Fly Up! 18

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 由奈達が見ている前で、武はスマッシュを連発して早坂のコートにシャトルを次々と沈めていく。その度に早坂が返って来ないサーブ権にいらついた様子も特になく、淡々とポイントを紡いでいく。

(早さんも冷静だな)

 由奈は頭の片隅に今までの彼女を映し出す。
 早坂のプレイスタイルはカウンターを狙うものだ。相手の攻撃を的確にレシーブしていくうちに、相手が上げてしまうチャンス球をスマッシュで押し込む。女性の強いプレイヤーの中でも早坂はパワーがあるほうではない。
 しかし、彼女はそれでも勝ってきた。対戦相手は何人も倒された。
 彼女の防御を崩せなかった結果。

(もしかして――)
「早坂、試してるのかもなー」

 隣で橋本が気軽な口調で呟いた。由奈が思っていることを全くそのままに。その意味が気になったのか若葉や林が橋本へと話しかける。

「どういうこと?」
「はっしー、思わせぶり」

 若葉の唐突なあだ名に笑ってから、橋本は続ける。

「相沢は早坂の防御を突き崩せるか。早坂は相沢の攻撃を受けきれるか。それを試してるんじゃってことさ。女子の攻撃と男子のそれってやっぱ威力違うから。相沢にしても早坂の防御力って男子でも上のほうだろうし、突き崩せないかって考えてるんだと思うな」

 橋本は眼鏡の端を軽く持って動かす。そうすることで戦況を更に見るように。由奈達も橋本から二人の試合に視線を戻すと、ちょうど武が前に飛びこんでシャトルをたたきつけていた。

「――しっ!」
「ポイント……ナインラブ(9対0)」
「九点!?」

 早坂が言った点数に驚いて由奈は口を慌てて塞ぐ。一瞬、二人の視線が集中するもすぐに試合は再開される。
 早坂がタイムをかけてすぐ中断をしたが。
 靴紐を直している早坂。おそらく流れを止めるためだろうと由奈も分かる。橋本の言う通りの意図があったのか分からないが、このスコアを予想していたのだろうか?

(早さん……)

 思い出すのは刈田と武が試合をしていた時に見せた顔だった。寂しげな顔。嫉妬が見え隠れする表情。
 武の成長へのものだった。

 ◇ ◆ ◇

「ポイント。ナインラブ(9対0)」

(――いける)

 武は早坂の姿を見ながら自らを落ち着かせていた。スマッシュの連打は予想以上に体力を削っていたらしく、動きを止めると心臓がたちまち激しく鼓動し始める。
 今まで忘れていたようにされる血液供給によって上下する胸を感じながら、武は思案をめぐらせた。

(早坂……まさかこれも狙ってるわけじゃないよな)

 流れを切る為に靴紐を結んだのだろうが、第二ゲームの攻勢によって生じた疲労を一気に噴出させようという意図もあったのだろうか。
 だが、すぐに頭を振ってそんな考えを飛ばす。たとえそれが事実だとしても防ぐ手立てはなく、また中学生でそこまで知略をめぐらせられるとは彼には思えなかった。

(そうならもう大学生とかじゃないか?)

 余計なことを考えればそれだけ酸素を使う。今は体力を少しでも回復させるのが先決と、武は目を閉じた。心臓の音が耳に届く。息が徐々に収まり、鼓動もゆっくりになっていく。

「いいわよ」

 早坂の声と同時に目を開ける。手に持っていたシャトルを少しだけ握り、サーブ体勢を取るともうほぼ常態に戻っていた。

「一本!」

 サーブを高く遠くに飛ばして身構える。早坂がどう試合を組み立ててくるかは心配だったが、今は残り二点を力でもぎ取ることを考えるだけ。

(押し通す!)

 返ってくるのはストレートのハイクリア。相手の策を考えるよりも先に、腕が振れていた。渾身の一撃を叩き込むのみ。
 ストレートスマッシュで端を狙う。そこに横へ飛んで取ろうとラケットを伸ばしてくる早坂。しかし伸びきっている腕で振っても武のスマッシュの重さに上手く返すことは出来ないはずだった。
 しかし、早坂の動きが急に変わる。横に移動しながら腰をひねり、そのまま振り切る。
 横っ飛びの力とそこからの腰のひねりを加えてのスイングは、男子に負けないパワーを生み出していた。
 結果、シャトルは武の予想を越えてコート奥へと飛んでいった。今までのように前へと返って来ると思って走りこんでいた武は、慌てて後ろに飛ぶように向かう。

「うおお!」

 その叫びに身体を引っ張ってもらうかのように、武はシャトルを追う。だが、すでにシャトルは弾道を下げていて、もう真上から振り下ろすオーバーヘッドストロークでは無理だった。あとは横に回りこんで下から打つしかない。

「――っら!」

 何とかシャトルの落下点の横に入り、振り切る。力は乗っていたが体勢が微妙だったからか、ネット前までしか飛ばない。
 そこに、早坂が飛び込んでプッシュを放った。シャトルは武がいる場所とは反対方向へと向かって鋭く飛んでいく。

「まだだ!」

 それは完全な勘だった。シャトルがネット前にしか飛ばないことは予想していた。そして、早坂が前に詰めてプッシュをすることも。
 それでもどこに打って来るかは運に任せるしかない状況であり、武がコートの空いている方向へと走るのに気づいて、打つ場所を変えられる可能性も十分だった。
 だからこそ、飛び込んだ場所にシャトルがちょうどきたことと、軌道を見ずに振ったラケットがシャトルを捕らえたことは完全なる偶然。
 跳ね返されたそれがネットにぶつかり、そのまま早坂のコートへと沈んだことも、偶然。
 静かに、コンッと音を立てて落ちたシャトルに時が止まった。

「……ポイント、テンラブ(10対0)」

 静寂の中でも、早坂も半ば呆然としながら呟いていた。

「すいません」

 ネットに当たってそのまま入る、というのは正攻法のプレイに対して少しだけ劣る。よって謝罪の言葉を口にするのは常だった。それに従い武は早坂へと謝ると早坂は苦笑して武へと笑みを向けた。

(笑みを、向けた?)

 半ば勘だけで打ったシャトルがネットを越えたことも驚いたが、武にとってはその笑みが一番の衝撃だった。苦笑いとはいえ、武自身に向けられた笑みというのは初めてだったから。あまりのことに動きを止めていると早坂は今度は顔をしかめて「早く打ちなさい」ときつい口調で注意する。
 武は慌ててサーブラインまで下がり、構えた。

(作戦……なわけないか)

 笑って油断させておいた後に怒ってペースを乱す。そんな作戦を深読みしすぎる自分に苦笑して、武は顔を引き締めた。
 あと一点で、ワンゲームを取る。それは武にとって特別な意味を持つ。

(ちゃんとした試合で、ワンゲームを初めて取る。あの早坂から……)

 中学に入ってからは練習での変則的なワンゲームに刈田の途中棄権など、ちゃんとした試合を武はしたことがなかった。体力が付いて試合を展開できるようになってから、武は今までちゃんと勝っていない。
 この一点を取ることで、武はまた一つ進むことができるはずだと感じていた。

(この、一点で……)

 そこから、手が急に震えてきた。視界もぶれてしまいどう打っていいか分からなくなる。今まで体験したことが無い感覚に、武はサーブの体勢を解いた。

「どうしたの?」

 早坂も構えを解いて尋ねてくる。武はシャトルをラケットと共に持って空いている左手で顔をぬぐって言った。

「すまん。ちょいタイム」

 コートの外にあるタオルへと歩いていく武。息を吐きながら気を落ち着かせていく。そのかいがあって、顔を拭く頃には視界も回復してきた。
 そこで見えたのが、由奈達だった。

(由奈……橋本……)

 観客席で試合を見ていたのは由奈と橋本。一緒にいるはずの若葉と林を探すと、二人でコートを陣取って基礎打ちの練習をしている。
 由奈も橋本も少し離れているにも関わらず、その瞳にある期待の色は見て取れた。彼女達もまた早坂にワンゲーム……一点も奪えずに負けるしかないことが多かった。友人である由奈や、あまり勝敗にこだわっていない橋本も、心の奥では悔しさがあったのだろうか。
 そしてその思いが、武がワンゲーム取ろうとしているときに噴出しているのか。

(……はぁ)

 タオルで顔を拭いてコート内に戻る。由奈達の視線が自分へと注がれていることが不思議と分かる。今、二人の顔を見たからというわけではなく。

(気分、落ち着いてる)

 先ほどの震えはもう武には無かった。見えるのは早坂の姿のみ。流れていく汗を感じつつも、疲れが落ち着いていく。

「ラスト一本!」

 声高らかに武は吼え、サーブを放った。このワンゲームを取るための大事なサーブ。声と同じように高く深く飛んでいくシャトルに早坂が追いつく。
 武は一つ、考えた。
 もし自分が逆の立場なら、どういうショットを打ってくるか。

(――前だ!)

 答えは一つ。それに従い前に進み出る。コートの中心にいたため、前に詰めるのも中央。どちらにドロップが来てもいいように。そのかいがあり、クロスに放たれたドロップにいち早く反応する。いつも鋭く前ぎりぎりに落ちてくるシャトルに向けてラケットを伸ばす――

「えっ!?」

 そのずれ、に気づいて武はシャトルを高く上げようとしていたラケット軌道を強引に押し留める。肘を曲げて窮屈な体勢になりながらも、何とかラケット面をシャトルに当ててヘアピンに切り替える。
 視界に過ぎる、早坂の姿。

(――!)

 十分なスピードに乗って飛び込んできた早坂はそこから流れを止めずにクロスヘアピンを放った。武の視界を横切っていくシャトル。だが諦めずに右手を目一杯、過ぎていくそれへと伸ばす。

「とどけぇ!」

 伸びきった腕。バランスを崩す身体。
 武は腹からコートへと叩きつけられていた。
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