。そのまま自分のサーブ位置へと戻っていった。
 刈田もまた自分のレシーブ位置に戻り、今のことを確認する。

(間違いない。あいつ、この位置だと反対側の壁の縦線が邪魔になって見づらいことを利用してるんだ。そのために、最初のコートをこっちで取った)

 刈田の視線は杉田よりも更に向こう。自分達がいるコートの反対側の壁に向かっていた。そこには茶色で縦の溝が入っている壁がある。シャトルをより真正面から捉えようと体勢を低くすると、どういうわけか壁に邪魔されてシャトルが見えづらくなるのだ。杉田はそのことに気づいていたのだろう。だから最初にこちらのコートを取り、ファイナルになって刈田がこの位置に来るようにした。

(それだけじゃない。第二ゲームを俺が大差で勝ったのも、半分くらいは俺のスマッシュに対抗できない理由だとして、あとの半分は出来るだけ俺にこっちに慣れさせたくなかったんだ)

 今、自分がいるコートで試合をすればするほど慣れていくだろう。おそらく試合の終わり頃には慣れて、難なく取れるに違いない。だからこそ、第二ゲームは出来るだけラリーを続けたくなかったのが杉田の本音だったはずだ。ならば、ラブゲームで取れたのもラリーを続けず、返球を自分が打つ機会を減らしたかった結果。

(一番驚くのは、こっちで第一ゲームを取ったのは杉田だってことだよな)

 自分の学校の体育館がこうなのか、他に理由があるのか。
 杉田は自分よりも早くこの環境に慣れて、そしてぎりぎり第一ゲームをもぎ取った。

「たいした奴だな」

 呟くと体の内から何かが出て行って気分が軽くなった。今まで、心のどこかで杉田には勝たなければいけない。勝つのが当たり前の相手だと思っていたのかもしれない。その呪縛から解き放たれた――つまり、負ける可能性も十分ある相手なのだと、改めて理解できた。

「一本!」
「ストップ!」

 杉田の声に重ねてストップをかける刈田。自分の今の全力をかけても、負ける可能性があるのなら仕方がない。
 勝利は自分が出し切った先にある。余分なプレッシャーを感じる必要はない。
 打ち上げられたシャトルに対して、軽やかにステップを踏んで追いつき、ラケットを振りかぶる。

「おらぁあああ!」

 体をしなやかな竹のようにたわませて、シャトルへとぶつける。
 結果、シャトルは音がした瞬間にはもう相手コートに着弾したと錯覚するほど速い。
 過去の自分と照らし合わせても最高速と言っても良いだろう。
 余計な力が完全に抜けて力の移動がスムーズにいったことが要因か。

「サービスオーバー。シックスオール(6対6)」
「杉田! あと五点、全力でこい!」

 杉田がシャトルを拾って自分に返してきたところで叫ぶ。言わずにはいられなかった、自分の中の思い。
 ぎりぎりの戦いをしたいという欲求を。

「その余裕後悔させてやるよ」
「余裕なんてねぇよ!」

 シャトルを受け取り、サーブ位置につく。自然と顔には笑みが浮かんでいた。
 杉田もまた、同じように笑っている。お互いに全力を出せることが嬉しくてたまらない。

「一本!」
「ストップ!」

 そして、二人の試合は決着に向かう。
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