Fly Up! 163

モドル | ススム | モクジ
 武達がゲームに臨んでいる一方で、男女シングルスも準決勝が行われていた。
 武達の第一試合、ベスト8の試合が延びた分、ほぼ予定通りにタイムスケジュールが進んだシングルスが先に試合が行われている。武と同じ地区の代表として、小島と早坂が残り、準決勝に挑んでいる。
 早坂は今の自分の立ち位置を改めて確認した。

(ダブルスも始まって、このフロアに私達全員がいる)

 ダブルスはまだ一ゲーム目が始まった頃だろう。先に行われている分、自分の試合のほうが進みは早い。
 だが、それはけして試合の順番のせいではなかった。

(ここまで、とはね)

 自分のスコアを見て改めてため息をつく。
 第一ゲームは十一対六で負け。
 第二ゲームも今は九対三で負けていた。
 あと二点で敗北が決まる。

(この子、どんなフットワークしてるのよ……どこに打っても決められる気がしない)

 ネットの向こう側でシャトルを持って早坂の準備を待っているのは第一シード、君長凛(きみなが りん)。
 自分とはほぼ正反対の容姿に早坂は自然と口元が緩んだ。

(容姿が正反対で、実力の桁が違うって何よ……)

 髪はショートヘア。髪質も汗に濡れているとは思えないさらりとした見た目。体格も早坂より頭一つ小さい。身長はおそらく、同年代の女子よりも小さいはずだった。中学一年と一つ下の年齢もあるのだろうが、早坂から見ればフィジカル面では完全に凌駕している。
 だが、その小ささを十分補っている才能が彼女には備わっていた。

「ストップ!」

 凛のサーブ体勢に呼応して叫ぶ早坂。ショートサーブを打たれて前に進み、ロブを上げる。一瞬、凛を視界から外してすぐにコート中央に陣取るが、その時にはもう凛はシャトルの落下点にいた。
 そこから放たれるスマッシュはさほど威力はない。武や瀬名のスマッシュ。また、これまで全道大会を勝ちあがってきた中で受けたスマッシュよりも、明らかに遅い。だが、早坂は次手を決められずにクロスでロブを上げた。
 今度は体勢も十分で中央に戻る間も凛から目をはずさない。だから凛の姿が見える。シャトルの落下点に向かう彼女の速度は、会場の誰よりも速いだろうと早坂は感じた。

(速い……)

 凛は飛び上がり、ジャンピングスマッシュで早坂のフォア側を襲う。

 早坂はクロスロブを上げる。ほぼ同じタイミングで移動する凛は間違いなく自分の手を読んでいると早坂は感じたが、別の手を選択する余裕はない。

(とにかく、足を疲れさせないと)

 第一ゲームも今までも。
 攻撃の糸口を見つけようと左右への振りは続けてきた。そこでタイミングを見計らって低い弾道のショットを打ち、チャンス球を上げさせようとしていたが、全て凛に叩き落されていた。速いショットに対して素早く移動され、カウンターを当てられる。結果、早坂は体勢を整えられずにシャトルをコートへと打ち込まれていた。彼女から見れば凛の移動速度は残像が見えるのではないかと言うほど速く感じる。

(元から足も速いんだろうけど、読みの精度と反射神経が半端じゃないのね。私が何を打つ気なのかほぼ分かってる)

 ならば取れないシャトルを打てばいいと考えて、得意のクロスカットドロップも駆使していた。しかし、いずれもネット前につめられて落ちる瞬間に叩き返される。フェイントを織り交ぜていっても、引っかかって体が一瞬揺れても次にはシャトルへと追いつき、打ち込んでくる。
 フェイントに引っかかっても、移動速度で十分元を取っていた。頭脳で切り開いた道を力技で封鎖されたような気分。

(反則過ぎよね)

 結局、高くロブを上げて自分も十分に体勢を作って迎えるしかなく、そうなれば凛も自由に攻撃が出来る。早坂が狙えるのはロブをしっかりと上げて体力を削ることしかない。
 だがそれも、攻略されつつあった。

「やっ!」

 凛がハイクリアを放ち、早坂は追って後ろに下がる。そのコースはシングルスラインぎりぎりにまで飛び、早坂はより長い距離を走らせるためにハイクリアをクロスで放つ。それに対してまた凛が打ち、と繰り返しているうちに早坂のほうが飛距離を保てなくなっていった。
 そして、ハイクリアが二十度を数えたところで早坂は打ち損じ、ふらふらとネット前に上がったシャトルを凛がジャンピングスマッシュでコートに沈めた。

「ポイント。テンマッチポイントスリー(10対3)」

 息を整えながらシャトルを拾う早坂。
 フットワークも持久力も相手側が上という事実。いくら作戦を考えても体力、技量で上回られる現実に、心が折れそうになる。

(それでも、負けない。昔の私とは、違う)

 勝機はほとんどない。
 昔の自分ならばもう諦めていただろうと早坂は思う。しかし、今の自分はどこまで追い詰められても勝利を諦めないだろうと確信していた。実際に、この状況でも心は暗く押し潰されていない。
 シャトルを返して、顔を左手で拭う。審判にタオルを要求してタイムを取り、コート横のラケットバッグに駆け寄って上にかけてあるタオルを手に取った。顔を拭きつつ、次の手を模索する。

(ハイクリアだけじゃ駄目。前にも落とさないと。でも、前は一気につめられて落とされる。フェイントに引っかからないわけじゃないんだから、その後で追いつかれる前にシャトルがネットの下まで行けば、スマッシュやプッシュを叩き込めるはず)

 とにかく凛に上げさせる。彼女の強みはフットワークで常に優位な位置へと体を運び、相手のシャトルをほぼ確実に上から叩き落すことにある。試合序盤の手の内の探りあいでは、早坂のスマッシュを取れない場面もいくつかあった。それは即ち、スマッシュへの防御力が足りないことを意味している。サーブの後の一発目はさすがに十分な体勢のために返されるが、ネット前からのプッシュや、ネットの前半分からといった防御に距離が不十分の場合は決まる。
 結局、一ゲーム目を落としてからずっとスマッシュを打ててさえいないのだから、可能性に賭けてみる価値はある。

(ハイクリアだけじゃなくスマッシュでも押していく。カウンターを返されるんだとしても、追いつくしかない)

 タオルをラケットバッグの上に落としてコート内に戻る。凛は目を閉じてシャトルの羽根を整えていた。試合中に何度も見た光景。おそらくは集中力を高めるためのルーティンなのだろう。
 試合の中で同じ動作をすることで、いつもの力を出せるようにするルーティン。ならば、自分のそれは何か。
 早坂は思い起こすが特に見当たらない。

(なら、なくていい)

 ロングサーブに合わせる構え。先ほどはショートだったが、特に決定打にはならなかった。しかし、ハイクリアで後ろに釘付けにはされたため、最後のサーブはロングサーブを放ち、先ほどのハイクリア合戦を再開する気だろう。

(どこにスマッシュを打つかが問題だけど……ストレートじゃなく、クロス、ね)

 セオリーどおりストレートに打てば自分が追いつけない。ならば、クロスで自分も持ち直す時間を得る。

 予想通り、凛はロングサーブを放った。早坂は出来るだけ速く追いつくようにステップを踏む。体にかかる力が多くなり、歯を食いしばりながらも十分な体勢で真下に回った。

(あの子相手に、自分から攻めるのは今の私には出来ない!)

 しっかりとハイクリアを返す。今まで以上に足でコートを踏みしめた分、加重がよりかかったが、その効果はコントロールが最も良いハイクリアを生み出す。意識すれば早坂にも出来るフットワーク。それを凛は試合の間中行える足腰を持っていた。

(今からどれだけ抗えるか……いや、最後まで抗ってやる!)

 凛のハイクリアにまた追いつき、今度はクロスハイクリアを打つ。多少チャンスに思えても、焦ってスマッシュを打ち込みはせずに機が熟するのを待つ。それが吉と出るか凶と出るかは早坂自身にも分からない。
 何よりも、これしか今のところ取る手段がない。

(君長もおそらく気づいてる。だから、私が打ち込んできそうな場面を作ろうとする……? それとも、このまま持久戦で私がバテるのを待つ?)

 どちらにせよ、主導権が凛にあるのは間違いなかった。自分が攻めているのは、あくまで凛の掌の上だということを認識し、早坂は唇を噛む。いつこの均衡が崩れるか分からない。それも、凛の裁量次第なのだ。

(なら!)

 ハイクリアの打ち合いで完全に試合が停滞したと、誰もが思った瞬間に。
 動いたのは早坂だった。

「はっ!」

 移動速度はそのままに、一歩だけシャトルの落下点よりも後ろに体を移動させる。そこからラケットヘッドから肩の付け根までが一本の鞭のようにしならせて、ストレートスマッシュを凛のコートへと打ち込む。凛は腰を落としてシャトルに追いつき、クロスドライブを返した。その射線上に飛び込んで早坂はヘアピンをストレートに落とす。クロスに打った直後に最短距離で落とされれば誰もが動けないはずだが、凛はそのシャトルに追いついてロブを上げた。

「は!」

 早坂は追いついてからまたスマッシュで今度は凛のバックサイドを攻める。バックハンドから一度フェイントを入れてストレートヘアピンを打つ凛。フェイントに引っかかるも、早坂は腕を目いっぱい伸ばしてロブを打っていた。

(私でさえ無謀と思うことをする。なら、君長も迷うはず……!)

 しかし、早坂の行動に君長の動きが鈍ることはない。
 その移動速度は変わらず、シャトルへのタッチもより速くなって行く。その様子に早坂は理解した。

(ようやく本気ってこと!?)

 これまでは体が暖まっていなかったから本来の速度が出ていなかった。
 これからが君長凛の最速。十分シャトルを取られ、隙がなかった相手に更に死角がなくなる。

(いや、速いってことはそれだけ不意を突かれたら!)

 心が折れそうになるのを何とか支える。例え一つのショットを拾われても次、その次と手を打っていけばいつかは隙が出来る。一撃に威力がないからこそ、何手先も読んでシャトルを打ち込まなければならない。自分はそれが出来るはず。そう言い聞かせて、早坂は何度目かになるハイクリアを打った。

「やっ!」

 シャトルは対角線を進み、わずかにシングルスラインを超えようとする。しまったと思うのもつかの間、凛は真下に陣取ってスマッシュをストレートに打ち放った。
 一瞬。ほんの、一瞬だけシャトルの行方から思考を外した。
 取られると思わなかったとは言い訳にもならない。
 刹那の間にいろんな考えが頭をよぎり。
 ラケットヘッドが届く半歩分だけシャトルに追いつかなかった。
 シャトルが甲高い音を立てて中空に周り、試合は終わった。

「――マッチウォンバイ、君長」

 審判がネットを持ち上げて握手をさせようとする。君長はコート奥からゆっくりとネット前へと歩いていき、早坂も硬直から回復して向かった。かすかに左足に痛みが走り、引きずる。

(無理が祟ったかしら)

 しかし、もう問題はない。これ以上今日試合をすることはないのだから。
 完全な敗北だった。
 ゆっくりした歩調で引きずった足を気づかれないようにしつつ、早坂はネット前まで行き、凛と握手を交わした。

「ありがとうございました」
「ありがとうございました。強かったです」

 凛の言葉に早坂の心がざわめく。圧倒的な差で負かした相手に言える台詞ではないと、視線を向ける。しかし凛の表情は真摯なもの。とても皮肉で言っているとは思えなかった。だからこそ、早坂も素直に返していた。

「次は、勝つわ」
「次も、負けません」

 二人は素直に、笑った。

 早坂由紀子。
 準決勝敗退。
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