Fly Up! 156
「おああ!」
武はインパクトの瞬間まで力を込め、爆発させる瞬間にその手を止めた。シャトルは鋭い軌道はそのままに速度はドロップのそれで進む。タイミングを全く外された形になったが、前衛にいた坂下はバランスを崩しつつもシャトルを拾う。
全くシャトルはネットから浮かなかったが、吉田は下から掬い上げるようにラケットをスライスさせてプッシュに変換させていた。
「ポイント。フォーティーントゥエルブ(14対12)。ゲームポイント」
まずは一ゲーム目のゲームポイント。前半に取ったリードを守り抜いて何とか来たという形。それでも、一点は一点。
「一本だ」
「おう」
吉田の声に反応する武。だが、二人とも一ゲーム目とは思えないほどの汗の量。お互いに気づいていたがそれを指摘する余裕は無い。わざわざ疲労を自覚させる必要は無かった。
格下の自分達が勝つためには防御を考えてはいけない。常に攻めあるのみ。
「一本!」
「一本!!」
吉田のショートサーブへ間髪いれず飛び込む坂下。強烈なプッシュがコート左サイドに打ち込まれると同時に武のラケットが閃く。迷わず打ち上げてサイドバイサイドの体勢を取り、攻撃を迎え撃つ。
「らぁ!」
爆発とも取れるインパクト音。真正面に打ち込まれたシャトルを武はバックハンドで打ち上げる。だが、その高さが足りずに川島がジャンプしつつラケットを伸ばし、届かせた。
「はっ!」
シャトルを巻き込むように手首だけでネット前に落とす川島。そこに吉田は追いついてヘアピンで返す。ジャンプしていた川島には取る隙がないと狙ってのこと。
しかし、川島は着地と同時にラケットを突き出してシャトルを拾った。
床に着く直前に。
そこからのヘアピンは咄嗟に追いついたとは思えないほどの精度でネットぎりぎりを過ぎていく。吉田も無理せず後ろにドライブ気味に打つしかない。
速度を上げて追いついた坂下が背中を真正面に向け、その反動を余すことなくラケットに伝えて放った。
「しまっ――」
反応できる速度を超えて放たれたシャトルが、吉田の右肩を抜ける。
「上げるぞ!」
吉田の背中から聞こえてきた武の声。
咄嗟に逆サイドへと移動すると武がストレートに打ったシャトルが見えた。そのまま武は右サイドの中央へと進む。ローテーションがスムーズに流れる。
一本のラリーが長い。
ずっと動き続けるということは体力を使う。それでも、武と吉田は自分達を止められない。
下手に攻撃をしかけてはカウンターでサーブ権を奪われてしまう。このラリーで点を取り、一ゲーム目を取らなければ負けは確実だという考えが心も頭も支配していた。
それほどまでに、川島と坂下の動きが良くなってきていたのだ。
(動き一つ一つが速い。この二人、スロースターターだったんだな)
武は繰り出されるスマッシュを返しながら、二人の動きを目に焼き付ける。
一瞬でも見失った瞬間に、シャトルがコートへとついているだろう。
「はっ!」
ちょうど体勢を整えたところに来るドライブを、渾身の力で叩き返す。攻守交替の瞬間だと一歩足を踏み出した瞬間、吉田が「待て!」と叫んだ。
(――!?)
その声に反射的に身体の動きが止まる武。次の瞬間、打ち込まれたシャトルにラケット面を当ててヘアピンとして落とす。そのまま前に構えて相手のヘアピンに供えた。
(後一歩踏み込んでいたら、多分打てなかった)
自分の渾身の一撃が、打たされたものだと気づいて武は戦慄する。
それは武の攻撃を絶対に返せるという余裕から生まれるもの。けして弱くは無い自分のショットを、だ。
「くそっ」
後ろでは吉田のドライブが相手コートを抉る。坂下とドライブ合戦を繰り広げている間、前衛はいつ出番があるかも分からない。その中で別の思考に気を取られることは命取りになる。
「ぼさっとしてていいのか?」
川島の声と同時に、川島の頭の横をシャトルが鋭く通る。ブラインドをかけた一撃は、武の影が邪魔になった吉田が取れず、コートに沈む。
――はずだった。
パァン、と乾いた音。川島も坂下もその場から動くことかなわずに、シャトルが自分達のコートに落ちるのを見送る。
掲げられたラケットがシャトルの行く先を遮っていた。いくら速くても射線上にラケット面があれば、シャトルは弾き返される。速さが逆にカウンターとなったのだ。
「ポイント。フィフティーントゥエルブ(15対12)。チェンジコート」
審判がそう告げても、少しの間、四人は身動きしなかった。
誰もが今の結果が心に落ちるのを待っている。
最初に動いたのは武。
川島達に一礼してからコート外へと歩き出す。すぐに吉田は後ろに続いた。
「ナイスショット」
「……気づいたら、ラケットが出てた」
武自身も意識できなかった。それでも身体が反射的にラケットを出した。
まだまだいけると自分の中で鼓舞する。
しかし、身体を覆うだるさは気づかないわけには行かなかった。一ゲームでどれだけの体力を削られたのか。これから先に勝つとするならば、次で勝負を付けるしかない。
「焦って勝負を付けようとすると絶対に勝てないぞ」
武の心の内を見透かすように吉田が言葉を挟む。次のゲームへとそのまま流れようとしていた意識にブレーキがかかった。自分の動揺を悟られないように振舞おうとしたが、一つ息をついて止める。
「そうだな。思い切り終わらせる気でいた」
「それで終わる相手ならまだいいんだが」
相手側を見るとガットの位置を直しながら話している。そこに、次のゲームを取られれば負けるという気負いは感じられない。
自分達がここで負けることを少しも疑っていない。
「相手にとって格下なのは間違いない。今回も攻めて、そのまま逃げ切っただけだ。二ゲーム目も攻め続けるしかない」
「分かってる。負けるつもりは無いさ」
吉田の言葉を引き継ぐように武は言う。
「何度拾われても落とすまで油断するか」
もう言うことは無いと吉田は、ただ頷いた。事実、ここから先は話す体力さえも温存してシャトルを打ち込まなければいけない。ラケットバッグを移動させてタオルで顔を拭き、コートに再び足を踏み入れる。
そこで急に坂下達から威圧感を受ける。
コートの中はまるで別世界。おそらく今、周りで見ている選手達もこの中で起こっていることは分からないだろう。
「セカンドゲーム、ラブオールプレイ!」
『お願いします!』
四声が同時に発する言葉。レシーブの構えを取った相手からネットを越えて更にプレッシャーが強くなる。二ゲーム目は最初から本気で来る。
武は吉田の後ろに回って腰を低く、どんなシャトルにも追いつけるように意識を集中させていく。
(集中。集中)
吉田のショートサーブから、シャトルが飛ぶ。ネットを越えた瞬間に、強烈なプッシュが武の左サイドへと弾き返されてきた。即座に身体を切り替えてロブを上げる武。軌道を低く返すには速すぎた。
(二ゲーム目になって更に速くなってくる)
シャトルには既に目は追いついていない。ショットが飛んだ方向と、自分のラケットの守備範囲を感覚的に掴んで、振っている。試合の中で研ぎ澄まされた勘を利用して防御するしかないということは余裕が無いこと。
それでも、試合前に出来なかったことが出来ているという現実。
(試合の最中に成長してる)
坂下のスマッシュがクロスに食い込む。吉田がネット前に落とすと、即座に川島がクロスプッシュでシャトルを落とし込む。逆サイドに身体が流れている吉田には取れない位置。
そこに武は足を踏み出して、シャトルを拾っていた。
「武!」
叫び、後ろに移動する吉田。武はそのまま前の中央部へと身体を滑らせた。武が返したシャトルはネットを越えてすぐ前に落ちようとする。それを武と同じように前に飛び込んできた坂下がロブを上げ、サイドバイサイドの体勢になった。
「はっ!」
吉田のスマッシュがストレートに相手のちょうど真ん中を縫うように放たれる。どちらが取るか判断が難しいショットも躊躇無く川島が弾き返す。ロブを奥まで返したところで、川島を前にトップアンドバックの体勢に入った。
どちらも攻撃に特化した体勢。
(どうくる……!)
目の前に川島の顔が来たところで更に高まる集中力。
だからなのだろうか。武には、川島の口がかすかに、しかしはっきりと動いたことを認識できた。
『認めるよ』
そう呟いたように見えた瞬間、川島が視界から消えた。
「え――」
川島が右に飛んだと気づいて視線を移した時には、もうシャトルが武の前に着弾していた。
口元に、言葉に意識を奪われた一瞬に、ラリーの勝敗は決していた。
「サービスオーバー。ラブオール(0対0)」
武はシャトルを拾い、目の前にいた川島に手渡しする。シャトルを受け取る時に川島は真剣な表情で武へと言った。それは先ほど認識した言葉。
「認めるよ。お前達のこと。ここから先に、油断はない」
サーブラインへと歩いていく川島の後姿を見つつ、武は後退する。
言葉からすれば、一ゲームはやはり油断していたのだろう。意識するようなものではなく、常勝のペアなら一度は通るような道。武も、地区内で安西達以外に負ける気はせずに似たような油断を抱えているはずだ。
それが今、川島達からは完全に消えたという宣言。
「何が起こったか分かったか?」
吉田が声をかけてくる。武が素直に首を横に振ると、吉田が簡単に説明した。
「俺が打ったスマッシュを、ネット前でインターセプトしたんだ」
「……読んでたってことか?」
「それもあるだろうし、それを可能にする反応速度と動きだな」
肩を軽く叩いて吉田はサーブに備えるために位置を取る。武も左サイドの中央付近に身体を置いて、動きに入ろうと腰を落とす。
(試合の流れ上、あっさり言うしかなかっただろうけど)
吉田も衝撃だったはずだ。武も話をあっさりとされたが、それを自分も出来るかといわれるとその自信はない。
スマッシュは自分達のウイニングショットにもなる武器だ。上のレベルになるとそう簡単に決まりはしないが、やはり最後に使われる確率は高い。
それがネット前でインターセプトされた。これは川島が前にいる場合は使えないということになる。最も速い一撃だけにそれを途中で返されれば必殺のカウンターとなるからだ。
「ストップ!」
吉田が叫ぶのと同時にシャトルがネットを越えてきた。吉田はストレートのヘアピンでネット前に落とす。川島はしかし、ネットを越える瞬間を見計らってラケット面を真横にスライドさせた。
シャトルはスライドすることはせずに強くコートへと吸い込まれる。
「おおおらぁあ!」
武は強引にラケットを伸ばしてシャトルを弾き返した。体勢は崩れたがロブを上げたおかげで立て直す。吉田が真後ろに下がるのを見て、武は自分が元いた場所へと移動する。
それと同時にシャトルが武の胸部へと突き刺さった。
「――え」
「ポイント。ワンラブ(1対0)」
痛みはある。シャトルもコートへと落ちている。
それでも武は自分がシャトルをぶつけられた現実を信じられなかった。
ロブを打ち上げて、まだ戻る余裕はあったはずだ。一ゲーム目で体感したスマッシュの速さはしっかりとロブを上げなければ返すのは辛いということを武達に知らしめた。
だからこそ、今、再び自分達を凌駕し始めた相手の速度に戦慄せざるを得ない。
(体力が落ちてきたからか? それもあるかもしれないけど、やっぱり相手が速くなってる)
身体が温まり、恐らくは予期せぬリードを取られたことでポテンシャルを十分発揮できるテンションになったということか。
シャトルを返した後で、自分の左手が冷たい汗をかいているのに気づいてユニフォームで拭う。拭う側もほとんど汗で濡れていたが。
(やるしか、ないな)
サーブを返す体勢に入るが、武は背筋に冷や汗が流れるのを自覚していた。
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