Fly Up! 17
武は特に動揺もせず、コートの中心に立つ。必ず打たれると想定して、どこに打たれても大丈夫なように構えてから早坂の一手を待っていた。
(今までの早坂なら、ここでクロスドロップだ……)
武から見て最も遠い場所、右前方へのクロスドロップ。早坂の得意なショットであり、どんな苦しい体勢からも打てるそれは、試合中に何度も彼女のピンチをチャンスへと変えてきた。
その光景を何度も見ているからこそ、武はあえてコートのほぼ中央へとサーブを上げたのだ。
(でも、今回は距離が短い。打っても今の俺の体勢なら、前にすぐ詰めて押し込める……俺の位置を見てないお前じゃないだろ?)
ちらりと、早坂が武に視線を向けるのを見て自分の考えを確信する。実際に、早坂はハイクリアを武のコートの左奥へと返してきた。攻めれば間違いなく武がインターセプトするということを短い時間で考え、防御に回った。
利き腕ではないほうへのハイクリアは追いついてから攻撃的なショットを打つには不利ではある。
特に武はそちら側へ打たれると練習でも試合でも弱かった。早坂はそこを狙ったのだ。過去のデータにしたがって。
しかし――
「はっ!」
一気に追いついて、武はスマッシュを真っ直ぐに叩き込む。ガットを揺さぶる音に次いでタァンと渇いた音が鳴る。
最短距離で進んだシャトルはコートに打ち付けられて、早坂の足元へと転がっっていった。
「ポイント。ワンラブ(1対0)」
武が言うと、早坂は無言でシャトルを拾い上げて武へと渡す。放られたそれを取って、武はゆっくりとサーブの体勢をとった。
(俺も早坂も、小学生の頃のデータじゃもう通用しない)
早坂もこのワンプレイで武の実力を肌で感じたはずだった。ならば、これからは過去の武を倒すためではなく、目の前の相手を倒すために戦略を練ってくるだろう。
「一本!」
忘れていた、目の前の山。そこを超えるために武は吼えた。
気合を押し出したものの、サーブは慎重に放つ。高くあがったサーブは今度は右奥へと届くが、かすかにサイドアウトのように見えた。
(やば――)
当然、早坂は見送るだろうと武は予想した。そのために、動きが一瞬遅れる。しかし早坂は躊躇なくシャトルを打ち、武のコート奥深くへとスマッシュが突き進んだ。武は触れることが全くできず、シャトルは武が立てたものよりは小さいながらも、似たような音を武の耳へと運ぶ。
転がるシャトルを見て、武は自分がやったことを同じように返されたと知った。
(早坂。意外と性格悪いな……)
決められた悔しさよりも、早坂の内心を考えて苦笑する。無論、外にはできるだけ出さない。シャトルを拾い上げて得点をコールしながら優しく戻す。
「サービスオーバー。ラブワン(0対1)」
「一本!」
武が構えるのと同時にサーブが飛んでくる。シャトルはサービスエリアの中央を飛んできたために取ることは難しくない。その代わり、このままスマッシュを打てば取られてしまうだろう。
(なら!)
真っ直ぐにハイクリア。とりあえず様子見で打った一打を、早坂はクロスドロップで前に落とした。武は追いついてヘアピンでネット前に返そうとしたが、ラケットが届く前にシャトルはコートに着地していた。
(考えても、届かないって……凄いな)
フットワークは小学校の頃より格段に上がったと武も、周りも思っているだろう。しかし、早坂の伝家の宝刀は更に切れ味を増していた。
ワンオールから、早坂のサーブ。
武は躊躇なくスマッシュを放ち、前に迷うことなく詰めた。早坂の位置はコートの中央。狙うのは右端。自分のスマッシュ速度ならば力の入った返球はできないと予測した上での行動。
早坂はクロスでネット前へとシャトルを送った。
(予想通り!)
武は真っ直ぐ前に進んでいたところでステップを踏み、シャトルを追いかける。
ドロップほどネット上ぎりぎりではなかったことから、武はプッシュでシャトルを早坂がいない場所に叩き込んだ。
「サービスオーバー。ワンオール」
軽くステップを踏みながら後ろ向きでサーブエリアに戻る。早坂から返ってきたシャトルは少しだけ羽根が乱れていた。水鳥球のため、消耗は激しい。乱れた羽根を指で直しながら考える。
(とりあえず、スマッシュで押していくのがいいのかな)
今のプレイを見ていても、早坂は最も十分な体勢であるはずのサーブ後に、武のスマッシュを奥に返すことができなかった。女子だけにパワーでは武には適わないのだろう。
弱点を攻めるのがバドミントンだと習った通りにすれば、スマッシュで押していけば勝てる――はずだ。
あとは、武の体力が続くかどうか。
(多分、三ゲームは持たないな)
冷静に分析して戦術を決めから、武はサーブを放った。
基本である相手の最も遠い場所へのサーブ。今ならばコートの右奥。早坂の左側に食い込むように飛ばす。
早坂は素早く下にもぐってクロスドロップを武の左前に落としてきた。バックハンドで上げるもポイントがずれたために、あまりあがらない。それでも諦めずに中央に戻ると、早坂はハイクリアで左奥へとシャトルを打った。
少し足の裏をコートに擦り付けながらも速度を殺さずにシャトルを追う。
左側だからこそバックハンドで本来なら返すべきだったが、武は上半身を思い切り横に曲げてフォアハンドのままストレートにハイクリアで返した。着地して即座にコート中央に戻りながら思考する。
(やっぱりバックハンドは苦手……早坂はそこを突いてくる)
互いに苦手な部分は見えた。
ならば、そこを突くか。
そこを突くと見せかけて裏をかくか。
ここからは、戦略にかかっている。
◆ ◇ ◆
「はー。休憩休憩」
十五点取ったところで、由奈はダブルスの流れを切った。組んでいた橋本や向かいの若葉と林も同意して、コートの外にそれぞれ置いてあるペットボトルを取りに行く。そして、全員が耳に飛びこんできた音に身体を震わせる。
シャトルがたたきつけられた音だった。
「な、何?」
あまりにも急なことで、由奈は目に涙が浮かぶ。視線が向かったのは、早坂と武が試合をしているコート。自分達がダブルスで試合をしている間にどうなったのか、気づかなかったことに由奈自身驚いていた。
(早さんがやっぱ勝ったのかな……)
「ポイント。イレブンエイト(11対8)。チェンジコート」
そう言ってコートの外に先に出たのは早坂だった。自分の予想通りだと分かって少し落胆が来るのを感じる。六年間届かなかった早坂に武が勝つ姿を望んでいるのは、本人以外では自分だという自覚が由奈にはあった。だからこそ、結果に落ち込んだわけだが、近寄ってきた若葉の一言に我に返る。
「ねえ。八点も武、取ったんだね」
「え……あ!」
由奈はスコアまで頭が回っていない自分を恥じた。八点という点数が意味するところを、林以外のメンバーは分かっている。由奈は汗を拭きながらスポーツ飲料を飲んでいる武の傍に駆け寄って肩を叩く。
「八点も取ったんだ! ベストスコア!」
「勝たなきゃ意味ないよ」
武はそっけなく言ってタオルをコート横にあるバッグに放り投げた。口調がぶっきらぼうになっていることに、由奈は怒らせたかと不安になる。セカンドゲームに進もうとする武の背中に声をかけられずにいた彼女だったが、足を止めて振り返った武の顔に笑みが浮かんでいたことで、固さが取れた。
「でも、まだまだやれるし、勝てる気がする。ここまできたら……次は取るよ」
その言葉に込められた熱に、由奈は一瞬ひるんだ。次に生まれるのはすっきりしない感覚。何を言うべきか意識せず、口を開く。
「リラックスしてね」
その言葉にはっとして武は由奈を見た。固まった顔が徐々にほぐれていき、軽く頷いてからコートの中央へと歩いていく。
もう、武の身体に気負いはなかった。武でさえ気づいていなかった気負いを、由奈は感じ取って声をかけたのだった。
「ファイト」
小さく呟いて、由奈はコートから離れた。
セカンドゲームが始まり、早坂から打たれたサーブを武は思い切りスマッシュで返した。狙いはボディ。あまりに鋭い弾道で飛んできたシャトルを早坂はさばききれずに真上に跳ね上げた。
「よし!」
武は拳を握ってガッツポーズをした。思わず由奈も一緒に拳を握る。それは無意識の行動だったため、気づいて顔を赤らめると他のメンバーが休んでいる観客席へと向かった。
「由奈。ご機嫌だね」
「もー。からかわないでよ」
若葉がにやけて軽い口調で言ってくるのに、由奈は迷惑そうに返事をした。だが、心の中ではそんなに嫌ではない。早坂は自分にとって大切な友達の一人であり、バドミントンでは目標だった。
小学生の時から、彼女に勝てる者は地区にはいなかったから。
そんな相手に、幼馴染の武が良い勝負をしているというのはとても嬉しいことだった。
(がんばって、武)
また冷やかされてはかなわないと、心の中で応援する。思いが届いたかのように、武がスマッシュを連続して決めてポイントを稼いでいった。
「ポイント。フォーラブ(4対0)!」
武はシャトルを持って数秒固まる。早坂はリラックスをはかろうとしているのか、腕を何度か回して迎え撃つ。
「早坂。本気だな」
「え?」
それまで試合を静かに見ていた橋本が発言したことに由奈は驚いた。いや、本当に驚いたのは『それまで静かに見ていた』というところだ。いつもの橋本なら、何かプレイに「うわ!」や「凄いな」など短く感想を言いながら見ていただろうから。
「あいつ。どっか俺達とやるときは本気じゃなかったんだよなー前から。そりゃ、本気出したら俺達なんか簡単にやられるから仕方がないんだろうけど。でも……第一ゲームからずっと早坂は試合モードだった」
「橋本。見てたんだ」
「当たり前じゃん。俺だってずっと小一からやってるんだからさ」
橋本は汗で濡れた眼鏡を取ってタオルで拭いてから再びかける。あっさりと出た言葉の裏に、由奈はかすかな負の感情を見た気がした。
(もしかして、嫉妬してる? 武に)
同じ時に始め、いつの間にか実力の差が広がった。置いて行かれる者、その気持ちを由奈は理解できた。
彼女もまた、武の成長を羨ましく思っていたのだから。
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