Fly Up! 16

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「昔の人はよく言ったね」
「……なんて?」
「予定は未定で決定ではなく仮定のものなので既定のものではない」

 林が一息で長い言葉を言ったことに武は感嘆してため息をつき、集まったメンバーを見てから違う意味の息を吐いた。
 若葉の話では、あと四人ほどいるはずだったのに、見えるのは早坂と若葉と由奈だけ。合わせて武も男子を誘ったものの、林と橋本と自分だけだ。
 小学校の頃に良く集まった面子。ちょうどいい数ではあったが、一人林が浮きそうでもある。

(まぁ……林は溶け込みそうだけれど)

 そう思って視線を移すと、いつの間にか武の傍から離れて若葉と話していた。話題はどうやら武が分からないアーティストのもの。そこに由奈も加わって一気に柔らかい雰囲気を形成している。
 微笑ましく思えて笑っていると、早坂が武の傍へとやってきた。

「これで全員ね?」
「あ、ああ」

 武は、相変わらず早坂との会話で気おされることはあるものの、その度合いは減ってきていた。彼女のまとう、どこか他人を寄せ付けない空気が中学に入ってから薄れてきたのではと武は思う。だが、それ以上に早坂へと近づいたように武に思わせているのは何かと考えて、一つ思い当たる事があった。

(やっぱり、あの時かな)

 武の意識は四月まで遡る。見えるのはがちがちになっている自分と、声をかけてくる由奈と早坂。無論、それは今だから想像出来る光景だ。
 あの小山との一戦。中学での初試合でハンデを付けられ、緊張に固まっていた武を救ったのは由奈と早坂の声援だった。試合後の会話では小学校の時と変わらず突き放されていたが、そこから徐々に武への当たりが柔らかくなっていったように武は考える。
 そこまできて、武の意識は現在へと戻った。

「もう行きましょ。長くやりたいし」
「りょーかい。皆、行こうぜ」
『おおー』

 橋本と由奈にあわせて林と若葉が従う。すっかり親しんだ林を見て感心と共にほっとして、武は前を歩く早坂の姿を見た。線が細いというわけではなく、スポーツをするのに適した程よい肉付きをしている背中。だが、どこか小さく見える。

(そうか……。俺が身長伸びたんだ)

 小学校の頃、早坂は武よりも身長があった。それに加えてバドミントンの実力がはるかにあり、その威圧感も手伝って武から見て早坂は何倍にも大きく見えた。それが理由の一つにもなり、練習では惨敗し続けた。

(早坂って、意外と小さかったのかな)

 昔は相手の目の位置に頭のてっぺんがあった。だが、中学に入ってから伸びたために、今は逆になっている。武の目の位置が、早坂の頭部。
 今なら実力も近づいているだろうと武は思う。

「そうだ。相沢」

 体育館に入ったところで早坂が振り返り、武を見る。その目には特にいつもと変わらない。しかし、口調には熱がこもっていた。

「身体温まったら、試合して」
「し、試合?」
「嫌?」

 そっけない態度で歩みを進める早坂だが、武には内なる声が聞こえていた。

(断ったらどうなるか、分かる?)

 それは単に幻聴だろう。そして、断ったなら「あっそ」で終わらせるのが早坂だと武は分かっていた。
 ならば、幻聴を聞こえさせているのは何なのか。
 その理由は武にも分かっていた。だからこそ、素直に気持ちを口に出す。

「いいよ。久しぶりに試合してみたかったんだ、早坂と」

 心臓が高鳴っていた。これから行うであろう、彼女との試合に。




 武が準備を整えて体育館に足を踏み入れた時には、林と早坂がコートを張っていた。人数が六人ということで二面借りている。
 そこで驚いたのは、林の言葉に対して早坂が笑っていることだった。同性との会話では普通に喜怒哀楽を表す早坂も、異性に対してはどこか距離を取って感情を表さなかった。武は特に、話していて笑顔というものを見たことはない。
 だからこそ、中学から仲間となった林がもう笑顔を引き出しているのは、釈然としなかった。

(いや、別にいいんだけどさ)

 心の中で弁解する。誰にかは自分でも分からないが、申し訳ないような気がしていた。そんな悶々とした思いも後ろから橋本が背中を叩いてきたことで拡散する。

「いって」
「ぼさっと立ってるなよーって」

 橋本の後ろに続いているのは残りのメンバー。武は自分が入り口に立っていることを思い出して「悪い」と前に進む。
 早坂と林も武達に気づいて、来るように促した。自然と早坂が仕切る形になっているのを知って、女子の部長は早坂で決まりだ、と思う武。その内心が見えるかのように一度武を睨みつけてから、彼女は言った。

「折角男女三対三だし、それぞれやろうよ。私と相沢。由奈と橋本。若葉と林君で」
「なんで林だけ君付けなんだよー」
「今日初めてちゃんと話せたんだから当たり前でしょ」

 橋本が武なら出来ないようなツッコミを堂々とする。それに対して早坂も冷ややかに対応した。だが、言葉の中はどこか柔らかさも感じられる。少し視線を動かすと、由奈や若葉もそれを感じ取っているのか、顔に多少驚きを浮かべていた。
 二人とも早坂の異性への対応に壁があることを分かっていたから。

「それでいい?」
「別にいいよん」

 橋本があっさりと引き下がる。武もそれは構わない。むしろ、これから早坂と試合をするのなら基礎打ちの時点から慣れておいたほうがいいと考えた。

(そういえば一年も、早坂と打ってないんだな)

 小学校での最後の試合を終えてから今までほぼ一年。中学に入るまでは仲間内で市民体育館に行く機会はなかった。
 一年ぶりの、打ち合い。自然と内から熱さが溢れてくる。

「よっし。やろうぜ」

 自分を鼓舞するように武は言い、コートに先んじて入った。

「じゃあ、ドロップから」

 早坂の言葉に頷いて、武はネット前に構えてシャトルを奥へと飛ばす。早坂から返って来たドロップに、武は一回で凄さを感じた。

(うわ……)

 武は始めてすぐに、その正確さに驚いていた。数度繰り返しても同じ場所へと落としてくる。それを打ち返す武のほうが位置ずれを生じさせてしまうのに、早坂は修正してまた同じ場所へと来る。昔からショットの正確さは小学生離れをしていたが、更に磨きをかけているようだ。

(早坂も……成長してるんだやっぱり)

 武の身体に急に寒気が走った。それは何かが抜けたことで起こったもの。肉体に関与するものではなく精神的なもの。脳裏にあった、かすかな考え。
 それは『油断』だった。
 早坂に対して抱いていた油断。それは、身長が伸びたことや自らの実力が上がったことで彼女に対していつの間にか抱いていたもの。だがそれも、一度の基礎打ちでひっくり返された。

「じゃあ、交替ー」

 武は早坂のドロップを打ち上げてから後ろに下がる。早坂もそのままハイクリアでコート奥へと飛ばし、前に詰める。武は左前ぎりぎりを狙ってドロップを打った。だが、高さが足りずネットにひっかかり、落ちる。

「ありゃ」
「それ決められないと試合じゃ使えないよ」
「ぐ……おっけ!」

 中傷ではなく単純に事実を語る早坂。だからこそ、武も苦手意識はあるものの嫌いにはなれなかった。そして、今になって自分の中に嫌いじゃない以上の感情があることに気づく。

「はっ!」

 より実戦に近づけようとスマッシュを打つフェイントをかけながらドロップを打つ。今度はネットよりかなり高く、前に詰められればプッシュで落とされてしまうほど。早坂もわざと一度ラケットを立てて迎撃するように見せてから、クリアで上げる。
 二度、三度同じようにフェイントショットを繰り返す。方向も右と左に打ち分けながら、その軌道が徐々に安定していく。

(早坂……凄い!)

 ちょうどよい高さ。ちょうど良い位置に返ってくるシャトル。ただ返しているのではなく、武の位置を見て、どうすれば打ちやすいように出来るかを考慮して打っているのが今の武には分かった。
 そして、そんな打ち方を小学生の時から行っていた早坂の凄さも理解した。

(やっぱり、お前は目標だよ、俺の)

 吉田香介という実力者に会ってから忘れていた最初の目標を思い出し、武は気合が身体に満ちていった。
 それから一通り基礎打ちを終えて、武の身体も試合の準備を整えた。早坂はコートの外に置いてあったタオルで何度か顔を拭きながら武に尋ねる。

「相沢ってそう言えばちゃんと一試合ってやってないよね? フルセットでやる?」
「あー……そういえばそうだな。やろうか」

 記憶をたどってみても、練習で何度かちゃんとした試合形式でやったとはいえ、勝利を掴むという緊張感の中でやったのは小山との試合と、刈田との試合。どちらも一ゲームだけ。

「フルセットまで、行かせないわよ」
「思いっきりやるよ」

 早坂の挑発に武は乗った。最も、顔は笑いはしなかったがジョークが多少混じっているのは武にも分かる。不快にならなかったのは、今までの戦跡ならば言われても仕方がなかったから。

(今日、それを変える)

 高鳴る心臓を落ち着けて、武はコート中央に進む。すでに他のメンバーはもう一つのコートでじゃんけんで組を決めてダブルスを始めた。改めて、試合に集中出来ると武は早坂だけを見た。

「女子に合わせて11点でいい?」
「ああ。いいよ」

 その場で小刻みにジャンプをして身体をさらにほぐす。暖まったことで動きは良くなりそうだったが、久しぶりの対峙がどこかで身体を萎縮させている気がしている。

「じゃあ……じゃんけん」

 そこで初めてサーブ権をまだ決めていないと気づき、武は苦笑しながらネット前に歩みでる。身体よりも精神をほぐさなければ。何度かあいこを繰り返して武がサーブ権を得る。

「イレブンポイントスリーゲームマッチ。ラブオールプレイ」
「お願いします」

 審判がいないために自分達でする。宣言を終えてから早坂が構えるのを待って武はサーブ姿勢を取る。早坂はサービスエリアの中央よりもセンターラインの傍に立っていた。狙うならば、武から見て左奥。だが、一度息を吐いてから思考をまとめた。

(誘ってる。なら、真っ直ぐに行くか)

 左奥を意識してサーブしたならばおそらくは横にアウトになるだろう。だが、武が決めたようにまっすぐに打っても、強すぎて後ろを越すかもしれない。
 それでも武は、力強くサーブを放った。
 パーン、という音と共に高くサーブが飛ぶ。武は心の中で拳を握った。これだけ高く上がればアウトは無い。
 案の定、サーブはぎりぎり後ろまで届くほどで落ちていく。しかし早坂の移動距離自体は少なく、難なく下に潜っていった。

(――こい!)
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