Fly Up! 158

モドル | ススム | モクジ
「ポイント。イレブンエイト(11対8)。マッチウォンバイ、早坂」

 最後に打ったドロップが決まり、審判のコールがコートに響いたところで早坂は大きく息を吐いた。得点は先行していたが、ずっと追い詰められていた。何とか逃げ切ったことで体にどっと疲れが来る。
 相手との握手を済ませてラケットをバッグに入れると、意識は一つのコートへ向う。

(相沢……まだ、試合やってる?)

 自分の試合も時間がかかっていたと自覚している。時計を見ると一時間は過ぎていた。ならば、武達もそこまでの接戦なのか。
 遠くに見えるスコアは、一対一。ファイナルゲームに入っているところだった。

(ファイナル……)

 ラケットバッグを背負い、早足でフロアを駆ける。壁際についてから武達のコートに行くと、壁に背を預けて立っていた庄司を見つけた。

「先生」
「早坂か。お疲れさん」

 早坂の言葉に庄司はワンテンポ遅れて反応した。軽い労いの言葉もどこか上の空。そのことに抗議をしようとは早坂は思わなかった。それだけ、目の前で繰り広げられている武達の試合が重要だったのだろう。

「相沢達……どうなんですか?」
「ああ。一ゲーム目は取れたが二ゲーム目は落とした。今、ファイナルゲームが始まって、三対一。勝って――」

 庄司が言おうとした瞬間に、坂下のスマッシュを武が返しきれず、早坂の元へと飛んできた。咄嗟に空いている右手で掴み、衝撃にかすかに顔を歪めた。

「ポイント。ツースリー(2対3)」
「早坂。ごめん」

 シャトルを取りに来て開口一番に謝る武。早坂は激励の強い言葉をかけようとしたが、武の凄絶な顔を見て何も言えなくなる。差し出された手にシャトルを乗せると、武は笑って背中を向けた。

「相沢」

 視線が外れたことで早坂の口にかかっていた重みが外れ、言葉が紡がれる。

「勝ってよ」
「……頑張るよ」

 足を止めずに、囁くように言って武はコートに戻っていった。いつもと全く違った感覚に早坂は戸惑う。

「今の相沢には一番の薬かもしれないな」
「え……」
「もっと応援してやれ。あいつらに必要なのは、あとは気持ちだけだ」

 バドミントンは体力、技術が必要。精神力は本当の力とはなり得ないけれど。
 それでも最後に何かをなす力はある。
 レシーブの位置に戻り、シャトルを相手側に返す武。地区大会や、昨日までならここでも相手の攻撃を止めるためにストップと叫ぶはずだった。しかし、今は二人とも相手が構える直前までレシーブ体勢を取っていない。

「ストップ!」

 ようやく出した咆哮も、鋭いが大きさはない。
 余分な体力を消費せずに自分達の闘志を引き出そうとしている。
 それだけ武達は追い詰められている。

「二ゲーム目が終わった時点で、あの二人には体力はほとんど残っていない。それだけ川島と坂下は強かったんだ。いつ、限界が来るか分からない」
「そう……なんですか」

 庄司がいつになく饒舌になっている。おそらく本当のことだと早坂も見ていた。今までで一番、辛そうな二人。

(今までで、一番?)

 自分で感じたことに疑問符が頭に浮かぶ。吉田は分からないが、少なくとも武は、こうして辛そうな姿を見るのは初めてではないはず。

(どこで見たっけ……どこかで。最近? そうじゃない……もっと、昔?)

 小学生時代ときて、早坂にはピンと来た。
 まだ武が弱く、一回戦も勝てないような実力だった時。その時にみた顔と同じだった。体力がなくなり、足も前に出なくなり、腕も振れなくなる。
 技術はあったのに、体力不足から結局一度も勝てなかった小学生時代。

「大丈夫ですよ」

 早坂の口から出た言葉に、庄司は意外だという表情を隠さずに振り向いた。その回答とでもいうように、早坂は笑顔で答える。

「その根拠は?」
「吉田は分からないけど、相沢はまだ大丈夫ですよ。あいつが体力切れた時を私は何度も見てますから。あれだけ動けるなら、まだまだ大丈夫」

 そう言う早坂は自然と手に力を込める。
 半分は事実。そして、半分は期待。

(たとえガス欠だとしても……中学校に上がって、もう変わったはずだよ。体力が切れても、足は前に出る。ラケットも振れる。それが今まで頑張ってきた相沢の成果……頑張って)

「頑張って」

 思っていることも口に出る。たとえ届かなくても、口にする。
 自分の中で抑えきれない思いを塞ぐ罪悪感も、今、この瞬間は忘れて素直に届けたい。
 純粋な、応援する気持ちを。

「セカンドサーバー。ツースリー(2対3)」
「ストップー!」

 武達の代わりになるように、早坂が叫ぶ。
 そして。

(由奈の分も)

 ここにいない、武の大事な女の子の分も応援するために。
 胸に走った微かな痛みは端に置いておく。今はただ、勝って欲しい。ただそれだけ。
 武がショートサーブに突進し、右足を強く踏み込んでラケットを止める。シャトルがネットを越えた瞬間に坂下がプッシュで落とそうとする。しかし吉田がフォローしてロブを上げると二人はサイドに広がった。まだスムーズに流れる動きに早坂は自然と拳を握る。
 汗を滲むのは止められない。
 いつ終わるかもしれない武達の体力の心配からは目を背けられない。
 認め、そして受け入れよう。

(あんた達なら、勝てる)

 川島のスマッシュを武はロブでしっかりと返す。相手の真正面だったが、しっかりと返したために余裕を持って武達は防御体勢をとる。川島は再びスマッシュを放つも、今度は吉田に奥へと返される。それから何度もスマッシュを繰り出すが、結局防御を崩せずにドロップで前に落とした。
 武が前に踏み出してロブをあげようとすると、そこを狙うように坂下が立ち塞がる。ラケットを掲げてインターセプトしようとした坂下に向けて、武は一瞬動きを加速させてラケットを振った。
 結果、シャトルは坂下のラケットをかわして高くロブで上がっていった。

(相沢の動きが早くなってる)

 今までよりも早いテンポでシャトルに触れている。そのため、坂下達の予想以上の速さでシャトルが返されている。それが武達が再び第一シードと渡り合えるようになった理由だろう。
 武達は試合の中で急速に進化している。追い詰められたことで、状況を突破するために成長している。

(頑張れ、頑張れ!)

 川島の何度目になるかのスマッシュが放たれた瞬間、吉田が前に踏み出してラケットをネット際に立てた。シャトルがコートを超えたのと同時にプッシュで坂下の前に叩き落す。

「サービスオーバー。スリーツー(3対2)」
「ナイスショット!」

 自然と応援が口に出る。吉田が早坂のほうを向いて親指を立てた。いつも見せないような笑顔を向けて。

「よし、一本!」
「よっしゃ、一本だ!」

 吉田の声は明るく、とても体力が尽きようとしている人間には思えない。武も引っ張られるように声を出す。

「じっくり一本!」

 二人の背中を押すように、早坂も応援する。照れくささもなにもなく、素直に声を届ける。
 武のショートサーブを打ち込む川島。吉田がロブを上げてサイドバイサイドにて待ち構え、そこに向けて坂下がスマッシュを打ち込む。
 先ほどと攻撃する人間は変わっても、同じ形。巻き戻して再生したかのような同じ光景。だが、すぐに変化が訪れる。
 打ち込まれたスマッシュを吉田が前に踏み出して、前の位置でインターセプトすると坂下はロブを上げるしかなかった。武が後ろに即座に移動し、坂下の顔面に向けるようにスマッシュを放つ。真正面はただでさえ取りづらいが、いままでよりも早くシャトルに触れる武のスマッシュは、この場に来て速度を上げていた。
 今までは完璧に返していたスマッシュを、坂下はコート外へと飛ばしていた。

「ポイント。フォーツー(4対2)」
「しゃ!」
「ナイスショット!」

 一つ一つ。まるでパズルのピースが組み合わさっていくように、武と吉田のショットが高まっていく。
 水を得た魚。
 そんな言葉が早坂の脳裏をよぎった。一球一球返すごとに力が上がる様子は、吉田と共に初めて一位となった学年別の時を思い出す。
 小学生の時に目立った戦績を残せなかった武が、吉田というパートナーを得て駆け上がった様は正に水を得た魚。
 今回もまた、第一シードという北海道最強の相手の力にぶつかることで、飛躍的に力を上げていく。
 才能ある選手の覚醒の時。
 それは思いもがけないタイミングで、さらりと訪れる。

(一年前は悔しいって思いだったのに、変わるものね)

 悔しくて、バドミントンから少し離れたこともあった。それはほぼ一年前だ。そこまで月日は経っていないのに、今は武の成長が自分のことのように嬉しい。

(好き、なんだなぁ)

 自分の思いに素直になる。好きな相手を好きだと思えることがこんなに気が楽になるとは考えられなかった。
 好きな相手だからこそ、自分の成長以上に応援したくなる。

(由奈。由奈が信じてたあいつは、凄いやつになったよ)

 大事な友達の顔が思い浮かぶ。いつも傍にいて、武を見守っていた女の子の顔が。もう自分には入り込む隙がないと分かっているからこそ、目頭が熱くなる。
 泣くのは全てが終わってからだと分かっていても、視界が潤むのは止められない。

「いっぽーん!」

 弱々しい思いを吹き飛ばすように叫ぶ。その瞬間、武のシャトルが坂下のラケットをすり抜けた。

「ポイント。エイトシックス(8対6)チェンジエンド」

 いつしかポイントは8対6。

「お、勝ってるじゃん」

 不意に右からした声に驚いて、早坂は素早く隣を見た。その先にはあっけに取られた顔で早坂の顔を見ている小島。よほど早坂の慌てようが印象的だったのか、しばらく動きを止めていた。

「……急に横に立たないでよ」
「これでもゆっくり近づいて普通に話したつもりだよ。よっぽど集中してたんだな、試合に」

 確かに、と早坂は心の中で一人ごちる。武達の試合から全く目を離せなかった。自然と握り締めていた掌には汗が滲み、息も多少荒い。緊張に息を止めていたのだと今になって理解する。一度深呼吸してから改めて試合へと目を向けた。

「第一シード相手にやるじゃないか。試合前より強くなってるんじゃない?」
「そうね。本当、成長が早くて羨ましい」

 そう言った早坂の耳に息を呑む音が聞こえる。位置的に小島に間違いないのだが、なぜそんな音を出すのか理解できない。さらに試合もラリーの応酬が激しくなってきたために早坂は小島に質問する余裕がなくなった。

(そこ、もう少し!)

 武がスマッシュを連続で放つ。坂下が返すたびに武も負けずに打ち返す。どのタイミングで打ち分けるかの駆け引きが繰り広げられていた。
 そして、十度目のスマッシュの時。

「おっらぁああ!」

 武が思い切り叫び、ラケットを高速で振り抜いた。
 シャトルは綺麗な軌道を描いて、武がいた右サイドから左サイドを切り裂いていく。

(カットドロップ!)

 自分のフィニッシュショット。ラケット面を斜めにして振り下ろすことでスイングをストレートにしたままシャトルは斜め前へと落ちていくように打つことが出来る。
 タイミングをはずし、かつ切れ味の良いドロップとなるために高速の戦いの中では有効打となりえるはずだった。シングルスプレイヤーの早坂を何度も勝利に導いたショット。だからこそ、今、武が打ったショットが間違いなく自分よりも切れ味が良いことに気づいていた。

(相沢――!)

 心の中で喝采をあげる。切れ味の良さは、実際に坂下と川島の動きが一瞬止まったことでも分かった。急激な速度の変化に体がついていかないのだ。
 だからこそ、川島が前に飛び出してシャトルをヘアピンで返したことに早坂は驚いていた。

(これが、第一シード)

 まだ終わらない。そんな予感に早坂は冷や汗が止められなかった。
モドル | ススム | モクジ
Copyright (c) 2011 sekiya akatsuki All rights reserved.