Fly Up! 164
早坂の試合が終わる頃、もう一つの試合も一つの結末を迎えようとしていた。
だが、この試合は早坂のそれとは性質が違う。
圧倒的な力の前に倒れた早坂とは違い、こちらは一点を争う緊迫した試合となっていた。
「ポイント。フォーティーンオール(14対14)。セッティングしますか?」
「はい」
答えたのは淺川亮。今大会の第一シード。実質、北海道の頂点。同点に追いつかれても動揺は見えない。その動作一つ一つに余裕が感じられた。
(くそ。こっちはようやくだってのによ)
対する小島は両膝に手を乗せて体重を支えていた。
相手に対してポーカーフェイスを装う余裕もない。小島の全力をかけても、暗いつくのがやっとの相手。それが淺川だった。
(あいつらが格上の第一シードに勝ったんだから、俺だって負けるわけにはいかないんだ!)
気合を入れて上半身を起こす。既に淺川はレシーブ位置に立って小島を見ている。その瞳に、小島は背筋が凍るような感覚を得た。
(こいつの目……感情が見えない)
点を取っても取られても、感情を表に出さずに淡々と作業をこなすように試合を進める。それに削られているとは思っていない。
(まあ、相手の表情なんて気にする余裕なんてこっちにはないが)
シャトルを受け取り、サーブ位置に立つ。コートを挟んだ向こう側にいる相手のプレッシャーをひしひしと感じながら、小島はこれまでの流れを冷静に振り返る。
(一ゲーム目は落としたが、スマッシュの速度には慣れた。今までずっと決め球だったスマッシュを封じられてもこいつにはさほどダメージはない。結局、他の相手と同じく隙を作り出してそこに叩き込むしかないんだ)
シャトルを手からゆっくりと離し、落下にあわせて高くサーブを打ち上げる。腰を落として次の手を待ち受ける。今までの流れならばここでスマッシュをストレートに打ち込んでくる。
だが、淺川はクロスカットドロップで小島の右手前にシャトルを落としてきた。一歩足を踏み出してラケット面にシャトルを乗せるように、優しくネットを越えさせる。そこに走りこんできた淺川はロブを上げて小島を後ろへ下がらせた。しかし小島も一歩早くその手を読んでおり、追いついてストレートにスマッシュを打ち込んだ。
淺川の隙を狙って打ち込んだシャトルだが、一瞬でラケットが打ち返す。クロスドライブで陣地をえぐられる小島は、体勢を立て直すためにロブを上げた。
その間に思考を纏め上げる。一ゲーム目、そして二ゲーム目を通じて得た結論を導き出すために。
(やっぱりそうだ。あいつ、わざと隙を作ってそこに打ち込ませてるんだ)
コート奥から淺川のスマッシュは小島のストレートに襲いくる。胸の前でラケットをバックハンドで構えるのが一歩遅れ、シャトルが垂直に舞った。
そのシャトルが地に着く前にラケットで絡めとり、そのまま淺川へと放る。淺川もまたシャトルをラケットで受け止めた。
(一番隙がある場所へ自分を進ませ、他の隙はカバーできるように意識を向けておく。誰でも出来るわけじゃない。その隙を一瞬で消しさる反応速度とフットワークが必要だ。あいつは両方持っている)
小島は構えて次のターンを待つ。淺川はシャトルを整えてサーブ姿勢を取るとすぐに打ち上げた。真下よりも少し後ろに下がって、小島はハイクリアの要領で打ち込む。ハイクリアでもスマッシュでもなく、上空をコートと平行に飛んでいく。
(相沢のドリブンクリア。真似させてもらったよ!)
このままシャトルはコート奥ぎりぎりに落ちる。インターセプトされることもなく、速度もあるため効果的なショット。
しかし淺川は途中まで追いかけて動きを止めた。
(なに!?)
シャトルがフロアに落ちた時、ラインズマンは手を横に広げた。
「アウト。ポイント、フィフティーンフォーティーン(15対14)」
転がったシャトルを拾い上げて淺川はサーブ位置に歩いていく。小島は淺川の様子よりも自分の打ったシャトルがアウトになった事実が信じられなかった。
(くそ。自分の認識以上に体が疲れてるのか)
今まで追いすがった無理がここに来る。対する淺川には何も疲れは見えない。自分だけが追い詰められていくような感覚。ここにきて小島の周りに高い壁が出来たような気がしていた。
(こんな幻覚見るようじゃな。しっかりしろ!)
頭を振って幻覚を打ち消す。サーブに備えるため場所を移し、足で軽く床を踏む。
(これからサーブ権を取り返して、点を取ればいい)
気を取り直して淺川を見据える。
そして、更に強くなるプレッシャーに気おされた。
小島の体にまとわりつく気配を振り切る。構えたところで即座に淺川はシャトルを打ち上げてきた。小島も後を追い、同じようにドライブクリアを放とうとする。
そこで脳裏をよぎったのは先ほどのアウトの光景。
「ちぃ!」
既にシャトルの落下点よりも後ろに来ていたため、スマッシュに切り替える。渾身の力を込めて、シャトルとコートを一本の光の線で繋ぐ。手ごたえは二ゲーム目終盤に来て最も力強い。
だからこそ、着地からの半歩が遅かった。
淺川がシャトルをネット前でインターセプトし、そのままヘアピンで小島側のコートに沈めていた。
「ポイント。シックスティーンフォーティーン(16対14)。マッチポイント」
サーブ権を奪い返して得点するはずが、二連続で得点され後がない。ここまで追いすがってきたにも関わらず簡単に差を広げられていく。この要所要所を落とさない力が小島と淺川の差なのか。
(そうだよな。何のことはない。俺だって今までそうして勝ってきた)
シャトルを拾い上げて羽根を直した淺川がサーブ位置に立つ。小島が最後の抵抗をする準備を整えるまで静かに。それはおそらくは、自分が今まで対戦相手に見せてきた姿だ。
(相手のコピーで最後は上回るなんて戦法を取ってきた俺が、自分の真似をされるとはね)
自分の真似と言いつつも、淺川のそれはおそらくは真似ではない。中学でバドミントンを始めて一気に頂点に昇り詰めた男が身につけた一つの形。それが自分のものと被る部分があっただけのこと。
(これまではおそらく、お前の思い通りだろう)
レシーブ位置に立ってラケットを構える小島。それを見透かしたように、シャトルを打ち上げる淺川。追いかけていき、落下点よりも少し後ろに入る。それは二回連続失敗してきた形。
(だが、見せてやるよ!)
落ちてくるシャトルに向けて飛び上がる小島。
それはこの試合が始まってから一度も見せたことがないほど高い跳躍。シャトルとの距離が一気に縮まる。
「うらあぁ!」
急角度のスマッシュがコートに到達する前に着地し、重力を強引にキャンセルして前に進む。距離が短く角度がある分、淺川はネット前でインターセプトできずに下からヘアピンを打った。だからこそ前に詰める余裕が生まれる。
ラケットを前に突き出し、少しでも早くシャトルに触れる。時間を短縮するように足を踏み出し、体を目いっぱい広げていく。
(とどけぇええ!)
シャトルがネットを越えた瞬間、小島のラケット面がそこを捕らえてプッシュを打ち込んでいた。シャトルはストレートに、ヘアピンを打った淺川の顔面へと突き進む。体勢的にかわせず、打ち返そうにもラケットが間に合わない。
(よし!)
集中力が高まっているからか、シャトルの流れがゆっくりに見える。自分の体も相手の動きもスローモーションに見えた。だからこそ、このラリーの結末も確かに見えていた。
淺川の動きに変化が見られたのは、シャトルが相手の顔面に当たる道を辿ると確定したその時だった。淺川の体がシャトルから急に離れていく。それもまた小島にはスローモーションに見えていたが、シャトルの前に徐々にラケット面が移動していく。
(なんだと!)
急激なスウェーバック。全身を真後ろに投げ出すような跳躍。打った直後のことなど全く考えていないような行動だが、それで小島の打ったシャトルを打ち返す余裕が生まれていく。今度は逆に自分が返されたシャトルに対抗できるかの勝負になる。
(くそぉおおお!)
前に飛び込んだ体勢から強引に体を戻そうとする。しかし突進を支えた足はそこで役目を終えたように力が入らず、後ろへ体を戻そうとする力が足りない。体を引き戻すのに必死ない間で、淺川がシャトルを打ち返すのは十分だった。
シャトルはまっすぐ弾き返されて小島の前に来る。
それが右頭部を抜けていく様子をただ黙って感じるしか小島には出来なかった。
体が投げ出される音と共にスローモーションが終わり、体が開放された。
前を見るとコートに倒れている淺川の姿。右腕を摩り、痛がりながらもすぐに立ち上がってくる姿を見てから、小島は自分の後ろを見た。
コートに落ちているシャトル。あの状態から完璧に打ち返されていた。
「ポイント。セブンティーンフォーティーン(17対14)。マッチウォンバイ、淺川」
審判の声が届き、自分の敗北が決定されたことを理解する。
そこでようやく自分が方膝をついてしゃがんでいる体勢になっていると気づいた。前に踏み出した状態から何とか返されたシャトルに反応しようとしたのだろう。それでも動ききれず、中途半端にしゃがみこんでしまったのだ。
(完敗、か)
スコア的には二対ゼロ。点数も競っている。結果だけ見れば好ゲームと思われる。だが、その間には確かな力の差があるということに、実力があるプレイヤーは気づいているだろう。
無論、目の前の淺川も。
(勝って、早坂に告白するとか言ってたのにこのざまか)
その言葉に偽りはない。自らを奮い立たせ、力の限界を引き出せたのもこの場所に来て初めて得た欲によるものだ。だからこそ届かなかったのは純粋に力が足りなかったということになる。
ネット前に近づいて握手を交わす。今まで負けたことがないわけではない。小学校の時から全道には出ていて、その都度どこかで負けていた。でも、確かな手ごたえと共に挑み、何かを得る感覚はあった。
しかし、今回は何もない。
全てを賭けて挑み、何も手に入れることが出来なかった。それほどまでに、目の前の淺川亮は高い山だった。
「本当に、中学からはじめたのかよ」
「そりゃあもう」
淺川は笑顔で小島の手を握る。その表情に疲れはないように見えるが、小島は彼の掌が冷たい汗に濡れていることに気づいていた。
(拭うのを忘れるほど動転してるって思いたいけど)
ただ単に細かいことを気にしないだけかもしれない。自分が少しでも追い詰めたと思いたいだけなのかもしれない。そう考えて小島は考えを打ち消した。自分の行動が他人に何か影響を与えたかもしれない、という考えは弱いものだ。それが実際に行動に移されなければ、意味はない。
「またやるの、楽しみにしてる」
そう言い残して、淺川は手を離して去っていった。その後を追うように歩こうにも、小島の足は震えて前に踏み出せない。今まで張り詰めていた緊張の糸がとうとう切れたのだと気づいた時、小島は心の底から敗北を認めた。
「這い上がってやるよ。そして、次は勝つ」
徐々に離れていく淺川の背中に近い、小島はゆっくりと歩き出す。
ゆっくりと、確実にコートを踏みしめて。
ラケットバッグに必要なものを入れて肩にかける。そこで視界に入ってきたのは男子ダブルスの模様だ。今の時間ならば、武と吉田が橘兄弟と試合をしているはず。
(あいつらはどうかな)
第一シードを倒したとはいえ、橘兄弟も十分ポテンシャルはある。厳しい試合になるはずだ。小島は一つ息を吐いてからフロアを横切っていった。
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