Fly Up! 19

モドル | ススム | モクジ

「がっ!」

 コートに叩き付けられた衝撃は、武にとってけして軽くは無かった。衝撃による肉体外部の痛みと息が詰まったことでの内部からの痛み。その場に伏せてしまいたかったが、武にはそれよりも意識を向ける対象があった。
 シャトルの、行方。

(シャトルは――)

 コートに倒れた時の音と衝撃で、自分のラケットがシャトルをとらえたか分からなかった。痛みを堪えて立ち上がり、自分のコートを探す。
 見つける前に、ネットの上から早坂がシャトルを渡してきた。スコアを告げると共に。

「ポイント。イレブンラブ(11対0)。チェンジコート」

 治まって来た痛み。代わりに生まれたのは、奇妙な気持ちだった。
 イレブンラブ。十一対ゼロ。それも、自分がやられたことはあったが、自分がやったのは初めて。
 シャトルを受け取り、コートの外へと歩く。武は最初、痛みによって嬉しさが阻害されているのかと思っていた。
 しかし、消えたあとも特に達成感は無い。

(……なんだろ。もう少し嬉しいと思ったけど)

 汗を拭いて、またコートに入る。さっきまで早坂がいた場所。
 自分が第一セットで奮戦した場所。
 再びその場所に立った時、急に違和感が晴れて行く。

(そう、か……まだ)

 サーブラインへと立ち、早坂の準備が整うのを待つ。その間に右足で床を軽くこする。キュッキュ、と鳴る靴底と擦れ合う音を聞いているうちに早坂は汗に濡れた腕をタオルで吹いて、息をつきながら構えた。
 彼女から伝わってくる気合に武は思考が先鋭化していくのを感じていた。

(このゲームを取ってこそ、本当に勝ったと言えるんだ)

 今まではワンゲームを取るだけで満足していた。刈田との試合も、途中で終わったとはいえ、最初のゲームを取れると思って満たされていた。
 しかし――
 サーブの体勢を作り、その間に身体の状態を確認する。コートに叩き付けられた割には痛みは無い。
 問題は体力だった。第二ゲームでのスマッシュ攻勢によってどれだけ削られているか。
 一方の早坂もどれだけ自分のスマッシュに体力を消費しているか。
 ここからは、本当に頭脳を使っていくことになるだろう。

「一本!」

 早坂を超える武の思いを乗せて、ラケットが半円軌道を描いた。




(…………)

 武は十回目を越したところでハイクリアの数をかぞえるのを止めた。
 第三ゲームが始まり、早坂が体力の消費を狙ってくるだろうと考えた武は前と後ろに振られるのかと覚悟した。
 しかし、実際はハイクリアを多用されて後ろを左右に動かされているだけ。
 それでも疲れがあまりないのは、早坂もまた武が動かしているからだ。ハイクリアの純粋な威力ならば男子である武のほうが上であり、飛ぶ距離も違う。
 徐々に武の身体はコートの中央へと進み、最後にスマッシュで早坂のコートへとシャトルが落ちる。その繰返しで、4対0まですすんでいた。

(このままいくわけじゃ……ないよな)

 武は勝っているにも関わらず、どこか不安だった。もう少しハイスピードな展開になると予想していたこともあり、今の状態が納得できない。

(何か、考えがあるのか?)

 小学校時代の早坂が甦る。強い相手との一戦でも攻撃を受け流し、いつの間にか自分のペースを作っていたことがあった。第二ゲームもおそらくは思惑通り、ゲームを取らせる代わりに武に体力を消費させて、第三ゲームを有利に進める布石を打ったはず。
 そう考えるからこそ、こうして穏やかに進んでいく流れに武は気持ち悪さを覚えた。

(何を狙ってる? それとも――)

 迷いはラケットの振りに現れた。打ち上げたシャトルはいつもよりも高く、そして浅く上がる。

「あ――」

 武の口から失敗を悔やむ声が洩れるのと、スマッシュが身体に叩き付けられたのは同時。肉体的な痛みが広がっていく。

「サービス、オーバー。……ラブフォー(0対4)」

 シャトルを返しながら、武は自分に対して落ち着くように心の中で言い聞かせていた。点数では勝っているが、確実に何か負けている。そういう時はまず落ち着くことだと顧問に教えられてきたことを実践した。

 ◆ ◇ ◆

(何とか、腕の痛みもおさまって来たわね……)

 早坂はシャトルを持ってサーブ姿勢のまま、安堵のため息をついた。自らのポーカーフェイスには自信があり、武に自分の腕の状態を知られないことはほぼ確信している。
 武のスマッシュを打ち返すために普段打たないような打ち方をした結果、第二ゲームの途中から腕や腰が痛み出していた。
 武にスマッシュを打たせて体力を消費させること。
 結果として一点も取れなかったが、ある程度武の体力を削りとることには成功していたが、腕の痛みによって早坂は元から描いていた作戦をここで変更した。

(考えないと……押し切られる)

 成長したと思っていたが、相対してみると武が予想以上の実力を身につけたと早坂は感じていた。単純に体力が付いただけではない。元から綺麗だったフォームが終盤になっても崩れない。
 体力によるものかと最初は思っていたが、それは身体の各所に筋肉がついたことによるものだった。

(筋トレも合わさってる。吉田の練習メニューの力、ね)

 思い浮かぶ顔。何度か小学生の時も顔は見かけていた、自分達の代で最も強い男子。
 彼の作ったメニューによって武の才能が開花し始めている。
 その胎動を、彼女は今現在感じ続けていた。

(でも、負けたくない……六年間を追い越させはしない!)

 シャトルを握る手に力が入る。そのままラケットを振りかぶりサーブを放った。腕のしなりを利用して遠くまで飛ばす、男子に負けない飛距離を生み出すために身につけたサーブ法。

(勝つのは、私!)

 高く上がったシャトルを武は躊躇なくスマッシュで打ち込んでくる。そのスマッシュを、早坂は無理して打ち返さずにラケット面に当てるだけにした。それだけでも威力の裏返しでポン、と鈍い音を立てつつネット前に飛んでいく。何度も打たせたことでタイミングは身体で感じていた。
 前に詰めてくる武。ラケットを水平に構えてヘアピンを狙おうとするように見えるが――

(でも、相沢はやらない。ネットプレイはやってこない!)

 早坂の予想通り、武はクリアを上げてきた。読み通りになっても油断せず、またハイクリアで奥へと飛ばす。それも体力消費を抑えるためだった。

(スマッシュは前になら返せる――)

 前傾姿勢で構えて武の次の手を待ったが、シャトルはネットにかかって落ちていった。武がカウントを呟くと同時に息を静かに吐く。
 試合の流れを早坂は感じ取っていた。ここから、自分の反撃だと。

「ポイント、ワンフォー(1対4)」

 武のカウントを聞いて早坂は改めて気合を入れる。ここで油断しては元も子もないことを彼女はその試合経験から分かっていた。
 自分にあって武に無い物。
 それは圧倒的な実戦経験だ。

(相沢……多分迷ってる。私がドロップを打ってこないから。勝負を仕掛けてこないから)

 武からすれば早坂はスマッシュを連打させて体力を削らせた、と見えるだろう。実際、彼女もそのつもりはあった。そのまま三ゲーム目の初めから攻勢をかけようとしていた。
 だが、予想以上にスマッシュを打ち返すことが辛く、腕にダメージが残ったことでそのプランを諦めていたのだ。

(それでも気づかせないようにしていたことで動揺してる……ショットに迷いが見える)

 試合経験の差。今の状況が二人にとってどう作用するのか。早坂は動揺を落ち着かせようとしている武に隙を与えないようにサーブを放った。

「一本!」

 少しだけ軌道を低くしてサーブを放つ。同じ円軌道からインパクトの位置を変えることで軌道を変える早坂二つ目の武器。武はシャトルを追っていって、いつもより早く落ち始めたそれに慌ててハイクリアをストレートに打った。

(狙い……通り!)

 打つ瞬間に武の位置を確認する。無理な体勢でハイクリアを打ったため、中央に戻りきれていなかった。その隙を逃さずにクロスドロップを対角線に落とす。
 そのままコートにシャトルは落ちていった。
 すぐ傍に、武のラケットを届かせて。

「ポイント。ツーフォー(2対4)」
(……あそこから、追いついた?)

 正確には追いついていない。しかし、一歩……半歩踏み込めばラケットは届き、ヘアピンを返せていたはずだった。そして自分がドロップを打った位置からさほど中央に戻っていなかったことにも気づく。

(油断してた? 油断しないように……してたのに!)

 シャトルを拾って返してくる武。その顔に浮かぶ笑みを見て、早坂は顔を引きつらせる。自らの失態に気づいたからだった。

(相沢……私が体力回復していたことに、気づいた)

 一瞬で武の動揺を消し去ってしまったのは自分の行動だということに、早坂はポーカーフェイスを維持できなくなっていた。

(相沢は良く見てる。予想以上に動揺から早く戻ってた)

 シャトルの乱れた羽根を伸ばして直しながら早坂は気持ちを落ち着かせようとする。しかし身体の奥からくる震えは止まらず、息が荒くなり汗が急に噴出してきた。

(そして、あのフットワーク……体力が落ちてるのは確かなのに、後半に更に伸びてきた)

 全て、吉田のトレーニングによるもの。無論、その基礎には小学校の六年間があることは早坂が最もよく知っていた。同じ町内会のサークルで六年間見てきたのだから。

(相沢は気づき始めてる。体力が付いただけじゃないって……気づかれたなら、試合経験の差なんてあっという間にひっくり返される)

 羽根を直し終えて、早坂はサーブ体勢を作った。それにあわせて武も半身の姿勢で待ち構える。それはもうある種の余裕を感じさせ、更に身体が大きく見えた。

(実力なら、もう相沢のほうが、上なんだ)

 早坂にとって最も考えたくなかった現実。しかし、認めざるを得ない。圧倒的に後ろにいた男が、たった数ヶ月でその距離を縮め、一気に自分を抜かしたことにようやく気づいた。
 崩れていく、六年間。

(嫌よ……こんな簡単に負けるなんて! 負けて、たまるか!)
「一本!」

 内心の不安をかき消すように叫び、サーブを放つ。今度は先ほどよりも更に軌道を低く、速いシャトルが武の眼前を通り過ぎるように飛んでいく。咄嗟に武はラケットを突き出してドライブでインターセプト。
 ストレートに返された軌道に、早坂が入り込んでいた。

「――っああ!」

 早坂は身体を低くしてドライブの弾道を、オーバーヘッドストロークで返した。強引な体勢にも関わらず速度の乗ったカウンターとなったでシャトルの速さは武が反応出来るものではない。そのまま、動けない武の顔の横を抉っていった。
 タンっ! と軽い衝突音。コート奥ぎりぎりに落ちたシャトルを唖然として見る武に代わり、早坂は叫ぶように言った。

「ポイント、スリーフォー(3対4)!」

 自らの声が思った以上に高く大きく出たことで早坂ははっと口元に手をやる。しかし時はすでに遅く、口を半開きにして見てくる武の顔が視界に入る。おそらく由奈達もそうだろうと思うと、徐々に顔が赤くなっていった。

「な、何よ」

 視線に耐え切れずに呟くと、武は笑って言葉を返してくる。

「いや。ナイスショット」

 そう呟いて武はシャトルを取りにいった。その背中を見ながら早坂は羞恥に逃げ出したくなりそうになる。どういう意味の笑みなのか分からずに悶々としつつ、早坂はサーブエリアへと戻ってシャトルが帰ってくるのを待った。
 鋭い視線を武へと向けながら。
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